【 相場格言集 】 Apex product

【 卵は一つのカゴに盛るな 】

リスクのある株式投資をする中で、より安全性を高めるためには資金を

一つに集中させるのではなく分散するスタイルがいいという格言です。

資金の分散ですが、方法は大きく分けると二つに分かれます。
一つは「銘柄の分散」で、これはただ複数買えばいいわけではなく、

「異業種」「企業規模の大小」「製造業と非製造業」「輸出関連と内需関連」

「ハイテクとローテク」「値がさ株と中低位株」などの項目で

分散させることを言っています。
もう一つ「時期の分散」ですが、こちらはいくつかの格言があります。
「三度に分けて買う」「売り買いを一度にするは無分別。

二度に買うべし、二度に売るべし」
「試し玉を活用すべし」などで回数を分けて売り買いをするのが良いということです。

相場格言集より転載

 

ご覧いただく前に

このコーナーは、(旧)証券広報センターが1971年に発刊した「格言は生きている」という小冊子の内容を転載したものです。印刷物としてはすでに20年ほど前に廃刊となったものですが、その後も相場格言を解説した資料についての問い合わせが多く、このたびウエブ上で掲載することにいたしました。今読み返すと、時代を感じさせる文章や言葉遣いが多く、ちょっと違和感を感じる向きもあるかもしれませんが、一部を除いて基本的に当時の文章のまま掲載することにしました。

株式相場の格言のなかには、遠く米相場の時代から言い伝えられてきたものが多く存在します。米相場での取引には、相場に対する心構えや投資家心理で株式相場に共通する点が多いため、株式相場で米相場の格言が好んで用いられています。とはいえ、米相場の格言をそのまま株式投資に応用しようとしても当てはまらないものが多いのも事実です。米と株式の商品としての違いを前提とし、格言の意味を準用する形で使っているものもあることにご注意ください。

株式投資は本来、客観的な情報に裏付けされた合理的な行為でなければなりません。にもかかわらず多数の投資家が古い格言を口にするのは、投資行為に占める心理的要素が大きいためです。最終の決断に際して、何かに拠りどころを求める、その役目を格言が果たしているといえそうです。ですから、あくまで客観的な情報分析をベースとして、投資判断の参考としてこれらの格言を活用することが望ましいといえます。

心理のヒダは複雑で、感情には常にウラがあるといわれます。格言のなかに正反対の表現が出てくるのは、いわばその投影といえます。逆もまた真なりで、どちらが正しく、どちらが誤りであると速断できないことは、投資の実践のなかで実感できます。ケース・バイ・ケースの使い分けは皆さん自身の判断でお願いします。  

 

【 人の行く裏に道あり花の山 】

 

株式投資の格言といえば、何をおいてもまず出てくるのが、この言葉である。投資家は、とかく群集心理で動きがちだ。いわゆる付和雷同である。が、それでは大きな成功は得られない。むしろ他人とは反対のことをやった方が、うまくいく場合が多いと説いている。

大勢に順応すれば、確かに危険は少ないし、事なかれ主義で何事によらず逆らわないのが世渡りの平均像とすれば、この格言、多分にアマノジャク精神に満ちている。だが、人生の成功者は誰もやらないことを黙々とやってきた人たちであり、欧米では「リッチマンになりたければ“孤独”に耐えろ」と教えるのが通例。人並みにやっていたのでは、人並みの結果しか得られないというわけだ。

株式相場は、上げばかりでもなければ、下げばかりが続くこともない。どこかで転機を迎える。その転機を、どうしたらつかめるか。四囲の環境や材料から続み取るのは、むろん大切なことだが、大勢があまりにも一方へ偏り過ぎたときなどには、この格言を思い出すことだ。

これと類似の格言に「友なき方へ行くべし」「相場師は孤独を愛す」などがあり、ウオール街にも「人が売るときに買い、人が買うときには売れ」(Buy when others sell; Sell when others buy.)「株というものは高いときには最上に、安いときには最低に見えるものだ」という言葉がある。

また、徳川時代の相場格言にも、さすがに同じ意味を説くものが多い。順不同だが、以下に列挙してみよう。

 

  • 万人の気弱きときは米上がるべきの理なり。諸人気強きときは米下がるべきの種なり。(三猿金泉秘録)
  • 弱気の理、世に現われ出ればみな弱気、何時にても買いの種まけ。(同)
  • 万人が心に迷う米なれば、つれなき道へおもむくがよし。(同)
  • 万人が万人ながら弱気なら、のぼるべき理をふくむ米なり。(同)
  • 千人が千人ながら強気なら、くだるべき理をふくむ米なり。(同)
  • 野も山も皆一面に弱気なら、阿呆になりて米を買うべし。(同)
  • 万人が万人ながら強気なら、たわけになりて米を売るべし。(同)
  • 万人があきれはてたる値が出れば、それが高下の界(さかい)なりけり。(同)
  • いつとても買い落城の弱峠、こわいところを買うが極意ぞ。(同)
  • いつとても売り落城の強峠、こわいところを売るが極意ぞ。(同)
  • 向かう理は、高きを売りて安きを買う。米商いの大秘密と知れ。(同)
  • 米だんだん下げ、人気も揃い弱く、何程下がるも知れがたく、わが考えも弱かるべしと思う節、心を転じ買い入れるべきなり。この思い切り、海中に飛び入る心持ち甚だ成しにくきものなれど、その節疑いの気を生ぜず買うべし。きわめて利運なり。下げと見込むとき、思い入れの通り下がるものなれば心易きものなれど(わけはないが)、人気下がると片寄るときは、かえって上がるものゆえ考えに及ばざるなり。上げも同断。すなわち海中に飛び込む心持ち、極意なり。(宗久翁秘録)
  • 十人が十人片寄るときは決して(必ず)その裏くるものなり。(同)
  • 米弱みにみえ、しきりに売り気進み立ち候節、気転じ買い方につくべし。きわめて利運なり。ぜひ上ぐべしと買い気進み立ち候節、これまた気を転じ売るべし。(同)
  • わが思い入れをみだりに人に話すなかれ。他の了簡聞くことなかれ。(相庭高下伝) 

【 買いたい弱気 売りたい強気 】

 

株式投資は、将来の予測に賭ける知的利殖法だという見方がある。しかもそれは、誰の力を借りるわけではなく、あくまでも自分一人の判断によるという大前提がある。

人にとって、孤独な判断や決断ほど苦手なものはない。たとえ最初から聞く気はなくとも、他人に意見を求めようとする。心の負担を減らし、自分の考えを正当化しようとするためだ。逆にいえば、自分の判断に自信がなく、したがって希望的観測にすがりついている姿が浮き彫りにされてくる。そこで、この格言が生まれてきた。

例えば「買いたい弱気」。上げ相場のさなか、本心では買いたいと思っていながら、少しは下がって安いところで買えそうな気がしてくる。それが高じて、どうしても相場が下がってほしい、いや下がるのだという希望的観測にとらわれて“ニワカ弱気”となり、ついには逆目の売りに手を出してしまう。「売りたい強気」はその反対である。つまり、自分の都合で立てた仮説が、いつか自分をがんじがらめに縛り上げるようなものだ。

この希望的観測を生むいわば元凶が「高値おぼえ 安値おぼえ」。ひとたび経験した値段を忘れかね、いつまでも昔の夢に入りびたっていると、相場の転換期についていけなくなる。ところが株式の世界ほど、昔話を語りたがる人の多いところはない。「あのときA株は何円で――」というたぐいだ。 それが単なるお話から、現実の世界へ置き換えられる。「こんな安値があったのだから、今の株価では買えない」という結論をもたらし、大きな転換期をつかみそこなう元となる。

「株価はもとの古巣に帰る」というように、将来の予測に、過去の足どりは確かに一つの手がかりとはなろうが、それがすべてではない。世の中でも「思い出話を好むのは老人。若者が思い出にふけっているようでは先がない」といわれている。進取の気性は株式投資にも生きているようだ。

 

ウオール街の格言でも「相場に過去はない」といい、前向きの姿勢が大切であることを説いている。 

【 相場の器用貧乏 】

 

何をやらせても一応ソツなくまとめる、便利で重宝な社員がどこの職場にもいる。上役からの“お呼び”も多く、周囲から羨望の目で見られ、出世間違いなしとのカケ声もかかる。が、結果は期待はずれ。昇進は途中で足踏みとなり、大成した例はあまり聞かない。これが“器用貧乏”。

株式投資もまったく同様である。小手先を利かせて売ったり買ったりしていては、目先の小幅な利益は上げ得ても大きな成果は期待できない。しかも相場の上げ下げ両方を、うまく立ち回って手中に収めようとすれば、いかに名人といえども百発百中というわけにはいかない。いつか必ずウラ目が出て、それまでの利益をすっかり吐き出すことにもなる。

「カミソリと鉈(なた)」のたとえではないが、長もちし大成しようと思うなら、目先を追って小回りを利かすよりも、肚をすえてどっしり構えるにしくはなさそうだ。株式相場というものは、そう簡単に分かるものではない。分かったような気になったり、分かったふりをするのは、間違いのもとになる。

 

相場の器用貧乏を戒める格言には「名人になるより素人らしく」「名人は相場の怖さを知る」「早耳の早耳だおれ」「目先観で相場を張るな」等があり、ウオール街にも「筋の耳うちは信用するな」「必ずしも市場にいる必要はない」という言葉がある。

 

 

 

【 当たり屋につけ 】

 

売っても買っても連戦連勝という人が、時に出現する。売買の周期が、相場のサイクルにぴったり符合する人、めったに出動しないがひとたび売買すれば必ず利益を収める人等、いわゆる“当たり屋”と呼ばれる人びとがいる。むろん、単なるマグレ当たりの場合もあるだろうが、日常生活のなかでも、うまくいくときはふしぎに次の手もうまくいくという経験をお持ちの方が多いはず。そういう場合が、株式投資にもあり得るわけだ。

そこで第三者があれこれ思い迷うよりは、いっそ“当たり屋”と同じ売買をした方がよいと考え、これに便乗する。これが「当たり屋につけ」または「当たり屋にチョウチン」の意味である。当たり屋がいつまでも当たり屋である限り、この方法は手間ヒマかけずに利をつかむ便利なものといえる。 しかし世の中と同様、相場はそんなに単純なものではないし、甘いものでもない。“当たり屋”は、いつか“曲がり屋”(思惑のはずれた投資家)になる日を迎えなければならない。もちろん便乗組も同じ運命をたどるわけだ。そして、自らの決断で投資したものでないだけに、失敗したときの後悔はあと味も悪い。

「人の行く裏に道あり 花の山」を本流とすれば、この考えは邪道といえるかもしれない。

一方、これと正反対の格言に「曲がり屋に向かえ」がある。当たり屋はともかく、曲がり屋というのは徹底してツイていないというか、やることなすことがハズレて、その逆はあまり望めない。しかも曲がり屋は、失敗すればするほど意地になって無茶な商いをする人が多い。いわば悪循環である。そこで、曲がり屋が買えば売り、売れば買うという具合いに反対売買をすれば利が得られるという理屈になる。実戦面でも、当たり屋につくよりも曲がり屋に向かう方が成功率は高いとされている。

 

 

【 遠くのものは避けよ 】

 

全国の上場株はおよそ3,700(2010年10月末現在)。そのなかから投資対象を選ぶのに、わざわざなじみのないものに目を向ける必要はあるまい。仕事の関係とか、日常生活で愛用している商品を通じて、多少とも知識や親近感を持っている株式を選んだ方が間違いは少ないというものだ。株式のことはあまり知らない家庭の主婦が、ふだん自分が使っている家庭用品のメーカーに投資して、利益を上げた実例がある。あとでその婦人が言うには「こんないい製品を作っている会社の株を持ってみたかっただけ」。

つまり、投資のヒントは身の回りにいっぱい転がっている。それに気づかないで、自分の不得手な知らないものを選ぶテはないと言うわけだ。

この言葉には、もう一つ別の意味もある。株式市場にはいろいろな情報(材料)がもたらされるが、はるか海外でどうこうという種類の材料も多い。仮にそれがデマであったとしても“遠い”ところでは確かめるすべもない。不確実なものは避ける一手だと教えている。

類似の格言に「虫の好かぬ株は買うな」というものもある。よく知らないという理由だけで「好きになれない」というのが人の常。知らないもの、不得手なもの、つまり虫の好かぬものは手を出さない方が無難というものだ。  

 

【 備えあれば迷いなし 】

 

株式投資で最も大切なことは、売買に際しての確固たる自信と決断である。 少しでも迷いがあってはいけない。基盤が軟弱であれば、ちょっとしたことにも動揺しやすくなる。水鳥の羽音に驚き、枯れすすきを幽霊と間違えてギョッとする前に、揺るぎない心の備えを固めておけというわけだ。

同時に、まさかのときにも動じない資力をたくわえておく必要も説いている。 あとで詳しく触れるが、ギリギリの資金で株式投資をしていると、常に損をしてはいけないとせっぱつまった気持ちでいるために、わずかのことでも動揺し迷いだす。迷ったら最後、適切な処置はできなくなるのが通例だ。

迷いの最たるものに指し値(値段を指定する注文)の取り消しがある。相場の動きにつれて自分の判断に対する自信が揺らぎだし、つい取り消してチャンスを失うというケースが多い。そこで「指し値を取り消すな」という格言が生まれる。 最初から綿密な調査と冷静な判断があれば、簡単に指し値を取り消すこともないが、一時的な思いつき等で仕掛たものは“根なし草”のようなもので、ちょっとした風で流されてしまうわけだ。むろん、指し値が的確かどうかは別の問題である。

一方、かなり相場に練達した人がやる方法に両建て(信用取引で売りと買いを同時にやること)がある。つまり、信念がぐらつきだして、売りなのか買いなのかが分からなくなり、例えば買い建て玉があるときにそれをそのままにしておいて新しく売り建てする。上げ下げをうまくつかんで、2つながらに利益を上げよう――と思うのは虫が良すぎる。だいたいが両建てになるケースは、高値で買い建てし安値で売り建てするのが多く、結局、両方とも損勘定になってしまうようだ。そこで「両建て両損」という戒めの言葉が出てくる。

この確信を持っていさえすれば、慌てなくとも済むという教えはウォール街にいくと「ドタバタは避けよ」という表現になる。

また徳川時代の格言では――。

 

  • 売り買いはいくさの備えも同じこと、米商いの軍兵(ぐんぴょう)は金。(三猿金泉秘録)
  • 商い仕掛けたるとき、まず損銀をつもるべし。後悔を先へ慎むべし。(八木虎之巻)
  • 商いに三つの慎みあり。第一油断、第二不巧(慎重を欠くこと)、第三不敵なり。油断よりおこりて利をとるべきときを忘れ、損を見切り逃げるときをはずし、利に乗じて米多く仕入るべきときを失い、不巧より仕掛けの商い覚悟なく、思い入れの立てようも人気に迷いて思慮浅く、あるいは臨機応変のかけひきにうとく、不敵よりおこりて大高下の節、俵数(取引量)を恐れず、はじめより身上不相応に米を仕込み、すこしのことにてその米こたえがたく(わずかの損勘定にもその建て玉を維持することができず)、利になるべきを損にて仕舞い、あるいは底値に付け込み天井にのせ、これらは勝ちいくさに長追いして伏勢にあたり、かえって敗北するに同じ。(商家秘録)
  • 商いをせんと思う節、最初まず損銀のつもりをすべし。思い入れ違いたるところにて、これほどの損にて仕舞うと分別し、その上にても違うならば、誤りて(間違いとして)早く見切り仕舞うべし。最初に計りし損より多く損すべからず。(同)
  • 商い致す節、何程の金高に売買致すべきと分限に応じ相定め申すべきことなり。(宗久翁秘録) 

【 相場は相場に聞け 】

 

相場はアマノジャクである。人が考えているとおりには、なかなか動いてくれない。理屈では割り切れない、いわゆる「理外の理」で動くものであり、それが「相場は生きもの」といわれるゆえんでもある。

自分が下した判断だからといって、これにこだわり過ぎ、あるいは意地をはっていては、大きな痛手を受けることになりかねない。相場のゆくえは、相場だけが知っている。ここは、素直に相場に従うべきだという教えである。

例えば魚釣り。まずアタリをさぐってから、本格的に釣り始める。株式投資にも同じ呼吸が必要である。買いを考えているなら、手はじめに少し買ってみる。いわゆる打診買いだ。予想通りに株価が上昇すれば、さらに買い増していけばいいが、思うように上がらなかったり下がるようなことがあったときには、自分の判断が誤りであることを素直に反省し、しばらく様子を見るか逆に売りに回る。これが、「相場に相場を聞いた」結果ということができるだろう。

 

一見「人の行く裏に道あり 花の山」と矛盾するかのように思えるが、“人の行く……”は何がなんでも大勢に逆行しろといっているわけではない。仮に下げ相場であれば、何を見ても一斉に弱気を示しているようなとき、つまり夜明け前がいちばん暗いといわれるようなそういう時期を感じ取って、買いに回れといい、上げ相場なら過熱状態になったら売るべきだといっているものである。決して上げの途中、下げの最中で流れにさからえといってはいない。そういうときは、心静かに相場に耳を傾ける。「相場はどの方向に向かうのか」と、虚心に相場に問いかけてみるべきだろう。それが「相場は相場に聞け」の真意である。 

 

【 買いにくい相場は高い 】

 

日本人は買い物が下手だといわれる。その典型が「安物買いの銭失い」である。これは一面からいうと、買い物の無計画性を示すものであり、お金の価値をしっかりつかんでいないから起こるものと見てよさそうだ。

株式投資においても、この傾向は多い。安いからというただそれだけの理由で、株式を買う人がいる。むろん、相場全体の水準が極めて安いところにある場合には、この投資方法でかまわない。しかし、ふつうのときに特定のある株式だけが安値にあるからといって無条件で買うと、思惑どおりにいかないことが多いのである。というのは、株価が安いところに置かれているのには、それなりの事情がある。事業そのものの見通しが立たず、業績推移が思わしくない、元来が人気のつきにくいものである等の理由だ。したがって、安値はいつまでたっても安値のままで放置されることになる。こういう株式を買うと、長い間に飽きがきて、たいていは投げ出さざるを得ない羽目に陥る。

その逆は、株価が高いというだけの理由で手を出したがらない心理である。なぜ高いかには、安いものと同様にそれなりの理由がある。先行きの業績の伸び、それに伴う増資、増配の予想を織り込み、さらに人気の要素も加わっての株価水準と見なければならない。そうした理由も考えずに、ただ単に高いということだけで敬遠していては、せっかくの相場にも乗れないというわけだ。

このへんの投資家心理をとらえた格言が「買いにくい相場は高い」であり、同じ意味から「売りやすい相場は高い」「買いやすい相場は安い」「売りにくい相場は安い」等という。そして「割り高に売りなし、割り安に買いなし」と、値ごろ感や単なる利回り採算だけで判定する誤りを戒めている。

昔の格言にも、次の句がある。

 

  • 売りがたきところが下がり、買いがたきところが上がると知るべし。(相庭高下伝) 

【 行き過ぎもまた相場 】

 

物事には、動があればその反動がある。株式相場でも、人気が過熱気味で上に行き過ぎたときには、その後の下げもきつい。いわば、妥当と見られた水準を上向った分だけ、下げのときも予想をさらに下回ることになる。いってみれば“相場の勢い”である。

したがって、どの指標を見ても、どう試算しても、これ以上株価が高くなるはずはないといってみたところで、現実に株価はこの予想を上回ってしまう。ちょうど、スピードを出して走ってきた自動車が、急ブレーキをかけてもすぐには止まれないようなものである。勢いがついているものは、結局、行きつくところまで行かなければおさまりがつかない。それも相場のうちであることと知っておくべきだというのが、この「行き過ぎもまた相場」という言葉である。同時に、行き過ぎがあれば、その分は反動を覚悟しなければならないことも教えている。

 

その意味から「山高ければ谷深し」という格言が同種のものとして見られるわけだ。つまり、高い相場があればその後にくる下げはそれだけ大きいといっている。さらに「株価はもとの古巣に帰る」「株価の里帰り」も同義の格言と見ていいだろう。どんどん値上がりしていった株価も、いつか下げ始め、結局、元の出発点まで戻ってくるという“株価の習性”を言い表した言葉だが、ある程度長期間にわたって見なければ当てはまらない。その反対に、ある高値から反落した株価が、いつかまたその水準に戻ってくる意味も併せ持っている。長期投資に徹すれば、株式投資は損をしないという論拠が、ここにあるわけだ。  

 

【 閑散に売りなし 】

 

大きな動きを繰り返した後、相場が上にも下にも行かず、いわば無風状態になることがある。これを保合(もちあ)いという。保合いも最初のうちは売買量が伴って、多少は相場のエネルギーも感じさせるが、次第に振幅がなくなるにつれて商いが細っていく。ついにはパッタリと株価が動かなくなる。 株価が動かなければ、売ろうにも買おうにも手の出しようがなく、したがって市場は閑古鳥が鳴くような寂しさとなる。こういう状態が長く続けばたいていの人は嫌気がさし、持ち株があれば投げ出したくなるものだ。つまり、弱気色が市場に満ちてくるわけである。そこにつけ込んで、わざと売ってくる人もあって、相場は再び下げ歩調となる。

しかし、相場自体のすう勢として下げたものではなく、いわば人為的に売り叩いた結果としての下げだから、いったん売り物が一巡すると急激に反騰することが多い。前項の“動反動”ではないが、静止しているゴムまりをギュッと踏みつけたために弾みがついたようなものである。そこで長いもちあい期間を我慢していた投資家が一斉に買って出る。売り込んだ人も買い戻すということで、思わぬ上昇相場を現出させる。「閑散に売りなし」とは、そういう状況でうっかり売り込む愚を避けることを教えたものだ。

また「大保合いは大相場」「保合い放れにつけ」という格言もあるが、これまでの説明で理解していただけよう。ただ、もちあいになる時点は、前述のような底値圏ばかりではない。高値を付けた後でもちあい状態に移る場合もある。このときは前述の逆となる。つまり局面打開の目的で買いが入るが、無理に買い上げた反動で急落しかねない。

この格言を読み取るには、上げ(高値)の後のもちあいか、下げ(安値)の後のもちあいかを見きわめる必要があろう。

徳川時代の米相場でももちあいがあり(通い相場といった)、それに対する心得を次のように説いている。

 

  • 動かざるに至りて大高下のはしたるべし(もちあいは大騰落の端緒であろう)。(商家秘録)
  • 相場二、三力月も持合う(保合う)ときは、十人が八、九人まで売り方に向くものなり。その後、きわめて上がるものなり。ただし、のぼりつめ百俵(百両につき百俵)上げくらいにて持合う米は、下げ相場と心得べし。(宗久翁秘録)
  • 相場持合いのとき、うっかり慰みに商い仕掛けることあり。はなはだよろしからず。慎むべきなり。この商い強いて初念の思い入れを離れがたきものなり(先入感を捨て去ることが難しい)。よほど玄人ならで見切りできざるものなり。たとえば、百両売り付け候て少々上がるとき、最初踏み出しの百両分に念を残して(未練があって)買うことを忘れ、またまた売り重なる心になるなり。だんだん上がるときは、ここにて売りならす(売り値の平均を引き上げる)べしと売り込むゆえ、自然、金高なりかさみ、後々は売り返しも自由ならず、大事に及ぶなり。(同)  

【 逆日歩に買いなし 】

 

信用取引には買い建てと売り建てがある。買い建ては値上がりを待って売り、売り建ては値下がりを待ってその差益を得ようとするものだ。この場合、買い方は買い方金利を支払い、売り方は売り方金利を受け取る。ところが売り方の建て玉が買い方のそれを上回ると、売り方は買い方に日歩を支払わなければならなくなる。これが逆日歩(ぎゃくひぶ)である。売りに対して買いが少なくなればなるほど、逆日歩は大きくなり、売り方は窮地に立つ。そこで売り方はたまらず高値を承知で買い戻す(これを踏むという)ことになるわけだ。当然ながら、この買い戻しによって株価はさらに高くなる。これが踏み上げ相場である。

 

とすると「逆日歩は買い」ともいえそうだ。事実、「逆日歩に売りなし」という格言もあり、目先的には決して間違いとはいえないが、少し長い目で見た場合は、やはり「逆日歩に買いなし」と見るべきだろう。つまり、買い方が売り方を締めつけることが、相場本来の流れにさからう動きと見れば、その反動は必至というわけである。

 

【 天井三日 底百日 】

 

この格言は、長期投資を心がけている向きには関係がなく、目先的に小波動を狙う人が、相場のサイクルとはそういうものだと覚えておくのに便利な格言である。

相場の推移の典型とは、ちょうどなだらかな山の稜線を描くように、ゆっくり上昇していき、突如として急勾配を登りつめたと思ったとたん、急坂を一気に下り、再び次の上昇を始めるまで長い期間にわたって横ばいを続ける。その感じを、仮に日数で表現するとすれば「天井三日、底百日」または「天井三日、底三年」ということになる。

短期の売買をする人は、この相場のサイクルのなかでわずかの期間だけが勝負どきだと知らなければならない。いったん時期をはずしてしまうと、長い間辛抱しなければならなくなるが、元来が短期戦型の人にはそれが苦痛であり、こらえきれずに投げ出すことにもなる。しかも、早々に見込み違いに気づいて投げるならいいのだが、やや手遅れになるために痛手は大きくなりやすい。短期なら短期、長期なら長期と、売買の期間を最初から決めてかかり、もし見込みが違ったら早めに処置することを考えなければならない。

 

その期間の一応のめどを、格言では「小回り三月、大回り三年」といい、短期は3力月、長期は3年間を周期として考えるべきだとしている。むろん、必ずしも3月と3年というわけではないが、景気の循環と株価の波動が、ほぼそのサイクルを描くところに経験的根拠を求めている。  

【 売るべし 買うべし 休むべし 】

 

年中、売ったり買ったりしていなければ気のすまない人がいる。失礼な言い方だが、そういうやり方で儲かっている人はいないのではないだろうか。

株式投資に売りと買いのどちらかしかないと思うのは誤りで、休むことも大切な要素であると説くのが、この「売るべし 買うべし 休むべし」である。「売り買い休みの三筋道」とか「休むも相場」等ともいう。

だいたいが人間は欲と道連れである。相場で利益を上げれば「もっと取ってやろう」と思い、損をすれば「今度は取り返そう」と、常に売ったり買ったりしてしまいがちだ。こういう心理には、知らず知らずにおごりと焦りの気持ちが入り込んでいる。この2つが、共に相場には大禁物であることは前にも述べた。むろん結果は歴然であろう。

損得に関係なく、一つの売買が終わったら一歩退いて市場の環境や相場の動向、そして天下の形勢をゆっくり眺め回す余裕を持つ。この間に目のくもりを払拭し、心身のコンディションを調整し、同時に投資資金を整えて、次の機会に備えるわけだ。

とにかく株式投資で無理をすれば、必ず敗れる。何らかの制約をおしてまで株式投資をする愚は避けることだ。「眠られぬ株は持つな」「命金には手をつけるな」という格言もある。また「つかぬときは止めよ」ともいう。ウォール街にも「疑わしいときは何もするな」という格言がある。いずれも、そういうときは出動を取りやめて、いったん休みなさいと教えている。

徳川時代の古い格言にも、次のようなものが見られる。

 

  • 不利運(損失勘定)のとき、売り平均買い平均(ナンピンつまり単価をならすこと)せざるものなり。思い入れ違いの節はさっそく仕舞い、四五十日休むべし。(中略)何程利運を得ても、この休むことを忘るるときは、商い仕舞いのときはきわめて損出ずると心得べし。(宗久翁秘録)
  • 年中、商い手の内にあるときは利運遠し。折々仕舞いて休み見合わせ申すべきこと第一なり。(同)
  • 売り買いを、せけばせくほど損をする。とんと休んで手をかえてみよ。(三猿金泉秘録)
  • 気の落ちつかぬときの商いは、十度が十度ながら損
  • なりと察すべし。(相庭高下伝) 

 

相場は明日もある

 

明日という言葉に抱くイメージは、日本と西洋では大きな違いがある。 日本のそれは、「明日は明日の風が吹く」や「明日ありと思う心のあだ桜」と、やや刹那的でありヤケ気味だが、西洋では「明日は今日よりもっと良い日だ」と明日を楽しみにする風潮が強い。

株式投資で“明日”を見る場合は、日本的心情ではなく、西洋式でいきたいものだ。特に買いの場合は、この気持ちが大切になる。

せっかちというのか、そそっかしいというのか、好材料が出現するとわれ先に飛びつき買いをする。今買わなければ、永久に買い損なうといわんばかりの風情である。しかし、相場の方は皮肉にもそれが目先の天井で翌日には安くなるといったケースが多い。材料が出たら、できるだけよく調べてから買っても決して遅くない。それが翌日だろうと何日後であろうともだ。材料が本物であって、実際に株価が上がるなら、1日ぐらいの遅れは大勢に影響ないではないか。みんなが一斉に買いついているときの相場は不自然なものである。その後に現れる相場こそ、本来の姿だ。これを待って仕掛けることが成功の道につながるといえよう。「相場は明日もある」とは、焦りを戒め、機会をじっくり待つことを教えた格言である。

後述のとおり、徳川時代の相場訓にも「待つ心」を説くものは多い。なお、ウォール街でも「売り買いは3日待て」と言っている。

 

  • 高きをば、せかず急がず待つは仁。向かうは勇、利乗せは智の徳。(三猿金泉秘録)
  • 売り買いを、せかず急がず待つは仁。とくの乗るまで待つも仁。(同)
  • 買いぜきをせぬが強気の秘密なり。いつでも安き日を待って買え。(同)
  • 売りぜきをせぬが弱気の秘密なり。いつでも高き日を待って売れ。(同)
  • せくゆえに安きを売りて、あたまから高きを買ってからうす(反対の売買)をふむ。(同)
  • 買いおくれたりと思わば、ただ買い場を待つべし。(八木虎之巻)
  • 米商いは附出し(第一歩)大切なり。附出し悪しきときは、決して(必ず)手違いになるなり。また商い進み急ぐべからず。急ぐときは附出し悪しきときと同じ。(宗久翁秘録)
  • 売り買いとも今日よりほか商い場なしと進み立つ(心がはやりたつ)とき、三日待つべし。(同)
  • 商い急ぐべからずとは、天井値投、底値段を見ることなり。(同)
  • この米ぜひぜひ上がるべし、今日中に買うべしと進み立ち候節、二日待つべし。ぜひぜひ下ぐべしと売り気進むときは、これまた二日待つべし。(同)
  • 大立身を急がず待つの心を成し、おのが分際相応、気の痛みにならざるよう心がけるべし。(商家秘録) 

 

【 株を買うより時を買え 】

 

投資対象の選択が重要でないというわけではない。それよりも投資の時期を選ぶことの方がはるかに大切だという教えである。

「漁師は潮を見る」という。経験豊かな漁師なら気象のほかに潮流の微妙な変化を読み取って、出漁の機会をつかむものだ。株式投資も同様である。経験をつめば、ちょうど潮が満ちてくるのを感じるように上げ相場の到来を予知できるようになるという。むろんそれは、単なるカンではなく多種多様の指標や材料を的確に分析した結果というべきだろう。

同じ優良株でも、やはり買い時を誤ると結果は思わしくないものだ。

大きな流れとしての“時”とは別に、特殊なケースでの“時”も見落とせない。例えばシーズンストックヘの投資。この仕込みは、当然ながら誰も注目していないオフシーズンに限る。「麦ワラ帽は冬買え」という格言のとおりだ。

また天災などのような突発事件に見舞われたとき、その株はたいてい売り込まれる。だが、企業基盤がしっかりしていさえすれば、短時日のうちに復旧する。そこで「天災は買い向かえ」「突発事件は売るな」という格言が生きてくる。

ウォール街では「株を選ぶ前に時を選べ」といい、わが国の古い格言にも次のものがある。

 

  • 時のいたるに、小みちにのみ心がくれば大功をとげがたし。時のいたらざるに、大だくみにかかれば仕損じること多し。(売買出世車) 

 

【 売りは早かれ 買いは遅かれ 】

 

株式投資では、買いは易しいが売りは難しいといわれる。売りが上手になれば、投資家として超一流の力量と認められるほどだ。

前述の「天井三日、底百日」にもいうとおり、買い場は随所にあるが、売り場は短い。それだけに買いはじっくり構えた方がかえって安く買えることもあるが、売りの方は一瞬のチャンスをつかむがごとく迅速に行動すべし……それが「売りは早かれ 買いは遅かれ」の意味である。

 

だいたい売りの場合は、利が乗っていればいるほど、もう少しもう少しと欲張ってついチャンスを失するばかりか、損失勘定になってしまうこともある。画餅は食えないものだ。幅は小さくとももうけはもうけである。瞬時のチャンスがあればサッと売り、利益を現実のものとして自分の手中に収めることが必要となろう。その利益を投資資金に繰り入れて、再び次の機会を狙えばよい。買い場は、いくらでもある。悠然と構えることである。

 

 

【 売り買いは腹八分 】

 

この格言は、2つの意味を持っている。その一つは、最高値で売ろうとか最安値で買おうと思うなという戒めであり、いまひとつは相場に向ける資力は適当にとどめ、決して全財産を投入するなという教えである。

前者の方は、欲の爪を伸ばしてアブハチとらずにならないように、八分目くらいで我慢しなさいというものだが、八分目といったところで実際の天井、底の値段がわかるはずはなく、要はもうそろそろと思ったところで売りまたは買う心を教えているものだ。言葉は悪いが「アタマとシッポは呉れてやれ」といい、骨までしゃぶろうとする愚かさを戒める格言もある。つまり、利食いで売った株は誰かが買うわけだが、その買った人にもいくらかは食べられるところを残しておけというたとえである。同じ意味の格言でキレイな表現のものもある。「バラを切るごとく売るべし」がそれだ。苦心して育てたバラを八分咲きで切るのは惜しい気もするが、満開になってからでは、これをもらって喜ぶ人は誰もいない。株を売るのも同様だというものである。

古い格言にも「天井を売らず 底を買わず」(八木虎之巻)がある。「天井売れず 底買えず」といい直した方が分かりやすいだろう。元来が無理なことをやろうとはしないで、天井や底の近辺で売りまたは買えば十分だと思いなさいというものだ。ただし、実際の天井や底を見届けてから売り買いしても、同じ八分目には違いないが、「高値おぼえ、安値おぼえ」の心に邪魔をされるおそれもあるから、この戦法をとるときには固い決心が必要となる。

同じ古い格言に「天井を買わず 底を売らず」(宗久翁秘録)とあり、八木虎之巻と矛盾する表現となっているが、後に該当の文章を引用してあるのでお読み願いたい。いずれにしても「腹八分」の教訓にかわりのないことがお分かりいただけよう。

一方、いまひとつの投資資金量の問題だが、これはいまさら言うまでもないだろう。無理な投資は失敗のもとである。切迫した気持ちは必ず目をくもらせる。「ぬれ手にアワはつかめない」。相場とはそういうものと知るべきである。株式投資は余裕資金で行うことが必須条件となる。
ウォール街の格言にも、「強気も弱気も株でもうけられるが、欲張りはダメ」がある。

また、徳川時代の格言にも次のように多くある。

  • わが思うところまで利分引きつけ取るべしと思うとも、七八分にて仕舞うべし。(商家秘録)
  • けなり売り(他をうらやんで売ること)、けなり買い、腹立ち売り、腹立ち買い、天井を売らず、底を買わず。右六ケ条、別して第一の事に侯。(八木虎之巻)
  • 長々不手合い(損失)続き、内証に義理ある銀子入り用のとき、いつまでに何程利を得ざれば義理立たずと、日を限りて商いすること、大いに心得違いなるべし。(八木豹之巻)
  • 後悔に二つあり。今五六日待つときは十分取るべき利を、勝ちを急ぎ二三分取り逃がし侯後悔、これは笑うてしまう後悔なり。また七八分利運のとき仕舞いかね候うち、引き下げ損出ずる後悔、これは苦労いたし候うえの後悔ゆえ、甚だ心気を痛むる後悔なり。(宗久翁秘録)
  • 天井を買わず、底を売らず。ただし第一の心得なり。上がるときも下がるときも天井底を知らざるゆえ、この上何程上がる下がるかと、上げ留(ど)まり(騰落に限度のあること)の考えもなく買い募り売り募るゆえ、つまり損するなり。上げ過ごすときはその後決して(必ず)下がると心得べし。下がるときは決して上がると心得べし。そのとき欲を離れ思い入れを立つべし。(同)
  • 勝ちに誇り、百両の利は二百両取る気になり、千両二千両の気移り、欲に迷うて見切りかね、損出ずるなり。(同) 

 

【 見切り千両 】

 

買った株が値下がりしたときの投資家心理は、言葉では言い表わせないほど、つらい。居ても立ってもいられないジリジリした気持ちに襲われ、迷い始める。そこで、どうするか。多くの人は、自分の下した判断に未練を残し、株価が戻ることを期待してそのまま持ち続けるものだ。しかし、株価はなお下がり続ける一方で、ついにはとんでもない安値で投げざるを得ない羽目に陥る。「少しくらいの損なら、さっさと売っておくのだった」と後悔することになる。

そこで「見切り千両」という格言が効いてくる。損には違いないが、それによって大損が避けられるのなら、千金の価値があろうというものである。

そうはいっても、格言を信じて見切ったとたんに株価が戻り始めることだってあるじゃないかという向きもあろう。が、要は見切りのタイミングである。買い値からどのへんの水準で見切りをつけるべきかの問題となる。これはやはり早過ぎてもいけないし、遅過ぎるのは論外。「相場は相場に聞け」の言葉を思い出し、熱くなった頭を冷やして、現在地を正しく把握することが第一である。その上で、自分の判断に誤りが見出せたら、思い切って売ることだ。

ただし、自分の判断が正しいと思ったときでも、そのまま持続して株価が戻る保証はないし、仮に戻るにしてもその間(長くなるかもしれない)、ずっと痩せる思いをしなければならない。そこで、いったん見切っておいて捲土重来(けんどちょうらい)を期した方が、よほど気持ちの負担が少なくていいし、再出動のときはこれまでのひっかかりがないだけサッパリとした気分で動ける――という面もあることに思いを致す必要があるだろう。

この格言ほど、分かっていて実行しにくいものはなく、したがっていろいろな言い回しがある。いわく「損切りはすばやく」「引かれ玉は投げよ」「迷いが出たら売れ」等々。ウォール街でもズバリ、「損は落とせ、さらば利益は大ならん」(Cut loss and let profit run.)と言っている。

わが国古来の相場訓は、次のとおり。

 

  • 何の道にも、進むと退くとが肝要なるべし。(売買出世車)
  • 皆われ一心の妄想に引き回されて、思わぬ損をすることなり。(中略)見切ってしまうべきところを引きしろいて(引きのばして)大損などするごとくなれり。(同)
  • 仕掛けたる米にて損を惜しみ、無理にひいきを付け、辛抱するほど大損するものなり。毎度あることなり。必ず見切るべし。過ちは改むるに憚ることなかれ。(八木虎之巻)
  • 不利運のとき、見切り大切のことなり。思い入れ違うときは早仕舞い、行付をみるべし。(宗久翁秘録)
  • 引かれ腰は弱く、利食い腰は強く。(八木龍之巻) 

 

【 もうはまだなり まだはもうなり 】

 

「人の行く裏に道あり 花の山」とならんで、格言の双璧といっていいほどよく口にされる言葉である。

原文は後に紹介するが、八木虎之巻のほかに宗久翁秘録にも記載があるところを見ると、相場を志す人はほとんどがこの言葉を口ずさんで今日に至っているような気がする。

言葉の意味は、もう底だと思えるようなときは、まだ下値があるのではないかと一応考えてみなさい。反対に、まだ下がるのではないかと思うときは、もうこのへんが底かもしれないと反省してみてはどうか――というものだ。

つまり、微妙な相場の変化に対して、自分だけの独善的な判断を振り回すことが、いかに危険であるかを説いた言葉といえよう。

事実、心のなかでまだ買うのは早いと思っているときに相場は上がっていき、まだ上がるだろうと思っていると下がってしまう。そういう経験をお持ちの方は多いだろう。投資家の心理と相場の行き違いをズバリ言いあてた格言として、実用価値は十分にありそうだ。

 

  • もうはまだなり、まだはもうなりということあり。この心はたとえば、もう底にて上がるべきと進み候ときは、まだなりという心をいま一応ひかえみるべし。まだ底ならず下がるべきと思うとき、もうの心を考うべし。必ず、まだの心あるときより上がるものなり。(八木虎之巻)
  • もうはまだなり、まだはもうなりということあり。ただし、数日もはや時分と思い取りかかり(仕掛ける)たるに、見計い悪しければ間違いになるなり。まだまだと見合わせ居るうちに遅るることあり。(宗久翁秘録)  

 

【 押目待ちの押目なし 】

 

買おうと思うが株価は上がる一方。とはいうものの、どうせ一本調子では上がるまい。一度は下がってくるときがあるだろう。そこで買おう――というのが、押目待ち。しかし、相場の勢いが強いときには、なかなか望みどおりには下がってくれないものだ。結局「押目待ちの押目なし」となり、相当高くなってから買ったり、あるいはついに買いを諦めざるを得ないことになる。

また押目待ちの気持ちには、最初買おうと思った値段にこだわる傾向がある。だから、仮に押目があったにしても、小幅であるときには「もう少しで自分の考えていた値段まで下がる」と考え、せっかくの買いチャンスを逃がす場合も多い。

その反対に、下げ相場になって売り損なった人が、少しでも高く売りたい気持ちから戻りを待つが、その期待もむなしく相場はどんどん下がり、ついに売れなかったり大底で投げる羽目に陥る。これが「戻り待ちに戻りなし」である。

押目と戻りについては「初押しは買い 初戻りは売り」という格言もある。いわば経験法則とでもいうべきものだが、どのような場合にでも必ず当てはまるとは限らない。押目と戻りの性格を的確に把握した上で、この格言を応用すべきだろう。例えば本格的な上げ相場での初押しとか、長い上げ相場に転換期がきて下げ過程に入ったときの初戻りなどには、この格言が有効となるだろう。

古い格言でも「戻り待ちに戻りなし」をいったものがある。

 

  • 大いに下がる相場は、そろそろ段々下がる(ジリ安になる)。ようやく二分ほどならでは戻らず、とかく安値にて保合い、段々と下がるなり。それゆえ弱気の人は、戻りあれば売るべしと、値を待ちて売り遅るること多し。(八木豹之巻)
  •  

    【 二度に買うべし 二度に売るべし 】

     

    自分の判断が本当に正しいかどうかは、結果を見てみなければ分からない。買ってみるか、売ってみるかして、さてどういう結果が出るか。当たりか、それともはずれか。いくら自信があっても、相場がそのとおりに動く保証はない。これまでも繰り返し述べてきたとおりである。「相場は相場に聞け」ではないが、まず相場にさぐりを入れる。つまり打診をして、自分の判断の当否を確かめてみてはどうか。その結果、予想通りであることが分かったら、そこで初めて本格出動してもまだ十分に間に合うはずだ。一度にどっと出ていって失敗することを考えれば、このくらいの手間ヒマは惜しむに価しない。いわば、石橋を叩いて渡るがごとき慎重さが、株式投資には何よりも必要となる。「二度に買うべし、二度に売るべし」は、その慎重さを説いた教訓である。

    同時にこの教訓は、一度目の買いで得た自信と確信が二度目の買いを力強く支え、したがって思い切った行動がとれる基盤となる効用も説いている。

    買ってみたくなったら、まずほんの少しだけ買ってみる。相場が上がらなければ、だまって待てばよいし、十分な上げの手応えを感じたら全力を投入すればよい。売りはその反対で、ある程度高値にさしかかったと思ったら、ちょっと売ってみる。下がらない。待ってみる。またちょっと売ってみる。まだ下がらない。待つ。さらにまた売ってみる。今度は下がり始めた。そこで全部を売り切ってしまうという寸法。実際には「二度に」ではなく、三度でも四度でも打診を続け、確信が持てたら、全軍を出撃させることだ。

    「相場は明日もある」。じっくり構え、慎重に行動するにしくはない。

    • 買い米を一度に買うは無分別。二度に買うべし、二度に売るべし。(三猿金泉秘録) 
  • 【 三割高下に向かえ 】

     

    相場が上がれば、際限なく欲の爪を伸ばし「とことん上がるまで売るものか」というタイプの投資家が多い。その欲が災いして、取れるものも取れず、あまつさえ損勘定になってしまう例も多いようだ。

    そこで、あらかじめ目標を立てておき、何割上がったら後はどうあろうとも利食い売りしようとする戦法がある。ただし、これは波乱含みの相場には通用しにくい面がある。普通の穏当な値動きのときだけに応用すべきだろう。例えば100円の株式を買ったら3割高の130円で売るわけで、いわば投資資金の効率(回転率)を高めよという教えである。むろん、この戦法をとる限り、余計な迷いを寄せつけないという効用もある。

    そうした個別の株式に対する戦法を教えるほかに、相場全体の動きを把握する意味も持っている。つまり「3割」というところは、上げにしても下げにしても一つの転機になるというものだ。したがって、ある出発点から3割上がったところは売り、3割下がったところは買いのサインと見るわけである。次に紹介する言葉のとおり、2割、3割の高下(高安)まではその相場の流れに従うのが自然というべきだろう。

    • 高下とも五分、一割にしたがいて、二割、三割は向かう理と知れ。(三猿金泉秘録) 

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