【母さん死なないで】ごめんなさい。青空と向日葵の会


父親が死んでしまったのが中学三年生の時で…それから母親は一人で生計をたてていました。

四人姉弟の真ん中三番目の僕は男一人だった事もありかなり手を妬かせていたと思います。
高校生になってバイトをしても家計を助けるわけでもなく…自分のためだけにつかっていました…。

兄弟がそうだったから違和感がなかったといえばそうなのかも知れないけれど 一人で五人家族を養える訳がなかったのです。
毎日 朝から晩まで働いてた やりくりして学費を払せ…必要な物を買ってもらい何不自由なく育てられて…
それが当たり前だとすら感じていました。

高校入りたての頃に一番上の姉ができちゃった婚をし、もう一人の姉が大学に入り一人暮しをし始め…
残るは自分と妹だけになりました。

そんな時、母親は会社の男性となかよくなり…あまり家に帰って来なくなりました。
妹と二人で食卓を囲むことが増えました。

そんなある日会社で大きなリストラがあり母親もその中の一人になっていました。
一気に生活は苦しくなりました。
母親は出稼ぎにいくと僕らの暮らす街から離れ遠くで働きはじめました。
いつからか家族がバラバラになっていて…それが当たり前になっていました。

高校を卒業して就職をして半年…ぐらい経った時でした。
未だに僕は妹を抱えながら生活費を母親に貰いながら生活していました。
とても新卒の人間の給料では生活が出来なかったからというのもありますが甘えだったのだと今は思います。

会社に電話がはいりました…
母親が倒れたと…
意識不明だと…

夜だったためすぐに向かうことは出来ず翌日むかう事になり会社を暫く休む事にしました。

脳梗塞…くもまっか出血を併発…病院で手術しても助からないかもしれないと言われました。

白い壁の病院が寂しい世界に思えました。
久しぶりに会った母親は意識がなく話しかけても返事がないのだから…。
手術をしたあと病室で母親が意識を取り戻し僕等にむかいこう言いました。

《大丈夫だよ 転んだ訳じゃないから…》

それが最後の言葉でした。

それから容態は急変し翌日医者から告げられたのは植物状態で延命させるかという質問でした…。
姿はそこにあるのに…もう命はないのだと…目を開けないんだと…親を殺してしまいました…

機械を止めてもらいました。
今までごめんなさい…。

人にやさしくされた時

自分の小ささを知りました

あなた疑う心恥じて

信じましょう心から

流れゆく日々その中で

変わりゆく物多すぎて

揺るがないものただ一つ

あなたへの思いは変わらない

so time goes by
everything changes
nothing stays the same
I may change too
but my feeling for you 
never will

この気持ちはずっと
変わらない。