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【俳優で歌手の武田鉄矢さんが売れなかった頃のお話】青空と向日葵の会

【俳優で歌手の武田鉄矢さんが売れなかった頃のお話】
 
武田さんは、子どものころからコンプレックスの塊だったそうです。
貧しいタバコ屋の息子で、服はいつも同じ物。
胴長、短足。
高校時代のあだ名は「バケモノ」。
女の子にモテるわけがありません。
 大学を出て、仲間と海援隊というバンドを結成。
自らの半生と母への思いを歌った「母に捧げるバラード」が大ヒットしますが、その後は不遇の時代が続きます。
生活は逼迫(ひっぱく)し、才能に疑問を感じ、いつもコンプレックスに悩まされていました。
 
そんな武田さんが、コンプレックスとのつき合い方を学んだのは、高倉健主演の『幸福の黄色いハンカチ』という映画に出演し、山田洋二監督からしごかれたのがきっかけだそうです。
下痢をして、ディッシュペーパーをもっていくシーンがありました。
武田さんは、おしりを押さえて一所懸命に走る演技をします。
おかしさのあまり、まわりの人はワッと笑いました。
ところが、山田監督からは君のいまの演技には下品な心があると言われます。
 
そのシーンのやり直しが、15,6回も続くと、さすがに武田さんはひとり落ち込みました。
日頃のコンプレックスが噴出してきて、また明日撮影所にいかなければと思うと、怖くて毎晩酒を飲んだそうです。
 
そんなとき、尊敬する高倉健さんから声をかけられました。
「おまえはいいな。監督はずっとおまえしか見ていない。監督ってのは、伸びるからしごくんだよ」
 武田さんは、健さんのこの言葉に救われます。
 
「ぼくにとってコンプレックスは吹き飛ばすというようり、上手につきあっていくものです。片方の天秤にコンプレックスがあり、もう一方の天秤にうれしい想い出を積み、バランスをとる生き方をつかんだのです」
武田さんは、健さんのやさしくうれしい言葉をもう片方の天秤にそのせて立ち直り、この役を見事に演じきったのです。
 (人の心に灯をともす)より
 
「愛の反対は、無関心。関心を持つことは愛だと思います。はい。」
高倉健さんの言葉だ。マザー・テレサも同じことを言っている。
まったく関心がなければ、人は人を無視する。「関心を持つことは愛」
厳しく叱責(しっせき)されたり、しごかれたとき、そう思えたら少し心が楽になる。健さんのやさしさが心に沁(し)みる。