千葉【蓮池】

「蓮池」とは

 蓮池は千葉市中央区中央3丁目(旧・吾妻町2丁目)です。現在の千葉銀座通りから、あずま通り(中央区役所の1本内側)のあたりまでの一帯が「はすいけ」と呼ばれていました。

 このあたりは葭川沿いの湿地の延長で、蓮の花の咲く池があり、周辺に料亭や割烹旅館などができたことから次第に「花街」として発達してきました。

 最も華やかだったのは昭和の前半ですが、戦後も千葉の政済界を動かす人々の集う街として、他の繁華街とはひと味ちがう貫禄を見せてきました。「蓮池できちんと遊べるようになれば一人前」といわれた、大人の街でもあります。


蓮池碑


千葉銀座通り

徳田秋声の「縮図」に描かれた蓮池

千葉銀座入り口の四つ角付近に「蓮池碑」と呼ばれる文学碑がある。ここには徳田秋声の小説『縮図』の一節が刻まれている。「蓮池」とはかつての千葉市花柳界の代名詞。小説のヒロイン銀子が大正5年に牡丹(ぼたん)という名前で初めて芸者に出たのがこの蓮池である。当時の蓮池の様子はこう描かれている。「蓮池の埋立てだといふ蓮池の花街は、駅から二丁ばかり行った通りにあった。その辺には洋食屋やカフェ、映画館などもあり殷賑地帯で…」。今の千葉銀座通りの中ほどあたり、水田の中に大きな蓮池があったがそれが埋め立てられ、そこに料亭が軒をつらねて歓楽郷となった。しかし戦災後の区画整理でその面影は失ってしまったという。

ヒロイン銀子は千葉医学専門学校(現在の千葉大学医学部)出身の栗栖と恋におちるが、その恋は実らずに蓮池の地を去ることになる。その様子を秋声はこう描いている。
「あの街には、あれほど愛し合った栗栖もゐるので、立ち去る時、何とはなしに哀愁も残るだったが、銀子は振り返って見やうともしなかった」

この作品は、昭和16年6月28日から「都新聞」(現在の東京新聞)に連載されたが、戦時下に芸者の行状を臆面もなく扱うとは、と内閣情報局の干渉を受ける。「妥協すれば作品が腑抜けになる」と連載80回目にして秋声は筆を折った。戦意の高揚に役立たないものは非国民的だとみなされ、多くの芸術の芽が摘み取られた時代である。秋声はその二年後に病没したため、この未完の長編が絶筆となった。

蓮池を舞台とした作品は他にもある。『プレオー8の夜明け』で芥川賞を受賞した古山高麗雄は昭和52年『わが花の街』(実業の日本社)で、おてんばな現代娘が蓮池から芸者に出て、古いしきたりをはねのけ自由奔放に生きていく姿をユーモアラスに描いている。

現在の千葉銀座通りは、ファッションビルや飲食店が立ち並び千葉市内でも屈指の活気ある商業ストリートである。休日にはフリーマーケットや大道芸が繰り広げられるなど催しも多彩。かつての蓮池の時代に思いをはせながら歩いてみるのも一興でしょう。


蓮池 芸者と旦那衆
                    蓮池芸者と旦那衆 

 勝新太郎(兄若山富三郎も)は東京深川生まれと云われてますが、実はここ蓮池の花街で生まれたそうです。


蓮池 芸者
                     街を行く蓮池芸者