酒井商店【トラック野郎魂】酒井新


こんばんわ。
いつもご覧頂き、ありがとうございます。

今年は、鈴木監督、ジョニー大倉さん、高倉健さん、そして先日菅原文太さんとトラック野郎に携わった面々が天国に羽ばたいてしまいました。

文太さんの訃報はトラック仲間から来ました。

星桃次郎が流れ星になってしまったと…

一昨日のニュースは文太さんの訃報を読み上げてました。
俺達はトラック野郎の映画を見て、育った運転手さん達に憧れた世代です。

土曜日の再放送を見るのに、半日授業が終わると猛ダッシュで家に帰りました。
画像の中に巡らされるギラギラトラック…
破天荒な役者の文太さんこと桃次郎…

子供ながらに夢を抱き、憧れました。

免許をとって、運転手で今までやってこれたのも、好きだからなんですよね。

文太さんに憧れ、若い時には回り近所お構い無しに、突っ掛かり、ぶっ飛ばされ、ぶっ飛ばし、時には土下座をしてこの何年間かやって来ました。

時代共に移り変わり、トラック業界も荷主も世間もうるさく、厳しくもなりました。

でも、文太さんこと桃次郎が好きで憧れて、この商売に踏み入れたから、多少の障害もなんなくこなして来たんですよね。

でも、トラック野郎の面々がいなくなり、胸の中がポッカリ空いたようで、昨日から何もやる気が起きないんです。

文太さんに憧れ、上半身裸に晒を巻いて、ハンドル握って意気がり全開で、市場で暴れて、ぶっ飛ばされたあの日をふと思い出しました。
色々なしがらみや派閥があっても、トラック野郎の文太さんに憧れ、運転手をやっている俺達だからわかること。

どんなにバカにされても、けなされても、時代遅れだと言われても、次の世代にトラック野郎を残していきたいと思います。

監督、文ちゃん、ジョニー大倉さん、俺達に無限大の夢をありがとう。

健さん、真の男の強さ、生きざま、美しさを教えてくれてありがとう。

俺達は一生忘れない、生きる限り語り続けていきたいと思います。

時代だとか、文明の発達に男の素晴らしさが廃りはしない。

わかってくれる最後のお客さんがいる限り、飾りを辞めずにトラック野郎魂でやっていきたいと思います。

安らかにお休み下さい。


【文太さん追悼でトラック野郎1万人集結】

11月28日に死去した菅原文太さん(享年81)をしのび、全国の長距離トラック運転手が駆けつける追悼セレモニーが大みそかに行われることが2日、分かった。
主演映画「トラック野郎」シリーズに撮影協力した装飾トラック(デコトラ)団体「全国哥麿(うたまろ)会」が主催する。毎年大みそかに群馬県太田市にある新上武大橋の利根川河川敷でカウントダウンイベントを開催してきたが、今年は菅原さんの追悼セレモニーが行われることが決まった。撮影で菅原さんが乗ったトラック「一番星号」も運ばれる。関係者は、1万人以上が集まると予想している

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コメント: 8
  • #1

    トラック仲間 (水曜日, 03 12月 2014)

    桃さんが、ジョナさんの息子とトルコ行くシーンは、やばかった。

  • #2

    トラック仲間 (水曜日, 03 12月 2014 23:56)

    文太さんってこういうエロシーンばっかやってたけど、本人はどう思ってたんだろう。
    早稲田出でモデル出身のインテリだし、着流し任侠映画時代は硬派だったしね。
    東宝の「犬笛」みたいな作品も出たし。
    この時期の文太さんの心情とかが書いてある資料ってないの?

  • #3

    トラック仲間 (木曜日, 04 12月 2014 00:09)

    2014年墓銘録
    やしきたかじん(歌手)、海原しおり(漫才師)、森本哲郎(ジャーナリスト)、淡路恵子(女優)、吉野 弘(詩人)
    小野田寛郎(元軍人)、高橋昌也(俳優)、佐久間正英(音楽家)、加藤精三(声優)、小出五郎(科学評論家)
    野中マリ子(歌手)、小林カツ代(料理家)、永井一郎(声優)、坂東眞砂子(作家)、野崎真一(作曲家)
    坂崎一彦(元巨人軍外野手)、塚田正昭(声優)、森 徹(元中日外野手)、山本邦山(尺八演奏家)、仲田 龍(プロレスリングアナ)
    山本文郎(元東京放送アナ)、まど・みちお(詩人)、安井昌二(俳優)、矢入一男(ギター職人)、あきやまるな(声優)
    吉田榮勝(レスリング指導者)、宇津井 健(俳優)、安西マリア(歌手)、安西水丸(画家)、山本俊彦(音楽家)、朝倉 摂(芸術家)
    園田凌士(歌手)、蟹江敬三(俳優)、宮田繁男(音楽家)、周 富徳(中華料理人)、ジャンボ秀克(タレント)、佐野 実(中華料理人)
    岡田えれな(モデル)、神戸一郎(歌手)、渡辺淳一(作家)、九條今日子(女優)、今井光也(指揮者)、逢坂じゅん(レツゴー三匹)
    鈴木則文(映画監督) 高倉健さん。ジョニー大倉さん。そして、菅原文太さん。謹んでお悔やみ申し上げます。

  • #4

    トラック野郎 (木曜日, 04 12月 2014 00:15)

    実際、デコトラは受け入れ先の会社から嫌がられるみたいだしね
    冷静に考えてみりゃそりゃそうだけど トラック持ち込みの会社でも、デコトラNGの会社が多いのも頷ける反面、 息苦しい世の中になったのかな、とも思う

  • #5

    トラック野郎 (木曜日, 04 12月 2014 00:18)

    良くも悪しくも社会全体が過剰にデオドラント・コンプライアンス重視で 社会的に寛容性・ゆとりが減ってますから またそれを望んでる世相もあるし・・・失われるものも多いこと気づかずにね 。今トラック野郎を地上波で放送したら 法例違反だの、子供の教育に良くないだのとたちまち抗議来る 。結果TV局も面倒嫌うから放送躊躇 フィクションと区別がつかない人も増えたんですよ

  • #6

    軽トラ野郎 久しぶりっす。 (木曜日, 04 12月 2014 00:21)

    「風呂行ってくるわぁ~」
    「この子たちも連れてって」
    「わーい、行こー行こー」
    →みんなでトルコ風呂へ
    ねーよねー 。

  • #7

    謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 (木曜日, 04 12月 2014 00:33)

    菅原文太さんが死去 高倉健さんに続き大物俳優がまた…
    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141201-00000009-nkgendai-ent
    俳優の菅原文太さんが死亡していたことが1日、分かった。享年81。高倉健さんに続く“大物俳優”の訃報だ。
    菅原さんは1933年8月16日生まれ、宮城県出身。早大第二法学部進学後、モデルや「劇団四季」の団員を経て、58年「白線秘密地帯」(新東宝)で本格映画デビュー。
    73年に始まった「仁義なき戦い」シリーズの広能昌三役で人気を不動のものとし、「トラック野郎」など数多くのヒット作に主演した。
    菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年11月28日[1])は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ・農家。宮城県仙台市出身。愛称は文太兄い、文ちゃん。
    代表作は映画『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズ。どちらも日本映画史に残る配給収入を上げた。父は洋画家の狭間二郎。妻は菅原のマネージャーを務めており、長男は菅原加織。他に娘が2人いる。
    2012年11月13日、56年に及ぶ役者業を引退したことを明らかにした。
    2014年11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため死去した。

    経歴
    仙台市の生まれだが、4歳から小学校4年までは東京育ち。疎開で仙台に戻り、高校卒業まで仙台で育った。宮城県仙台第一高等学校から早稲田大学第二法学部へ進学、中退。中原淳一のモデルとなり、1954年、旗揚げしたばかりの劇団四季に1期生として入団し、初期の作品に多数端役として出演した。
    1957年(昭和32年)に岡田眞澄・旗昭二・池田二郎ら総勢8名で日本初の男性専門モデルクラブ、ソサエティ・オブ・スタイルを設立し、雑誌やショーのファッション・モデルをしながら1958年(昭和33年)に喫茶店で新東宝の宣伝部員にスカウトされ、映画俳優になる決心をし、新東宝に入社。同年『白線秘密地帯』で本格映画デビュー。

    長身の新人二枚目スターの一団「ハンサムタワーズ」の一人として、吉田輝雄・高宮敬二・寺島達夫らと共に売り出された。

    1961年(昭和36年)に新東宝が倒産したため、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。メロドラマやホームドラマなど、女優主体の企画が多い松竹では脇役に甘んじる状態が続く中、俳優の安藤昇に勧められ、ハンサムタワーズのメンバーと共に1967年(昭和42年)に東映へ移籍。

    東映に移籍はしたものの、セリフのほとんど付かない役ばかりで、役を貰えないかと新東宝仲間である石川義寛監督の下宿を訪ねることもあったといい、東映京都撮影所作品『怪猫呪いの沼』(1968年)での端役も、石川監督が気の毒がって起用したものだったという。翌1969年(昭和44年)の『現代やくざ 与太者の掟』が、東映での初主役作となる。この『現代やくざ』シリーズは1972年(昭和47年)まで続く作品群で、ヤクザを美化した従来の任侠映画ではなく、現実的な「ワル」を主人公にしたものであり、後の実録映画の先駆けとなった。また、同年には『関東テキヤ一家』シリーズ、1971年(昭和46年)からは『まむしの兄弟』シリーズに主演。

    1973年(昭和48年)から始まった『仁義なき戦い』シリーズで、東映を代表するスターのひとりになった。映画史に残る作品にもなったこのシリーズのヒットで東映は任侠路線から実録路線に転換。1974年(昭和49年)末からスタートした『新・仁義なき戦い』シリーズや1975年(昭和50年)に始まる『トラック野郎』シリーズ(一番星・星桃次郎 役)もヒットした。

    1998年(平成10年)頃に岐阜県の飛騨地方に移住。近年は農業政策等に高い関心を示し、多数の講演活動も行っている。近年はナレーター・アニメーション・コンピュータゲームの声優もこなすなど、幅広く活躍。2001年(平成13年)に長男菅原加織を不慮の事故で亡くし、周囲に「もう仕事したくない」と漏らしていたが、2003年(平成15年)公開の映画『わたしのグランパ』で復帰。9年ぶりの主演を果たした。

    2009年(平成21年)より山梨県韮崎市で耕作放棄地を使って農業を始めている。当時、俳優業は「半分引退した」と語った。

    俳優業は引退したものの、引退宣言以降もラジオでレギュラー番組『菅原文太 日本人の底力』のパーソナリティ、テレビドキュメンタリーのナレーターやCM出演などは務めており、2012年7月公開のアニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」にも声優として出演。結果的にこれが、菅原の遺作となった。

    2014年11月28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全により東京都内の病院で死去。享年82(81歳没)。晩年は福岡県福岡市に住んでおり、11月30日に太宰府天満宮で家族葬を行った。

    菅原 文太 - wikipedia

  • #8

    トラック仲間 (木曜日, 04 12月 2014 00:39)

    酒井さん 頑張って下さい。皆んな仲間ですよ。トラック野郎魂 最高(^。^)