斉藤仁さん力尽く 息子へ最後の言葉は「稽古、行け」

 日本柔道界を引っ張ってきた斉藤仁(さいとう・ひとし)氏が20日午前2時56分、大阪府東大阪市の病院で死去した。54歳だった。

【写真】日本柔道救った/斉藤仁氏 写真集

 現役時代は山下泰裕氏(57)のライバルとして激闘を繰り広げ、84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪の95キロ超級で連覇を達成した。引退後は指導者として活躍し、12年からは全日本柔道連盟強化委員長の要職にあった。昨年から体調を崩し、懸命の闘病生活も実らず肝内胆管がんで力尽きた。

 「稽古、行け」。それが最愛の息子たちにかけた最後の言葉だった。前日19日の昼、容体の良くない斉藤氏に妻三恵子さん(50)が声をかけた。「今日は稽古休ませる? 子どもと一緒にいる?」。斉藤氏は力を振り絞って「行け」と言った。「それが最後ですね」と三恵子さん。厳しく、優しく、いつも柔道一直線だった斉藤氏らしかった。

柔道五輪2連覇、斉藤仁さん死去 54歳

 柔道の男子95キロ超級で1984年ロサンゼルス、88年ソウルと五輪2連覇を達成した全日本柔道連盟強化委員長の斉藤仁(さいとう・ひとし)さんが20日午前2時56分、肝内胆管がんのため大阪府東大阪市の病院で死去した。昨年から体調を崩して病気療養中だった。54歳だった。

 青森市生まれ。テレビドラマの影響で、中学1年の時に柔道を始めた。学生時代から大器と期待され、国士舘大卒業後の83年に世界選手権無差別級を制した。翌年のロサンゼルス五輪では山下泰裕氏(現全柔連副会長)とともに金メダルを獲得した。

 山下氏が引退し、日本柔道の大黒柱となると、ひざのけがなどに苦しみながら、88年に体重無差別の全日本選手権で初優勝。ソウル五輪では、最終日まで金メダルゼロという重圧をはねのけ、64年から続いていた日本勢の金メダル獲得を継続させた。

 89年に現役を引退。2004年アテネ五輪では日本代表男子の監督を務め、メダルラッシュに貢献した。現在は母校、国士舘大学の体育学部教授。12年から全柔連強化委員長に就いていたが、ここ1年は体調を崩し、12月上旬のグランドスラム東京は欠席していた。

■「ジンちゃんは本当の国士」

 《山下泰裕さんの話》 一番の思い出はロス五輪の時。彼は出番の日に私の部屋をノックして、「先輩、行ってきます。必ず金をとってきます」と。彼が強化委員長になってからは、2人で信頼を失った日本柔道の再建をしていこうと話していた。闘病生活に入ってここ1年、ジンちゃんは本当の国士だなと思っていた。我々が遺志を引き継ぐから、天国で見守ってほしい。

コメントをお書きください

コメント: 1
  • #1

    同姓同名より。 (土曜日, 24 1月 2015 14:56)

    謹んでお悔やみ申し上げます。