1960年代後半に「想い出の渚」などのヒットを飛ばしたバンド「ザ・ワイルドワンズ」のリーダーで、作曲家・音楽プロデューサーの加瀬邦彦(かせ・くにひこ)さんが21日、死去した。警視庁によると、自殺とみられる。74歳だった。
【写真】喪服に身を包み、憔悴しきった表情のうつみ宮土理
加瀬さんは慶大在学中からバンドを始め、「スパイダース」「寺内タケシとブルージーンズ」を経て66年に「ザ・ワイルドワンズ」を結成。バンド名の名付け親は慶大の先輩・加山雄三(78)だった。当時はグループサウンズの全盛期で、加瀬さんは通常の2倍弦が張られた12弦ギターの豊かな音色で人気を博した。
71年の解散後は音楽プロデューサーとしても活躍。沢田研二(66)に「危険なふたり」「TOKIO」などの楽曲を書き、トップアーティストに押し上げる立役者となった。81年にはワイルドワンズを再結成した。
私生活では94年に食道がんを経験。手術を経て寛解状態となり、ライブハウスでのステージに加え加山、沢田とツアーを回るなど精力的に活動を続けてきた。昨夏からは体調不良のため、コンサート活動を休演。23日にも加瀬さんがオーナーを務めるライブハウスで「加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ」としてのステージが予定されていたが、体調不良で出演をキャンセルしていた。
最終更新:4月22日(水)0時40分
ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さん死去 自殺か
グループサウンズ(GS)、ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦(かせ・くにひこ)さんが、東京・港区の自宅で死亡していたことが21日、分かった。
警視庁は事件性がないとしており、自殺とみられる。74歳だった。東京都出身。葬儀・告別式、喪主は未定。所属事務所関係者は、自宅前で取材陣に「亡くなったのは事実です。詳しいことは明日、発表します」と説明した。
加瀬さんは東京生まれで、慶応高時代に加山雄三と出会い、音楽を志した。その後、慶大に進学。63年にスパイダースに3カ月間在籍し、66年まで寺内タケシとブルージーンズに在籍した。同年7月、ザ・ワイルドワンズ結成。71年に解散したが、81年に再結成した。06年の40周年には、日本武道館公演を行った。
ほかに沢田研二のプロデューサーを務めた。ザ・ワイルドワンズのデビュー曲「想い出の渚」のほか、沢田のヒット曲「TOKIO」などを作曲。12年にはももいろクローバーZの公演にも参加した。
【加山雄三 追悼文全文】「俺より先に行くなんて順番が違うだろ」
歌手で俳優の加山雄三(78)が22日、20日に亡くなった「加瀬邦彦&ザ・ワイルドワンズ」のリーダーで音楽プロデューサーの加瀬邦彦さん(享年74)を追悼した。
【写真】死去した加瀬邦彦さん
【加山雄三 追悼文全文】
加瀬へ
本当にショックで、今はどうやっても心の整理をつけることが出来ない。
同じ茅ケ崎に育って、俺の幼馴染と言ったら加瀬、お前しかいないんだよ。それに想い出がたくさんありすぎる。
最初に君がギターを教えてくれって言ってきた時、こんなに覚えの悪いやつはいないって思ってたけど、その後ワイルドワンズを結成させ、いろんなアーティストに曲を提供したり、プロデュースしている君を見て、自分の事のように、本当にうれしかったんだよな。
君はグループサウンズという日本の音楽の歴史に、多大な影響を与えたミュージシャンの一人だと思う。友人として心底誇りに思っているよ。
ワイルドワンズはメンバーみんな仲良く、一緒にツアーを回ったり、共演したことも数えきれないほどあったよな。考えてみれば、こういう音楽仲間がいることが自分にとって一番の幸せだったんだなと、今改めて実感しているよ。
加瀬、俺より先に行くなんて順番が違うだろ。
また一緒にギターを弾いて音楽やりたいよな。
加山雄三
最終更新:4月22日(水)14時25分
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微笑み君。 (木曜日, 23 4月 2015 22:47)
ご冥福をお祈り致します。