「才能がなくても、努力をすれば夢が叶う」

ある女の子の物語です。

その子は小さい頃から
股関節脱臼をくり返して、
さらに小学校5年生のときに...
交通事故にも遭っていました。

でも、高校で陸上部へ入部。

そして卒業後も、走ることを続けたいと
彼女は実業団入りを考えます。

しかし、入れるわけがありません。

そんなときに助けてくれたのが、
友人のひとことでした。

「リクルートという会社に、
 新しく陸上部ができた。

 今5人ぐらいいるけど、
 走りたい子をほしがっている。
 
 誰でもいいみたいよ。」

でも、もちろん誰でもいいわけでは
ありませんでした。

彼女は断られます。

それもそのはず。

彼女はそのへんの中学生や高校生よりも、
足が遅かったのです。

当時の監督とその子の会話です。

「ところで国体何位?」

「すみません、でてないんですけど」

「あ、そうか、インターハイ何位?」

「インターハイ、でてないんですけど」

「あ、そう、そうか、あと何があるかなぁ。
 京都の駅伝、高校の時あったでしょう?」

「3年間補欠だったんですけど」

監督はこのときのことをこう語っています。

「実績がないから
 しばらく放っておいたんです。

 でもしつこいんですよ、あいつ(笑)
 何回も電話をかけてくる。

 さらに大学の先生の紹介状まで
 書かせてきて
 その先生が僕の知り合いだった」

ひとまずその子を練習で走らせてみると・・

案の定、
みんなの最後をトコトコ走っている。

でもその子は、監督にこういいました。

「私はオリンピックで走るために
 この会社に入りました。

 そのためだったら
 どんな練習にも耐えます。

 私は他の人が1時間練習するなら、
 2時間頑張れます」

そこらの高校生よりも遅かったという
彼女の名前は、
あの有森裕子さん。

この後に、オリンピックで
メダルを獲得するほどに成長しました。

日本の陸上競技女子選手で、
オリンピックで2大会連続で
メダルを獲得できたのは、彼女だけです。

そして、有森裕子さんが
リクルートで出会った監督は、

後に、鈴木博美選手、
高橋尚子選手も輩出した、
あの、小出義雄監督でした。
 
 
「初めて自分で自分を褒めたいと思います」

という名言を残した有森選手。

彼女の、何にも屈しない志が
名監督との出会いをひきよせ、

誰にも負けない努力が、
メダル獲得の夢を実現させたんですね。
 
 
「才能がなくても、努力をすれば夢が叶う」

ということを彼女は教えてくれました。