30代 男性
私が初めてパチンコをしたのは18才の時でした。バイトの収入の範囲内で1~2年は楽しめていたのですが、20才になると消費者金融で借金をしてまで毎日パチンコに通うようになりました。初めて借りる時はドキドキしましたが、あっさりと借りられ、借りることにもすぐに慣れてしまいました。負けるとその金を取り戻そうと更にお金をつぎ込み、勝っても次のギャンブルの資金となり、結局は借金ばかりが増えていく…。30才の頃には数社から借り入れをし、自分でもいくら借金があるのかわからない状態でした。ついには家族に借金がばれて治療を勧められました。病的賭博と診断され、もう嘘をつき続ける日々・借金返済について悩む日々を続けなくていいんだ…とほっとしたのを覚えています。週に一度、夜のギャンブルミーティングへ通うこととなりました。借金返済もあるため、仕事をしながら治療を受けることができるのは大変助かりました。それから2年が経ちますが、ミーティングに通うことで、ギャンブルをしない日々を送ることができています。今後もミーティングへの参加を続け、平穏な日々を過ごしたいと思っています。
≪家族より≫
夫は、いつからまた競馬をしていたのか…。夫から告白されるまで、全く気付きませんでした。
夫は40才頃から会社でのストレスが増え、土日は仕事と偽っては毎週競馬に通っていたようです。自費での接待や出張費用など、今思えば怪しい部分も多くありましたが、言われるままに夫にお金を渡していました。60才で定年退職した際に、夫からギャンブルでの借金があると告白を受け、退職金でも足りず貯蓄を崩して返済へとあてました。もう二度と競馬はしないと約束し、本人も懲りていると思っていたのですが、数ヶ月後にはまた競馬を始めていました。
半年で再度借金を作った夫に愛想をつかし、当時は会話をしたくもなかったのですが、通院して1年、夫は定期的にミーティングに通い、私も家族教室へ通って家族の対応を勉強しています。夫との会話も増え、一緒に過ごす時間が楽しいと思えるようにもなりました。また競馬をしているのでは?と、たまに不安になることもありますが、夫を信じて自分の生活を大事にしていきたいと思っています。
20代 男性
高校卒業の時、先輩に誘われパチスロに行きました。ビギナーズラックで1万円が5万円となり、「こんなに簡単に儲かるものなんだ…」「自分にはギャンブルの才能があるに違いない」と思い、毎日パチスロに通うようになるまでそう時間はかかりませんでした。親には大学に行くと言い、資金作りのバイトとパチスロの毎日…。負けが続き資金がなくなると、親の財布から金を抜き、友達からも借金をしました 。それでも「自分には才能がある」「いつか大勝して借金を返せる」「何とかなる」と、根拠なく信じていました。
社会人になるとカードで借金をするようになり、返済ができなくなると親に泣きつき、何度も立て替えてもらいました。自分で病気ではないかとネットを調べ、仕事が休みの土曜日にミーティングに通うこととなり、仕事にも影響なく更に週末の空いた時間をミーティングにあてることで土日を乗り切ることができています。 先輩患者から借金整理のしかたを教えてもらい、自分で債務整理をしました。
手間はかかりましたが、よい社会勉強になりました。また払い過ぎていた分を取り戻しました。夜なべでやっているその姿を見て、妻も信用を取り戻してくれたようです。
ギャンブル依存症と言う病気だと御自分で判断して
病院に行き、先輩患者さんと、ミーティングにて徐々に回復する。毎週行かなくては駄目なんですね。
何故なら弱い人間だから。人は弱い生き物です。
継続する事により回復するからです。麻薬も同様です。
一度、手を染めてしまったら普通の生活に戻るまで途方もない時間が掛かるのです。一年二年我慢しても
三年目にまた手をだす。
恐ろしい病気なのです。上記の体験談は、成功例です。
大半が再発してしまうのです。自力では戻れません。
私もギャンブル依存症でしたが、
自力で抜ける事が出来ました。奇跡的な例ですが、私の場合は
仕事もなくドヤで生活していたので暇だからギャンブルをはじめました。ドヤの仲間はそれしか楽しみが無かったからです。
生活費を使い果たし借金地獄からの家庭崩壊そして自殺。
絵に描いたような末路を身近で見てきました。悲惨でした。
しかし、私には、出逢いがありました。守るべき人、裏切ってはいけない人が出来て、目標が出来れば遊んでいる暇が無くなり普通の生活が出来るようになりました。とてもラッキーでした。
ですから日々感謝して暮らしております。私も先輩患者の一人です。今、苦しんでいるあなたの気持ちは
痛いほど分かります。
是非、病院に行く事をお勧めいたします。
私で良かったら、いつでも相談して下さい。
今からやめましょう!!
- 青空と向日葵の会 Apex product 代表 柳 -
全国72万台の不正パチンコ機
パチンコメーカーらが集まる業界団体である日本遊技機工業組合は6月23日、既に市場に流通しているパチンコ機59万台を「検定時と性能が異なる可能性がある」として回収することを発表した。今年2月、3月に既に発表されている同様の回収リストを含めると、今年になってから問題が発覚し、回収の発表が為されたパチンコ機は総計で72万台にもおよぶ。パチンコ業界においてこれほどの大規模な機械回収が発生したのは1996年以来20年ぶりのことであり、各パチンコメーカーらは対象となったパチンコ機の撤去を年内にも完了させるとしている。
今回、パチンコ機の大規模回収の発端となったのは、昨年発生した「不正パチンコ機問題」である。パチンコ機は国の指定する試験機関において法の求める基準に則って製造されているかのどうかの試験を受け、その後、各都道府県の公安委員会による検定を経てパチンコ店に設置される。当然ながらこれらパチンコ機は試験時の性能を維持したまま客に提供される必要があるわけだが、昨年、抜き打ちで行われた全国161店舗258台のパチンコ機を対象としたサンプル調査において、「法の求める基準で運用されているパチンコ機が一台もない」ことが判明し、大きな問題となった。
この問題に対し、当初警察は各パチンコ店が日々の営業の中でパチンコ機の性能を意図的に変更し、ギャンブル性を高めた形で運用しているものとしてパチンコ店への締め付けを厳しく行った。しかし、半年に亘って再三警察が厳しく指導を続けたにも関わらず状況が全く改善しない為、詳細調査を行った所、実は多くのパチンコ機が各店舗に納品される前にギャンブル性が高められた状態になっている事が判明。即ち、機器を製造販売するメーカーによって不正な性能の変更が行われている可能性が明るみになった。
結果、先述のとおり総計72万台のパチンコ機が「検定時と性能が異なる可能性がある」としてメーカーによって回収されることが決定したわけだが、この台数は現在世の中のパチンコ店に設置されている約300万台のパチンコ機のうちおよそ25%にあたる膨大な台数となる。
「検定時と性能が異なる可能性のあるパチンコ機」の怪
しかし、ここで気になるのは「検定時と性能が異なる可能性がある」とする表現である。もしこれらが明確に「検定時と性能が異なるパチンコ機」であるのならば、それらは即時回収を行うべきものであるし、パチンコ業界を規制する風営法の関連規則の中には、法の求める技術上の規格に適合していないことが判明したパチンコ機の検定の取り消しに関する条項が存在する。また、同様に風営法関連規則の中には、自身が製造するパチンコ機の性能の同一性を保持することができないと認められるメーカーに対して「遊技機を製造する能力がない者」として確認を取り消すことができる条項もある。
しかし今回、日本遊技機工業組合から示された回収リストは、あくまで検定時と性能が異なる「可能性」のあるパチンコ機を示したものであり、その性能が確実に異なるものとはされていない。そして、それらがあくまで「可能性」である限りにおいて警察もパチンコ機の検定取消しや、それを製造したメーカーに対する確認取消しにまでは踏み込まないのである。
今回発生した回収は、メーカーが独自に行った調査の中で検定時と性能が異なる可能性があることが判明した結果、「自主的に」行われるものであり、彼らがそのように言っている限りにおいて警察としてはその回収が速やかに実施されるよう適切に監視をしてゆくのだ。
非常に判り難く一般的には理解に苦しむ説明であるが、これが現在、警察が対外的に示している一連の不正パチンコ機問題に対するスタンスである。
72万台回収の先にあるもの
しかし、自主回収とはいえ現在全国に約300万台存在するパチンコ機のうち、およそ25%にあたる72万台を半年足らずで撤去することの影響は図りし得ない。中でも、最も懸念されるのが撤去されるパチンコ機の後に据えることとなる入替機供給と、その入れ替えに伴うパチンコ店側の財務能力の問題である。
これから半年間で完遂される機器回収に伴う72万台分の入替機を、果たして現在のメーカーが持つ開発&生産力で賄うことが可能なのか。もし、入替機の供給そのものが間に合わなけば、各パチンコ店は回収対象となるパチンコ機を撤去した後、店舗の一部をベニヤ板等で封鎖して営業を行わなければならなくなる。このような営業方式は、業界内で俗称で「ベニヤ営業」などとも呼ばれるものであるが、「見た目」的に非常にみっともないのは勿論であるが、事業の源泉であるパチンコ機そのものがなければ店舗は売上を維持できない。
一方、入替機の供給以前に、それらを購買するパチンコ店側の財務能力上の問題もある。今回のパチンコ機の回収にあたってメーカー側は、各パチンコ店側に対して一定の補償を行うことは発表しているが、未だその補償内容の詳細は示されていない。ただ、そこに何かしらの補償があることが確実だとしても、撤去後に必要となる入替機代の全額をメーカーが補償してくれるわけもなく、パチンコ店にとっては想定外の負担が発生することは否めない。これは特に財務基盤の弱いパチンコ店にとっては死活問題となる。
実は、全国のパチンコ店舗数はピークとなる1995年の約1万8千店から現在の現在の約1万店へと長らく減少傾向が続いているが、今回のパチンコ機の大回収を受け、これからその数は更に加速度的に減少してゆくであろうと言われている。業界専門家の中には現在の全国1万店から、最悪のケースでは更に5千店程度まで落ち込むのではないかと予想している者もおり、各パチンコ店は文字通り「存亡の危機」に直面している状況だ。
予測に難くない「客離れ」
また、一連のパチンコ機の大規模回収は顧客となるプレイヤー側の消費にも間違いなく影響を与える事となるだろう。実は、今回の大規模回収の発端となったパチンコ機の不正な性能変更は、その殆ど全ての事案がゲーム上の小さな入賞を極力減らし、逆に『大当たり』に出玉を集中させる事によって「ギャンブル性を高める」方向で行われたものであった。その結果、
パチンコプレイヤーにおける1人当たりの平均投入金額は1989年が月額平均5万円程度であったのに対し、現在は月間20万円程度にまで跳ね上がっている(出所:レジャー白書)。これは、1989年からの物価上昇分を念頭に置いたとしても、異常な上昇率であるとしか言いようがない。(※但し、これはあくまで「投入金額」であって「負け額」ではない)
逆に言えば、このようなパチンコのギャンブル性の上昇に「ついていけない」ようなライトなプレイヤー層を、二十数年にも亘って「切り捨て」ながら発展してきたのが現在のパチンコ業界であるわけで、今、市場に残っているプレイヤー達がこれから新しく法の規定に基づいて「正しく」運用されるギャンブル性の抑えられたパチンコ機に果たして魅力を感じるだろうか?業界が最も恐れているのは、このような既存プレイヤー達の「パチンコ離れ」なのである。
パチンコ業界の「原点回帰」路線
ただ、例え既存のプレイヤー達が高いギャンブル性をパチンコに求めているとしても、それらは全て法の基準に則っていない不正な性能であるわけで、現在のように厳しい社会批判を受け警察が本腰を入れてそこに指導を行っている現状において、業界がこれまでのような高いギャンブル性を維持したままの営業を行う術はない。業界としては今までのような不正な営業の在り方を改め、法の求める基準を順守しながら「これまでとは違う新しいパチンコ」の楽しみ方を普及させてゆくしかない。すでにそのような取り組みは現在パチンコ業界の取り組む「ちょいパチ」と呼ばれるキャンペーンとして始まっている。
ちょいパチとは「ちょいと遊べるパチンコ」の略語で、少しの予算で多く遊べるとされているパチンコ機の新ジャンルのこと。3000円で1時間あれば一通りの「大当たり」体験も含めてパチンコを楽しめるというのが「売り」であり、各メーカーが足並みを揃えてこの新規格でのパチンコ機の開発を進めている。要は、かつてのギャンブル性の低かった「牧歌的な」パチンコへの回帰を目指す方向性であるワケで、業界の中ではしばしば「原点回帰」というキーワードと合わせて、この新しい施策が語られ始めている。
暗中模索の時代の始まり
但し、筆者としては個人的にこのような現在の業界による「原点回帰」路線のみでは、パチンコ業界の復活は難しいであろうと考えている。パチンコ機のギャンブル性が今ほど高くなかった時代、確かにパチンコが「庶民の娯楽」などと呼ばれた栄光の時代は存在した。しかし、それら「かつてのパチンコ」が消費者から支持されたのは、未だ世の中に「遊び」の選択肢が少なかった時代においてのこと。今や、既に「庶民の娯楽」はパチンコからスマホゲームへと完全に取って代わられており、また一部のスマホゲームにおいてはゲーム内で疑似的なギャンブル性を演出し、それに「ハマる」プレイヤーが続出するなど社会問題化するまでに至っている。即ち、今の消費者にはパチンコに代わる様々な「選択肢」が既に提供されているワケで、そのような環境の中でただ原点回帰しただけの「かつてのパチンコ」が再び大きな支持を獲得できるとは到底思えないのである。
即ち、今のパチンコ業界の「原点回帰」路線は、不正なパチンコ機を世の中に大量に流通させてしまった今回の問題に対する応急的な措置として機能するだけのものであって、業界の未来を示す指針にはなりえないのではないか。パチンコ業界はおそらく「原点回帰」を超えた次なる未来志向の指針を見つけるまで、暗中模索の時代に突入するのではないか。私自身はそのように一連のパチンコ業界の動向を捉えているところである。
ということで、パチンコ業界の皆様におかれましては不正な性能を持つ可能性のあるパチンコ機の一日でも早い回収に努めて頂きたい。そして、今回引き起こしてしまった問題を真摯に反省し、社会的制裁を「正しく」受け、また必要とあらば法的な制裁も受けつつ、次なる業界の健全化なる繁栄にむけて最大限の努力を行って頂きたいと願うところであります。
日本で数少ないカジノの専門研究者。ネバダ大学ラスベガス校ホテル経営学部首席卒業(カジノ経営学専攻)。米国大手カジノ事業者グループでの会計監査職を経て、帰国。2004年、エンタテインメントビジネス総合研究所へ入社し、翌2005年には早稲田大学アミューズメント総合研究所へ一部出向。2011年に国際カジノ研究所を設立し、所長へ就任。9月26日に新刊「日本版カジノのすべて」を発売。
「そんな店本当にあるんですか」――東北のある都市では、業界団体の職員ですら驚くほど早い時間からパチンコ屋が営業している。開店は朝7時。それも1店舗だけではない。市内の半数がこうなのだ。異動してきた全国チェーンの店員たちは口々に言う。「こんな地域があるなんて信じられませんでした」「間違いなく、日本一でしょ」。
宮城県第2の都市・石巻市。この人口15万人足らずの港町は、日本でもっともパチンコが盛んな地域かもしれない。平日の営業時間は、午前8時から日付が変わる直前まで。土日祝日になれば、市内14店舗のうち7店舗が1時間開店を早める。東京や大阪と比べると営業時間は4時間も長い。お盆や年末に至っては、日をまたいで営業することもある。
人々は何を求め、朝7時からパチンコ屋へ足を運ぶのか。ゴールデンウィーク中の石巻を訪ねた。
「エンジョイスロット」「エンジョイパチンコ」
石巻市から東北を横断し、日本海側へと延びる国道398号。その起点から石巻漁港エリアまでの約7km、車で15分ほどの距離に6つの大型パチンコ店が並ぶ。このうち5店舗が土日祝日に朝7時から店を開ける激戦区だ。
早朝、JR石巻駅付近のホテルからタクシーに乗り、「398」を西へ。車通りはまだ少ない。片側1車線の道沿いには、東北のスーパー「ヨークベニマル」。見慣れた牛丼やコンビニのチェーン店、携帯ショップの看板も目に入る。
午前6時半。10分足らずで着いた「ジョイパーク」では、既に8人の男性が並び、黙々とスマートフォンを操作していた。先頭の30代男性(製造業)は5時台から待っているという。この時期でも、石巻の気温は10度に満たず、車内で開店を待っている人も少なくない。連休中の、しかもこんなに朝早くから、なぜパチンコなのか。常連だという地元の40代男性は、恥ずかしそうにこう話す。
「いやあ、気晴らしっすかね、ほかに行くとこもないし。並んでる人は、大体『1スロ』目当てですよ」
7時、入り口のシャッターが開き、轟音鳴り響く店内に40人ほどが流れ込んでいく。男性が言う通り、多くの人が向かった先は「1スロ」コーナー。同じ機種はほとんどない。男性は迷うことなく、「北斗の拳」へ。先頭の人は、美少女キャラが描かれた「マジカルハロウィン5」という台に座っていた。32台のうち、空いているのは10台しかない。
一般的なスロットは、「20スロ」と呼ばれ、1メダルは20円する。これに対し、「1スロ」は、1メダル1円。この店では、「エンジョイスロット」と呼び、1000円で846枚のメダルを貸し出している。店内にはこのほか、200円で688玉の「エンジョイパチンコ」もある。通常の「4パチ」なら、200円だと50玉しか貸してもらえない。
いずれのコーナーも午前9時頃までには、ほとんどの台が埋まってしまった。「1パチ」も人気だ。一方、一般的な「4パチ」「20スロ」は、人がまばら。特に「4パチ」は空席が多い。
パチンコ界で流行する「低レート」
パチンコ業界では2006年ごろ、「1パチ」や「5スロ」と呼ばれる低レートの台が登場した。同じ金額で、より長い時間打てることから人気を集め、今やほとんどの店舗に台が置かれている。より低レートの台も生まれ、石巻には「ジョイパーク」のほかにも、「2スロ」に力を入れる店や低レートだけの店などがある。
試しに、「エンジョイスロット」(1スロ)に1000円を入れてみた。すべてのメダルを使い切るのにかかった時間は、なんと70分。大量のメダルは、「ドル箱」を使わないと下皿からあふれてしまうほどだ。ベトつくメダルを何度も投入するため、指先が疲れてしまった。一方、「エンジョイパチンコ」は50分。どちらも当たりが出れば、もっと長い時間プレーできる。
この日、午前7時から閉店の午後11時50分ごろまで1スロを打った40代男性(建設業)は、「トータル4000円投入して、とんとんでした」と話す。運が良ければ、最初の1000円で1日中遊べることもあるという。「少ない投資で店との勝負も楽しめる。そういう刺激もありますね。数千円で1日遊べるなら儲けもんだと思いませんか」。
仮に当たらなくても、アイドルやアニメ、映画などを使った派手な「演出」が客を飽きさせない。夫・息子と一緒に週1回は来るという70代の女性は、「私は打たないけど、見ているだけでも楽しいの」と上品に笑う。足が悪いという彼女は、休憩も交えながら杖をついて店内をゆっくり歩き回っていた。
これに対し、一般的な20スロや4パチの場合、当たりがなければ1000円がものの数分で消える。別の店で出会った60代の男性は、「金持ちは4パチ、俺ら貧乏人は1パチ」と自嘲する。「30分でなくなることもあるけど、3000円ありゃ大体3時間くらい遊べっかな。『マクロス』が良いんだよ」。
こうした石巻のパチンコ文化は、県外の人には「ぬるい」と映るようだ。今年引っ越して来たばかりという福岡県出身の30代男性(地盤改良業)は、10数年前、スロットだけで年間300万円以上を稼いでいた凄腕。
「地元の人は低レートの台ばっかり打ってますよね。激アツ演出を外しても、『ふーん』って顔しているし、俺らからしたらありえない。こっちとしちゃ、台が選び放題なんで良いんすけど」
震災後に始まった朝7時開店
石巻でもひと昔前までは9時開店が一般的だった。「マルハン」の店員は、「石巻はパチンコの競争が激しい場所で、8時半、8時と少しずつ開店時間が早くなっていったようです」と話す。
朝7時開店は、東日本大震災後の2011年11月、漁港エリアの「アムズガーデン」が土日限定で始めた。担当者によると、「漁師や漁港関係の方から、『時間を持て余してしまうので、もっと早くから開けられないか』というお話があったと聞いています」。
この店をはじめ、漁港エリアでは朝早い時間でも、つなぎや作業服を着た客の姿を見ることができる。朝8時、会社の車で乗り付けた作業着の4人組は、関西から単身赴任中。仕事が終わったばかりで、「寝る間も惜しんできました」と言うや、足早に店内に入っていった。「この辺りは津波の被害が特にひどかった。パチンコ屋のお客は、復興支援や現場関係の人も多いみたいですね。県外の人だから行く当てもないんでしょう」とは、タクシーの運転手の弁。
一方、2012年12月、漁港エリア以外で初めて7時開店を決めた「マルハン」は、高齢者を中心に開店時間を早めてほしいという要望があったそうだ。実際、マルハンに限らず、どの店舗でも高齢者の姿が目立つ。ある店で、休憩所に座っていた70代の男性に声をかけた。この店にはよく来られるんですか? 「ここはダメだぁ。全然勝てねえよ」。そうは言うものの、一向に席を立つ気配がない。男性は再び、店に置いてある地元新聞に目を落とした。シートには、同じくらいの年代の男性が10人ほど座っている。別の店では、70代の女性がおどけた口調でこう言った。「店が全然勝たせてくれないけど、『依存症』だから週に1回は来ちゃうのよ。婆ちゃんだから、誰も遊んでくれないの」。
「仮設住宅に一人でいると、津波のことを思い出して怖い」――高齢者の移動支援を行う男性は、複数の高齢者からこんな声を聞いている。「この辺りじゃ、気晴らしもないですからね。パチンコ以外だと、カラオケか居酒屋か温泉。パチンコって言うと周りの人から怒られるんで、こっそり送り迎えしていました。1日いくらかで、いろんなことを忘れられるならいいじゃないですかね」。
「なーんもないもんねぇ」
轟音とたばこの煙が充満する店内で、客たちは誰と話すでもなく、ただじっと画面をのぞき込む。客の服装は、「部屋着」に近く、女性でもジャージー姿にクロックスのサンダルという組み合わせが珍しくない。
年齢層は高く、一目で20代と分かる人は少数だ。昼前、7時から「1パチ」を打っていた若いカップルが外に出てきた。男性は普段工事現場で働いている。「いつも朝早いんで、土日も朝からさくっと遊んでます」。午後はゆったりと過ごすという。「同世代はみんな(石巻の)イオンか、仙台じゃないですか。もうちょっと暖かくなったら、僕らも釣りに行きたいんですけどね」。そう言って、2人は軽自動車に乗り込んだ。
午後1時過ぎ、ある店舗の食堂で、大正14年生まれの女性に出会った。今年で91歳。若くして夫を亡くし、女手一つで子どもを育ててきた。そんな彼女の数少ない楽しみがパチンコ。キャリアは60年になる。「5時間くらい打って、カラオケに行くのが好きでよ。トータルでもあんまり負けてねぇよ」。快活に笑って、カツカレーを頬張る。どうして、パチンコを打つの? 「楽しみがないもんねぇ」と笑う。一瞬考え、また「なーんも楽しみがないもんねぇ…」。食後、彼女は「話しかけてくれてありがとう」と言って、台に戻っていった。
◇パチンコの営業時間
パチンコ店の営業時間は「風営法」で、原則「日の出」(2016年6月からは法改正により午前6時)から「午前0時」(一部では午前1時まで可)までと定められている。実際は、都道府県条例でさらに制限されていることが多く、店舗同士の取り決めや営業判断で短くなっている場合もある。東京都や大阪府では、最長でも午前10時から午後11時までの営業しか認められていない。
(この記事はジャーナリストキャンプ2016石巻の作品です。執筆:園田昌也)
園田昌也
最終更新:6月5日(日)10時14分
私はパチンコ歴13年の33歳会社員です。
20歳から始まったパチンコ人生、失った物はお金では買えないものばかりです。
大好きな趣味も、大切なコレクションも、追い続けた夢も、夢にかけることで得た財産も、命より大事な家族との時間も、全部パチンコに吸いとられてしまいました。
20代前半からパチンコ台と向き合っている時の自分が少し異常であると感じていましたが、それは自分の性格が、直ぐにムキになることの延長であると思っていました。
パチンコで勝てば奮発して欲しかったものを買い、負ければ残念くらいでした。その時分は、パチンコに投資する金額が少なければ、ダメージも小さかったからです。何より夢を追い続けていたので、頭の切り替えもできていました。
20代半ば、夢への挫折から地獄に足を踏み入れ、落ちていきました。
アルバイトの給料は生活費を除いて全てパチンコに投資するようになり、手持ちのお金が無くなると、貯金を下ろしてパチンコをしました。(貯金は私が1人暮らしを始める際に親から渡された積立貯金で、私が貯めたものではありません。)
私は自分をリセットするためにアルバイトを辞め、パチンコからも離れようと決意しましたが、パチンコへの例えようのない感情(怒り、憎しみ、喜び、悲しみ、快楽、高揚感、現実逃避)はドラッグのようにパチンコをすることでしか抑えられなくなっていました。
私は貯金を使い果たすと、クレジットカードからお金を引き出しパチンコをしました。生活など二の次、三の次でした。
クレジットカードも限度額まで使い果たし、手持ちのお金も引き出すお金も無くなりました。私は大切にしてきたコレクションと夢にかけることで得た財産を少しずつお金に変えてパチンコをしました。結果、コレクションも財産も私により全てお金に姿を変えられ、パチンコにより消されました。
私は情けない自分に泣き、パチンコ依存性であると自覚しましたが、知識がないので何もできずただ呆然としました。
そんな時、私から何の連絡も無いことを心配した親が家まで押し掛けてきました。ガリガリに痩せ干そった息子と、物が無くなりスッキリとした家を見ると言葉を失い、私が近況の話(パチンコのことを隠した嘘の話)をすると泣きました。
親は家を出て、戻ってくると私にお金を渡しました。家賃の支払いと、とにかく何か食べなさいと。
親が帰ると、私はそのお金で未納の家賃を納め、残りは軍資金としてそのままパチンコ店に向かいました。
親が渡してくれたお金を使い果たし、私は無一文となりました。食べる物も底を尽いて、水だけで過ごした時、このままでは死ぬかもしれないと思い、僅かに家に残っていた物をお金に変えて日雇いの仕事に就きました。 働いて、給料を貰い、ご飯を食べる。当たり前のことで心が安らぎました。借金返済の計画を建てやり直すことを決意しましたが、
毎日お金を手にすることで、パチンコへの感情が芽生えてきました。
敢えなくスリップした私は何も告げずに日雇いの仕事を辞めました。
手持ちのお金が再び無くなろうとした時、親が私の様子を伺いに家を訪ねてきました。食料と一緒に生活費も少し渡してくれた親に、私はパチンコのことをまた告白しませんでした。
ただ、今度こそやり直すという思いを胸に秘め、渡してくれたお金を生活の元にしてようやく職に就きました。
20代後半になり、仕事も順調で借金の返済も毎月納めることができました。しかし、パチンコからは離れられませんでした。
パチンコに投資する金額は次第に大きくなり、気付けば月々の返済と生活費以外は全てパチンコで使い果たす以前の生活に戻っていました。
ある月、給料が入って数日で生活費も全てパチンコに使い果たし、返済していたクレジットカードからもお金を引き出し、パチンコに使い果たしました。いてもたってもいられず私は消費者金融からお金を借り入れました。 借金は減るどころかさらに増え、それなのに依存性は治まる気配を全く見せず、私は「自分ではどうすることもできない。話だけでも誰かに聞いてほしい。」
そんな思いから、付き合っていた彼女に自分がパチンコ依存性であることを打ち明けました。(借金のことは隠しました。) 彼女は「パチンコがしたい=依存性」ということに理解を示し、私を受け入れてくれました。(この時はまだ私が「依存性=病気」ということを知りませんでした。)
数ヵ月後、私は彼女と婚約しました。借金はまだ残っていたし、隠していました。絶対にパチンコを辞めれると自分自身を信じて。
結婚して、新居に引っ越した頃、親から連絡があり私は実家に行きました。 親は「これで家財などを買いなさい」と、積立貯金とは別で私のために貯めていたお金を結婚祝いとして渡してくれました。
私は家に帰り、妻にその事を報告しましたが、金額は伏せました。
私は貰ったお金で借金を一括返済し、後日残ったお金で妻と家財を買いに出掛けました。
妻に真実を隠している悩みはずっと抱えていましたが、罪の意識は月日が流れるうちに薄れていきました。
子供が産まれ、家族3人幸せで平穏な毎日を過ごしていました。
妻が1歳になった子供を連れて里帰りをした時、私は久し振りに1人になったことで休日に何をしようか考えました。
「1日だけなら、1回だけなら、大丈夫。還ってこれる。それで踏ん切りをつけよう。」
ずっと燻っていたパチンコへの思いを絶ちきるつもりで、私はパチンコ店に行きました。
私の浅はかな考えは、数週間後にその月の生活費を使い果たし、クレジットカードの借り入れ可能残高0円という結果を招きました。
自分が何をしているのか、どうなってしまっているのかが分からない。それを知るためにパチンコ依存性についての本を買い調べました。
「パチンコ依存性=病気」の事実を初めて知りました。
私は実家から帰ってきた妻に、パチンコをしてしまったこと、借金を作ってしまったこと告げました。妻は私に失望し、泣きました。
私は自分のパチンコ依存性の症状がどんなものか、本で調べたことを交えて泣いている妻に説明し、真剣に立ち直りたいと思っていることを訴えました。
妻は「パチンコ依存性=病気」ということを理解できないようでした。私の家族に対する愛情が足りないからパチンコをするのだと。
私自身については、二度とパチンコをしない約束で受け入れてくれました。 それから数日後、私は妻に連れられて銀行に行きました。妻は「借金があるのは嫌だから」と言い、家庭の貯金を使って一括返済すること、キャッシュカードからクレジット機能を外すことを私に提案しました。
私は、妻に告白していない以前の失敗(一括返済)が頭をよぎったので拒みました。しかし、妻は私の願いは聞き入れず(真実をしらないのだから当たり前です)、一括で返済する手続きを取りました。
しかし、どういう運命の悪戯か、神様が私を試したというのか、翌月の自動引き落とし額は一括で返済することができず、キャッシュカードからクレジット機能を外すこともできませんでした。
私は「翌月自動引き落としで借金が完済したら、自分でキャッシュカードのクレジット機能を外す手続きをする。」と妻に言いました。
そうです。もうスリップしていたのです。
それから1年間はパチンコから離れることができました。お金とキャッシュカードは財布から抜き取り、外でパチンコ店の前を歩く時は目を背け、深夜にテレビを見ている時はパチンコ番組のチャンネルに合わせず、考え付く限りの対抗策を取りました。仕事でストレスが溜まったりして、パチンコの事が頭をよぎった時はひたすら我慢しました。
「我慢する」「やめれるように努力する」この言葉で自分を縛ったのがよくなかったのかもしれません。「治療する」という言葉で自分を支えていれば、乗り越えれたのかもしれません。
パチンコのことを意識しないで日々過ごせるようになった頃、自分の中で「我慢」「努力」が身を結び立ち直ることができたと勘違いしました。「パチンコ依存性であってもパチンコを我慢できるし、気持ち次第でいつでも止められる」という間違った答えを出してしまいました。
給料日、いつもなら引き出したお金は全部妻に預けてから妻にお小遣いを貰うのですが、その日は引き出した帰りにパチンコに行きました。
あっけない形で1年間のパチンコ依存性との戦いは幕を下ろしました。
そして、上の子供が3歳に、下の子供が生後半年になろうとした頃、クレジットカードはまたしても限度額に達していました。
パチンコから生まれたものは、13年間の後悔と、夢への未練と、両親と妻と子供たちについた嘘と、それを隠している罪と、借金です。
私は今現在もパチンコから離れることができないでいます。妻にも嘘をつき続けています。
借金の額は、クレジットカード20万円、家庭には総額で30万円(一括返済したお金や黙ってかていの貯金から抜き取ったお金)ほどです。
(13年間で使い込んだ額は400万円くらいだと思います。)
クレジットカードの返済は毎月1万円ずつ支払いはしていますが、1ヶ月・2ヶ月と我慢してはまた引き出して使い果たす、を繰り返しています。 私のお小遣いは毎月1万円で、地道に返済して2年弱かかります。その間、ずっと妻に黙っていられるか、バレやしないか、不安で仕方ありません。かといってパチンコと借金の事を告白する勇気はありません。知ったらおそらく離婚されると思います。
妻には嘘をつき通して隠す方がいいのか、正直に話す方がいいのか?
夫を亡くし、悲しさを紛らわす為にパチンコへと毎日行っていた。
娘は高校生だからと安心して家に帰らない日もあった。
いつの日か娘は話をしなくなった。
しかし私は反抗期だろうと、ほっといた。
半年ぶりに、ちゃんと見た娘の姿は痩せ細っていた。
親の愛情不足からくる節食障害だった。
話をしなくなったのは声が出なくなったからだった。
半年も気付かなかった。娘の心の傷にも気付かない私は母親失格だ。
死んでしまいたいと思った。それ以来、毎日娘と過ごす時間を作った。
しかし口をきいてくれる事はなかった。
友達とは楽しそうに笑う。私には無表情だ。当然私を憎んでいるのだろう。今日は一人で過ごす大晦日。クリスマスも一人だった。
嫌いな母親と過ごすよりは大事な人と過ごす方が
いいに決まってる。淋しさから涙があふれた。
泣く権利など私には無いのに。もう寝ようかと思ったとき、携帯がなった。娘だった『一人なんでしょ?今、彼氏といるんだけど、お母さんも来たら?』久々に聞いた声、嬉しさから溢れる涙を押さえながら
「悪いからいいわ。でも、ありがとう」と告げ電話を切った。
その後娘からメールが来た大好きなお母さんへやっと話せた。
私、お母さんを憎んでないよ。大好きだよ。頑張ろうとしたけど声がでなかったの。ゴメンね。大晦日にも淋しい思いさせてゴメンね。
お父さんの分も支えてあげるね。早いけど、あけましておめでとう。
今年もよろしく娘は私を恨んでなかった。今思えば、口を聞いてくれることはなかったが、ソバにいてくれた。嬉しくて涙をこらえきれず、
声をだして泣いた。一人きりの大晦日だったが、私には幸せな一日だった。涙をふき、ごめんね。そしてありがとう、とつぶやいた。
パチンコ依存症は、病気です。
恐ろしい病気です。
この病気は、本人ばかりでなく、周囲にも大変迷惑をかけます。
経済的に困窮させ、本人の信用をも著しく失墜させます。
家庭を持っている方であれば、家庭が崩壊することも珍しくありません。そう、本人に家庭を顧みなくさせ、
嘘をつかせるのが、パチンコ依存症という病気なのです。
パチンコ依存症になったばっかりに、サラ金に返済のあてのない多額の借金をするようになった人がいます。パチンコ依存症になったばっかりに、売春をやるようになった人がいます。パチンコで負けたお金を取り戻すために強盗をやったり…と、その害は、とどまるところを知りません。皆さんも、「炎天下のパチンコ屋の駐車場で、車内に残された乳幼児が死亡した」という事件を、1度ぐらいは見聞きしたことがあると思います。 パチンコがやめられないのは、それが病気だからです。
決して、本人の意志が弱いわけでも、本人の性格がだらしないわけでもありません。 パチンコ依存症は、病気なのです。
まず、そのことを、本人を含め、周囲の人は、深く理解・認識して頂きたいと思います。 ですから、 本人が「もうしない」と固く決心したところで、周囲の人が本人に「もうしない」と約束させたところで、そう簡単にやまるものではありません。 決心・誓い・説得・約束・自覚では治らないのが、パチンコ依存症という病気です。 次に、
パチンコ依存症の方が、パチンコをやめるのを決心したにも関わらず、パチンコをやめるのを失敗すると(結局、パチンコがやめられないと)、依存症は、ますます強くなります。何故なら、自分に自信を失った依存症者は、呆れ果てた周囲の人と関係を悪化させ、孤独感をつのらせ、ますますパチンコに逃げ込む環境を作ってしまうからです。こうなると、パチンコをやめられないという事実が、本人にストレスを与え、そのストレスを解消させるために、また本人にパチンコに向かわせるという悪循環が始まってしまいます。
どうしたらいいか?
パチンコ依存症は、病気ではありません。よって薬では治りません。
パチンコは、単なる悪しき習慣です。矛盾した言い方をしてすみません。パチンコは単なる悪しき習慣なので、薬で治りはしませんが、病気と捉えた方が回復が早いです。
だからパチンコ依存症を、「病気である」と私は言っているのです。
「自分は、パチンコ依存症ではないか?」
「あの人は、パチンコ依存症ではないか?」
そう思っている人がいたら、一刻も早く専門家(心理カウンセラー)の元を訪れて下さい。パチンコ依存症は、カウンセリングで回復します。
依存症は、否認の病気と言われています。
相当、症状が深い人にも「私は違う」と言わせる力があります。
よって、本人の否認に惑わされてはいけません。
それこそが、依存症の為せる技なのですから…。
もう1度言います。
パチンコ依存症は、病気です。一刻も早く専門家に診せて下さい。
これ以上、人生を狂わせないためにも…。
【パチンコ依存症自己診断テスト】
下記の質問に
5つ以上「イエス」と答えたあなた、パチンコ依存症の可能性があります。
① 趣味はパチンコぐらいしかない。
② 嘘をついてパチンコに行ったことがある。
③ パチンコに行きたくて、うずうずしてしまうことがある。
④ 食事もせずにパチンコを打ち続けてしまったことがある。
⑤ 自分で決めた額以上のお金をパチンコにつぎ込んだことがある。
⑥ パチンコのため、約束を破ったり待ち合わせ時間に遅れたことがある。
⑦ 借金してパチンコしたことがある。
⑧ パチンコで財布の中身をほとんど空にしてしまったことがある。
⑨ 大負けしたくせに「少し勝った」「とんとんだった」と嘘をついたことがある。
⑩ 負けてしまったために、必要な物を買えなったことがある。
⑪ パチンコして、強い自責の念にかられたことがある。
⑫ 全然出ない台だと、頭でわかていてもやめられないことがある。
パチンコ依存症は、来談者中心療法だけで治すのは困難です。行動療法を使える、適切な回復プログラムを作成できる心理カウンセラーの元を訪れるのが賢明です。
また、文中で、「薬では治りません」と言いましたが、薬物は、パチンコをやめた後に出る、禁断症状を抑えるのに大変有効な働きをします。どうぞ、お薬は、上手に利用して下さい。(お薬のことは、医師もしくはカウンセラーの方に相談して下さい。)
「パチンコをやめるのに失敗すると、症状が悪化する」と言いました。
そう、「パチンコをやめる」と決めたらからには、絶対に「禁パチンコ」を失敗してはならないのです。ですから、何としても、優秀なカウンセラーにカウンセリングしてもらって下さい。
★「不幸を量産するシステム」パチンコの利権組織★
★パチンコチェーンストア協会の国会議員のアドバイザー★
※こうした組織に名を連ねているということは確信犯。即ち、落選させるべき国会議員リストでも有ります。
是非、拡散を!日本人を不幸にする「パチンコ族議員」を国会から駆逐しましょう!
( 平成24年10月2日の最新リスト から転載です。)
クソ暑くなってきたので去年の夏の話。
パチンコに夢中な親が車に子供を残して玉入れに励んだ挙句、車内で日射病・熱中症引き起こした子供がよく亡くなってた。
この悲劇をネットで見たり聞いたりした俺は引き籠りの日々を捨てて涼しい部屋から灼熱の外界へと歩み出した。
オカン泣いてたね。「まずは散歩から」って水筒にポカリ入れて渡してくれた。
オヤジも喜んでた。「不審人物として通報されんなよ」ってブランドもののサングラスくれた。
地元の安全パトロールを志す俺が何で通報されるのか……2回されたけど。
パチ屋やスーパーの駐車場を重点的に廻った(のが不審者的で不味かったらしいが)。
で、大型ショッピングモールの駐車場で4~5歳くらいの子供がワンボックスの中でもがいてるのを見つけたんだ。
即行110と119に電話した。
モールの事務所に走ってって店内放送を掛けるよう頼んで、すぐ戻った。
で、車の前で待ってたんだけど誰も来ねえの。
20分位。通りすがる人にも声掛けたけど、皆無反応。
焦った。もう子供グッタリしてんの。
最初は窓バンバン叩いてる俺に視線向けて口パクパクしてたのに。
ヒーロー願望がなかった訳じゃない。でも心の底から子供のことを思って、特殊警棒を窓に振り下ろした。
ガラスブチ割って、警報鳴ったけど子供引き摺り出して、水筒のポカリ飲ませた。
虫の息っての?女の子だったから口移しはヤバかろうとティッシュにポカリ染み込ませてチューチュー吸わせてた。
そしたらケビン登場。
「こいつだよ、車上荒らし、ウロウロして怪しかったし、窓割ったのも見た」って。
「警察なら後で行くから救急車呼べ!」って叫んだんだけど聞かねえの。
逃げると思われて腕掴まれて女の子ごと詰め所に連れてかれた。
俺は車上荒らしの上、誘拐まで疑われて…ケビインの上司が来なかったら、女の子○んでたんじゃね?
女の子見たとたん血相変えて、救急車呼んでくれたよ。ケビイン○ね。
その神経が分からん、って女の子の親に(このテの話のお約束的に)車の窓ガラスの弁償を要求されたこと。
もちろんお礼とか謝罪とかはナシ。むしろ
「誘拐しようとした子が偶々具合悪そうだったので仏心が出て救急車呼んだだけ」だろうって決めつけられた。
警察から感謝状出なかったら俺には前科が付いてたんだな。善行なんてやるもんじゃない。
秋頃、就職できて、弁償した金は戻ってこないけど女の子の糞親とも和解した(許しはしねーけど)。
女の子とはメル友やってる。
「15年後くらいに結婚しよ☆」って送ると
「それとこれとは別」って返されるけど。
あれから1年経つけど、俺のメル友はこの子だけだ。
猿を破壊する実験って知ってる?
ボタンを押すと必ず餌が出てくる箱を与えると
押すようになるけど、
餌が出たり出なかったりするようにすると
猿は一生懸命そのボタンを押すんだって...
餌が出る確率を調整する事で
猿に狂ったように一日中ボタンを
押し続けさせる事も可能なんだって
東京都教育委員会は15日、無断で4日間欠勤したとして、多摩地区の市立小の男性教員(29)を同日付で減給5分の1(1カ月)の懲戒処分にしたと発表した。
都教委によると、パチンコで借金を抱えた男性教員は昨年9月8日、金策に走ったがうまく行かず、パチンコで取り返そうと、有給休暇を取って所持金を投じたが失敗。翌9日~12日、学校に連絡せずに欠勤し、自転車で神奈川県内をさまよっていたという。男性教員は「パチンコで借金をする自分のような人間は教育者としてふさわしくない」と話しているという。
朝日新聞社
最終更新:4月16日(木)11時30分
「新宿歌舞伎町で2人で20分飲んで、260400円でした」。こんなタイトルで「はてな匿名ダイアリー」にぼったくり被害を報告した投稿が話題になった。
投稿者は、東京・新宿の歓楽街の歌舞伎町で、客引きに「60分4000円のところを60分で3000円」と説明されて、ある店に入った。席についた女性が酒をふるまったが、「手持ちは1万円しかないので、それで払える範囲で」とボーイに念を押していたという。ところが、会計を頼むと、伝票には「26万400円」という驚くべき金額が書かれていた。
投稿者は、店のスタッフと一緒に近くの交番までいったが、警察官は「民事不介入」を理由に助けてくれなかったそうだ。その場でしばらくスタッフとやり合ったが、相手は「間違った請求はしていない。飲んだ分だけ払ってもらう」の一点張り。あきらめて、ATMで金をおろして泣く泣く支払ったという。
ぼったくり被害は、他にもネット上に数多く報告されている。警察も助けてくれない場合、いったいどう対処すればよいのだろうか。ぼったくり被害にくわしい古川穣史弁護士に聞いた。
●歌舞伎町には「客引きはすべてぼったくり」の看板も
「警察は、ぼったくりの話にはあまり介入してくれません。基本的に『民事不介入』ということなのです。ただ、交番にいけば、無理やりお金を取られたり、脅されたりということがなくなるので、相談に行くと安心でしょう」
警察が不介入だとしたら、トラブルになった場合、なにか良い策はないだろうか。
「2通りの解決方法があり得ます。1つ目の方法はご自身の連絡先だけは渡し、あとは裁判をしてもらうという対応です。多くのキャバクラは、裁判をしてきません。そういう場合は一挙に解決ができます。
ただ、最新の情報によると、裁判になることを想定した手口が出てきています。店員が料金を説明する様子などを録音し、裁判で証拠として使うのです。この場合、判決は、客が勝訴する場合も、敗訴する場合もあります。
ぼったくりの金額があまり高額でない場合は、弁護士費用の問題もありますので、『裁判してくれ』という方法は、一か八かの賭けになるかもしれませんね」
では、2つ目の方法は、どんな策だろうか。
「双方が納得できる金額だけを渡して、その場限りにしてしまうという方法です。これなら裁判にならず、その場で話を終えることができます。どちらの方法でも、弁護士が現地に赴くと、スムーズに事が進むことが多いです」
支払う前に弁護士に相談するのが一番確実だろうか。
「そうですね。ただ、もっとも大事なことは、そもそもキャッチや客引きにはついていかないことです。歌舞伎町では『客引きはすべてがぼったくりです』というような看板も置いてあるくらいです」
古川弁護士は、このように忠告していた。
【取材協力弁護士】
古川 穣史(ふるかわ・じょうじ)弁護士
夜11時に電話で相談してきた依頼者を助けるために歌舞伎町に赴いて以来、ぼったくりの案件を数多く手掛ける。東京都を中心にDV、ストーカーや刑事事件の被害者側などの案件を積極的に行う。会計事務所の法律顧問として一般民事事件、企業法務なども扱っている。
事務所名:八木良和法律事務所
弁護士ドットコムニュース編集部
最終更新:5月5日(火)14時7分
またも発生してしまいました。以下、十勝毎日新聞からの転載。
ばんえい競馬といえば、記憶に新しいのが昨年12月に判明した競馬法違反(違法な馬券購入)容疑事件です。騎手を含む厩舎関係者らが競馬法によって禁じられている自らが所属する競技の投票券を購入し、十数名にもおよぶ逮捕者が出たという地方競馬始まって以来の前代未聞の大事件でありました。
関係者自らが所属する競技の投票券を購入しないこと、騎手がレースの前日から携帯電話の所持を含めて外部とのコンタクトを絶つことなどは、競馬が八百長等から隔離され適正に運営されている事を担保するための措置であり、ファンの信頼を維持する為に必要な行為としてすべての公営競技はもとより、totoくじの賭け対象となっているJリーグ選手までも含めて一律で採用されているルールです。
その信頼が完全に失墜してしまう事となったのが昨年起こった競馬法違反事件であり、ばんえい競馬の施行者である帯広市とばんえい競馬場は、この3月にファンの信頼を回復する為の再発防止策を発表し、信頼失墜行為の根絶を宣言したばかりであります。
ばんえい十勝オフィシャルサイト
【重要】競馬法違反事案に係る再発防止策
http://www.banei-keiba.or.jp/topics/post-310.html
平成27年12月11日、帯広市ばんえい競馬きゅう舎関係者による競馬法(法第29条勝馬投票券の購入等の制限)違反の疑いにより、帯広警察署による関係者への捜査が入り、平成28年2月1日、釧路地方検察庁帯広支部に書類送検されました。
これは、競馬法第29条第8号の規定により「地方競馬に関係する調教師、騎手及び競走馬の飼養又は調教を補助するもの」については、全ての地方競馬の競走について、勝馬投票券の購入又は譲受が禁止されており、これに違反した疑いとなるものです。
このことを教訓とし、このたび、今回の事案に限らず、信用失墜行為を根絶するため、再発防止策を策定いたしました。今回の競馬法違反事案を含め、ばんえい競馬の信頼回復に向け、この再発防止策をもとに、帯広市、調教師会、騎手会をはじめとする、ばんえい競馬関係者が一丸となって、決意を新たにし、取り組んでまいりますので、今後とも全国のばんえい競馬ファンの方々、市民の皆様のご支援、ご声援をいただきますようお願い申し上げます。
以上が再発防止策の発表当時にばんえい競馬場から発された公式のメッセージでありますが、文末の
"ばんえい競馬の信頼回復に向け、この再発防止策をもとに、帯広市、調教師会、騎手会をはじめとする、ばんえい競馬関係者が一丸となって、決意を新たにし、取り組んでまいりますので、今後とも全国のばんえい競馬ファンの方々、市民の皆様のご支援、ご声援をいただきますようお願い申し上げます。"
なる文言がもはや白々しいというか、なんというか。。
一方で、実は昨年度のばんえい競馬はこのような公営賭博の信頼そのものを棄損する重大な法律違反が発生したにも関わらず、過去最高益を出してしまうなど全くもって「自浄」が働くような環境になかったのが実態。
ばんえい売上げ過去最高更新へ 2億円の黒字確保
http://kachimai.jp/article/index.php?no=339167
何しろばんえい競馬の売上はその施行者である帯広市の財源でありますから、本来は問題追及すべき立場にある市政や議会全体が、その好調な売上を維持したいがために「何とか穏便に済まる」方向にしか動かない。先の競馬法違反が発生した当時、関連する質疑の行われた議会発言の中でも「せっかく好調な売上が…」とか「そもそも給与が低いから違反が起こるのだから待遇改善せよ」などと、全く持ってナンセンスな質疑答弁が地元市議によって展開される始末でありました。
【参照】度重なる公営競技での違法賭博:ファンは不買も辞さぬ構えで臨むべき
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/9231707.html
しかし、昨年ばんえい競馬が最高益を出したのも、すべては全国の皆様が行っているネット投票の売上が好調だからに過ぎません。当該競馬場は、つい5年ほど前までは積みあがった赤字によって廃場寸前の状況にあった競馬場なのであって、本来、帯広市単体ではもはや存続が不能であった競馬場なのです。
そのようにして全国の競馬ファンによって、ある意味「支えられてきた」競馬場が、その売上が好調になってしまったが故に自浄作用が働かないような状況なのであれば、逆に外から圧力をかけてゆくしかない。先の事件が発生した時、私は競馬ファンの皆様に向かって、この種の信頼失墜行為に関しては「ファンは不買も辞さぬ構えで臨むべきだ」と論じたワケですが、改めて皆様には「今の」ばんえいに金を落とすことが果たして適切なのかどうか、について再考して頂きたいと思います。
正直、こんな不正の絶えない競馬場なんかに金を落とさずとも、世の中にはその他に沢山の地方競馬場がありますし、中央競馬もボートも競輪もオートもありますよ。
日本で数少ないカジノの専門研究者。ネバダ大学ラスベガス校ホテル経営学部首席卒業(カジノ経営学専攻)。米国大手カジノ事業者グループでの会計監査職を経て、帰国。2004年、エンタテインメントビジネス総合研究所へ入社し、翌2005年には早稲田大学アミューズメント総合研究所へ一部出向。2011年に国際カジノ研究所を設立し、所長へ就任。9月26日に新刊「日本版カジノのすべて」を発売。
中国政府は今年10月、「体育産業の発展と消費促進に関する意見」を発表し、現在3100億元(約5兆9400億円)前後のスポーツ産業規模を、2025年までに5兆元(約95兆7300億円)まで拡大する方針を打ち出した。習近平国家主席(61)がご執心のサッカーの強化、競技人口の拡大が期待されているが、もう一つ、中国国内で話題となったスポーツ産業がある。現在、中国では基本的に認められていない「競馬」だ。
組織発足イベント
9月22日、北京市内の全国政治協商会議札堂で、ある組織の発足イベントが開かれた。その名は「中国競馬会」。北京出身で英国籍を取得したという女性が事務長を務めるこの組織は、来年7月に上海市、10月に北京市の周辺で、国際レースを開催する計画を発表した。中国政府が公認するスポーツくじ「体育彩票」の一つとして、「馬券」も販売されるとの触れ込みだった。
当初は中国の一部メディアが報じただけで、国民の関心度は低かった。ところが、中国共産党機関紙、人民日報(海外版)が、なぜか約1カ月遅れの10月16日にこのニュースを報じると、一気に注目が集まり、関連企業の株価が急騰するという現象まで引き起こした。
発足イベントでは主催団体として、中国国際経済交流センター、国務院(政府)参事室などが名を連ねた。宣伝資料には、中国馬業協会の高級顧問を務める胡耀邦(こようほう)元総書記(1915~89年)の三男、胡徳華氏が「中国競馬会栄誉主席」と紹介されていたといい、さも政府公認の組織のような印象を与えたが…。
■「三無」「違法」と批判
競馬解禁かと色めき立ったのもつかの間、国務院参事室は10月21日に「中国競馬会に関する活動には参加したことがない」との声明を発表。胡徳華氏も、栄誉主席への就任を否定した。「中国競馬会」は一転して、「合法的な登記」「彩票部門の支持」「合法的な公的ネットワーク組織」がない「三無組織」「違法組織」と批判されるようになった。
中国には現在、馬に関し、農業省が管轄する「中国馬業協会」と、国家体育総局が管轄する「中国馬術協会」の2つの組織が存在する。馬業関係者は中国紙、南方週末に対し、「2つの協会はともに、この件(競馬)を行いたいと思っているが、誰も成し遂げていない」と語っている。
実は、湖北省の省都、武漢市にある商業総合施設「東方馬城」には、国際基準を満たした競馬場がある。毎年、行っている武漢国際競馬祭は今年で12回目を数える。10月末に開催された今年の競馬祭には、武漢市民2万人が訪れたという。競馬同様、着順を予想するシステムはあるが、換金はできない。景品としてスマートフォンや自転車が渡され、「賭博行為」と見なされないよう、細心の注意が払われている。
■一大ブームの可能性
胡徳華氏が南方週末に語ったところでは、「以前は馬券を誤解し、帝国主義、資本主義のものだと認識していた」という。過去二十数年の間、実験的に行われた競馬は、例外なく失敗に終わってきた。しかし、今回の“騒動”は、「競馬」の潜在能力を認め、その解禁を期待する中国国民が少なくないことを物語っている。
中国メディアの「華股財経」は11月末、「中国が馬券を発行することは、大勢の赴くところだ。政府の独占的なコントロールの下、経済と社会に巨大な効果と利益をもたらすことができる。時代の発展の需要であり、馬券の解禁はすでにその基礎ができている」と分析。政府主導で競馬産業を作り上げる道筋を提案している。
ギャンブルが禁止されている中国だが、政府公認の宝くじのほか、闇のサッカーくじなど賭博にはまる国民も少なくないとされる。競馬が解禁された場合、一大ブームが起こる可能性は高い。
「中国競馬会」が主張するように、収益が全て国の財政に組み込まれて慈善事業などに充てられるとすれば、国家にとっても、国民にとっても悪い話ではない。現在、既存団体などと“泥仕合”を演じている「中国競馬会」だが、競馬解禁という「中国の夢」に向け、一石を投じたことは間違いない。(中国総局 川越一)
大変危険で違法なドラッグです!
「合法と言われているものは安全」「法規制されていないものだと言われた」―実は、すべて「違法」です。
「合法ドラッグ」「脱法ハーブ」などと称して販売されるため、あたかも身体影響がなく、安全であるかのように誤解されていますが、大麻や麻薬、覚醒剤などと同じ成分が含まれており、大変危険で違法なドラッグです。
何が危険なの?
危険ドラッグには、既に規制されている麻薬や覚醒剤の化学構造を少しだけ変えた物質が含まれており、体への影響は麻薬や覚醒剤と変わりません。それどころか、麻薬や覚醒剤より危険な成分が含まれていることもあります。
実際はどんな危険性があるのか、わからないのです。
麻薬と危険ドラッグ
ちょっと化学構造を変えているだけで、体への影響は麻薬と同じ又はそれ以上です。
用途を偽って売られています
危険ドラッグは、法の網をくぐりぬけるために「お香」「バスソルト」「ハーブ」「アロマ」など、一見しただけでは人体摂取用と思われないよう目的を偽装して販売されています。色や形状も様々で、粉末・液体・乾燥植物など、見た目ではわからないように巧妙に作られています。
デザインされたパッケージやカラフルな液体は、危険な薬物に見えないため、キレイ、かっこいいという印象を持ってしまいますが、中身は売っているほうもわからない恐ろしい薬物です。「合法」や「安全」という言葉を信用してはいけません。
「お香」の例
「バスソルト」の例
「ハーブ」の例
「アロマ」の例
「脱法ハーブ」も麻薬・覚醒剤と同様、危険な薬物です
いわゆる「脱法ハーブ」は、乾燥植物に、大麻に似た作用を持つ薬物(合成カンナビノイド)を混ぜ込んで造ったものです。大麻などの規制薬物よりも毒性が高い可能性があるほか、商品によって含有量が異なるため、体に及ぼす影響がわからず大変危険です。料理で使う「ハーブ」やポプリ(芳香剤)ではありませんので、だまされないようにしましょう。
死んでしまうことも!!
危険ドラッグの成分や含有量は商品によってまちまちであり、吐いたり、意識を失ったり、暴れたりなど、様々な健康被害が報告されています。
最悪の場合は死に至ってしまうこともある危険なドラッグです。病院に救急搬送されても、成分がわからないため適切な治療ができないこともあり、大変危険です。
一度の使用が人生を台無しに
いわゆるドラッグの類は、一時的にいい気分になると言われていますが、その作用が切れたときの絶望感や不安感は、耐えられないほどに強いので、それから逃れるために、またドラッグに手を出してしまい(依存)、次第に自分の意志では止められなくなってしまいます。
また、繰り返し使用していると、一回に使う量がどんどん増えていきます(耐性)。こうなると、薬物欲しさに暴力事件を起こしたり、窃盗などの犯罪に手を染めるなど、薬物無しでは生活できなくなります。
さらに、いったん薬物依存症に陥ると、治療には長い期間が必要となります。その間に家族や友人を失ったり、若い人は将来が閉ざされ、一生を台無しにしてしまいます。
摂取による心身への影響
危険ドラッグに含まれる成分は、どれも脳に強く作用します。
また、使用量が増えるほど心身にはダメージが残り、
実際に無いものが見える・聞こえる(幻覚・幻聴)
ぐったりする(疲労感・倦怠感)
集中して勉強できなくなる(学習能力の低下)
など、様々な影響が出始めます。
事件、事故の例
危険ドラッグは、使用した本人が死亡してしまったりするだけでなく、他人を事件や事故に巻き込む可能性もあります。
具体的な事例
東京都豊島区 池袋駅周辺で脱法ハーブを吸った男の乗用車が暴走、歩行者一人死亡、七人にけがを負わせた(2014年6月)
東京都北区 脱法ハーブを吸って車を運転し、車やバイクにぶつかり、二人にけがを負わせた(2014年7月)
東京都練馬区 脱法ハーブを吸って小学校に乱入、女子児童を追いかけまわして
一人にけがをさせた(2012年10月)
東京都渋谷区 脱法ハーブを吸った20代女性が意識不明の状態で見つかり、その後死亡した(2012年11月)
東京都吉祥寺 路上で女性が刺殺された事件で逮捕された少年の所持品から、
脱法ハーブが発見された(2013年3月)
体験談
※実際に薬務課に寄せられた相談を一部加工して掲載しています。
私は数年前に、面白半分で脱法ハーブを吸い始めました。
脱法ハーブを吸うと、身体の中に大津波が来ているような感覚になり、自分をコントロールすることができない状態に陥ります。身の危険を感じたほどです。
友人が使って、死にかけたのを見たときは、警察にバレるのが怖くて、救急車を呼ぶことができませんでした。こういう人は、他にもたくさんいると思います。
脱法ハーブは、吸った人自身はもちろん、周りの人にも危害を及ぼす薬物です。私は、これまで経験した「記憶」から、二度と辛い思いをしたくない、という気持ちになり、脱法ハーブをやめることができました。
規制が追いついていなくても、危険なものであることに変わりはないので、世の中に出回ることがないよう、対策をとってください。
ダルクとは
ダルク(DARC)とは、ドラッグ(DRUG=薬物)のD、アディクション(ADDICTION=嗜癖、病的依存)のA、リハビリテーション(Rihabilitation=回復)のR、センター(CENTER=施設、建物)のCを組み合わせた造語で、覚醒剤、有機溶剤(シンナー等)、市販薬、その他の薬物から解放されるためのプログラムを持つ民間の薬物依存症リハビリ施設です。
入寮し、同じ悩み(病気)を持つ仲間とフェローシップの中で回復するために、場所の提供をし、12ステップによる今までとは違う生き方をする練習の場でもあります。
施設ではミーティング(グループセラピー)をダルク又は、自助グループへの参加により1日に2回、午後はレクリエーションで、山登り、ソフトボール、スポーツジム、温泉、など“薬物を使わないで生きる”ここからスタートします。
そして、そのことを毎日続けることによって、薬を使わないクリーンな生き方をし、成長していくことが回復となります。
ダルクでは、自助グループの参加や、医療機関との連携も、かかせないプログラムの一環として行っております。
スタッフは全員が薬物依存者です。新しい入寮者は仲間です。薬物依存者同士、病気の分かち合いをしながら回復、成長し使わない生き方の実践をしていきましょう
千葉ダルクは2003年の4月、千葉県松戸市に就労プログラムを目的としたスリークォーターハウスとして開設しました。3年間活動していく中で千葉県下初のダルクということもあり相談者の来所、メッセージの依頼も年々増え続ける中、千葉県全域での活動や医療、行政との連携の取り易い千葉市中央区に2006年5月移転しました。
新しい施設はミーティングルームと事務所を充実させ、千葉市の中央区という環境から、今後も就労プログラムを中心とした活動を続けていきます。
入 寮 書
千葉ダルクでは、営利を得るための団体でも、宗教活動でもありません。千葉ダルクは薬物依存者が、回復と成長する為の治療共同体です。ダルク側の一定の判断と手続きを得れば、どんな薬物依存者でも入寮する事が出来ます。この共同体では、どんな薬物依存症者であっても決して差別されたり、軽蔑されることもありません。薬物依存者には愛する事は無論、社会的責任をとる能力さえもありません。千葉ダルクの第一の目的はクリーン(薬物を使わないで生きること)を保ち社会へ戻る為の手助けをする事です。この共同体では一人の薬物依存症者の回復と成長に約1年以上のプログラムを設定しています。共同体は矯正施設でも精神病院でもありません。共同体は家族のような仲間達です、この新しい仲間達を通して新しい自分の生き方を見つけていきます。以上の事が千葉ダルクでの治療共同体を意味しています。施設側として入寮者には特に何も教えません、プログラム(ミーティング)を通してそれぞれの責任と命の重たさを学んでいきます。自分自身を注意深くみられる事ができ平安な生活を保つことができます、そのためには薬物依存症者には忍耐が必要となります。この共同体では薬物を使わずに社会生活を送りながらNA(自助グループ)を通して自分自身がプログラムを行い自立します。
施設の規則
1・薬物、暴力、セックスの問題があった時点で退寮になります。
2・自分の身体、衣類、部屋、ハウス全体を常に清潔に心かけて
頂きます。
3・生活費以外の金銭は施設側が管理します。
4・一定の期間が過ぎたら社会参加して頂きます。
5・プログラムは身体の異常が無い限り行って頂きます。
6・清掃、食事は入寮者が当番を決めて行います。
7・退寮の場合、本人の荷物は1週間は管理しますが、それ以上過ぎ
た場合は処分する事をご了承願います。
8・入寮中は中途退寮であっても入金の際に1ヶ月のプログラムを設定
する為お返し致しません。
ダルクとは覚醒剤、シンナー、市販薬その他の薬物依存症から回復するための民間のリハビリテーション施設です。同じ悩みを持つ仲間との共同生活やミーティングを通して 12ステッププログラムを使った新しい生き方を身に付ける場所です。
施設では1日2回のダルクミーティングと夜のNA(自助グループ)参加が基本となります。千葉ダルク・九十九里ハウスでの、ある一定期間のプログラムで生活の基本を取り戻し、自己を見つめ直す作業を(通常九ヶ月~一年程度))します。プログラムを終了した仲間達は就職活動の為に、千葉ダルク・デイケアセンターで、薬を使わない新しい生活の負担にならないアルバイトを自分の足で探し、自立に向けた就労プログラム(通常三ヶ月~六ヶ月程度)を始めます。
その他、地域でのボランティア活動や他の自助グループや医療機関との連携をとりながらメンバーのケアーを行っています。
また施設長始めとするスタッフは全員リカバードカウンセラー(薬物経験者)で新しい入寮者を同じ悩みを抱える仲間としてサポートしていきます。薬物依存者どうし回復と成長の為に新しい生き方を実践していきましょう。
事業内容
薬物依存症リハビリテーション入寮・通所施設
職員 :スタッフ4名
入寮費 :初回月18万円
次月以降(月額)16万円
入寮期間 :基本は13ヶ月
入寮者定員 :
千葉ダルク デイケアセンター (8名)
九十九里ハウス (10名)
南房総ハウス (12名)
計30名
相談業務 :午前10:00~午後17:00まで
家族会案内 :地域のナラノン・アラノンの地図等の資料を提供致します。
曜日
午前
(9:00~11:00)
午後
(13:30~15:00)
自助グループ
(NA)
月
ミーティング
ミーティング
秋元クリニック
火
ミーティング
ミーティング
下総HPメッセージ 第1・3
※九十九里ハウス合同
千葉寺教会
水
ミーティング
ミーティング
市川教会
木
ミーティング
DVDプログラム
西千葉教会
金
ボランティア活動
ミーティング
市原八幡公民館
土
全体清掃
ハウスミーティング
エイサー練習
誉田公民館
日
セルフケア
セルフケア
長浦公民館
薬物依存症という『病気』から回復したいという仲間の集まる場である。その目的は薬物をやめたい仲間の手助けをすることだけである。
1. 私達、薬物依存症者は、当たり前の事(起床入浴、掃除、洗濯、就寝等)が当たり前に出来ない病気でもあります。仲間との共同生活を通して、これらの習慣を取り戻します。
2. 12ステッププログラムとミーティングを通して自分を見つめ直し、それを受け入れる新しい生き方を見つけます。
3. 私達がダルクを退寮した後も『回復し続ける為(薬を止め続ける為)』に各々自助グループに通う習慣を身につけます。
4. 各学校や関連施設等での講演、メッセージ活動を通して、薬物依存症が『病気』であると言う考え方を広く知ってもらいたいと願っています。
5. 4のメッセージ活動と共に地域ボランティア活動に参加する事で、長い間失っていた、アイデンティティや『自己の役割』(何かに自分が役にたっているのだという思い)を取り戻したいと考えています。
6. 薬物依存症者本人やその家族の相談をうけ自分の体験を元にアドバイスします。
(1)『依存症は基礎的な疾患です』………糖尿病や高血圧等の生活習慣病と同じように、見えないところで、深く静かに進んでいる病気です。
(2)『進行性の病気です』………放っておくと、どんどん悪化します。そのまま薬物の摂取を続ければ、確実に進行します。
(3)『家族を巻き込む病気です』………家族が病気を悪化させる場合もあり、家族によって回復する事もあります。治療には家族の参加も重要です。
(4)『慢性疾患です』………回復して、健康な生活に戻る事が出来ます。常に注意を払っていれば、豊かな人生を全うする事が出来ます。
(5)『伝染疾患です』………周囲の友人に、薬物使用が広がるという特徴があります。また注射する人達には、注射針からエイズや肝炎の感染もおきています。
(6)『強力に死に至る病です』………薬物を乱用する人は短命です。まず、身体を壊して早死にします。また、限界を超えた量の薬物を使って、死にます。薬理作用から事故をおこす人も、依存症に陥って発作的に自殺する人も少なくないのです。
丸善株式会社発行 「ドラック社会への挑戦」(著者 小林 榮)より抜粋
急性の中毒症状に出会うと、私達はあわてて、すぐにでも病院へと考えます。ところが、薬物を使い続けたことによって起きる、もう一つの病気『薬物依存症』の場合は、少しずつ進行するので、周囲も気づくのが遅れがちです。
依存症かどうかは、あくまでも医師の診断によって判断されるものですが、おおざっぱに言えば、『薬物使用を止めようと思っても、止められない病気』です。治療は、依存症の治療プログラムを持っている病院で行いますが、専門病院は限られているのが現状です。病院で依存症の入院治療を受けている人の大半は、アルコール依存症の患者さんですが、薬物依存症の治療プログラムと共通点が多いので、アルコール依存症の治療を行う病院では、薬物依存症の病棟や病床を持っている場合もあります。診断内容に『アルコール依存症』や『摂食障害』を揚げている病院なら可能性があります。
私達の仕事は、薬物乱用者を治療機関に連れていく事なのですが、これがなかなか厄介です。依存症は『否認の病気』と呼ばれるそうで、本人はなかなか自分が病気だと認めません。さらに、精神科の病院に対して、私達があまり具体的なイメージをもっていないことも、治療を受けにくい原因の一つではないでしょうか。『怖い』『暗い』『閉じ込められる』などといった、偏見を抱いている事が多いように思います。本人をその気にさせるには、まず家族が病院を訪ねてみるのも一つの方法です。
丸善株式会社発行 「ドラック社会への挑戦」 (著者 小森 榮)より抜粋
※千葉ダルク デイケアセンター
〒260-0841 千葉県千葉市中央区白旗3-16-7 TEL 043-209-5564
FAX 043-209-5565
≫千葉ダルク案内図
※九十九里ハウス
〒 299-4347 千葉県長生郡長生村小泉1310
TEL 0475-32-6863
【FAX兼用】
≫九十九里ハウス案内図
※南房総ハウス 〒294-0051
千葉県館山市正木562-11
TEL 0470-27-3693
【FAX兼用】
≫南房総ハウス案内図
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ダルク
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〒
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設立
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アパリ
東京都新宿区余丁町14-4
162-0055
03-5925-8848
2013
03-5925-8984
日本ダルク
東京都荒川区荒川3-33-2
116-0002
03-3891-9958
近藤 恒夫
1996
03-3891-9959
東京ダルク
東京都荒川区東日暮里3-10-6
116-0014
03-3807-9978
幸田 実
1985
03-3803-0509
東京ダルク
セカンド・チャンス
東京都台東区根岸3-18-13
水野ビル2F
110-0003
03-3875-8808
森田 邦雅
1996
03-3875-8760
ダルク女性ハウス
フリッカ・ビーウーマンに問い合わせてください。
フリッカ・ビーウーマン
東京都北区田端6-3-18-301
114-0014
03-3822‐7658
03-3822-7662
北海道ダルク
北海道札幌市中央区北1条
東6丁目10番地
060-0031
011-221-0919
森 亨
2005
011-221-0920
とかちダルク
北海道帯広市西5条南16丁目16-3
080-0015
0155-67-0911
宿輪 龍英
0155-67-0912
青森ダルク
青森県青森市小橋字田川15-1
030-1272
017-754-4577
斎藤 秀一
2012
017-754-4578
秋田ダルク
秋田県仙北郡協和町
小種字下鏡台217
019-2341
018-889-5060
平原 薫
2002
018-889-5061
仙台ダルク
宮城県仙台市青葉区上杉2-1-26
980-0011
022-261-5341
飯室 勉
1996
022-261-5340
磐梯ダルク
リカバリーハウス
福島県耶麻郡北塩原村大字大塩
ホテル大滝内
966-0402
0241-33-2111
林 潤
鶴岡ダルク
山形県鶴岡市中山字瓜沢60-4
997-7544
0235-35-3720
2007
0235-35-3720
新潟ダルク
新潟県南蒲原郡田上町大字羽生田乙241-5
959-1512
0241-33-2111
栃木ダルク
栃木県那須郡那須町豊原丙3227-2
329-3225
0287-77-7157
栗坪 千明
2003
茨城ダルク
茨城県結城市大字上山川6847
307-0021
0296-35-1151
岩井喜代仁
1992
0296-35-2448
日本ダルクアウェイク
ニィングハウス
群馬県藤岡市上日野2594
375-0047
0274-28-0311
群馬ダルク
群馬県高崎市日高町144
370-0002
027-363-3308
ポール・オーバーヘイム
027-363-3308
鹿島ダルク
茨城県鹿島群神栖町神栖1-6-26
314-0143
0299-93-2486
山本喜代彦
2000
潮騒ジョブトレーニングセンター
茨城県鹿嶋市中2773-16
314-8799
0299-69-9099
0299-69-9098
千葉ダルク・デイケアセンター
千葉市中央区白旗3-16-7
260-0841
043-209-5564
043-209-5565
千葉ダルク・九十九里ハウス
千葉県長生郡長生村小泉1310
299-4347
0475-32-6863
0475-32-6863
千葉ダルク・南房総ハウス
千葉県館山市正木562-11
294-0051
0470-27-3693
0470-27-3693
日本ダルクトゥデイ・ハウス
千葉県袖ヶ浦市野田39-9
299-0244
0438-63-5005
0438-63-8998
市原ダルク
千葉県市原市金沢451-5
290-0233
0436-92-0616
0436-92-0616
館山ダルク
千葉県館山市長須賀196
294-0037
0470-23-5210
十枝晃太郎
埼玉ダルク
埼玉県さいたま市浦和区
常盤6-4-12
330-0061
048-823-3460
辻本俊之
048-823-3461
八王子ダルク
東京都八王子市1-8-25
193-0931
042-686-3988
042-686-3988
相模原ダルク
神奈川県相模原市中央区相模原6-23-9-F
252-0231
042-707-0391
2014
042-707-0392
女性シェルターとちぎ
2002
横浜ダルク
神奈川県横浜市南区宿町2-44
232-0017
045-731-8666
坪倉洋一
1990
045-743-4029
川崎ダルク
デイケアセンター
神奈川県川崎市中原区新城4-1-1
新城NHビル2F
211-0044
044-798-7608
相良 聡
2005
044-798-7601
MACロイハウス
神奈川県川崎市大島3-35-10
210-0834
044-266-8744
044-288-0322
長野ダルク
長野県上田市蒼久保1522-1
386-0155
0268-36-1525
山梨ダルク
山梨県甲府市伊勢4-21-1 清水ビル
400-0856
055-223-7774
2008
055-267-8874
山梨ダルク 富士サポートセンター
山梨県富士吉田市新倉917-1
403-0011
055-72-8652
2009
055-72-8654
静岡ダルク
静岡県田方郡函南町畑毛205-5
419-0111
055-978-7750
藤村 現
2006
スルガダルク
静岡県静岡市駿河区中原808-2
422-8058
054-283-1925
三河ダルク
愛知県豊橋市新吉町73 先大手ビル
440-0871
0532-52-8596
名古屋ダルク
愛知県名古屋市北区長田町4-67
462-0834
052-915-7284
外山 憲治
1989
三重ダルク
三重県津市丸の内1-16
514-0033
059-222-7510
市川岳仁
1999
059-222-7510
富山ダルク
富山県富山市岩瀬古志町19-1
931-8371
076-407-5777
林 敦也
2008
076-407-5778
岐阜ダルク
岐阜県岐阜市長住町7-3
500-8175
058-251-6922
遠山 香
2005
058-251-6922
びわこダルク
滋賀県大津市丸の内町8-9
520-0813
077-521-2944
猪瀬 健夫
2003
077-521-2977
京都ダルク
京都市伏見区深草出西浦町6-1-2 サンリッチ西浦1F
612-0029
075-645-7105
2003
075-645-7105
木津川ダルク
京都府木津川市木津内田山117
619-0214
0774-51-6597
加藤 武士
0774-51-6597
大阪ダルク
大阪市淀川区下新庄4-21-A-103
533-0021
06-6323-8910
倉田 めば
1993
06-6323‐8910
鳥取ダルク
鳥取県岩美郡岩美町牧谷645-4
681-0001
0857-72-1151
千坂 雅浩
2005
岡山ダルク
岡山県瀬戸内市邑久町福中477
701-4244
0869-24-7522
0869-24-7523
和歌山ダルク
和歌山県和歌市秋葉町5-6
641-0056
073-499-5353
和高 優紀
2006
073-499-5353
広島ダルク
広島市中区千田町1-9-43
広島市社会福祉センター地下1階
730-0052
082-258-1256
082-258-1256
香川ダルク
080-3994-4173
高知ダルク
高知県高知市春野町芳原615-1
718-0311
088-837-9070
立川 久永
1997
088-837-9070
高知女性ハウス”ちゃめ”
718-0311
090-7787-1910
宮本 容子
1997
長崎ダルク
長崎県長崎市宝町9-14 三愛ビル201
850-0045
095-848-3422
中川 賀雅
2007
095-848-3422
宮崎ダルク
宮崎県宮崎市西池町11-36
880-0027
0985-38-5099
戸山 実香
1995
ダルク
女性ハウス・九州
宮崎県宮崎市西池町11-36
(宮崎ダルク気付)
880-0027
0985-38-5099
戸山 実香
1996
0985-38-5099
大分ダルク
大分県大分市高松2-4-30
870-0917
097-574-5106
川又 窓一郎
1997
097-574-5106
北九州ダルク
リカバリーセンター
福岡県北九州市小倉北区片野1-1-48
リビオン片野601
802-0064
093-923-9240
伊藤 弘行
1997
北九州ダルク
デイケアーセンター
福岡県北九州市小倉北区片野1-1-48
リビオン片野601
802-0064
093-923-9240
九州ダルク
福岡県福岡市美野島2-5-31
812-0017
092-471-5140
092-471-5140
佐賀ダルク
佐賀県佐賀市北川副町大字光法1648
840-0012
0952-28-0121
熊本ダルク
熊本県熊本市北千反畑1-9古荘ビル201号室
860-0855
096-345-1713
田辺 忠司
鹿児島ダルク
鹿児島県鹿児島市平之町3-2丸和ビル1Fー101号
892-0848
099-226-0116
戸山 実香
099-226-0116
沖縄ダルク デイケアー
沖縄県宜野湾市伊佐1-7-19
901-2215
098-893-8406
森 広樹
1994
歌手ASKAや元タレントの田代まさしさんらの薬物事件に関連して目にする言葉がある。依存者のリハビリ施設「ダルク」だ。覚せい剤や危険ドラッグが社会問題になる中、ダルクで働く人たちはどのように依存者と向き合っているのか。社会復帰へ導く“再生人”の一日に密着した。
房総半島南端の千葉県館山市にある「館山ダルク」。施設長の十枝(とえだ)晃太郎(44)と一緒に事務所の外を歩いていると、コンビニ袋を提げた入寮者の男性とすれ違った。男性は別の入寮者と「ヤツを殴るか、俺がダルクを出て行くか」と殴り合い寸前の大げんかをしたばかり。十枝が歩み寄って「大丈夫か、本当に大丈夫か」と声を掛けると、男性はバツが悪そうに笑った。
入寮者は43人。全員男性で3カ所に分かれて共同生活を送っている。依存者にとって大事なことは「クスリに手を出さずに一日を終えた」という達成感。「やるか、やらないか」の二者択一に陥りがちな入寮者のケアには常に注意を払っている。
取材当日は、ダルクの女性版「S.A.R.S(サーズ)千葉」で勉強会が開かれていた。“生徒”のアイ(仮名)は未成年。危険ドラッグを吸って失神し、気づいた時には病院にいた。クスリを断って4カ月になるが、表情はうつろだった。
十枝が教えたのは、依存者の思考や行動を改善するプログラムを12段階に分けて実践させる「12ステップ」の第1段階。アルコール依存者に例えて、依存症は心の病ではなく身体的な原因があると強調。「みんな最初は“人に迷惑を掛けた”と自分を責める。でも、本当はアイちゃんが悪いんじゃなくて、体が悪い。だから、また危険ドラッグを吸ったら同じことを繰り返す」とクギを刺した。
講義開始から30分。「きょう一緒にクスリをキメようぜ?って言い寄ってくる男って素敵でしょ」と投げかけると、アイは初めて笑った。十枝が「でも、クスリを断って一生懸命働いてる人はもっと素敵じゃない」と続けると、大きく首を縦に振った。
自身も深刻な薬物依存者だった。
母は歌手の千葉マリア(66)。物心つく前に両親が離婚し、都内の定時制高校は素行不良で中退。19歳で大学生の友人に誘われ大麻に手を染めた。「全ての原因は無知だったこと。家庭環境は関係ない」。95年2月に、23歳で大麻取締法違反で逮捕。涙に暮れる千葉をよそにクスリを使い続けた。覚せい剤で飽き足らず、30歳でLSDを吸うため渡米。体は痩せ細った。当時のことを千葉は「98歳ぐらいの死にかけた老人のようだった」と振り返る。
治療のため都内の精神科病院に入院し、体をベッドの上で固定され、電気ショックを受けたことも。1カ月で退院したものの、投薬治療の副作用でうつ状態になった。医師に「覚せい剤を吸いたいから似た成分の薬をください」と相談したこともあった。実家に経済的な余裕が無くなり、社会への復帰を決意。02年に沖縄ダルクへ入寮し、2年半のリハビリでクスリとの縁を断ち切った。
05年、館山ダルクの前身施設で所長を務め、10年から館山市に移転した。独自に導入した酸素カプセルの中ではDVD観賞ができ、サーズと合同でバーベキューを定期的に開く。夏には海水浴やサーフィンも。全ては入寮者に依存以外の楽しみを知ってもらうため。
共同生活をまとめるリーダーを入寮者の中から指名し、酸素カプセルが置かれた部屋の管理も入寮者に任せている。仲間の役に立つ実感を得て自立心を高める狙いがある。十枝は「僕らは見守ることしかできないが、信頼を取り戻すために必死でやったつもり」と胸を張る。
クスリを断って12年になる自身でさえ「あしたはどうか分からない。きょう一日を過ごすのに精いっぱい」と打ち明ける。十枝には妻と1歳の息子がいる。住む家も自家用車もある。全てクスリをやめて手に入れることができた。それでも、依存症の恐怖は生涯付きまとう。
取材を終えて、事務所にあった予定に目を向けると、空白が目立っていた。あえて予定は入れないようにしているという。「僕らは人より体を酷使しすぎた。だから、人一倍、心身の“メンテナンス”に充てる時間が必要なんです」。十枝は職員に事務所を任せ、机の上にあったコーラをグイッと飲み干し一足先に帰路へ就いた。時計のはりはまだ午後3時半を回ったばかりだった。(敬称略)
最終更新:4月13日(月)13時47分
昨年7月、覚醒剤取締法違反で3年6月の刑期を終え、東京・府中刑務所から出所した田代まさし(58)。今年2月、薬物依存者のための回復支援民間施設「ダルク(DARC)」に入り、スタッフとして勤務。3月には「マーシーの薬物リハビリ日記」の出版記念イベントを開催し、久々に公の場へ姿を見せて話題になった。そんな田代にあらためて話を聞いた――。
■この十字架を一生背負っていこうと
覚醒剤をやる人ってよく「軽い気持ちで」というけど、最初に覚醒剤をやったときは全然ハマらないから「こんなもんか」で終わっていた。自分では「オレほど体にクスリが合う人間はいない」と思っていたほどでした。でも、だんだん快感の反動の苦しみから逃れるためにやるようになったんです。
出所後に更生プログラムを受けて、今は「ダルク」のスタッフとしても働いています。日課は朝に掃除をしてコーヒーを沸かしたり、「田代さんの取材をしたい」という電話をオレが受けて、オレが断ったり(笑い)。親が薬物依存の子供を連れて「ダルクという施設を見たい」と相談を受けることもある。
「ダルク」に来てオレにも居場所があると思えるようになった。この年で刑務所に2回も行ってたら世の中、居場所なんてないからね。前に捕まったときは「早くこの過去を消したい」と思ってたけど、今はこの十字架を一生背負っていこうと思える。
「ダルク」のプログラムで教わるのは「今日一日だけクスリをやめよう」ということ。08年にマスコミの前で「もう大丈夫、やめました」と言ったときは、自分の意志と根性でやめるものだと思ってたけど、今は「本当にクスリやめたんですか」と聞かれたら「いや、お約束できない」と言えるようになった。今日も一日やらないで済んだ、その積み重ねしかないと気付きました。
■志村さんの楽屋に土下座しに行ったら…
捕まるたびに周りの人を傷つけてきたけど、リーダー(「ラッツ&スター」鈴木雅之)もそのひとり。去年、出所してすぐリーダーやメンバーには謝罪メールを送り続けていたけど、全然返信が来なかった。
でも、正月明けになってリーダーから、「日本は1回は許すお国柄だ。2度3度になるとみんなの信用を取り戻すのは難しい。でもお前には一生懸命生きてほしい。歩幅は狭いかもしれないけど、一歩一歩ちょっとずつ前に進んでほしい。いつもそばで見守っています」という返信が来ました。
リーダーにはまだ会ってはいません。他のメンバーとは電話で話したかな。前回の出所後(09年)は他のメンバーと食事して「もう十分だろ」なんて言われてたんだけど……。
志村(けん)さんに会ったのも前回の出所後。「だいじょうぶだぁ」のDVDが出るとき、楽屋に土下座しに行ったら、師匠が「見てみな」って言うから、何かと思って顔上げたら、楽屋のテレビでのりピー(酒井法子)の公判のニュースがやっていて。「おまえはドラマチックだなあ」って言われたね。
久々に一緒に写真を撮らせてもらって、その後スタジオ見学をさせてもらったら「ダチョウ倶楽部」もいて、上島竜兵が何回もオレのところに来て「今日、このスタジオに田代まさしが来てるらしいですよ」って。「オレだよ!」って何度言ったか。
志村さんは僕のことをかわいがってくれていて、番組の損害賠償も「今回はいいから」と言ってくれた。それでも他から1億円くらい請求されて、家と車を売って保険を解約して半分(4、5000万円)返して、事務所が「田代くんのおかげで潤ったので半分は面倒みます」と言ってくれたけど、まだ2000万円くらい借金がある。ココ(ダルク)で言うのもアレだけど、給料は厳しいもんなので……。
最終更新:4月15日(水)12時33分
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