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ジェフユナイテッド市原・千葉(ジェフユナイテッドいちはら・ちば、JEF United Ichihara Chiba)は、日本の千葉県市原市および千葉市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。呼称は「ジェフユナイテッド千葉」である。旧クラブ名称は「ジェフユナイテッド市原」。

概要
1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身であり、1993年のJリーグ開幕時より加盟している10クラブ(オリジナル10)のひとつである。ホームタウンは2002年まで千葉県市原市、2003年から市原市および千葉市へ変更・広域化された。ホームスタジアムはフクダ電子アリーナ、練習場はユナイテッドパークであり、クラブハウスも同地に立地している(詳細は#スタジアム・練習場を参照)。
運営会社はジェフユナイテッド株式会社(2009年10月1日に株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブより商号変更)。東日本旅客鉄道(JR東日本)と古河電気工業(古河電工)が50%ずつ出資(資本金:4.9億円)。なお、2008年までは1億円であったが、クラブハウス(2009年10月竣工)建設費調達などの関係から、2009年に増額された。
クラブ名の「ジェフユナイテッド」(JEF UNITED、ユナイテッド=結束した)はクラブとホームタウンの結びつき、チームの協調・連帯感を表現しており、1991年に公募で決定された。また、JEFは、クラブの母体となったJR-East(=JR東日本) Furukawa(=古河)の略称にも由来する。
マスコットは秋田犬の兄弟。背番号2の「ジェフィ」(兄)、背番号9の「ユニティ」(弟)である。ちなみに両マスコットの背番号は足すと11で、1つのチームを示すものである。2011年6月に雌のミックス犬「みなちゃん」がマスコットに加わった(背番号は12)。
クラブのキャッチフレーズは「WIN BY ALL!」であり、2001年シーズンより継続して使用している
歴史
前史
1946年創部の古河電気工業サッカー部が前身。1965年の日本サッカーリーグ(JSL)に発足時から参加。日本リーグ時代は三菱重工(現・浦和レッズ)や日立(現・柏レイソル)とともに丸の内御三家と言われ、JSL優勝2回、天皇杯全日本サッカー選手権大会優勝4回、JSLカップ優勝3回の成績を収める。また、アジアクラブ選手権1986-87で日本のクラブとしては初めてとなるアジアタイトルを獲得した。
1991年6月、運営母体が古河電気工業と東日本旅客鉄道(JR東日本)が共同出資して設立した「株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブ」となり、チーム名称を「東日本JR古河サッカークラブ」へ変更。また、同年11月にチームニックネームが「ジェフユナイテッド」に決定した。
ホームタウンについては、古河の拠点としていた横浜市とは別の場所を選定することになり、まず千葉市にかけあったが断られたため、[要出典]JR東日本の関係から仙台市に話を持っていったがまた断られた。そして、習志野市を本拠地にすることを計画し、ホームスタジアムは習志野市秋津公園サッカー場を予定していた。そのためホームタウンが決定する以前の1991年からクラブ事務所と練習場は、距離的にも習志野市に近く、古河電工の事業所が置かれていた浦安市舞浜地区に置いていた。ところが秋津サッカー場周辺の住民が騒音の問題などを危惧してホームタウン化に反対したため、習志野市議会の同意を得られなかった。[要出典]
1992年5月、千葉県市原市をホームタウンとすることが決定した。また、ホームスタジアムとして、市原緑地運動公園臨海競技場(以下「市原臨海」)を改修して使用することになった。
なお、1992年のJリーグカップでのホームゲームは、太田市運動公園陸上競技場(群馬県)、平塚競技場(神奈川県)、千葉県総合スポーツセンター陸上競技場(千葉県)、および国立西が丘サッカー場(東京都北区)で開催された。
1993年 - 2009年 (J1)
1993年の開幕戦は広島と対戦(1-2で敗戦)。なお、成績面は、1997年まで順位は中位から下位、カップ戦もグループリーグ敗退、初戦敗退と振るわなかった。天皇杯は、1993年から4年連続で初戦敗退を喫し、1995年はブランメル仙台、1996年は富士通と2年連続でJFL勢に敗れた。プロ移行後の天皇杯初勝利は、1997年のコンサドーレ札幌戦であった。一方で1994年にはフランク・オルデネビッツ(オッツェ)が得点王を獲得した。
観客動員は1993年がV川崎に次いで2位。1994年はV川崎とG大阪に次ぐ3位で、平均観客動員が2万人を超えていたが、1997年から2005年までの9年間は年間入場者数がJ1最下位であった。
- 1998年
- この年までに運営会社の本社機能を浦安市から市原市へ移転。
- 1998年は年間成績で16位となりJ1参入決定戦に回ったが、アビスパ福岡にアウェイ・ホームと連勝してJ1残留を決めた。
- 1999年
- 1999年は1stステージが15位。2ndステージは最終節前で勝ち点1差の17位であったが、最終節でG大阪に勝利して、他会場の結果により年間13位に順位を上げて降格を回避した(1999年J1最終節)。
- 2000年
- 2月に姉崎公園サッカー場へ練習場も移転して、クラブ機能の市原市への移転が完了した。
- 1stステージは11位。2ndステージは最下位。年間14位の成績で、15位京都を1勝(勝ち点3)上回ってJ1残留。
- なお、シーズン終了直前の12月7日には、サポーターが市原臨海で当時監督のズデンコ・ベルデニックとチーム統括部長の祖母井秀隆の辞任を求め、クラブ側はサポーターと話し合いの場を設ける事に同意し、後日姉崎公園サッカー場のクラブハウス前でサポーターミーティングがわれる事になった。これが後のサポーター・コミュニケーション・デーの元となった。
- 2001年
- 当時韓国代表のFW崔龍洙が加入。1stステージで2位に入った。
- 2002年
- ジョゼフ・ベングロシュが監督に就任。1stステージ8位、2ndステージ11位の成績。天皇杯はベスト4へ進出した。
- 2003年
- ユーゴスラビア代表元監督のイビチャ・オシムが監督に就任。「賢く走る」、「危険を冒すサッカー」をキーワードにチーム強化を図っていった[要出典]。また、ユース出身の阿部勇樹がキャプテンとなった。1stステージが3位、2ndステージは優勝した横浜F・マリノスと同勝ち点の2位、年間総合3位の成績。なお、シーズン終了後に中西永輔、崔龍洙が退団した。
- 2004年
- 1stステージは7位。2ndステージは優勝した浦和と勝ち点差9の2位。
- 2005年
-
2005年ナビスコカップ。選手がゴール裏のサポーターに挨拶する
- 主力であった茶野隆行、村井慎二が揃ってジュビロ磐田に移籍した一方、ブルガリア代表のイリアン・ストヤノフを獲得した。1シーズン制となったリーグ戦において、序盤は出遅れるも混戦となった中盤から徐々に追い上げ、最終節まで優勝争いに加わり、年間成績は2年連続の4位。
- また、ナビスコ杯で優勝し、Jリーグ加盟後初となるタイトルを獲得した。
- なお、2003年1stステージ第5節(横浜FM戦)以降、市原臨海においてリーグ戦は2005年の第20節(C大阪戦)で敗れるまで31試合無敗、カップ戦含めた公式戦はナビスコ杯のGL第2節(柏戦)に敗れるまで26試合無敗を記録した。
- 2006年
- 巻誠一郎が2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出され、W杯に出場した。
- W杯終了後の7月、オシムが日本代表監督に就任。日本サッカー協会(JFA)に引き抜かれた格好となり、無条件で監督を引き渡したクラブに選手・サポーターなど内外から多くの批判が届いた。この際「クラブとJFAが取り合うことで、最悪の結果、オシムが日本を去る事だけは避けたい」とした旨がフロント陣から発表された。後任にはイビチャ・オシムの息子であるアマル・オシムがコーチから昇格して就任した。そして、羽生直剛、佐藤勇人、山岸智ら、いわゆる「オシムチルドレン」が日本代表に選ばれた。
- ナビスコ杯で鹿島を破り、2連覇を果たした一方、リーグ戦は11位、天皇杯はJ2札幌に初戦で敗退。クラブ初の国際試合となったA3チャンピオンズカップ2006は1勝1分1敗の成績(3位)。
- 10月、祖母井がGMを辞任(その後、フランスのグルノーブル・フット38のGMに就任)し、後任に唐井直が就任した。
- 2007年
- キャプテンでありチームの顔であった阿部勇樹が浦和に、選手会長の坂本將貴が新潟へ移籍。また、巻・佐藤・山岸がチームの今季の方針説明を理由に契約を保留した。
- リーグ戦は開幕4戦未勝利(1分3敗)。第5節の横浜FC戦で初勝利を挙げたが、第8節から第14節まで7戦未勝利(3分4連敗)。シーズン途中の6月にはイリアン・ストヤノフが一部のメディアで監督批判を行い、謹慎処分の後に契約解除された。後半は第23節から第28節までクラブ史上初となる6連勝を記録。29節からは2分4敗であったが年間13位でJ1残留を決めた。
- なお、ナビスコ杯は、グループリーグ3位で予選敗退。天皇杯は大分に4回戦(初戦)で敗退。
- シーズン終了後、監督のアマル、統括本部長の唐井が解任された。
- 2008年
- 監督にヨジップ・クゼ、GMに昼田宗昭が就任。また、前年に新潟へ移籍した坂本が復帰した一方、水野晃樹がスコットランドのセルティックFCへ移籍。また、羽生直剛・山岸智・佐藤勇人・水本裕貴といったチームの主力も他クラブに引き抜かれ、昨シーズンのレギュラー選手の半数近くが入れ替わる危機的状況になってしまう。4月、淀川隆博が社長を退任した。
- リーグ戦は開幕11戦未勝利で、5節からは15年ぶりの7連敗を喫するなど9敗2分(勝ち点2)で最下位。5月にクゼを解任して、イングランド・リヴァプールFC元ヘッドコーチのアレックス・ミラーが監督に就任。ミラーが来日した5月10日の京都戦にホームで1-0で勝利し、開幕12試合目にしてシーズン初勝利を挙げた。なお、ミラーは登録が間に合わず、指揮は澤入重雄コーチが代行した。
- リーグ戦中断期間に広島からMF戸田和幸、鹿島からFW深井正樹が加入。第24節(東京V戦)から5連勝し、一時は最下位を脱出したが、第30節から1分3敗と失速。第32節終了時点で自動降格圏内の17位であった。
- 12月6日の最終節(FC東京戦)は、0-2と先行されたが、後半29分からの11分間で4得点を挙げて逆転勝利。第32節終了時点16位の東京V、同15位のジュビロ磐田が両方とも敗れ、磐田は16位、東京Vが17位になり、ジェフは年間15位で残留が決定した。
- 2009年
-
- クラブスローガン :「YELLOW TOP 2009」
- ミラーが監督を続投。深井を鹿島から完全移籍で獲得し、柏からアレックスを、清水から和田拓三を完全移籍で獲得。鹿島から中後雅喜を、大分から福元洋平を期限付き移籍で獲得。他チームへの移籍も噂された巻も残留したが、登録選手数はJ1最少だった。
- 2009年10月、クラブ事務所・練習場を千葉市のユナイテッドパークに移転し、運営会社の商号を「株式会社東日本ジェイアール古河サッカークラブ」から「ジェフユナイテッド株式会社」へ変更した。
- リーグ戦は第4節で17位に転落。第11節で16位なるが、第17節から15戦未勝利(6分9敗)。その間の第19節終了後の7月27日にミラーを解任して、ジェフOBの江尻篤彦が監督に就任。また、ブラジルのECヴィトーリアからFWネット・バイアーノ、柏から太田圭輔を獲得したが、第31節(川崎戦)でJ2降格が決定。なお、第32節(FC東京戦)に勝利したが、第33節・第34節と連敗し、リーグ戦は最下位に終わった。なお、前身・古河時代を含めて下部リーグへの降格は初めてである。
2010年 - (J2)
- 2010年
-
- クラブスローガン :「走りきる!そして、その先へ。」
- 江尻が監督を続投。DF斎藤大輔が引退、主将だったMF下村東美、DFエディ・ボスナーなどが退団した一方、磐田からMF村井慎二とDF茶野隆行、京都からFW林丈統とMF佐藤勇人、2009年6月から岡山に期限付き移籍していたFW青木孝太の元ジェフ所属の5選手が復帰した。
- その他、大分から期限付きで加入したDF福元洋平と、鹿島から期限付きで加入したMF中後雅喜の2人が完全移籍に移行。また、名古屋グランパスからMF山口慶の加入とオーストラリア代表主将DFマーク・ミリガンを獲得した。7月23日に巻誠一郎がロシア・プレミアリーグ・アムカル・ペルミに完全移籍した。
- 6月10日、淑徳大学とパートナーシップに関する包括協定及びジェフユナイテッドアシストスポンサー契約を調印。9月12日(第25節)にアビスパ福岡との直接対決で敗れて4位へ転落。11月23日(第36節)草津に敗れて4位以下が確定した(最終順位は4位)。
- 第90回天皇杯は4回戦で敗退。
- シーズン終了後に江尻が監督を退任した。
- 2011年
-
- クラブスローガン :「WIN BY ALL!」
- ドワイト・ローデヴェーヘスが監督に就任。中牧大輔が岡山に、池田昇平が愛媛に、谷澤達也がFC東京に、工藤浩平が京都に、和田拓三が福岡に、アレックスが鹿島にそれぞれ完全移籍。鎌田翔雅、金沢亮、ネット・バイアーノが退団した。中後雅喜、G大阪からレンタル移籍していた倉田秋がセレッソ大阪に期限付き移籍した。一方、ロアッソ熊本から藤田俊哉を、横浜FCから大久保択生を、名古屋から期限付き移籍で竹内彬を、専修大学の藤本修司を、オーレスンFKから204センチの世界最長身選手トル・ホグネ・オーロイを、大分からレンタル移籍満了で復帰した益山司を、特別指定選手として活動していた明治大学の久保裕一を獲得した。FCエドモントンからU-20カナダ代表のマット・ラムを期限付き移籍で獲得。
- 5月13日、三菱養和SCユースの田鍋陵太を特別指定選手に承認。6月26日、オフィシャルサプライヤーのFrom AQUAが、2011シーズンよりオフィシャルパートナーに関する契約を締結。7月30日、ジェフU-18の佐藤祥と井出遥也が、トップチーム登録(2種登録)した。8月9日、新潟から大島秀夫を期限付き移籍で獲得。
- 10月21日、ドワイト・ローデヴェーヘス監督、ハンスヘッドコーチを解任。後任の監督に神戸清雄、コーチに菅澤大我が就任した。
- 11月19日、J2第36節 湘南-徳島戦の結果を以て昇格の可能性が消滅(最終成績は6位)。
- 第91回天皇杯は4回戦で清水エスパルスに敗れた。
- 2012年
-
- クラブスローガン :「DAKKAN 奪還×脱甘」
- 監督に水戸元監督で前シーズンまで清水のコーチであった木山隆之が就任した。
- ベテランの藤田俊哉をはじめ、林丈統、ファン・ゲッセルが退団、C大阪にレンタル移籍していた中後雅喜が東京Vに、村井慎二が大分に、太田圭輔、福元洋平が徳島に、大島秀夫が札幌に完全移籍、青木孝太が甲府に、大分にレンタル移籍していた益山司が松本にレンタル移籍、マット・ラムがレンタル移籍期間満了、茶野隆行が引退したが、福岡から田中佑昌を、G大阪から山口智を、山形から佐藤健太郎を、横浜FCから藤田祥史を完全移籍で、磐田から荒田智之を、柏から兵働昭弘を、横浜F・マリノスから武田英二郎をレンタル移籍で獲得、井出遥也、佐藤祥がユースから昇格、大岩一貴、町田也真人が新加入した。6月には柏からリカルド・ロボが、7月には浦和から高橋峻希がレンタル移籍加入した。8月にはFC東京から谷澤達也が完全移籍で復帰した。
- リーグ戦では、第1節、第19節、第24節で首位に立った。第13節愛媛戦での勝利以降、第29、30節で7位に後退した時を除き、昇格争いに加わり、J1自動昇格圏内の2位以内には届かなかったが、シーズン成績5位でJ1昇格プレーオフへ進出。プレーオフ1回戦は横浜FCに勝利したが、プレーオフ決勝は大分に敗れて、J1昇格はならなかった。
- プレーオフ終了後、テクニカルディレクターの神戸および監督の木山がそれぞれ退任した。
- 第92回天皇杯は、準々決勝で鹿島に敗れた。
- 2013年
-
- クラブスローガン :「絶対J1!」
- 監督に新潟や大宮元監督の鈴木淳が就任した。
- G大阪から期限付き移籍していた大塚翔平、柏から期限付き移籍加入していた兵働昭弘を完全移籍で獲得。また、清水から碓井健平、昨季C大阪でプレーしていたケンペスをそれぞれ完全移籍で獲得した。なお、Kリーグ・済州ユナイテッドFCより獲得したジャイールは7月26日にUAEのエミレーツ・クラブへ期限付き移籍となった。2013年8月、森本貴幸が完全移籍で加入。Jリーグへの復帰は7年ぶりとなった。2013年8月戸島章が藤枝MYFCに期限付き移籍。
- 第2節で初勝利を挙げ、第2節から第8節まで7試合連続負けなし(3勝4分)。第10節から第15節まで4連勝を含む6試合負けなし(4勝2分)で第15節時点で3位に浮上。第16、17節とシーズン初の連敗を喫して第16節から第20節まで6位に順位を落としたが、第20節から6連勝で第25節終了時には2位神戸に勝点差3の3位に浮上し、第31節まで3位をキープ。第28節から4試合勝利なし(2分2敗)、第33節から3連敗で第34・35節は6位。第36節から3連勝で4位に浮上するが、第39から第42節まで2分2敗に留まり、シーズン成績は5位。プレーオフ準決勝はアウェイで徳島と引き分けたが、規定により決勝進出は成らず、2年連続のプレーオフ敗退となった。
- 第93回天皇杯は3回戦でFC東京にPK戦で敗れた。
- 2014年
-
- クラブスローガン :「FUN! 〜勝利のために〜」
- 鈴木体制2年目。米倉恒貴がG大阪へ完全移籍、深井正樹が退団、櫛野亮が引退した一方、横浜FMから田代真一、山形から中村太亮を完全移籍で、横浜FMから天野貴史、柏から山中亮輔を期限付き移籍で獲得した。
- しかし開幕から低調で、順位も第6節終了後に9位、第16節、18節終了後に8位になった以外は2桁順位を推移、第19節対北九州戦に敗れ、7勝6分6敗の勝点27で12位となった直後の6月23日に監督の鈴木と契約解除、その後テクニカル・ダイレクターの斉藤和夫が代理でチームの指揮を執った。7月1日、千葉県出身でロンドン五輪日本代表監督を務めた関塚隆が同月8日から後任監督として指揮を執ることが発表された[11]。
- その後チームの成績も上昇、最終節で讃岐に勝利して3位に食い込み、3年連続のプレーオフ進出を決めた。
- 第94回天皇杯は準決勝まで駒を進めたものの、同じJ2の山形に敗れ、古河時代以来30年ぶりの決勝進出はならなかった。また昇格プレーオフも同じ山形に敗れ、3年連続のプレーオフ敗退となった。
成績
年度別チーム得点王
年度 | チーム得点王 | 得点 | 備考 |
---|---|---|---|
2006 |
![]() |
12得点 | |
2007 |
![]() |
9得点 | |
2008 |
![]() |
11得点 | |
2009 |
![]() |
6得点 | |
2010 |
![]() |
10得点 | |
2011 |
![]() |
14得点 | |
2012 |
![]() |
15得点 | |
2013 |
![]() |
22得点 | J2得点王 |
2014 |
![]() |
13得点 |
ダービーマッチ
千葉ダービー
ちばぎんカップ
タイトル
国内タイトル
国際タイトル
- なし
表彰
- アジアサッカー連盟(AFC)
-
得点王
- 1994年 - フランク・オルデネビッツ
-
Jリーグベストイレブン
-
2005年 - イリアン・ストヤノフ、
阿部勇樹
-
2006年 -
阿部勇樹
-
2005年 - イリアン・ストヤノフ、
-
MVP
- 2005年 - 立石智紀
- 2006年 - 水野晃樹
-
ニューヒーロー賞
- 2005年 - 阿部勇樹
-
J2 Most Exciting Player
- 2012年 - 山口智
-
月間MVP
- 2013年10月度 - ケンペス
- その他受賞
スタジアム
ホームスタジアム
ホームスタジアムはフクダ電子アリーナである。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「当項目」を参照のこと。
最多観客動員試合
J1
- ホーム
- アウェー
J2
- ホーム
- 18,031人(2010年第節・柏戦、フクダ電子アリーナ)
- アウェー
最少観客動員試合
J1
- ホーム
- 2,245人(1997年1stステージ第7節・サンフレッチェ広島戦、市原緑地運動公園臨海競技場)
- アウェー
J2
- ホーム
- 6,235人(2006年第節・富山戦、フクダ電子アリーナ)
- アウェー
フクアリ移転の経緯
2002年シーズン開幕前、川崎製鉄(現:JFEスチール)工場跡地に建設される千葉市蘇我スポーツ公園内の球技場が完成した後、Jリーグ加盟以降のホームスタジアムであった市原緑地運動公園臨海競技場と同球技場を併用する方針を発表した。
2005年10月、千葉市蘇我球技場(現:フクダ電子アリーナ)が供用開始となった。
2006年は市原臨海の改修工事のために全試合をフクアリで開催したが、市原臨海での改修工事に関して日本サッカー協会より以下の条件を提示された。
- 観客席を2万人以上収容出来るようにし、席を全て一つずつに分けること(メインスタンド以外の席は、別れていない長いすのため)
- 客席の2/3以上覆える屋根を設置すること。
- 総座席数に対し、毎試合、観客席の8割以上の観客を動員すること
これに対し、市原市は「これ以上の財政支出は、市民の了解を得られない。」としてスタジアムの改修工事を断念した。それに伴って、市原臨海でのジェフのホームゲームは2007年以降開催されていない。
練習場・クラブハウス
2000年にクラブハウス、練習場が市原市へ移転した後も浦安市ではジュニアユースチーム(ジェフユナイテッド・ジュニアユース舞浜)及び舞浜スクールが活動を続けていたが、2005年に舞浜のクラブ機能は全て閉鎖された。舞浜に代って2005年からは習志野市茜浜地区に新たに練習場が確保され、ジュニアユースチーム(ジェフユナイテッド・ジュニアユース習志野)、習志野スクール及びレディースチームが活動している。
2009年10月、トップチームの練習場・クラブハウスとしてユナイテッドパークが開設。隣接する千葉市蘇我スポーツ公園内の施設共々活用されている。
下部組織
|
ジュニアユースチームは市原市の辰巳台地区と習志野市の茜浜地区にあったが、2010年より統合された、その代わり前述の2か所のほか千葉市、浦安市でサッカースクールを運営している。千葉県外では栃木県宇都宮市(ジェフユナイテッドクオーレ)にサッカースクールを所有している。また、東北電力名取スポーツパーク(NASPA、宮城県名取市)と提携してスクールの運営も行っていた(東日本大震災後にNASPA自体が閉鎖)。 |
これは、ジェフがJリーグ発足当初、市原市を中心とし、JR東日本沿線の東北、関東、甲信越の各地域を広域的にネットワークする構想を持っていたことの名残りである。また、スクールのデリバリー版として「サッカーおとどけ隊」が主に市原市、千葉市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校くらいまでを範囲として訪問している。また千葉大学と提携して指導者向けの講習も行っている。
下部・関連組織として、女子チームのジェフユナイテッド市原・千葉レディースがある。ジェフLは当初(1992年)からジェフの下部組織として運営されている。
なお、セカンドチームとしてジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズが活動していたが、2011年を以て活動を終了した。
出身選手
ジェフ千葉ユース・U-18
- 創設年:
- 本拠地:
- 練習場:
スタッフ・所属選手
成績
- 準優勝1回 : 1998年
- 準優勝2回 : 1998年、2003年
ジェフ千葉ユース・U-15
スタッフ・所属選手
成績
- 優勝1回 1998年
- 準優勝2回 : 1993年,1994年
- 準優勝1回 : 1995年
クラブ記録

連勝記録
- J1
- 6連勝【2007年 第23節 大分戦 (フクアリ) - 第28節 甲府戦 (小瀬)】
- J2
- 6連勝
- 【2012年 第11節 北九州戦(本城)- 第16節 大分戦(大銀ド)】
- 【2013年 第20節 徳島戦(鳴門大塚)- 第25節 愛媛戦(ニンスタ)】
ホームスタジアム無敗
- J1
- リーグ戦 31試合【2003年 1st第5節 横浜FM戦 - 2005年 第18節 川崎戦】
- 公式戦 26試合【2003年 1st第5節 横浜FM戦 - 2005年 第2節 柏戦】
- J2
- 16試合
- 【2010年 第35節 北九州戦 - 2011年 第29節 北九州戦】
リーグ戦 連敗
- J1
- 7連敗
- 【1993年 N 第12節 V川崎戦 (宮城陸) - 第18節 名古屋戦(瑞穂球)】
- 【2008年 第5節 鹿島戦 (カシマ) - 第11節 浦和戦 (埼玉)】
- J2
- 3連敗
- 【2010年 第31節 横浜FC戦(ニッパ球)- 第33節 札幌戦(札幌ド) 】
- 【2013年 第33節 京都戦 (フクアリ) - 第35節 岡山戦 (カンスタ) 】
リーグ戦 未勝利
- J1
- 17試合【2007年 第29節 浦和戦(フクアリ)- 第11節 浦和戦(埼玉) 】
- J2
- 6試合【2011年 第31節 草津戦(フクアリ)- 第34節 大分戦(大銀ド)】
リーグ戦 開幕未勝利
J1
- 11節【2008年 第1節 G大阪戦(万博)- 第11節 浦和戦(埼玉)】
- J2
- 2節
- 【2010年 第1節 熊本戦(熊本)】
- 【2013年 第1節 札幌戦(フクアリ)】
- 【2014年 第1節 栃木SC戦(フクアリ)】
もっとも遅いシーズン初勝利
- J1
- 5月10日 【J1 2008年 第12節 京都戦(フクアリ)】
- ※ 前身の古河時代を含めても遅い。
- J2
- 3月14日 【J2 2010年 第2節 鳥栖戦(フクアリ)】
最多得点試合
- J1
-
6得点
- 【1995年 第17節 横浜F戦(市原臨海) - 得点者:マスロバル(2)、中西永輔、ルーファー(3)】
- 【2007年 第23節 大分戦(フクアリ) - 得点者:佐藤勇人、山岸智、水野晃樹(2)、工藤浩平、青木孝太】
- J2
-
6得点
- 【2012年 第14節 町田戦(町田) - 得点者:藤田祥史(2)、田中佑昌(3)、深井正樹】
- 【2013年 第6節 北九州戦(フクアリ) - 得点者:大岩一貴、ケンペス(4)、ジャイール】
- 【2013年 第37節 熊本戦(フクアリ) - 得点者:田中佑昌、高橋峻希、ケンペス(3)、森本貴幸】
最多失点試合
- J1
-
6失点
- 【1993年 NICOS(2nd)第18節 名古屋戦(瑞穂球)】
- 【2000年 1st第3節 神戸戦(市原)】
- J2
-
6失点
- 【2014年 第7節 湘南戦(フクアリ)】
得点差
- J1
- 勝利 - 6点差 (6-0) 【2007年 第23節 大分戦(フクアリ)】
- 敗北 - 6点差 (0-6) 【1993年 NICOS(2nd)第18節 名古屋戦(瑞穂球)】
- J2
- 勝利 - 6点差 (6-0) 【2013年 第37節 熊本戦(フクアリ)】
- 敗北 - 6点差 (0-6) 【2014年 第7節 湘南戦(フクアリ)】
国内トップリーグ所属
- 通算:43シーズン連続
- 日本サッカーリーグ:27季連続 (前身・古河電気工業時代)
- Jリーグ ・J1:16季連続 (ジェフユナイテッド市原・千葉)
個人記録
最年少試合通算出場
- 公式戦
- J1リーグ戦
-
16歳333日 -
阿部勇樹 (1998年8月5日J1第16節・ガンバ大阪戦)
最年長試合出場
- 公式戦
- J1リーグ戦
通算最多出場
- 日本人選手
- 外国籍選手
通算最多得点
- 日本人選手
- 外国籍選手
- 54得点 - 崔龍洙
リーグ戦通算出場記録
※2014年11月現在。他チームでの出場も含まない。
最多連続試合出場
-
68試合 -
山岸智 (2006年1st第1節から2007年1st第34節)
最多連続得点試合
リーグ戦シーズン最多得点
- J1
-
- 日本人選手
-
13得点 -
武田修宏 (1998年、J1)
-
- 外国人選手
- J2
-
- 日本人選手
-
15得点 -
藤田祥史 (2012年、J2)
-
- 外国人選手
-
23得点 -
ケンペス (2013年、J2)
最年少得点
-
17歳 -
阿部勇樹 (1999年4月10日J1第6節・ヴィッセル神戸戦)
最年長得点
リーグ戦無失点記録
ハットトリック
- J1
- 3得点
- J2
- 3得点
- 天皇杯
記念ゴール
-
通算1500ゴール -
城彰二【1995年4月5日 サントリー第6節 清水(市原臨海)】
-
通算2500ゴール -
江尻篤彦【1995年11月15日 NICOS第23節 平塚(市原臨海)】
-
通算8000ゴール -
崔竜洙【2002年9月14日 2nd第3節 名古屋(瑞穂陸)】
-
通算13,000ゴール -
巻誠一郎【2008年9月14日 第24節 東京V(フクアリ)】
-
通算8500ゴール -
倉田秋【2010年6月6日 第16節 愛媛(フクアリ)】
- クラブ記録
-
第1ゴール -
パベル・ジェハーク【1993年5月16日 サントリー第1節 第1節 広島(広島スタ)】
その他記録
ユニフォーム
|
||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||
|
チームカラー
-
黄、 緑、 赤
- 黄および緑はチームカラーであると共に千葉県の県花である菜の花を表している。
- ユニフォームに採用している 青は千葉県の象徴である海の色を表している。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | 富士電機 | 富士電機 | 2007年 - | |
背中 | 東日本旅客鉄道 | Suica | 2009年4月 - |
1995年、2003年-2004年は袖、 1998年-2000年は胸、 2001年-2002年、2005年は背中 (表記は1995年はびゅう、それ以外はJR東日本) |
袖 | - | - | - | |
パンツ | 千葉ステーションビル | PeRIe | 2009年 - |
- 背番号の書体(「JEF UNITED」のロゴと同一デザイン)は、Jリーグ加盟以来一度も変更されていない。
- 左胸のエンブレム上の星2つ(★)は2005年および2006年のヤマザキナビスコカップの優勝を表している。
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 背中 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
1992 | SEGA | - | Pentel | - | asics |
1993 |
JR EAST FURUKAWA |
Mizuno/asics | |||
1994 | |||||
1995 | びゅう | ||||
1996 | 0088(日本テレコム) | ||||
1997 | J-PHONE | Mizuno | |||
1998 | JR東日本 | 古河電工 | 古河/古河電工不動産 | ||
1999 | 古河 | ||||
2000 | J-PHONE | ||||
2001 | 古河電工 | JR東日本 | - | ||
2002 | 古河電工/オートウェーブ | 古河電工 | |||
2003 | オートウェーブ | 古河電工 | JR東日本 | ||
2004 | |||||
2005 | JR東日本 | 古河電工 | |||
2006 | Sammy | 君津住宅 | QBハウス | ||
2007 | 富士電機 | - | Kappa | ||
2008 | - | -/Sammy | |||
2009 | -/Suica | PeRIe | |||
2010 | Suica | ||||
2011 | |||||
2012 | |||||
2013 | |||||
2014 | |||||
2015 | - |
メディア
-
テレビ
- 千葉テレビ放送で放送中の応援番組 - WIN BY ALL!
- JCN千葉、JCN船橋習志野で放送中の応援番組 - 「ジェフ☆コレ」
- かつて千葉テレビ放送で放送されていた応援番組 - ジェフ魂12・ジェフ魂12Returns
-
インターネット
- ジェフユナイテッド千葉オフィシャルウェブサイト ジェフ千葉が発信する公式ホームページ。通常のニュースや情報のほか、様々な配信をしている。
関連項目
- ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
- ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ
- ジェフユナイテッド市原・千葉レディース
- 千葉ダービー
- ちばぎんカップ
- モオノキ* 淑徳大学 - パートナーシップに関する包括協定を締結している。
現役選手・監督
スタッフ
役職 | 名前 | 在籍年 | 前職 | 備考 |
監督 |
![]() |
2014年7月- | ジュビロ磐田監督 | |
コーチ |
![]() |
2015年- | 大分トリニータコーチ | 新任 |
コーチ |
![]() |
2015年- | ヴァンフォーレ甲府ヘッドコーチ | 新任 |
GKコーチ |
![]() |
2013年- | U-23日本代表GKコーチ | |
フィジカルコーチ |
![]() |
2015年- | ベガルタ仙台フィジカルコーチ | 新任 |
テクニカルスタッフ |
![]() |
2014年- | ジェフ千葉強化部 |
選手
Pos | No. | 選手名 | 生年月日(年齢) | 在籍年 | 前所属 | 備考 |
GK | 1 |
![]() |
1983年5月17日(31歳) |
2002年-2007年 2007年- |
ジェフリザーブズ | ユース出身 |
21 |
![]() |
1989年5月22日(25歳) | 2014年- | 川崎フロンターレ | 期限付き移籍 | |
22 |
![]() |
1988年4月18日(26歳) | 2015年- | ヴァンフォーレ甲府 |
新加入 期限付き移籍 |
|
DF | 2 |
![]() |
1989年8月17日(25歳) | 2012年- | 中央大学 | |
3 |
![]() |
1988年6月26日(26歳) | 2014年- | 横浜F・マリノス | ||
4 |
![]() |
1992年4月30日(22歳) | 2015年- | 専修大学 | 新加入 | |
13 |
![]() |
1990年2月5日(25歳) | 2015年- | サガン鳥栖 | 新加入 | |
20 |
![]() |
1991年4月30日(23歳) | 2013年- | 弘益大学 | ||
24 |
![]() |
1990年12月8日(24歳) |
2013年-2014年8月 2015年- |
FC町田ゼルビア | 期限付き移籍から復帰 | |
27 |
![]() |
1997年1月29日(18歳) | 2015年- | ジェフユナイテッド千葉U-18 |
昇格 2014年は2種登録選手 |
|
28 |
![]() |
1996年5月12日(18歳) | 2015年- | 桐生第一高校 | 新加入 | |
34 |
![]() |
1992年5月22日(22歳) | 2015年- | 専修大学 | 新加入 | |
35 |
![]() |
1992年10月18日(22歳) | 2015年- | 駒沢大学 | 新加入 | |
MF | 5 |
![]() |
1989年1月26日(26歳) | 2015年- | 川崎フロンターレ | 新加入 |
6 |
![]() |
1986年2月3日(29歳) | 2012年- | アビスパ福岡 | ||
7 |
![]() |
1982年3月12日(33歳) |
2000年-2007年 2010年- |
京都サンガF.C. | 元日本代表 | |
8 |
![]() |
1984年10月3日(30歳) |
2008年-2010年 2012年8月- |
FC東京 | ||
14 |
![]() |
1989年12月19日(25歳) | 2012年- | 専修大学 | ||
16 |
![]() |
1984年8月14日(30歳) | 2012年- | モンテディオ山形 | ||
17 |
![]() |
1989年7月19日(25歳) | 2014年- | モンテディオ山形 | ||
25 |
![]() |
1993年7月22日(21歳) | 2012年- | ジェフユナイテッド千葉U-18 | 2011年は2種登録選手 | |
26 |
![]() |
1994年3月25日(20歳) | 2012年- | ジェフユナイテッド千葉U-18 | 2011年は2種登録選手 | |
29 |
![]() |
1985年9月6日(29歳) |
2004年-2007年 2015年- |
ヴァンフォーレ甲府 | 新加入 | |
30 |
![]() |
1996年4月25日(18歳) | 2015年- | ジェフユナイテッド千葉U-18 |
昇格 2014年は2種登録選手 |
|
FW | 9 |
![]() |
1988年5月7日(26歳) | 2013年8月- | カルチョ・カターニア | 元日本代表 |
11 |
![]() |
1986年1月3日(29歳) | 2015年- | レッドスター・ベオグラード | 新加入 | |
19 |
![]() |
1995年11月8日(19歳) | 2014年- | 正智深谷高等学校 | ||
32 |
![]() |
1976年6月5日(38歳) |
1998年 2015年- |
水戸ホーリーホック | 新加入 | |
33 |
![]() |
1990年4月10日(24歳) | 2015年- | バンコクFC | 新加入 |
期限付き移籍中の選手
Pos | 選手名 | 生年月日(年齡) | 在籍年 | 移籍先 | レンタル期限 |
MF |
![]() |
1992年2月18日(23歳) | 2013年-2014年 | AFCテュビズ | 2015年6月30日迄 |
FW |
![]() |
1988年6月10日(26歳) |
2013年-2013年7月 2014年7月-2015年2月 |
SERカシアス・ド・スル | 2015年5月20日迄 |
背番号の履歴
1997年-2008年
2009年-現在
No. | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 |
1 | 岡本昌弘 | ||||||
2 | 坂本將貴 | - | 大岩一貴 | ||||
3 | 斎藤大輔 | アレックス | 竹内彬 | 田代真一 | |||
4 | ボスナー | 池田昇平 | 青木良太 | 天野貴史 | 北爪健吾 | ||
5 | アレックス | ミリガン | 山口智 | パウリーニョ | |||
6 | 下村東美 | 山口慶 | V・ゲッセル | ミリガン | 田中佑昌 | ||
7 | ネット | 佐藤勇人 | |||||
8 | 中後雅喜 | オーロイ | 伊藤大介 | 谷澤達也 | |||
9 | 深井正樹 | ケンペス | 森本貴幸 | ||||
10 | 工藤浩平 | M・ラム | レジナルド | 兵働昭弘 | - | ||
11 | 新居辰基 | 林丈統 | 米倉恒貴 | 森本貴幸 | ネイツ・ペチュニク | ||
12 | サポーター | ||||||
13 | 和田拓三 | 山口慶 | 金井貢史 | ||||
14 | 池田昇平 | 倉田秋 | 太田圭輔 | 荒田智之 | 大塚翔平 | 町田也真人 | |
15 | 福元洋平 | 兵働昭弘 | 大岩一貴 | 田代真一 | - | ||
16 | 谷澤達也 | 林丈統 | 佐藤健太郎 | ||||
17 | 櫛野亮 | 中村太亮 | |||||
18 | 巻誠一郎 | 青木孝太 | 藤田祥史 | 戸島章 | - | ||
19 | ミシェウ | 村井慎二 | 田中佑昌 | 渡邊圭二 | オナイウ阿道 | ||
20 | 佐伯直哉 | ネット | 伊藤大介 | キム・ヒョヌン | |||
21 | 中牧大輔 | 大久保択生 | 碓井健平 | 高木駿 | |||
22 | 米倉恒貴 | 久保裕一 | ジャイール | 山中亮輔 | 岡大生 | ||
23 | 益山司 | 武田英二郎 | ナム・スンウ | - | |||
24 | 太田圭輔 | 藤本修司 | 高木駿 | 栗山直樹 | |||
25 | - | 鎌田翔雅 | 佐藤祥 | ||||
26 | 金沢亮 | 井出遥也 | |||||
27 | - | 渡邊圭二 | 鈴木隆雅 | 岡野洵 | 浦田樹 | ||
28 | - | 伊藤大介 | 藤田俊哉 | 町田也真人 | 乾貴哉 | ||
29 | 青木孝太 | 田鍋陵太 | 大岩一貴 | 栗山直樹 | 水野晃樹 | ||
30 | 島津虎史 | 佐藤慎之介 | 戸島章 | 森本貴幸 | 仲村京雅 | ||
31 | 青木良太 | 大島秀夫 | 佐藤慎之介 | 碓井健平 | ジャイール | - | |
32 | - | 戸島章 | 大塚翔平 | - | 浦田樹 | 鈴木隆行 | |
33 | - | 茶野隆行 | 高橋峻希 | 幸野志有人 | 能登正人 | ||
34 | - | 久保裕一 | - | 松澤香輝 | - | 河津良一 | |
35 | - | R・ロボ | - | 伊藤槙人 | |||
36 | - | 佐藤遵樹 | - | ||||
37 | - | 鳥海晃司 | ケンペス | - | |||
38 | - | 和田凌 | - | ||||
39 | - | 谷澤達也 | - | ||||
40 | - | 秋山翔 | - |
過去に在籍した選手/歴代監督
監督
- 永井良和(1992-1993)
- 清雲栄純(1994-1995):ジェフユナイテッド市原・千葉トータルアドバイザー
- 奥寺康彦(1996):横浜FC取締役会長
- ヤン・フェルシュライエン (en)(1997-1998)
- ゲルト・エンゲルス(1999)
- ニコラエ・ザムフィール (en)(1999-2000)
- ズデンコ・ベルデニック(2000-2001)
- ジョセフ・ベングロシュ(2002)
- イビチャ・オシム(2003-2006)
- アマル・オシム(2006-2007)
- ヨジップ・クゼ(2008.1-2008.5)
- アレックス・ミラー(2008.5-2009.7)
- 江尻篤彦(2009.7-2010):ジェフユナイテッド市原・千葉U-18監督
- ドワイト・ローデヴェーヘス(2011-2011.10)
- 神戸清雄(2011.10-2011.2)
- 木山隆之(2012):愛媛FC監督
- 鈴木淳(2013-2014.6)
- 斉藤和夫:ジェフユナイテッド市原・千葉テクニカルダイレクタ-
ゴールキーパー(GK)
- 太田昌宏 (en)
- 岸本浩右
- 伊藤和磨
- 佐野晃生
- 永田忍
- 白井淳 : 大宮アルディージャGKコーチ
- 中村宏紀
- 鈴木善人
- 仁田尾博幸
- 下川健一
- 高嵜理貴 : サガン鳥栖GKコーチ
- 柄谷典宏
- 加藤好男
- 加藤慎也 : 引退
- 石川研 : アビスパ福岡GKコーチ
- 高木貴弘 :SC相模原
- 黒河貴矢 : アルビレックス新潟
- 立石智紀 : 引退
- 島津虎史 : ヴォラーレFC浜松監督
- 中牧大輔 : 引退
- 佐藤慎之介 : 引退
- 碓井健平 : 清水エスパルス
ディフェンダー(DF)
- サンドロ
- 井坂鉄平 (en)
- 阪倉裕二 : 栃木SC監督
- 佐藤栄達
- 中山誠
- 小屋禎 (en)
- 鈴木秀生
- 木澤正徳
- 佐々木雅尚
- 影山雅永
- 佐藤重幸
- 渋谷洋樹:大宮アルディージャ監督
- 碓井幸一
- 薬師寺直樹
- 五十嵐和也
- 八津川義広
- 本街直樹
- 山本健二
- 宮澤浩
- 宮澤ミシェル
- 水野淳 (en)
- 眞中幹夫
- バシリエビッチ
- 栗原克志 : アルビレックス新潟コーチ
- 井上公平
- ビングリー
- 川元洋志
- スコルテン
- ヴァンチャ (en)
- ボス
- ブランコ
- 中田一三
- 鈴木和裕 : 引退
- 木村哲昌
- オラロイ : アル・アインFC監督
- 西ヶ谷隆之 : 水戸ホーリーホックヘッドコーチ
- 喜多靖 : ガイナーレ鳥取強化部長
- 田中淳也 : 引退
- 金明輝 : 引退
- 三上和良 : 引退
- 田畑昭宏
- 中西永輔 : 引退
- 藤田義明 : ジュビロ磐田
- 吉田恵 :サガン鳥栖コーチ
- 小林久晃 : サガン鳥栖
- 野本安啓 : 引退
- ミリノビッチ
- 鷲田雅一 : SC相模原コーチ
- 竹田忠嗣 : ファジアーノ岡山
- 川上典洋 : ゲイラン・インターナショナル
- 山中誠晃 : 高知UトラスターFC
- ストヤノフ : 引退
- 水本裕貴 : サンフレッチェ広島
- 結城耕造 : 引退
- 根本裕一 : 引退
- 早川知伸 : 横浜FCコーチ
- 斎藤大輔 : 引退
- ボスナー : 水原三星ブルーウィングス
- 鎌田翔雅 : 清水エスパルス
- 和田拓三 : 引退
- 池田昇平 : 引退
- 茶野隆行 : アルビレックス新潟コーチ
- 福元洋平 : 徳島ヴォルティス
- マーク・ミリガン : メルボルン・ビクトリーFC
- 武田英二郎 : 湘南ベルマーレ
- 藤本修司 : VONDS市原
- 鈴木隆雅 : 鹿島アントラーズ
- 竹内彬 : 名古屋グランパス
- 天野貴史 : 横浜F・マリノス
ミッドフィールダー(MF)
- マルティー (en)
- 岩本三郎
- 岩崎勇二
- 江尻篤彦 : ジェフユナイテッド市原・千葉U-18監督
- 秋葉忠宏 : U-22日本代表コーチ
- 式田高義
- フランタ
- 八城修
- 大塚真司
- 藤川久孝
- 後藤太郎
- 後藤義一
- 松本修
- 菅野将晃
- 京谷和幸
- 町田秀三
- 須藤秀之
- 越後和男
- リトバルスキー
- オルデネビッツ
- マスロバル
- 野々村芳和 : コンサドーレ札幌取締役社長
- 吉田暢
- 杉山貴之 (en)
- 横山博敏
- 寺川能人 : 引退
- パウロ・エンリケ
- 酒井友之 : 引退
- 廣山望 : 引退
- ベンソン
- ブルカ
- 内田耕平
- 井幡博康
- 松下直樹 (en)
- 井上雄幾
- 小林浩孝 : グランセナ新潟FC
- ムイチン
- モラフチク
- 増田忠俊
- 山本英臣 : ヴァンフォーレ甲府
- 武藤真一
- 長谷部茂利 : ヴィッセル神戸ヘッドコーチ
- 望月重良 : SC相模原代表
- 金位漫
- 椎原拓也
- ポペスク
- 滝澤邦彦 : JWランシットFC
- 瀬戸春樹
- 芳賀博信
- クルプニコビッチ
- 松ヶ枝泰介
- 阿部勇樹 : 浦和レッドダイヤモンズ
- 中原浩介
- 安里光司
- 羽生直剛 : FC東京
- 山岸智 : サンフレッチェ広島
- 朴宗真 : 水原三星ブルーウィングス
- 楽山孝志 : 引退
- ミルコ・フルゴビッチ : RNKスプリト
- 馬場憂太 : 大田シチズン
- 中島浩司 : 引退
- 伊藤淳嗣 : 引退
- 松本憲 : ジェガビン・ユナイテッドFC
- 戸田和幸 : 引退
- 下村東美 : 引退
- ミシェウ : サンベルナルドFC
- 佐伯直哉 : 引退
- 倉田秋 : ガンバ大阪
- 工藤浩平 : サンフレッチェ広島
- アレックス : 徳島ヴォルティス
- ファン・ゲッセル
- マット・ラム
- 太田圭輔 : FC岐阜
- 村井慎二 : コラソン千葉選手兼任監督
- 藤田俊哉 : 引退
- 中後雅喜 : 東京ヴェルディ
- 益山司 : FC岐阜
- 坂本將貴 : 引退
- 山口慶 : 引退
- 幸野志有人 : FC東京
フォワード(FW)
- 前沢光徳
- 小久保悟
- 小玉謙次
- パベル
- 松原良香
- 金大儀
- 竹原欣也 (en)
- 原祐俊
- 平田圭 (en)
- 保坂宗匡
- 森崎嘉之
- 城彰二
- 申在範 (en) : FCガンジュ岩手監督
- 前田寛之
- 牧野景輔 (en)
- 尾崎友治
- 細田穣
- 新村泰彦
- ハシェック
- ルーファー
- 武田修宏
- 金晃正
- バロン
- 西脇良平
- 小倉隆史
- 佐藤寿人 : サンフレッチェ広島
- 菅野拓真 (en)
- 和多田充寿
- 上村崇士
- 大柴克友
- 崔龍洙 : FCソウル監督
- 小山拓土
- マルキーニョス : ヴィッセル神戸
- サンドロ
- 羽地登志晃
- 斉藤正樹
- 高橋泰:カマタマーレ讃岐
- ハース : 引退
- 要田勇一
- 川淵勇祐 : 塩釜NTFCヴィーゼ
- 堀川恭平
- ラデ
- 金東秀
- 加藤韻
- 熊谷智哉 : 三菱重工長崎サッカー部
- 黒部光昭 : TTMカスタムズFC
- レイナウド : 広東日之泉足球倶楽部
- 苔口卓也 : カターレ富山
- 奥山泰裕 :ラインメール青森
- 新居辰基 : 引退
- 巻誠一郎 : ロアッソ熊本
- 金沢亮 : 引退
- ネット
- 林丈統
- 大島秀夫 : ギラヴァンツ北九州
- 青木孝太
- 藤田祥史 : 湘南ベルマーレ
- 荒田智之 : 松本山雅FC
- 大塚翔平 : ギラヴァンツ北九州
- オーロイ
- ケンペス
- 戸島章 : FC町田ゼルビア
下部組織出身者
Yはユース、JYはジュニアユース、SJはスクールジュニアの略。
- 1975年/1976年生
- 1977年/1978年生
- 1978年/1979年生
- 1979年/1980年生
- 1980年/1981年生
- 1981年/1982年生
- 1982年/1983年生
- 1983年/1984年生
- 1984年/1985年生
- 1985年/1986年生
- 1986年/1987年生
- 1987年/1988年生
- 1988年/1989年生
-
1989年/1990年生
- 橋本真人 ジェフ市原JY→市立船橋高校→浦和レッドダイヤモンズ→栃木SC→V・ファーレン長崎→S.C.相模原→グルージャ盛岡
- 瀧本雄太 ジェフ千葉JY舞浜→ジェフ千葉Y→ジェフ千葉リザーブズ→ソニー仙台FC
- 野寺和音 ジェフ千葉JY習志野→ジェフ千葉U-18→ジェフ千葉リザーブズ→HOYO AC ELAN大分
- 高田健吾 ジェフ千葉Y→ジェフ千葉→ジェフ千葉リザーブズ→レノファ山口FC
- 乾達朗 ジェフ市原JY舞浜→ジェフ千葉Y→ジェフ千葉→ジェフ千葉リザーブズ→アルビレックス新潟シンガポール→シンガポール・アームド・フォーシズFC→SC相模原
- 村上翔 ジェフ千葉JY辰巳台→ジェフ千葉Y→ジェフ千葉リザーブズ→S.A.I市原サッカークラブ→浦安SC
- 砂森和也 ジェフ千葉JY→ ジェフ千葉Y→順天堂大学→Honda FC
- 地頭薗雅弥 ジェフ千葉U-18→青山学院大学→SC相模原
- 加藤恒平 ジェフ市原JY舞浜→立命館大学→FC町田ゼルビア→FKルダル・プリェヴリャ
- 1990年/1991年生
- 1991年/1992年生
- 1993年/1994年生
- 1995年/1996年生
- 1996年/1997年生
特別指定選手
-
1998年
- 菅野拓真 : 市立習志野高校→進路:ジェフユナイテッド市原
- 2000年
-
2010年
- 久保裕一 : 明治大学→進路:ジェフユナイテッド市原・千葉
-
2011年
- 田鍋陵太 : 三菱養和サッカークラブユース→進路:名古屋グランパスエイト
- 2012年
【 ジェフユナイテッド市原・千葉レディース 】
ジェフユナイテッド市原・千葉レディース(ジェフユナイテッドいちはら・ちばレディース)は、日本の千葉県市原市および千葉市をホームタウンとする、日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)に加盟する女子サッカークラブ。

歴史
1992年、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)のホームタウン推進活動の一環として地元の女子サッカー愛好家を中心に結成。1995年には第16回全日本女子サッカー選手権大会の関東地域第一代表として初出場を果たすなど千葉県内や関東地域の大会に積極的に出場してきた。
同じ年、関東女子サッカーリーグで初優勝。1997年から1999年の3年連続優勝を果たし、2000年から日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)東ブロックに加盟。2004年から2部制の導入に伴い、L2(→ディビジョン2)に配属されている。
2004年までは鈴木政江(元日本女子代表)が監督兼選手としてゴールキーパー(GK)を務めていたが、コーチ専任により2005年はGK登録選手が不在となり、フォワード登録の選手がしばらくの間キーパーを務めるという事態になった。
2006年、セレクションの実施などによる本格的な取り組みが実を結び、4位。
2007年、ディビジョン2で2位となり、12月15日にディビジョン1の7位伊賀フットボールクラブくノ一と入れ替え戦を行なうが、PK戦の末敗退。
2008年は開幕から5連勝したのをはじめ、スペランツァF.C.高槻との2試合、ASエルフェン狭山FCとの1試合を引き分けた以外は全て勝利を収め、16戦無敗で終え優勝。ディビジョン1昇格を決定した。
年度別成績・歴代監督
日本女子サッカーリーグ
回 | 年度 | チーム名 | リーグ | チーム数 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 順位 | 皇后杯 | リーグ杯 | 監督 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
12 | 2000 |
ジェフユナイテッド 市原レディース |
L・リーグ | 9 | 10 | 4 | 1 | 1 | 8 | 8位 | ベスト8 | - |
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13 | 2001 | 10 | 13 | 9 | 2 | 3 | 8 | 9位 | 2回戦敗退 | ||||
14 | 2002 | 11 | 11 | 8 | 1 | 5 | 5 | 9位 | ベスト8 | ||||
15 | 2003 | 13 | 18 | 9 | 2 | 3 | 13 | 12位 | 1回戦敗退 | ||||
(16) | 2004 |
L・リーグ2部 (L2) |
6 | 15 | 12 | 4 | 0 | 11 | 5位 | 1回戦敗退 | |||
(17) | 2005 |
ジェフユナイテッド 市原・千葉レディース |
7 | 18 | 23 | 7 | 2 | 9 | 5位 | 2回戦敗退 |
![]() |
||
(18) | 2006 |
なでしこリーグ ディビジョン2 |
8 | 21 | 41 | 13 | 2 | 6 | 4位 | 3回戦敗退 | |||
(19) | 2007 | 8 | 21 | 45 | 14 | 3 | 4 | 2位 | 3回戦敗退 | グループリーグ |
![]() |
||
(20) | 2008 | 9 | 16 | 42 | 13 | 3 | 0 | 優勝 | 3回戦敗退 | - |
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||
(21) | 2009 |
なでしこリーグ ディビジョン1 |
8 | 21 | 22 | 7 | 1 | 13 | 5位 | ベスト8 | |||
(22) | 2010 | なでしこリーグ | 10 | 18 | 25 | 8 | 1 | 9 | 7位 | ベスト8 | グループリーグ | ||
(23) | 2011 | 9 | 16 | 16 | 5 | 1 | 10 | 7位 | ベスト8 | - | |||
(24) | 2012 | 10 | 18 | 22 | 6 | 4 | 8 | 6位 | 準優勝 | グループリーグ | |||
(25) | 2013 | 10 | 18 | 21 | 5 | 6 | 7 | 7位 | ベスト8 | ベスト4 | |||
(26) | 2014 | 10 | 28 | 11 | 3 | 1 | 6 | 5位 | ベスト4 | - |
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- 予選(地区)リーグと決勝リーグを採用した2000年から2003年までの成績は年間順位。チーム数は両地区の合計チーム数。
- 勝ち点は「勝ち3、引き分け1、負け0」
- 2004年から2部制に移行。チーム数は所属リーグのみ。
- 2003年まではシーズン名に「第○回」と表記されていたが、2004年からは西暦年で表記するようになった。
- 2014年から10チーム2回戦総当たりの「レギュラーシリーズ」後、その順位に基づき上位6チームと下位4チームによる2回戦総当たりの「エキサイトシリーズ」を実施。試合数は両シリーズの合計。成績はエキサイトシリーズの年間順位。
なでしこリーグ入れ替え戦
- 2007 一部二部入替戦
2007年12月15日 |
伊賀フットボールクラブくノ一 (1部7位) |
2 - 2
(5 - 4 PK戦)
|
ジェフユナイテッド市原・千葉レディース (2部2位) |
多摩市立陸上競技場 |
[表示] |
---|
- 選手:2007年10月5日までに日本サッカー協会の登録を完了し、かつリーグ登録が完了した選手
- 勝敗の決定:90分(前後半各45分)で行い、勝敗が決しない場合以下の順序で決する。
- 20分間(前後半10分間)の延長戦
- PK方式(各5人ずつ、決着がつかない場合は6人目以降一人ずつで勝敗が決するまで)
※伊賀フットボールクラブくノ一のディビジョン1残留とジェフユナイテッド市原・千葉レディースのディビジョン2残留が決定
国民体育大会
-
成年女子:1回
- 2010年
スタジアム
ホームゲームを開催するスタジアムは、フクダ電子アリーナ、ゼットエーオリプリスタジアム、習志野市秋津公園サッカー場が中心である。
チーム名変遷
- 1992年-2004年 ジェフユナイテッド市原レディース
- 2005年- ジェフユナイテッド市原・千葉レディース
ユニフォーム
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チームカラー
- 黄、 緑、 赤
ユニフォームスポンサー
以前は男子トップチームの前シーズンモデルのものを、Jリーグワッペンを付けたまま使用していたが、2006年シーズンから女子チームもスポンサードを受けたため、独自のものを使用している。
スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
胸 | ヤクルト本社 | Yakult | 2013年 - | |
背中 | 三井住友海上あいおい生命保険 |
三井住友海上 あいおい生命 |
2011年 - | 2008年 - 2010年は袖、2011年9月までは旧社名の「三井住友海上きらめき生命」 |
袖 | ビューカード | VIEW | 2013年 - | |
パンツ | 東日本旅客鉄道 | ecute | 2008年9月 - |
PJマーク
2006年から2010年まではピーチ・ジョンが胸スポンサーとなっていた。
- 2006年 :「Peach John」と白抜きされたピンク色の長方形
- 2007年 - 2010年: 「PJ」と大書きされた黒文字(ゴールキーパーは赤文字)の書かれたピンク色のハート型(通称「モモレンジャー・ユニ」)
歴代所属選手
- 石田美穂子 2006-2009
- 鈴木政江 2002-2004
- 三上尚子 2002-2003、2007-2009
- 後藤史 2007-2009
- 羽石架苗
- 中池桃子 2008
- 日置ちはる 2009
- 丸山桂里奈 2010-2011
- 清水由香 2003-2012
- 小川志保 2007-2009、2012-2013
- 川村優理 2013
現在所属している選手(2015年)
Pos | No. | 選手名 | 生年月日 | 前所属 | 備考 |
GK | 1 | 根本望央 | 1992年11月16日 | 日テレ・メニーナ | |
17 | 山根恵里奈 | 1990年12月20日 | TEPCOマリーゼ | 日本女子代表 | |
21 | 木付優衣 | 1996年04月11日 | 日ノ本学園高校 | 新加入 | |
DF | 2 | 上野紗稀 | 1994年11月20日 | 浦和レッズ・レディースU-18 | |
3 | 櫻本尚子 | 1990年09月24日 | 浦和レッズ・レディース | ||
4 | 鶴見綾香 | 1994年04月27日 | ジェフレディースU-18 | ||
5 | 若林美里 | 1993年06月01日 | アルビレックス新潟レディース | ||
18 | 磯金みどり | 1988年10月29日 | INAC神戸レオネッサ | 新加入 | |
22 | 安田早希 | 1994年09月11日 | ジェフレディースU-18 | ||
23 | 松本直美 | 1997年10月22日 | ジェフレディースU-16 | U-18登録選手 | |
24 | 千野晶子 | 1990年01月24日 | 浦和レッズ・レディース | ||
27 | 大矢円佳 | 1996年07月10日 | ジェフレディースU-18 | ||
MF | 6 | 西川彩華 | 1996年04月02日 | 常盤木学園高校 | 新加入 |
7 | 筏井りさ | 1988年08月12日 | 筑波大学 | ||
8 | 安齋結花 | 1996年10月14日 | ジェフレディースU-18 | ||
11 | 北川紗希 | 1994年07月20日 | ジェフレディースU-18 | ||
13 | 瀬戸口梢 | 1991年11月30日 | 筑波大学 | ||
14 | 川村真理 | 1988年12月19日 | 福岡J・アンクラス | ||
15 | 島田綾子 | 1988年03月23日 | 武蔵丘短期大学 | ||
16 | 小池快 | 1994年02月18日 | ジェフレディースU-18 | ||
19 | 保坂のどか | 1986年12月07日 | 岡山湯郷Belle | ||
20 | 鴨川実歩 | 1997年08月27日 | KASHIMA-LSC | U-18登録選手 | |
26 | 松浦渚 | 1994年04月20日 | 常盤木学園高校 | ||
28 | 柳井里奈 | 1989年04月20日 | ジェフレディースU-18コーチ | 現役復帰 | |
FW | 9 | 菅澤優衣香 | 1990年10月05日 | アルビレックス新潟レディース | 日本女子代表 |
10 | 深澤里沙 | 1986年05月10日 | 福岡J・アンクラス | ||
25 | 三橋明香 | 1996年11月07日 | 常盤木学園高校 | 新加入 |
【サッカー情報!!】
【大久保 カズに並んだJ1通算139得点 2試合連続弾で決めた】

◇J1第1S第7節 川崎F-甲府(2015年4月25日 等々力)
川崎FのFW大久保嘉人(32)が25日の甲府戦で2戦連発となるゴールを決め、J1通算得点でFW三浦知良(48=横浜FC)が持つ歴代4位の139得点に並んだ。
【写真】07年に対決するカズ(左)と大久保
前半38分、ゴール前で細かくつなぎMF中村憲剛(34)から受けたパスを冷静にゴール左隅へ流し込みネットを揺らした。スタンドにある大久保のゴール数をカウントする「YOSHI METER」はすぐさま「138」から「139」へと更新された。
カズに並ぶ139点目はチームメートと控えめに喜んだが、140点目でカズダンスを披露することを予告している。J1通算得点の1位は157点の中山雅史。以下、149点のマルキーニョス(神戸)、146点の佐藤寿人(広島)と続き、大久保は4位につけた。
最終更新:4月26日(日)10時50分
【G大阪】遠藤がJ1PKゴール単独トップに!!

◆J1第1ステージ第6節 湘南0―2G大阪(18日・BMWスタジアム平塚)
3位のG大阪は敵地で湘南と対戦。1―0で迎えた後半45分にMF遠藤保仁(35)がPKを決め、2―0で勝利した。遠藤はJ1でのPK通算27得点目を挙げ、FW福田正博(浦和)を抜いてPK得点単独トップに立った。J1のPK通算得点上位は以下の通り。
順数 名 前(所 属)
〈1〉27 遠 藤(G大阪)
〈2〉26 福 田(浦 和)
〈3〉20 中 山(札 幌)
〈4〉19 大久保(川 崎)
〃 19 阿 部(浦 和)
※所属はJ1での最終所属
最終更新:4月18日(土)21時39分
張本氏 引退勧告したカズに「あっぱれ!」

張本勲氏がカズに「あっぱれ!」。
19日、TBS系テレビ「サンデーモーニング」に出演。先週12日の同番組でサッカーJ2横浜FCのFWカズ(三浦知良=48)に対し「もうお辞めなさい」と引退勧告をしたが、それに対しネット上で反発が起こるなど大きな反響があった。それでもカズ本人は張本氏からの「激励」とポジティブに受け取っていると大人の反応を見せていた。
【写真】1面で報じた日刊スポーツを手に笑顔の横浜FCカズ
張本氏は「カズにあっぱれ! 辞めた方がいいと言われて、普通ならクレームをつける。それをさらりとかわして、先輩からの助言だと言ってくれる。こんなこと言う人いるの? 男らしいというか腹が据わっている」と絶賛した。
「釜本さんやカズのプレーは長嶋さんとダブる。長嶋さんの晩年のプレーを見て『もういいでしょう』と思ったこともある。ただ(引退は)本人が決めること。本人がやると言うのならやればいい。ケガせず元気で頑張ってほしい」と話し、最後に「(カズと)会ったことはありませんが食事をごちそうしたい」としてこの話題を締めくくった。
◆張本氏のカズに対するコメントとは
12日の放送で、カズが5日の磐田戦でJリーグ最年長ゴール記録を更新するゴールを決めた話題になった際、「カズファンには悪いけど、もうお辞めなさい」と“引退勧告”をした。司会を務める関口宏(71)が「何で」と驚きを見せたが「スポーツマンとして、もう魅力もない」とバッサリ。続けて、「野球で言えば(J2は)2軍だから、2軍で頑張ってもそんなに話題性もない」とし、「若い選手に席を譲らないと。団体競技だから伸び盛りの若い選手が出られない。だから、もうお辞めなさい」と後進に道を譲ることを勧めた。この張本氏の発言に対し、ネット上では「頑張ってるんだから水差すなよ」「お前にキングカズの何がわかるんだ」と批判的なコメントが続出した。
最終更新:4月19日(日)10時5分
久保建英くんがバルサを退団して日本帰国へ スペイン紙報じる

バルセロナの下部組織に所属する13歳、久保建英くんが同クラブを退団して、日本に帰国するようだ。スペイン『ムンド・デポルティボ』が報じた。
FIFAは昨年4月、バルセロナが18歳未満の外国人選手獲得・登録に違反があったとして、今後2度の移籍市場での補強禁止を決定。違反によって獲得したとされる9選手の一人が久保くんであり、そのために1年半以上も公式戦に出場できない状況が続いていた。久保くんはプレーできない状況に我慢ができず、両親も日本に帰国することを真剣に考慮していたとされる。
久保くんの両親はその後もバルセロナに在籍し続ける可能性を模索したものの、結局は退団することを決断したようだ。久保くんは数日中に日本へと戻る予定で、27日には自身が所属するインファンティル(13~14歳年代)のAチームのチームメートに別れを告げたという。
久保くんはバルセロナ福岡スクールでその才能を見い出され、2011-12シーズンにバルセロナのアレビン(11~12歳年代)のCチームに加入。同チームではチーム内得点王となり、翌シーズンに在籍したアレビンのAチームではリーグ戦、カタルーニャ杯優勝などの原動力となった。
インファンティルのBチームに所属したここ2年間は、バルセロナの補強問題によって試合出場こそかなわなかったが、チームメートやコーチ陣が彼の着実な成長ぶりを証言するなど、練習で印象的なプレーを見せていたようだ。
(C)Goal.com
最終更新:3月30日(月)5時30分
英誌、世界のベストプレーヤーに本田ら6名を選出…国内は武藤が唯一

イギリスのサッカー専門誌『ワールドサッカー』が、最も重要かつ“報道価値”のある世界のベストプレーヤー500人を選出した。
日本人選手からはミラン所属のFW本田圭佑やドルトムント所属のMF香川真司、マインツ所属のFW岡崎慎司、フランクフルト所属のMF乾貴士、シャルケ所属のDF内田篤人が選ばれ、Jリーグ所属選手ではFC東京のFW武藤嘉紀が唯一の選出となった。
同誌は、本田を「フリーキックのスペシャリストで、日本サッカーのトップスター。イタリアに移籍した最初のシーズンは苦戦したが、フィリッポ・インザーギ監督の下で今シーズンは輝いている」と高く評価。香川については「彼は才能あるサッカー選手」、岡崎については「欧州クラブで最も成功した日本人FWで、彼はブンデスリーガで通算30ゴール以上を記録している」と絶賛している。
また「日本代表において攻撃的MFや司令塔など、ますます重要な役割を担っている」と乾を評価すると、内田に関しては「ダイナミックな右SBは、けがでアジアカップ出場を逃したが、2008年に10代でA代表デビューを飾って以来、日本にとっては重要な選手である」と記している。
先日、慶應義塾大学を卒業したばかりの武藤については、「Jリーグで最も輝く期待の選手」と注目している。
SOCCER KING
最終更新:3月30日(月)15時30分
引退試合の恒例になるか…バニシングスプレーの粋な使い方

シドニー五輪ブラジル代表でキャプテンを務めたMFアレックス(37)の引退試合が行われた。その試合で見せた主審の粋な計らいが称賛されている。
アレックスは1977年9月14日生まれの37歳。1995年に母国ブラジルでプロキャリアをスタートさせると、2003年から在籍したクルゼイロで才能が開花。2004年から2012年まで在籍したフェネルバフチェではエースとしてクラブに数々のタイトルをもたらした。ブラジル代表としては、2000年のシドニー五輪に出場。A代表キャップも48を数えている。昨年12月に現役引退を表明した。
サンパウロで行われた引退試合には、37歳のレフティーにゆかりのある選手が集結した。話題となっているのは前半40分、ピッチ中央部でFKを獲得した際に、アレックスがボールをセット。すると、主審を務めたサルビオさんはバニシングスプレーを取り出し、徐に文字を書き出す。浮かび上がったのは「ALEX」の4文字。これにはアレックスも笑顔を見せ、会場中が大拍手で包まれた。この場面については、『デイリーメール』や『メトロ』など、欧州各メディアもこぞって取り上げている。
なお、この試合でアレックスは2ゴール1アシストの活躍を見せて、有終の美を飾っている。
最終更新:3月31日(火)0時28分
カズ518日ぶり決めた! J最年長48歳1カ月10日先制弾

「J2、横浜FC2-3磐田」(5日、ニッパツ)
横浜FCのFW三浦知良が前半14分に今季初ゴールを記録し、自身の持つJリーグ最年長ゴール記録を48歳1カ月10日に更新した。これまでの記録は46歳8カ月8日で、13年11月3日の第39節・松本戦(●1-3)に記録した。カズのゴールは518日ぶり。
【写真】お馴染みのカズダンスを披露し、客席を沸かせる三浦知良
2試合ぶりの先発となった三浦は、右からのクロスに頭で合わせた。得点後には代名詞の“カズダンス”も披露。カズダンスを見せるのも公式戦では518日ぶりとなった。
カズはハーフタイムにクラブ広報を通じて「いいボールが来たなと思い、とにかく思いっきり競ろうと思ってボールに突っ込みました。ゴールに入り良かったです」とコメントした。
昨季は出場2試合、出場時間は4分に終わる屈辱のシーズンとなった。「プロとしては恥ずかしい」と巻き返しを期した今季へ向けて、昨年末と年明けの2度にわたってグアムでの自主キャンプを敢行。「コンディションはここ数年では一番いい」と自画自賛するほどいい状態で、プロ30年目の開幕を迎えていた。
カズは開幕から2試合連続で先発出場するなど、出場機会を与えられている。この日の先発でリーグ戦6試合中、出場4試合目で先発も4試合目。
最終更新:4月5日(日)18時8分
武藤 チェルシーから正式オファー!今夏獲得へ移籍金7億円提示

FC東京の日本代表FW武藤嘉紀(22)が、イングランド・プレミアリーグの強豪チェルシーから正式オファーを受けたことが8日、明らかになった。チェルシーは武藤の将来性を含めた実力を高く評価。今夏の獲得に向け、FC東京に条件面を含めた獲得オファーを出した。関係者によれば、移籍金の提示額はJリーグから海外に渡った日本人選手では過去最高額とみられ、昨季ブレークした武藤の欧州挑戦がいよいよ現実味を帯びてきた。
【写真】武藤もこの仲間入り?3月、リーグ杯を制し、歓喜のモウリーニョ監督とチェルシーイレブン
武藤獲得へ真っ先に動いたのはプレミアリーグで首位を走る世界屈指の強豪チェルシーだった。FC東京の大金直樹社長(48)が正式オファーの存在を明かし、武藤も「自分自身はまだ何も決めていない」と強調した上で「素晴らしいチームからオファーを頂いたことは光栄に思います」と話した。
FC東京の関係者によれば、オファーが届いたのは3月上旬。チェルシー関係者が初来日した昨年5月から視察を重ね、昨夏のW杯ブラジル大会後に一気にブレークした武藤に目を留めたという。攻守の切り替えの早さやハードワーク、オフ・ザ・ボールでもプレーに関与できる点などを特に評価しているようで、評価を聞かされている武藤も「自分も22歳でさらに成長できると言ってもらいました」と明かした。
チェルシーは条件面も提示済み。移籍金の提示額はJリーグから海外に移籍した日本人の過去最高を上回る金額という。これまでは01~02年シーズンに浦和からフェイエノールトに移籍した小野伸二(現J2札幌)の推定375万ドル(当時約4億7250万円)と言われておりFC東京は推定で400万ポンド(約7億1000万円)の移籍金を提示されたとみられる。
プレミアリーグへの移籍には英国の労働許可証を取得する必要がある。過去2年間のA代表公式戦で75%以上の出場などが求められ、武藤は31・4%にとどまる。一方で特例が認められるケースもあり、関係者は「ビザの問題はないからオファーも出していると思う」と強調。アギーレジャパン以降では12試合のうち11試合(91・7%)に出場するなど実績があり、労働許可取得に障害はないという見方を示した。
「今はFC東京でファーストステージ優勝に貢献したい。まずはJリーグで優勝することに集中したい」と話した武藤。今季から復活した2ステージ制でチームを前半戦の頂点に導き、サッカー人生を左右する重大な決断を下す。
最終更新:4月9日(木)6時1分