「取材、取材でいつも飛んで歩いているから、 女房には苦労をかけた。 定年になって仕事を退いたら、 取材旅行ではなくて、夫婦水入らずで 温泉旅行に行きたい。 女房に楽をさせることが、 これからの私の生きがい。 これからは、女房との時間を大切にしたい」
彼は、こんなことを看護師さんに話していたのでした。
やがて、彼はガンの進行のために、 首から下の神経麻痺が起こり、 手足が動かなくなりました。
奥さんが時間のある限り、 彼に付き添っていましたが、 彼の顔からは笑顔が無くなりました。
無表情になり、一点を見つめたまま、 誰の言葉にも反応しなくなりました。
奥さんは、看護師さんに相談しました。
「主人が最近、全然、話を聞かなくなり、 笑わなくなりました。 何を話しても無反応で、 夫が何を考えているのか分かりません。 どうかなってしまったのでしょうか?」
相談された看護師さんは、
「これからは女房との時間を大切にしたい」 と彼が言っていたのを思い出しました。
彼のこの気持を声が出せない彼の代わりに 伝えてあげようと考えました。
そして、奥さんが介助に来た時に、 彼が奥さんと一緒に温泉に行きたがっていたことや、 本当に奥さんに感謝しているという彼の想いを 丁寧に伝えてあげました。
ふと、黙って聞いていた奥さんが彼の方を見ると、 彼の口が歪んで、鼻水と涙で 顔中がぐちゃぐちゃになっていました。
奥さんは泣いている彼の涙をゆっくりと拭いてあげると、 こう言いました。
「私は今が一番、幸せよ。 一日中、どこにも行かないあなたのそばに、 ずーっと一緒にいられることが今まであった? こんなに一緒にいられる時間を持てて、 私は今が一番、幸せ。 迷惑とも苦労しているとも、 ちっとも思わない」
奥さんは泣きながら、震える声で彼に話しかけました。
その後の男性は、これまで見たこともないような 穏やかで優しい顔つきになりました。
その1週間後、彼は奥さんに見守られながら、 静かに亡くなられました。
看護師さんは、こう言っています。
「私もこの夫婦のようになりたい、と思って、 この時に、彼の奥さんが自宅の庭から 摘んで来たバラをいただいて、 私の家の庭に植えたんです。 毎年、咲いてくれる花を眺めながら、 伝えなければならない想いがあることを、 忘れないようにしています」
病気になってからでは伝えられないこともあります。
身近な人に、自分の感謝の気持を 忘れずに伝えることが大切ですね。
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