「ゾウのはな子が教えてくれた 父の生き方」

 本日5月5日は、男の子のいる家では
「兜」「こいのぼり」「五月人形」を
 飾ったりする【こどもの日】ですね! 

 古来は、5月5日は
「端午の節句」といって、男の子の
 健全な成長を祝う日でしたが、
 国民の祝日法(1948年)によって
「こどもの日」として親しまれるように
 なったそうです。 

 そこで本日は、日本の子供たちに
 ぜひゾウを見せたいと、タイ国と
 交渉が行われ、戦後初めて
 日本へとやってきたゾウのはな子を
 巡る感動エピソードを特別配信
 させていただきます!!
 
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 武蔵野の面影を残す雑木林に
 囲まれた東京・井の頭自然文化園に、
 今年還暦を迎えるおばあちゃん
 ゾウがいます。
 
 彼女の名前は「はな子」。
 私が生まれる以前の昭和24年に、
 戦後初めてのゾウとして日本に
 やってきました。
 
 当時まだ2歳半、体重も1トンにも
 満たない小さくかわいい彼女は、
 子どもたちの大歓声で迎えられました。
 遠い南の国、タイからやって来た
 はな子はたちまち上野動物園の
 アイドルとなりました。
 
 ところが、引っ越し先の井の頭
 自然文化園で、はな子は思いがけない
 事故を起こします。
 深夜、酔ってゾウ舎に忍び込んだ男性を、
 その数年後には飼育員を、
 踏み殺してしまったのです。

「殺人ゾウ」――。
 皆からそう呼ばれるようになった
 はな子は、暗いゾウ舎に4つの足を
 鎖で繋がれ、身動きひとつ
 取れなくなりました。

 かわいく優しかった目は人間不信で
 ギラギラしたものに変わって
 しまいました。

 飼育員の間でも人を殺した
 ゾウの世話を希望する者は
 誰もいなくなりました。
 
 空席になっていたはな子の飼育係に、
 当時多摩動物公園で子ゾウを
 担当していた私の父・山川清蔵が
 決まったのは昭和25年6月。
 それからはな子と父の30年間が
 始まりました。

「鼻の届くところに来てみろ、
 叩いてやるぞ!」

 と睨みつけてくるはな子に
 怯むことなく、父はそれまでの経験と
 勘をもとに何度も考え抜いた結果、
 着任して4日後には一か月以上
 繋がれていたはな子の鎖を
 外してしまうのです。

 そこには

「閉ざされた心を
 もう一度開いてあげたい」、

「信頼されるにはまず、
 はな子を信頼しなければ」

 という気持ちがあったのでしょう。
 
 父はいつもはな子のそばにいました。
 出勤してまずゾウ舎に向かう。
 朝ご飯をたっぷりあげ、
 身体についた藁を払い、
 外へ出るおめかしをしてあげる。

 それから兼任している
 他の動物たちの世話をし、
 休憩もとらずに、暇を見つけては
 バナナやリンゴを手にゾウ舎へ
 足を運ぶ。話し掛け、触れる……。

「人殺し!」
 
 とお客さんに罵られた時も、
 その言葉に興奮するはな子に
 そっと寄り添い、
 はな子の楯になりました。

 そんな父の思いが通じたのか、
 徐々に父の手を舐めるほど
 心を開き、元の体重に
 戻りつつありました。
 
 ある日、若い頃の絶食と
 栄養失調が祟って歯が抜け落ち、
 はな子は餌を食べることが
 できなくなりました。

 自然界では歯がなくなることは
 死を意味します。
 なんとか食べさせなければという、
 父の試行錯誤の毎日が始まりました。
 
 どうしたら餌を
 食べてくれるだろうか……。
 考えた結果、父はバナナやリンゴ、
 サツマイモなど100キロ近くの
 餌を細かく刻み、丸めたものを
 はな子に差し出しました。

 それまで何も食べようと
 しなかったはな子は、
 喜んで口にしました。
 食事は1日に4回。1回分の餌を
 刻むだけで何時間もかかります。
 それを苦と思わず、いつでも
 必要とする時にそばにいた父に、
 はな子も心を許したのだと思います。
 
 定年を迎えるまで、父の心は
 ひと時も離れずはな子に
 寄り添ってきました。
 自分の身体ががんという病に
 蝕まれていることにも気づかずに……。
 
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 はな子と別れた5年後に
 父は亡くなりました。
 後任への心遣い、はな子への
 けじめだったのでしょう。

 動物園を去ってから、
 父はあれだけ愛していたはな子に
 一度も会いに行きませんでした。

 思えば父の最期の5年間は、
 はな子の飼育に完全燃焼した後の
 余熱のような期間だったと思います。
 飼育員としての父の人生は、
 はな子のためにあったと
 言っていいかもしれません。
 
 家にじっとしていることもなく、
 自分の子どもより
 ゾウと一緒にいる父に、

「なんだ、この親父」

 と反感を持つこともありました。
 
 ところが家庭を顧みずに
 働く父と同じ道は絶対に
 歩まないと思っていたはずの私が、
 気がつけば飼育員としての道を
 歩いています。

 高校卒業後、都庁に入り
 動物園に配属になった私は、
 父が亡くなった後に
 あのはな子の担当になったのです。
 
 それまでは父と比べられるのがいやで、
 父の話題を意識的に避けていた
 私でしたが、はな子と接していくうちに
 ゾウの心、そして私の知らなかった
 父の姿に出会いました。 
 
 人間との信頼関係が壊れ、
 敵意をむき出しにしたゾウに
 再び人間への信頼を取り戻す。
 その難しい仕事のために、
 父はいつもはな子に寄り添い、
 愛情深く話し掛けていたのです。

 だからこそ、はな子はこちらの
 働きかけに素直に応えてくれる
 ようになったのだと思います。

 一人息子とはほとんど話もせず、
 いったい何を考え、何を思って
 生きてきたのか、生前は
 さっぱり分かりませんでしたが、
 はな子を通じて初めて
 亡き父と語り合えた気がします。
 
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「ゾウのはな子が教えてくれた
 父の生き方」
 
 山川宏治
(東京都多摩動物公園主任飼育員) 

こどもの日


国民の祝日に関する法律によると、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日とのこと
お母さんへの感謝を忘れてはいけませんね!