【親父の歌自慢①】 名曲を聴いて唄って下さい。
私、歌が子供の頃から好きでギターと歌本で、毎日流行の歌を歌ってました。やっと
20歳になり友達とスナックデビューしました。その時は、8トラと言う機械で歌詞本を見ながら歌っていました。暫らくしてレーザーディスクが、入りました。スナックの看板に「レーザーディスクあります」のネオンサイン。どの店も有ったのを覚えてます。モニターを見ながら歌っていると歌手になったような錯覚を覚えました。
おつまみは、クラッシュアイスの上にのったレーズンバター。野菜スティック。懐かしい。ボトルはダルマが中心で、いつかリザーブ入れたいなと呟いてました。笑えます。後、スナックの思い出で何ですが、友達がペットショップの子で、その子の母親がペットショップの2階でフィリピンパブを経営してました。その当時は、とっても流行っていて連日連夜満員で凄かったのを覚えてます。まだまだ本格的に酒が飲めない私は、ジュースで場を盛り上げるしかなく、話すネタが無くなれば歌しかない。踊りも好きだったので踊りながら歌う歌をひそかに練習して皆を驚かせました。
人に喜んでもらうことが至福の時でした。今もそうです。見返りは求めません。
ただ好きだから自然と身体が動きます。楽しい時代でした。しかし、楽しいばかりでは無いのが現実です。田舎なので周辺にはソープも無く港町でしたので乱暴者も多く性犯罪が頻繁に起こりました。夜一人で女性が歩くことは大変危険な時代だったのです。今では考えられません。それを防止する訳では無いと思いますが、フィリピンパブだけではなく当たり前にどの店も売春を始めました。悲しい現実です。「ショート・ロング 」女の子達は生きるのが必死ですから飲み代は女の子持ちだったり、つけで良かったり色々でした。確かに性犯罪は無くなりましたが、今度はとんでもない犯罪が増えたのです。外国人の死体が次々に港のテトラポットから発見されました。
大きな売春組織の犯行ではありません。売春のお金が払いたくないから殺したのです。普通のサラリーマンだったりして。まもなくして、そんな悲惨な事件が頻繁に起こるので売春宿的なスナックは警察が取り締まりを強化したため無くなりました。日本人の、いや人間のどす黒い部分があることにきずかされました。罪もない人を金の為に殺す。辛すぎます。だからでは無いですが楽しい思いと辛い思いが入り混じった夜の社交場には、歌が必要なんです。人生の思いが歌には、つまっているんです。今では当たり前にカラオケに行かれますが、つい最近の事です。65歳近いお客様と居酒屋で飲んで、話がはずみカラオケに行くことにしました。カラオケ行った事が無いと言うのです。びっくり。いざ出陣!!
2人で部屋に入りお酒とつまみを頼み、さあ、歌おうかとしたら、「酌婦はいないの」
「いないですよ。カラオケだから」確かに少し前にカラオケにコンパニオンを呼んで歌う先輩もいましたが、お客さんは単純に女の子もいて安いと思っていたみたいでした。「あー。これがカラオケ屋さんか。わかった。俺の家の近所のスナックへ行こう」と何も歌わず飲まずお会計。たった5分のカラオケ体験でした。それから朝までスナックでオール。スタミナあるな。昭和の親父!!
やっぱり親父たちは、スナックが好きなんだ。人情を感じるから。これからも、しょんべん横丁のスターで、いられたらいいなと、しみじみ思う今日この頃です。
Apex product 代表 柳
名曲はいつまでも皆様の心に残り時代を旅します!!
いばらの道は続こうと、平和の為に我歌う!! 一本の鉛筆【美空ひばり】
美空ひばり昭和51年(1976)12月31日新宿コマ劇場【さくらの唄】
三木たかし【さくらの花よ泣きなさい】
さくらの花よ 泣きなさい【保科有里】
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IEKI吐くまで 片岡鶴太郎 【歌詞付き】
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永六輔 「生きているということは」「いきるものの歌」
日本が世界に誇るソングライターチーム 永六輔・中村八大(6+チーム)その永六輔の歌手としてのデビューLP「六輔その世界」より「生きているということは」「いきるものの歌」2曲をお届けします。中村八大全面監修のもとデューク・エイセス 由紀さおりのコーラスが永の朗々とした歌唱をさらに盛り上げます。現代人必須の人生賛歌。昭和54年録音です。