Apex product 【鼠小僧Zero吉-Blog-⑪】

このブログをご覧頂き誠に有難うございます。当ブログでは、日々の生活、日々思うこと、地元の心温まる情報・・・などなど、について広く深く語っております。日々更新出来るよう頑張りますので、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。文章を読んで頂き、何か思われる事が御座いましたらどうぞコメントをお願い致します。今後のブログ運営において参考とさせて頂きます。

Apex product 代表 柳 -

2017年

3月

20日

久しぶりで横浜に来ました(^^♪ 鼠小僧Zero吉 参上!!

※ やはり食べ放題は、そこそこです。決してまずくないですよ。

ただ、呼び込みの人の言うほど小籠包は美味しくなかった気がしました。個人の見解。並ばなくて入れるメリットがありました(笑)それって、どうかな・・

鼠小僧Zero吉より

久しぶりに「江戸清のブタまん」を食べました。

コンビニの豚まんより三倍デカくて十倍うまい!!

【よこはまコスモワールド】

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2017年

3月

22日

【遺書を託された兵からの手紙】

大石静恵ちやん、

突然、見知らぬ者からの手紙で

おどろかれたことと思ひます

わたしは大石伍長どのの

飛行機がかりの兵隊です

伍長どのは今日、

みごとに出げき(撃)されました

そのとき、

このお手紙を わたしにあづけて行かれました

おとどけいたします

伍長どのは、

静恵ちやんのつくつたにんぎやう(特攻人形)を

大へんだいじにしてをられました

いつも、その小さなにんぎやうを

飛行服の背中につつてをられました

ほかの飛行兵の人は、

みんなこし(腰)や 

落下さん(傘)のバクタイ(縛帯)の胸に

ぶらさげてゐるのですが、

伍長どのは、

突入する時にんぎやうが怖がると可哀さう

と言つておんぶでもするやうに

背中につつてをられました

飛行機にのるため走つて行かれる時など、

そのにんぎやうがゆらゆらと

すがりつくやうにゆれて、

うしろからでも一目で、

あれが伍長どのとすぐにわかりました

伍長どのは、

いつも静恵ちやんといつしよに居る

つもりだつたのでせう

同行二人

・・・・仏さまのことばで、さう言ひます

苦しいときも、さびしいときも、

ひとりぽつちではない。

いつも仏さまがそばにゐてはげましてくださる

伍長どのの仏さまは、

きつと静恵ちやんだつたのでせう

けれど、今日からは伍長どのが

静恵ちやんの”仏さま”になつて、

いつも見てゐてくださることゝ思ひます

伍長どのは

勇かんに敵の空母に体当たりされました

静恵ちやんも、

りつぱな兄さんに負けないやう、

元気を出してべんきやうしてください

さやうなら

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*

愛する娘を残して

空母に体当たりしていく時、

無念でならなかったことでしょう。

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2017年

3月

22日

【消えた歌姫 ちあきなおみ 歌の世界】

ねえ、あんたを芝居じゃなくて「歌」に出来るのはこの人しかいないと思います。凄すぎて泣けてきます。ちあきなおみさんにはお元気でお過ごし頂きたいと念願しております。柳

買い物かごをもって普段着のちあきなおみを見かけたのは、
今の六本木ヒルズがあるあたりだったかな。
彼女が辞めてから数年たって50代の頃だったろう。(1992年芸能活動休止)
突然のように表舞台をおり、普通の生活をしていたんだね。
この動画は、現役当時から抜群に歌がうまかった歌姫をなぞる点で、
格好の時間を提供してくれるもののひとつになるだろう。

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2017年

4月

07日

京唄子さん死去 89歳 鳳啓助さんと夫婦漫才 「渡鬼」などで存在感

※ ご冥福をお祈りいたします。Apex product 一同

てなもんや三度笠 (269回)~身延の寄進~

 漫才コンビ「唄子・啓助」で親しまれ、TBS「渡る世間は鬼ばかり」などドラマや舞台で女優としても活躍した京唄子(きょう・うたこ=本名鵜島ウタ子=うじま・うたこ)さんが6日、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。89歳。京都市出身。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。喪主は長女節子(せつこ)さん。

【写真】車椅子姿で舞台降板を謝罪する京唄子

 1945年、18歳の時、劇団「なでしこ」に入り、京町唄子の名で舞台女優となる。56年、鳳啓助さん(94年没)とコンビ「唄子・啓助」を結成して漫才を始め、人気を博した。鳳さんと結婚したが、65年に離婚した。

 離婚後もフジテレビのトーク番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」で共演。69~85年と16年間続き、高視聴率を記録した。

 「渡る世間―」をはじめ、NHK連続テレビ小説「おんなは度胸」「やんちゃくれ」など女優としても存在感を示した。

 97年、国際芸術文化賞。2008年、上方演芸資料館による「上方演芸の殿堂入り」表彰を「唄子・啓助」で受けた。

最終更新:4/7(金) 13:11

スポニチアネックス

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2017年

4月

07日

「若者よ、君たちが生きるきょうという日は 死んだ戦友たちが生きたかった未来だ!!」

本日、4月7日は、、
71年前(1945年)、3000名以上の命と共に、、
戦艦大和が沈んだ日です。。

『若者よ、君たちが生きるきょうという日は
 死んだ戦友たちが生きたかった未来だ』
 八杉康夫
……………………………………… 

 戦艦大和の乗組員として、
 その沈没を体験、上官の命と
 引き換えに一命を取り留めた
 八杉康夫氏。

 いまなお語り部としてその歴史の
 真実を伝え続ける氏が、これからの
 日本を担う若者たちへ送る
 メッセージとは――。
………………………………………  

 第一波、第二波と攻撃を受けるうち、
 大和の後部が白煙を上げているのが
 私にも分かりました。
 なおも攻撃が続けられ、
 魚雷が的中した時は震度5にも
 感じられるほど激しく揺れました。
 
 次第に船は傾いていきます。
 砲術学校では、戦艦は15度傾いたら
 限界と習ってきましたが、25度、
 30度とどんどん傾いていきます。
 
 それでも、戦闘中は命令がない限り 
 持ち場を離れることはできません。
 その時「総員、最上甲板へ」との
 命令が出ました。
 軍には「逃げる」という言葉は
 ありませんが、
 これが事実上「逃げろ」という
 意味です。
 
 すでに大和は50度ほど傾いて
 いましたが、この時初めて、
「大和は沈没するのか」と思いました。
 それまでは本当に「不沈戦艦」だと
 思っていたのです。

 もう海に飛び込むしかない。
 そう思った時、衝撃的な光景を
 目の当たりにしました。
 私が仕えていた少尉が日本刀を
 抜いたかと思うと、自分の腹を
 掻っ捌いたのです。
 噴き出す鮮血を前に、
 私は凍り付いてしまいました。
 
 船はますます傾斜がきつくなって
 いきました。90度近く傾いた時、
 私はようやく海へ飛び込みました。
 
・ ・ ・ ・ ・ ・

 飛び込んだのも束の間、
 沈む大和が生み出す渦の中へ
 巻き込まれてしまいました。
 その時、私の頭に過ったのは
 海軍で教わった
「生きるための数々の方策」です。
 
 海軍に入ってからというもの、
 私たちが教わったのは、
 ひたすら「生きる」ことでした。
 海で溺れた時、どうしても
 苦しかったら水を飲め。
 漂流した時は体力を消耗してしまう
 から泳いではならない……。
 
 陸軍は違ったのかもしれませんが、
 海軍では「お国のために死ね、
 天皇陛下のために死ね」などと
 言われたことは一度もありません。
 ひたすら
「生きること、生き延びること」を
 教わったのです。
 
 だから、
 この時も海の渦に巻き込まれた時の
 対処法を思い返し、実践しました。
 しかし、どんどん巻き込まれ、
 あまりの水圧と酸欠で次第に
 意識が薄れていきます。
 
 その時、ドーンという轟音とともに
 オレンジ色の閃光が走りました。
 戦艦大和が大爆破したのです。
 そこで私の記憶はなくなりました。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 気づいたら私の体は水面に
 浮き上がっていました。
 幸運にも、爆発の衝撃で水面に
 押し出されたようです。

 しかし、一所懸命泳ぐものの、
 次第に力尽きてきて、
 重油まみれの海水を飲み込んで
 しまいました。
「助けてくれ!」と叫んだと同時に、
 なんともいえない恥ずかしさが
 込み上げてきました。
 
 この期に及んで情けない、
 誰にも聞かれてなければいいが……。
 
 すると、すぐ後ろに川崎勝己高射長が
 いらっしゃいました。
「軍人らしく黙って死ね」と
 怒られるのではないか。
 そう思って身構える私に、
 彼は優しい声で
「落ち着いて、いいか、落ち着くんだ」
 と言って、
 自分がつかまっていた丸太を
 押し出しました。
 そして、なおもこう言ったのです。

「もう大丈夫だ。
 おまえは若いんだから、
 頑張って生きろ」

 4時間に及ぶ地獄の漂流後、
 駆逐艦が救助を始めると、
 川崎高射長はそれに背を向けて、
 大和が沈んだ方向へ泳ぎ出しました。
 高射長は大和を空から守る
 最高責任者でした。
 
 大和を守れなかったという思いから、
 死を以て責任を取られたのでしょう。
 高射長が私にくださったのは、
 浮きの丸太ではなく、
 彼の命そのものだったのです。

・ ・ ・ ・ ・ ・
 
 昭和60年のことです。
 いつもピアノの発表会などで
 お会いしていた女性から喫茶店に
 呼び出されました。
 彼女は辺見さんが書かれた
『男たちの大和』を取り出し、
 こう言ったのです。

「八杉さん、実は川崎勝己は
 私の父です」

 驚いたなんていうものじゃ
 ありません。
 戦後、何とかしてお墓参りをしたい
 と思い、厚生省など方々に問い合わせ
 ても何の手がかりもなかったのに、
 前から知っていたこの人が高射長の
 お嬢さんだったなんて……。

 念願叶って佐賀にある高射長の墓前に
 手を合わせることができましたが、
 墓石には「享年31歳」とあり、
 驚きました。
 もっとずっと年上の人だと
 思い込んでいたからです。
 
 その時私は50歳を超えて
 いましたが、自分が31歳だった
 時を思い返すとただただ恥ずかしい
 思いがしました。
 
 そして、
 不思議なことに、それまでの晴天が
 急に曇天となったかと思うと、
 突然の雷雨となり、まるで
「17歳のあの日」が
 巡ってきたかのようでした。
 
 天皇も国家も関係ない、
 自分の愛する福山を、
 そして日本を守ろうと憧れの
 戦艦大和へ乗った感動。
 不沈戦艦といわれた大和の沈没、
 原爆投下によって被爆者になる、
 そして、敗戦。
 
 そのすべてが17歳の時に一気に
 起こったのです。17歳といえば、
 いまの高校2年生にあたります。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 最近は学校関係へ講演に行く機会も
 ありますが、現在の学生の姿を見ると
 明らかに戦後の教育が間違ったと
 思わざるを得ません。
 
 いや、生徒たちだけではない。
 間違った教育を受けた人が
 先生となり、親となって、地域社会を
 動かしているのです。 
 
 その元凶は昭和史を学ばないことに
 あるような気がしてなりません。
 自分の両親、祖父母、曾祖父母が
 どれほどの激動の時代を生きて
 きたかを知らず、
 いくら石器時代を学んだところで、
 真の日本人にはなれるはずがない。
 現に
「日本に誇りを持っていますか」
 と聞くと、
 学校の先生ですら
「持ってどうするんですか?」と
 真顔で聞き返すのですから。
 
 よく「日本は平和ボケ」などと
 言われますが、毎日のように
 親と子が殺し合うこの日本のどこが
 平和ですか?
 確かに昔も殺しはありました。
 しかし、「殺してみたかった」など
 と、意味もなく殺すことは
 考えられませんでした。 
 
 真の平和とは、歴史から学び、
 つくり上げていくほかありません。
 鶴を折ったり、徒党を組んで
 デモをすれば天から降ってくるもの
 ではないのです。
 
 しかし、
 1流の国立大学の大学院生ですら、
「昭和史は教えてもらっていないので
 分かりません」
 と平気で言います。
 ならば自分で学べと私は言いたい。
 自分で学び、考えることなしに、
 自分の生きる意味が分かるはずが
 ないのです。

・ ・ ・ ・ ・ ・

 人として生きたなら、
 その証を残さなければなりません。
 大きくなくてもいいのです。
 小さくても、精一杯生きた証を
 残してほしい。
 
 戦友たちは若くして戦艦大和と
 運命をともにしましたが、
 いまなお未来へ生きる我々に大きな
 示唆を与え続けています。
 復員後、長く私の中に渦巻いていた
「生き残ってしまった」という罪悪感。
 
 それはいま使命感へと変わりました。
 私の一生は私だけの人生ではなく、
 生きたくても生きられなかった
 戦友たちの人生でもあるのです。
 うかうかと老年を過ごし、
 死んでいくわけにはいきません。
 
 未来の日本を託す若者たちが歴史を
 学び、真の日本人になってくれるよう
 私は大和の真実を語り続け、
 いつか再び戦友たちに会った時、
「俺も生かされた人生でこれだけ
 頑張った」
 と胸を張りたいと思います。

……………………………………………

「若者よ、
 君たちが生きるきょうという日は
 死んだ戦友たちが生きたかった
 未来だ」
 
 八杉康夫(やすぎ・やすお)
 戦艦大和語り部 
 
『致知』2006年7月号
 特集「人学ばざれば道を知らず」より

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2017年

4月

07日

教育勅語とは一体何だったのでしょうか?

戦前の日本人は皆、”教育勅語”を暗唱することができました。骨の髄まで身にしみ混んでいました。

その教育勅語とは一体何だったのでしょうか?

「教育に関する勅語」

朕(ちん)思うに、我が皇祖皇宗、國を肇(はじ)むること、宏遠(こうえん)に徳を樹(た)つること、深厚(しんこう)なり、

我が臣民、克(よ)く忠に、克(よ)く孝に、億兆心(こころ)を一にして、世世(よよ)その美を濟(な)せるは、

此(こ)れ我が國體(こくたい)の精華(せいか)にして、教育の淵源亦実(えんげんまたじつ)に此(ここ)に存(そん)す。

爾(なんじ)臣民父母に孝(こう)に、兄弟(けいてい)に友(いう)に夫婦相和(ふうふあいわ)し、朋友相信(ほういうあいしん)し、

恭倹(きょうけん)己(おの)れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め、業を習い、以って智能を啓発し、徳器を成就し、

進んで公益を廣(ひろ)め、世務(せいむ)を開き、常に國憲(こくけん)を重んじ、國法(こくほう)に遵(したが)い、

一旦緩急あれは、義勇公に奉し、以って天壤無窮(てんじゃうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし、

是(かく)の如(ごと)きは、獨り朕(ちん)が忠良の臣民たるのみならず、又以って爾(なんじ)祖先の遣風(いふう)を顕彰(けんしょう)するに足らん。

この道は實(じつ)に我が皇祖皇宗の遺訓にして子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所、之を古今に通じて謬(あやま)らず。

之(これ)を中外に施して悖(もと)らず、朕(ちん)、爾(なんじ)臣民と倶(とも)に、拳々(けんけん)服膺(ふくよう)して、

咸(みな)其(その)徳を一(いつ)にせんことを庶幾(こいねが)う。

明治23年10月30日
御名(ぎょめい) 御璽(ぎょじ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
教育勅語 口語訳

私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。

そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、

もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、

そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、

また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。

そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、

この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、

私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

(国民道徳協会訳文)
ーーーーーーーーーーー

「職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、

また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」

戦時中、台湾で日本人として教育を受けたあるおばあちゃんは次のようなことを語っていました。

「私が台湾にあった台南師範学校付属国民小学校で学んでいた時、日本から来た先生が、黒板に大きく”公(おおやけ)”と書きました。そして、黒板の隅に小さく”私”と書きました。

私を小さくして、公のために生きなさいと、それが修身であると。

私事は小さくするのが国民の誉れであり、国家と国民のあるべき精神だと教えられました。」(「心に秘めたる日本への思い」楊素秋 「致知」2016年3月号)

私たち日本人は、公(おおやけ)のために社会に貢献しなければなりません。決して私心のためだけに生きていてはいけません。

そのために、日々勉強して、教養を身につけ、人格を養うのです。

そして、国の非常事態が起きたならば、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。(いざ鎌倉)

戦争末期、沖縄戦において、神風特攻隊が活躍しました。

それは、100%死を前提とした体当たり攻撃でした。

兵士の命を無駄にした、とても軍事作戦とは言えない大罪であると、戦後非難され続けました。

人命軽視、特攻隊員たちは、哀れな戦争被害者である、と。

本当にそうだったのでしょうか?

「沖縄作戦で米軍が被った被害は、日本との戦争中、他のどの海戦よりも、はるかに大きかった。

沈没30隻、損傷300隻以上、9000以上が死亡、行方不明、負傷しました。

この大損害は、主として、日本の特攻隊によるものであった。」
(ニミッツ西太平洋艦隊司令長官)

「我々はあらかじめ日本空軍は手強いということは知っていたが、これほどまでとは思わなかった。

我々は”カミカゼ”が、これほどまでに多数の兵士を殺傷し、多数の艦船を破壊しつつあることを、日本軍に認めさせることを許せなかった。

それゆえに我々はそこに留まって、この攻撃を受けなければならなかった。」
(ベイツ海軍中佐)

「日本が失った戦闘機のうちわずか12%で、米軍の損傷艦艇の77%、米海軍兵士の死傷者数のうちの80%を、やっつけたことになる。

素晴らしい戦果といえよう。

もし、カミカゼ攻撃がなかったら、米軍空母は自由に、日本本土を攻撃することができたはずである」
(ウエアマイスター海軍中尉)

「特攻隊員に権利欲とか名誉欲などかけらもなかった。
祖国を憂いる尊い情熱があるだけである。

母や姉や妻の命に危険が晒されている時、自分が殺されるとわかっていても勇敢に暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。

愛するものが殺されるのを、黙って見過ごせるだろうか?」
(アンドレーマルロー フランス文化大臣)

「我々の空母の飛行看板を貫いたこの男は、私より立派だ。私には到底このようなことはできない。
(マルコム・マクガバン米海軍大尉)

「特攻隊員たちの心の中には、敵への憎しみや復讐心がほとんどなかった。彼らは外国がもたらす汚れから、日本の清らかな土地を守るために、また家族を守るために、命を捧げる義務があると、遺書に書き残している。

彼らの遺書からは敵への憎しみや西洋人への人種的敵意が出てこない。

むしろ、この世に生まれてからこれまでに与えられてきた数々のご恩に報いなければならないという、責任感や報恩の決意が現れている。」
(アイバン・モリス フランス作家)

「お父さん、大切なお父さん、お母さん、大切なお母さん、長い間色々とお世話になりました。

靖国でお目にかかります。では、参ります。お身体を大切に」
(永尾博中尉 22歳)

「お母さん、よく顔を見せてください。しかし、僕は何にも”かたみ”を残したくないのです。

10年も20年も過ぎてから”かたみ”を見て、お母さんを泣かせるからです。」
(茂木三郎中尉 19歳)

「母上様 幸光の戦死の報を知っても、決して泣いてはなりません。
靖国で待っています。きっときてくださりますよね。

私がやらなければ、父様母様が死んでしまう。いや日本国が大事なことになる。

幸光は誰にも負けずにきっとやります。」
(富澤幸光中尉 23歳)

「お前が大きくなって、父に会いたくなったら九段へいらっしゃい。そして、心に深く念ずれば、必ずお父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ。
素子が生まれた時におもちゃにしていた人形は、お父さんがいただいて自分の飛行機の中にお守りにしています。

だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。」
(植村真久大尉 25歳)

「懐かしい靜ちゃん!お別れの時が来ました。兄ちゃんはいよいよ出撃します。

この手紙が届く頃には、沖縄の海に散っています。

思いがけない父母の死で、幼い靜ちゃんを一人残していくのは、とても悲しですが、許してください。

もうプロペラが回っています。さあ出撃です。では、にいちゃんは征きます。泣くなよ靜ちゃん。頑張れ。」
(大石清伍長 11歳の妹への遺書)

「特攻は我々が最も愛するもの、さらには国民全体を救おうとする我々の決意のあらわれだった。

それは「大いなるものに命を捧げる愛」の行動であった。

多くの人々の命を救う至上の博愛なのである。

人命軽視どころか比類のないほど他に尽くす、「人命の尊重」であった。

自分さえよければ良いというエゴイストたちには、特攻などできるはずない。」
(人間魚雷 ”回天” 元搭乗員の証言)

「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん。もし死なば、多くの果を結ぶべし。

己が命を愛するものは、これを失い、この世にてその生命を憎むものは、これを保ちて永遠の生命に至るべし。」
(ヨハネ伝第12章24節)

一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、元の通り、ただ一粒でいるだろう。

しかし、その麦粒の姿が死んでしまったならば、却って新たなる芽が萌え出て、それが無数に分蘖して多くの実を結ぶのである。

己が命を愛するものは却ってこれを失い、この世を救おうと己が命を不惜身命(ふじゃくしんみょう)に捨てるものは、却ってその生命を保って永遠の生命に至るのである。
(「ヨハネ伝講義」谷口雅治著 日本教文社)

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2017年

4月

14日

「山本鮮魚店」お昼ご馳走様でした。柳

※社長 ご馳走様でした。あまり無理しないで堅実にコツコツやりましょう。騙されないように要注意ですよ。奇遇な事は常に周りで起きますから(笑)

綺麗な砂浜でしたが、ゴミの不法投棄もありました。心無い人間が増えました。残念です。昔、私がガキの頃、この辺で雨あがりにキノコをよく取ってました。ハツタケ❓忘れましたが、美味しかったのを覚えてます。懐かしさのあまり仕事中に立ち寄った浜辺には思い出だけが色あせず残ってました。また春の海を見に来たいです。

後、山本鮮魚店のおばちゃん、あっ失礼。お姉様方。優しさありがとうございました。長い時間、昼時に小上がりを占領して、すみませんでした。また行きますね。
木戸は、最高だ。
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2017年

5月

22日

【銚子の親父さんありがとう!!】柳

※ 毎年 時期が来ると気にかけて頂き 海の幸を送って頂きありがとうございます。社長もその歳で仕事頑張っているから、自分もまだまだ弱音吐けません。口ばっかりでカッコいい話や偉そうな事を言っても出来ない奴は大勢います。いくら金があっても100円のジュース一本出せない輩も多いのに本当に男気がある社長には頭が下がります。近所や知り合いの居酒屋でさばいて美味しくいただきます。つきなみですが長生きして下さい。また読売新聞の俳句の欄 楽しみに見ます。傑作を期待してます!! 柳より

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2017年

5月

22日

【夏はドライビングシューズ!!】鼠小僧Zero吉より

※ 夏冬関係ないのですが、今一番お気に入りの靴です。履き心地が最高です。私は、7 1/2 ですからJP 25.5㎝です。ほとんど移動が、車なのでサンダルを履く人も多いと思いますが、ぬいだりはいたりする手間が面倒なのでドライビングシューズがお勧めです。是非お試し下さい。鼠小僧Zero吉

 

ウェブ付き レザー ドライビングシューズ

¥ 70,200 (税込)

ホッケンハイム・ライン モカシン

 84,240円

 

ルイ・ヴィトンのダミエ・アンフィニのレザーグッズとコーディネートした、履き心地の良い現代的なモカシン。しなやかなラバーソールとスタイリッシュなLVイニシャルのバックルを採用しました。

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2017年

5月

22日

時計修理工房【アイプラザ】ロレックス専門店 鼠小僧Zero吉参上!!

〒260-0033

千葉市中央区春日2-2-9 電話043-246-4382

 

※ ロレックスの修理・オーバーホール等 任せて安心のお店をご紹介致します。ロレックスの代理店に依頼したら10万円は下らない修理ですが、アイプラザさんは、半額とは言いませんがそれに近い価格で修理してもらえます。おじいちゃんですが、確りした匠の技をもっていて博識に感心しました。私の場合はゼンマイが切れていただけでした。ゼンマイって45㎝もあるんですね。びっくりしました。手巻きは一年ごとに点検に出した方が良いらしいです。ただ人気店の為、修理に2か月ほど掛かるらしいです。お急ぎでなければ匠と時計の話をしてゆっくりのんびり時を過ごしませんか?この時計の修理が終わったらまだ動かない時計が3個あるので出します。ご亭主と会うのが楽しみです。匠長生きして下さい。頼りにしてますから。

鼠小僧Zero吉より

 

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2017年

5月

24日

クロムハーツ【CHROMEHEARTS】ペーパーチェーン ブレスレット / 8インチ(鼠小僧Zero吉)

※ 昔バブルの時に買った喜平のネックレスとブレスレット(プラチナ)

が、いまだにタンスの肥やしになり使ってません。

やくざ じゃないんですから、今さらつけられませんよ(笑)

今回は、女性でもつけられるブレスレットをご紹介致します。

クロムハーツと言うと何となくゴツイイメージがあると思いますが

意外とゴツクありません。価格も驚くほどでは無いので

是非この夏のアイテムとしてシルバーアクセ試してみて下さい。

鼠小僧Zero吉より。

75600円(税込)

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2018年

6月

08日

【Supreme】手が届きませんが何故こんなに人気なのか(・・? 鼠小僧Zero吉。欲しいなぁー

ニューヨーク発!ストリートブランドの代表格

Supreme(シュプリーム)は1994年、ニューヨークでジェームズ・ジョビアによりスケーターのためのショップとしてスタートしました。スケーターカルチャーの中心的役割を担うブランドで、デザイナーやミュージシャン、アーティストなどからも強い支持を得ています。Supremeはブランド名であり、ショップ名でもあるため、ショップでは他ブランドのアイテムも販売しています。また ブランドコラボレーションが多いのも特徴のひとつで、有名なところではTHE NORTH FACE(ノースフェイス)、COMME des GARCONS SHIRT(コムデギャルソンシャツ)等の人気が非常に高いです。新作やコラボアイテムの発売時には店頭に長蛇の列が出来るほど人気も高くファンも多い、まさにストリートの最高峰ブランドです。

Tシャツ 248000円

 

フードパーカー(ビトンコラボ) 998000円

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