Apex product 【 仏教の教え!! 】 ②

【お寺から日本を元気にしましょう!!】

答えが明確に決まっているものだけを相手にしても、人生は深まらないでしょう。「正解」のある問題は、誰かの出した答えと自分の答えは、必ず一致するのですから。子どもの頃から、こんな問題ばかりを説く事を求められました。

「どう生きるか」「なぜ生きるか」「魂で生きるとは」。たとえばこんな問いかけに、正しい答えはありません。それぞれが、見いだしていく他ないのです。宗教や先人の教えは参考になります。ただ、それでも、個々人の生き方は全てが「特別」で同じ人生など、ないのですから、必ずしも合致するものではありません。それでも、大いなるものが示しているものの根っこは、どうもひとつのようです。ただ、とてもとても幅のあるひとつ、です。
答えに固執すると、苦しみますが、問いかけたことがすでに答えに直結していると思うと、少し楽になります。
答えの導き方ばかりを教えられましたが、人生には、問いの立て方がそれにも増して大切ということがあると思います。

★ 般若心経 新訳


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

一日一日を大切に過ごしてください。

そして、

今日はいい事がある。

いい事がやってくる。

今日はやりたい事が

最後までできるんだ。

この事を思って

生活してみてください。

瀬戸内 寂聴

苦とは

四苦八苦。それは、自分の思い通りにならないということに尽きるのではないでしょうか生老病死。愛別離苦・・・いずれも、意に沿わぬことですが、自分の力ではどうすることもできません。努力でも心がけでも、資産や能力でもなんともしがたい出来事です。そんな出来事が主軸の世界に生きています。
お釈迦様が執着するなと教えるのは、...執着してもままならないからです。もともとがままならないことです。執着は、その苦を倍増させます。
そうとわかって苦しむのが人の心。優しい心、情け深さは尚のこと苦しみます。
「楽しく生きよう」は、知恵のカタチなのでしょう。楽しくあればいいというものではない・・・を承知しつつ、楽しく生き、和み、和ませる。人生は苦しいけれど、つまらなくはないこと。苦しみの中に咲かせる花があること。そんなことも四苦八苦から学びます。

『人の幸せを考える』

私は皮膚の難病に12年間悩まされていました。
身体は弱り、満足に歩けもせず、いつも家族に頼るばかりの日々で、人生には絶望していたと思います。
そんなとき、たまたま地元に住む仏教僧と会う機会があったのです。...
彼に自分の悲惨な状況を話した私は、同情のまなざしと思いやりの言葉を期待したのですが、僧侶は穏やかにこう言っただけでした。
「自分を憐れむのはおやめなさい。人の幸せを考えるようにするのです」
「無理です!こんな状態なのですよ。自分のことで精一杯です」
私は「彼は何もわかっていない!」と、がっかりしました。
こんなボロボロの身体で人の幸せを願うなんて無理だと思いましたが、なぜかその言葉が心に引っかかり、その日から少しずつ気をつけるようになりました。
まずは家族や友人たちの幸せと健康を、さらに知らない人たちのために、車の中から道行く人たちの幸せを、ついでに自分の嫌いな人たちのことも思いやってみました。
ある日、電動車椅子に乗ってスーパーのレジに並んでいると、明らかに虫の居所の悪そうな女性が私の後ろに並びました。
急いでいるらしく、いら立った目を周囲に向けています。
カートの中身はあふれんばかりで、少しでも早くレジを通り抜けたそうにしています。
いつもなら、イヤな思いをしないように、こういう人とはできるだけ関わらないようにしていましたし、実際真っ先に頭に浮かんだのは、「何て品のない人からしら。目を合わせないようにしよう」という考えでした。
しかし、そのとき例の僧の言葉…「人の幸せを考えるようにするのです」を思い出した私はこう思い直したのです。
「そう、きっとこの人は今日とてもイヤなことがあったのよ。
私だってそういう日もあるじゃない。
この人を幸せにしてあげるにはどうすればいい?」
私は振り向いて「お急ぎのようですね」と言いました。
女性は驚いたような顔で、ぶっきらぼうに「ええ急いでいるんです。遅れそうだから」と答えました。
「私の前へどうぞ」
女性は私のかごの中身が少ないのを見て、サッと首を振りました。
「いえ、大丈夫です」
「どうぞ遠慮なさらないで。私は急いでいませんから。さあ、どうぞ」
変化は劇的でした。
イライラをまき散らし、レジ係をどなりつけそうな勢いだったその女性は、人に親切にされ、気を遣われて、別人のようになったのです。
私の前へとカートを進めながら何度も「ありがとう」と言い、レジがすむと店員にも礼を言って、買った物を袋に詰め終わると、笑顔で店を出ていきました。
私はすがすがしい気持になりました。
周りを見ると、誰もが私に笑顔を向けて、言葉を交わし合っているのです…「素敵ね」「気持のいい場面だったわね」「今日もいい日になりそうね」。
それからはもっと人を幸せにしたくて、できることはないかと探すようになりました。
人のためになろうとすれば、機会はいたるところに転がっているものです。
身体を使い、心を使い、お金を使って、まだまだ私は人のために何かをしてあげられる、それはこの上もなくうれしいことでした。
自分のために「人が何をしてくれるか」ではなく、人の幸せのために「自分が何をしてあげられるか」を、いつも考えるようになりました。
うれしいことに、それから一年もしないうちに、皮膚の調子がよくなり、生きるパワーもみなぎってきました。
杖なしで歩けるようになり、ジムにも通い始めました。
医者は、病気がひとりで快方に向ったようだと言って、信じられないようです。
僧侶の教えのおかげで人生の坂を転がり落ちずにすんだ私は、愛情という永遠の力を手に入れることができました。

どんなに好きでも最後は別れるんです。

どちらかが先に死にます。

人に逢うということは

必ず別れるということです。

別れるために逢うんです。

だから逢った人が大切なのです。

even though how much you love them
you will say goodbye to them sooner or later
to meet somebody means
to be parted from them one day
that's why meeting somebody is so precious

瀬戸内寂聴
小説家、天台宗の尼僧
Jakucho Setouchi
Buddhist nun

いつ別れても、
後悔しないように。
せいいっぱい
あなたを愛する。

【すべてがあなたを決めている
 すべてがあなたにちょうどいい】
 
 
お釈迦様の言葉に、
このようなものがあります。
 
 
すべてがあなたにちょうどいい。
 
 
今のあなたに今の夫がちょうどいい。
 
今のあなたに今の妻がちょうどいい。
 
今のあなたに今のこどもがちょうどいい。
 
今のあなたに今の親がちょうどいい。
 
今のあなたに今の兄弟がちょうどいい。
 
今のあなたに今の友人がちょうどいい。
 
今のあなたに今の仕事がちょうどいい。
 
 
すべてがあなたにちょうどいい。
 
 
自分の思いどおりにならない社員に対して、
ひどく怒ったり、怒鳴りつけたり、
威張ったりする社長がいるとします。
 
 
そのような社長が、私に
 
「社員が自分の思いどおりにならない。
 
 どうして思いどおりに動かないんだろう。
  
 どうしたら、自分の思いどおりに
 
 動くようになるか」
 
と相談に来ることがあります。
 
 
 
私は、そのような質問を受けたときは、
今書いたようなお釈迦様の
「ちょうどいい」
という言葉の話をします。
 
 
「すべてがちょうどいいのだそうですよ。
 自分の思いどおりにならない
 社員に対して怒鳴ったり、怒ったり、
 威張ったりしていませんか?」
 
と聞きますと、
 
「それは、ときには
 そうしないといけない」
 と話されます。
 
 
でも、それは違うらしい。
 
 
怒鳴ったり、怒ったり、
威張っている人のもとには、
そのような社員しか集まってこない。
 
 
反対に、どんなことに対しても
笑顔で、にこやかに、温かさを持って
接することができる人は「人格者」であり、
 
「人格者」のもとには、
にこやかで楽しい人が集まってきます。
 
 
「私」がすべてを決めています。
すべてが自分にちょうどいいのです。
 
 
「私は会社を辞めたいと思っている。
 うちの会社はこうで、専務はこうで、
 社長はこうで、部長はこうで、
 どうしようもない。嫌になる」
 
 と話す人が結構います。
 
 
そういうとき、私は次のように話します。
 
 
「あなたの言っている上司や会社は
 たしかにそうかもしれません。
 100%正しいことを誇張なく
 言っているのかもしれませんが、
 あなたはその会社で給料をもらって、
 それで食べているのですよね。
 
 
 自分の生活を成り立たせてくれる
 会社や上司に対して、
 そういう愚痴や悪口を
 平気で言えるあなたは
 どうしようもない社長、専務、部長と
 同じような、どうしようもない
 社員なのでありませんか?」
 
そう言われてショックを感じつつも、
ハッと気づく人がいます。
 
 
つまり、人の悪口、
会社の悪口を言っている
というのは、実は、
全部自分を暴露していること
にほかならないのです。
 
 
「 小林正観 」
 

Amazonマーケットプレイスで全国の僧侶を手配してくれるサービス開始

法事や法要の際、全国一律3万5,000円(税込)、追加料金なしで、プロの僧侶を手配してくれるサービス「お坊さん便」が、Amazonのマーケットプレイスにて12月8日(火)から販売開始される。

【「お坊さん便」の関連画像】

これはインターネットで発注できる定額のお葬式サービス「シンプルなお葬式」を運営する株式会社みんれびによるもの。お寺との付き合いやマナーが希薄化している現代のニーズに応えたサービスとなっている。

「お坊さん便」は、法事・法要などでお経をあげてもらいたいものの、お寺との付き合いがない人に向けた定額サービス。全国どこでも追加料金なしでプロ僧侶を紹介してくれるという。

都市化や核家族化が進み、葬儀や法事への参列機会の減少のため、しきたりが風化しつつある現代。

僧侶に読経を依頼した際に支払うお布施は、一般的に3万円から5万円程度とされており、加えて別に車代などを包むと言われているが、明確な相場がなく「お気持ち」として渡され、地域差や法事の重要度によってまちまちになっている。

同サービスでは、全国各地の僧侶と提携し定額制を実現。プラス1万円で墓前など別の場所での法要が可能なプランも用意されており、インターネットで気軽に発注することができる。

お坊さんのシンプルな発注手順

手順は次の通り。Amazonのストアページにて商品のバリエーションを選択し、注文を完了。注文確定のメールが届いた後、みんれびより届くメールで、日時・地域・宗派・連絡先の詳細を確認。確定した条件に該当する僧侶の手配が完了すると、内容確認の僧侶手配書が発送される。僧侶の出荷通知メールが届くと、決済が完了。

当日訪問するお坊さんから確認の電話もあり、僧侶手配書に記載された日時・場所へ直接出向いてくれるという。

お坊さんのシンプルな発注手順

手順は次の通り。Amazonのストアページにて商品のバリエーションを選択し、注文を完了。注文確定のメールが届いた後、みんれびより届くメールで、日時・地域・宗派・連絡先の詳細を確認。確定した条件に該当する僧侶の手配が完了すると、内容確認の僧侶手配書が発送される。僧侶の出荷通知メールが届くと、決済が完了。

当日訪問するお坊さんから確認の電話もあり、僧侶手配書に記載された日時・場所へ直接出向いてくれるという。

コダック川口

最終更新:12月7日(月)12時56分

KAI-YOU.net

不眠断食9日、不動明王と一体に 比叡山、堂入り満行

13日から9日間、大津市坂本本町の比叡山無動寺谷の明王堂で断食断水、不眠不臥(が)の「堂入り」の行に入っていた千日回峰行者の釜堀浩元さん(41)=延暦寺善住院住職=が、21日未明に無事満行し、出堂した。この瞬間から、不動明王と一体となった「当行満阿闍梨(とうぎょうまんあじゃり)」と称され、信仰の対象となった。堂入りの満行は8年ぶり、戦後13人目。
 時折風が吹き抜け、星空が広がる明王堂には、前日から信者が訪れ、未明にもかかわらず約600人が集まった。葉擦(ず)れの音も沢の水音も、信者たちが仏の徳として唱える不動真言でかき消された。
 午前0時15分、白装束の釜堀さんは、本尊の不動明王に供える水をくみにお堂の脇から姿を現した。ゆっくりと歩みを進め、水がわく閼伽井(あかい)まで片道約200メートルを30分足らずで往復。再びお堂に入って最後のお勤めをし、薬湯(やくとう)を口に含んだ後、本尊を3周して行を終えたという。
 1時53分、お堂正面の扉が開かれた。右手につえを持った釜堀さんは、極度の疲労からか歩幅を狭めていたものの、足取りはしっかりとしていた。信者たちは手を合わせて「阿闍梨さま」の誕生を喜んだ。
 千日回峰行は、7年間で千日かけて山中を計約4万キロ歩く。堂入りは、そのうち700日の行を終えた行者が、明王堂にこもって不動明王と一体となることを目指す行。来年は京都市左京区の赤山禅院まで足を延ばして回峰する「赤山苦行」、再来年は「京都大廻(まわ)り」に挑む。

最終更新:10月21日(水)12時17分

京都新聞

社会生活で

私たちは批難したくなるような人たちと

つきあっていかなければ、

ならないことが多くあります(✘﹏✘ა)

.
うまくやって行くために

自制もしなければならない。

その試練を通して、

自分の心が刺激されて、

私たちは心が成長するのです◍˘‿˘◍

.
悪意で人を批難してはいけません。

人を批難したいという強い衝動を

持つ者を信用してもいけません:;(∩´﹏`∩);:

.
なぜなら、

私たちにとって

もっとも人間として大切なのは、

誰かを攻撃したり、

恥ずかしめたり、

しないことです。

本当の幸福を満喫するには、

人を思いやり愛する時間を

大切にしなければなりません(❛ ◡ ❛)❤

.

「他人の過失を探し求め、

つねに怒りたける人は、

煩悩の汚れが増大する。

かれは煩悩の汚れの消滅から

遠く隔っている。」

-仏陀の言葉より-

自分が辛さを乗り越えて

幸せになりたいなら

みんなに親切にすること。(∗❛ัᴗ❛ั∗)

みんなもあなたと同じように辛い思いしてるから、

同じように幸せになりたいんだよ。

.
人生は一人ひとり違うけれど、

みんな互いに助け合いたいと思っている。

みんな思いは同じだよ。

人間とはそういうもの。❀(*´◡`*)❀

.
相手を憎まず許すことも大切。

お互いの幸福を願って生きなくちゃね。

*॰ْ✧ًଞව̐ ˒̫̮ ව̐ଞ*ْ✧ं॰*

.
お釈迦さまは、

自分が幸せになりたければ、

相手を思いやりなさい。

相手の幸せを思いやる言動は、

あなたに思いやりとなって

返ってきますよ。

と説かれています。

これは自利利他、

善行善果といいます。

思いやりのこころを慈悲瞑想で育んで

みんなが幸せになりましょう(^・ェ・^)

ある書道の時間のことです。

 教壇から見ていると、
 筆の持ち方がおかしい
 女子生徒がいました。

 傍に寄って

「その持ち方は違うよ」

 と言おうとした私は咄嗟に
 その言葉を呑み込みました。

 彼女の右手は義手だったのです。

「大変だろうけど頑張ってね」

 と自然に言葉を変えた私に

「はい、ありがどうございます」

 と明るく爽やかな答えを
 返してくれました。
 
 彼女は湯島今日子(仮名)
 といいます。

 ハンディがあることを感じさせない
 くらい勉強もスポーツも掃除も
 見事にこなす子でした。

 もちろん、書道の腕前も
 なかなかのものでした。
 
 3年生の時の運動会で、
 彼女は皆と一緒にダンスに
 出場していました。

 1メートルほどの青い布を
 左右の手に巧みに持ち替えながら、
 音楽に合わせて踊る姿に
 感動を抑えられなかった私は、
 彼女に手紙を書きました。

「きょうのダンスは一際見事だった。
 校長先生もいたく感動していた。
 私たちが知らないところで
 どんな苦労があったのか、
 あの布捌きの秘密を私たちに
 教えてほしい」

 という内容です。

 4日後、彼女から便箋17枚
 にも及ぶ手紙が届きました。

 ダンスの布については義手の親指と
 人差し指の間に両面テープを張って
 持ち替えていたとのことで、

「先生のところまでは届かなかった
 かもしれませんが、
 テープから布が離れる時、
 ジュッという音がしていました。
 その音は私にしか聞こえない
 寂しい音です」

 と書かれてありました。

「寂しい音」。

 この言葉に私は心の奥に秘めた
 人に言えない彼女の苦しみを
 見た思いがしました。
 
 17枚の便箋に書かれてあったのは
 それだけではありません。
 そこには生まれてから今日まで
 彼女が生きてきた道が綿々と
 綴られていました。
 
 彼女が右手を失ったのは
 3歳の時でした。
 家族が目を離した隙に囲炉裏に
 落ちて手が焼けてしまったのです。
 
 切断手術をする度に腕が短くなり、
 最後に肘と肩の中間の位置くらいから
 義手を取り付けなくては 
 ならなくなりました。
 
 彼女は、小学校入学までの3年間、
 事故や病気で体が不自由になった
 子供たちの施設に預けられることに
 なりました。

「友達と仲良くするんだよ」

 と言って去った両親の後ろ姿を
 ニコニコと笑顔で見送った後、
 施設の中で3日間泣き通したと
 いいます。

 しかし、
 それ以降は一度も泣くことなく、
 仲間とともに3年間を過ごすのです。

 そして、いよいよ施設を出る時、
 庭の隅にある大きな銀杏の木に
 ぽっかり空いた洞の中で、
 園長先生が彼女を膝に乗せて
 このような話をされました。

「今日子ちゃんがここに来てから
 もう3年になるね。
 明日家に帰るけれども、
 帰って少しすると今度は
 小学校に入学する。

 でも今日子ちゃんは3年も
 ここに来ていたから知らない
 お友達ばかりだと思うの。

 そうするとね、
 同じ年の子供たちが周りに
 集まってきて、今日子ちゃんの手は
 1つしかないの?なにその手?
 と不思議がるかもしれない。
 
 だけどその時に怒ったり泣いたり
 隠れたりしては駄目。
 その時は辛いだろうけど笑顔で
 お手々を見せてあげてちょうだい。
 そして

『小さい時に火傷してしまったの。
 お父ちゃんは私を抱っこして
 ねんねする時、この短い手を
 丸ちゃん可愛い、丸ちゃん可愛いと
 なでてくれるの』
 と話しなさい。いい?」

 彼女が「はい」と元気な明るい
 返事をすると、園長先生は彼女を
 ぎゅっと抱きしめて声をころして
 泣きました。

 彼女も園長先生の大きな懐に
 飛び込んで3年ぶりに声を限りに
 泣いたそうです。
 
 故郷に帰って小学校に入った
 彼女を待っていたのは案の定
 
「その手、気持ち悪い」
 
 という子供たちの反応でした。

 しかし、
 彼女は園長先生との約束どおり、
 腕を見せては

「これは丸ちゃんという名前なの」

 と明るく笑いました。

 すると皆うつむき、
 それから誰もいじめる子は
 いなくなったといいます。

 彼女はその後、大学を出て

「辛い思いをしている
 子供たちのために一生を捧げたい」

 と千葉県にある肢体不自由児の
 施設に就職。
 いまでも時々、写真や手紙などを
 送ってくれています。

 心ない言葉は時として凶器となり
 相手に立ち直れないほどの
 ダメージを与えます。

 一方で苦境にある時に掛けて
 もらったさりげない一言が生きる上で
 の大きな糧になることもあるのです。

……………………………………
 
 酒井大岳
(曹洞宗長徳寺住職)

寂聴さん「戦争近づいてる」 国会前で安保法案反対訴え

 僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん(93)が18日、東京・永田町の国会前であった安全保障関連法案に反対する集会に参加した。約2千人(主催者発表)の参加者を前に、「最近の状況は戦争にどんどん近づいている。本当に怖いことが起きているぞ、と申し上げたい」と語りかけ、廃案を訴えた。

 寂聴さんは昨年、背骨の圧迫骨折や胆囊(たんのう)がんに相次ぎ見舞われ、寂庵(じゃくあん、京都市右京区)で療養してきたが、今年4月に約11カ月ぶりに法話を再開。今回の集会を主催する市民団体の一つの呼びかけ人でもあり、「最後の力を出して戦争に反対する行動を起こしたい。国会前で抗議の座り込みをしてもいい」と申し出て、療養後初めての遠出が決まった。

 衆議院第2議員会館前で「とめよう!戦争法案」「(憲法)9条壊すな」と書かれた横断幕やプラカードが掲げられる中、黒い法衣姿の寂聴さんは車いすから降りて、歩道上でマイクを握って約5分間演説。自身の戦争体験に触れながら、「戦争にいい戦争は絶対にない。戦争はすべて人殺しです。人間の一番悪いところ。二度と起こしてはならない」「若い人たちが幸せになるような方向にいってほしい」と語ると、大きな拍手が起きた。

【 日 蓮 】

【お経を読んで、なぜ成仏するのですか?】

仏教は今から約二千五百年前、インドでお釈迦さまが創始された宗教です。お釈迦さま(仏さま)が説かれた教え、これが「仏教」ということです。お釈迦さまは、教えを文字で書き残すことはしなかったと言われています。お釈迦さまがお亡くなりになってしばらくの間は、お弟子の方々が口伝えで教えをひろめていかれました。やがて教えがまとめられ、経典ができあがっていきます。この経典はインド、またはその周辺の言語によって記されました。経典は漢訳されて中国に伝えられ、やがて日本にも伝わることとなります。これがいわゆる「お経」です。お経には「般若経」、「阿弥陀経」、「大日経」等々さまざまな経典があり、古来より「八万四千の法門」と言われるほど、数多くの経典(お経)があります。
この数多くのお経の中で「妙法蓮華経(=法華経)」というお経こそが、お釈迦さまの真意を伝え、宇宙全体の真理(お釈迦さまの悟り)を明らかにした教えであると見出されたのが「日蓮聖人」です。日蓮聖人は「法華経」こそ仏教の正統の教えであると示されました。そしてその教えを信じてひろめることが、世界の幸福につながると標榜しているのが「日蓮宗」です。
日蓮宗の教えで「お経を読む」ということは、「法華経を読む」ということです。そしてこれ以外のお経を読んでも、「成仏」することはかなわないと教えます。
ところで「成仏」とは何でしょうか。簡単に言えば「成仏する=幸福になる」ということです。お釈迦さまは「人間には苦悩がある」と示されました。この苦悩をすべて解決することが幸福であり、「成仏」なのです。
それでは「法華経」を読むことによって、本当に苦悩が解決され、幸福(成仏)が得られるのでしょうか。
日蓮聖人は声に出してお経を読むということだけが「読む」ということではない、「法華経を信じて、行う」ということを含めたもの、それが「読む」ということだと示されました。これは「法華経」を鏡として世の中を見、そして考え、それに基づき行うということです。
ここで「法華経」というお経に、何が説かれているのか見ていきましょう。「法華経」の中でお釈迦さまは、「私(お釈迦さま)と、あなたは同じ存在である」と説かれました。仏であるお釈迦さまと、すべての人々が同じ存在になれることを明らかにしたのです。すべての苦悩を解決し、本当の幸福者となったお釈迦さまと同じく、私たちも仏となることができるということです。そして「法華経」の教えの肝要は「すべてを否定しない」ということです。日蓮聖人は「この世界で唯一の悪い行いは、法華経を否定すること」と示されています。それはすべてを否定しない教えを否定することは、すべてを否定してしまうことになるからです。すべてを受け入れ、認めることが本当の幸福なのです。これは自分の苦悩をも受け入れるということであり、苦悩こそが自分をより高い境地(仏)へと導くものだということでもあります。
お経を読むということのはじめであり、究極のものは「南無妙法蓮華経」とお唱えすることです。「南無」とは「信じて行う、修行する」ということ。「南無妙法蓮華経」と唱え、そして「法華経」の教えを他の人々にひろめることが「信じて行う」ということなのです。これはすべての人々がお釈迦さまと同じ存在であるということを受け入れるだけでなく、積極的にお釈迦さまと同じ存在となるようにはたらきかけなければならないということです。ここに仏教の厳しさがあります。
ここでもう一度、質問を振り返りましょう。「お経を読んで、なぜ成仏するのですか?」。この質問には、二通りの意味があると思います。自分がお経を読んで、自分自身が仏となれるのかということと、僧侶にお経を読んでもらって、亡くなった方が成仏できるのかということです。前者については、これまでのところでおおよそ説明させていただきました。後者はお経を読んだ本人以外に、その効果が及ぶのかどうかという大きな問題が関わってきます。結論から言えば、「仏教は自分以外の他者が、自分をどうにかしてくれるという教えではない」ということです。つまり亡くなった方が成仏するかどうかは、亡くなった方次第ということです。
こうなると法事を営み、僧侶にお経を読んでもらう必要はないということになってしまいます。ですがここで「法華経」の教えを思い出してください。「私(お釈迦さま)と、あなたは同じ存在である」。これは突き詰めていくと、「すべての人、そして存在はみな同じである」ということに他なりません。
お経を読むということが、「法華経」をひろめるということでもあるのですが、一般の信仰者(檀家)は専門的に、そして日常的に教えをひろめる行為をすることは難しいことです。そこで僧侶という仏教の専門家・専従者が教えをひろめる行為を、「布施」というかたちで支える修行を信仰者はするのです。布施という修行をすることは、教えをひろめることと同義の行為であり、布施を行った人の修行の効果が亡くなった人を含めた他者に及ぶのです。それは「すべての人、そして存在はみな同じである」からです。基本は「仏教は自分以外の他者が、自分をどうにかしてくれるという教えではない」のですが、「法華経」という仏教の最重要の教えだけがお経を読んだ本人以外に、その効果が及ぶことが保証されているのです。「法華経」以外のお経では、これは不可能です。となれば「法華経」以外での供養(葬儀・年回法要など)では、誰も成仏することはできないということになります。
ただしここで注意していただきたいのは、一般の信仰者は金銭的な布施をしているだけで良い、ということではなく、折にふれ少しでも仏教を自分以外の人に伝えていかなくてはならないということです。
ここまで見てきたように、お経を読んだからといって単純に成仏がかなうわけではありません。「法華経」を読む、つまり口に唱え、心で現実と教えを照らし合わせ、身体を用いて現実世界に教えをひろめるという行いをして、はじめて「成仏」に近づくことができるのです。そしてこれが「南無妙法蓮華経」と、身で、口で、心で唱えることだと、日蓮聖人は教えてくださっているのです。

(にちれん)(貞応元年(1222)2月16日 - 弘安5年(1282)10月13日)は、鎌倉時代仏教鎌倉仏教宗旨のひとつ日蓮宗 (法華宗) の宗祖。滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇1358年)と立正大師大正天皇1922年)の諡号を追贈された。


生涯

教え

遺文

日蓮は大量の書簡を自筆して弟子や信徒たちに発送し、信徒や弟子達もこれを大切に保管したため、現在でも真筆とみなし得る著作や書簡、断片は600点を越える 。

『立正安国論』(巻頭部分、日蓮撰・筆、法華経寺蔵、国宝
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』(巻頭部分、日蓮撰・筆、法華経寺蔵、国宝)
  • 守護国家論(しゅごこっかろん)1259年
  • 災難興起由来(さいなんこうきゆらい)1260年
  • 災難対治抄(さいなんたいちしょう)1260年
  • 立正安国論(りっしょうあんこくろん)[1]、1260年
  • 顕謗法抄(けんぼうほうしょう)1262年
  • 法華浄土問答抄(ほっけじょうどもんどうしょう)1272年
  • 八宗違目抄、1272年
  • 開目抄(かいもくしょう)1272年
  • 真言諸宗違目1272年
  • 祈祷抄(きとうしょう)1272年
  • 如来滅後五五百歳始観心本尊抄(にょらいのめつご、ごごひゃくさいにはじむ、かんじんのほんぞんしょう)1273年
  • 顕仏未来記(けんぶつみらいき)1273年
  • 小乗大乗分別抄、1273年
  • 木絵二像開眼事、1273年
  • 法華取要抄(ほっけしゅようしょう)1274年
  • 神王国御書、1275年
  • 種種御振舞御書、1275年
  • 撰時抄(せんじしょう)1275年
  • 報恩抄(ほうおんしょう)1276年
  • 四信五品抄(ししんごほんしょう)1277年
  • 諫暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)1280年
  • 唱法華題目抄(しょうほっけだいもくしょう)
  • 本尊問答抄(ほんぞんもんどうしょう)
  • 兄弟抄
  • 下山御消息(しもやまごしょうそく)

他四百余篇。

立正安国論

日蓮文応元年(1260)7月16日に得宗(元執権北条時頼に提出した文書が立正安国論である。日蓮は、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして対立宗派を非難し、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けると唱え、逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と主張した。

その内容に激昂した浄土宗の宗徒による日蓮襲撃事件を招いた上に、禅宗を信じていた時頼からも「政治批判」と見なされて、翌年には日蓮が伊豆国に流罪となった。この事は「教えを広める者は、難に遭う」という『法華経』の言葉に合う為、「法華経の行者」としての自覚を深める事になった。

しかし、時頼没後の文永5年(1268年)にはモンゴル帝国から臣従を要求する国書が届けられて元寇に至り、国内では時頼の遺児である執権北条時宗が異母兄時輔を殺害し、朝廷では後深草上皇亀山天皇が対立の様相を見せ始めた。

日蓮とその信者は『立正安国論』をこの事態の到来を予知した予言書であると考えるようになった。日蓮はこれに自信を深め、弘安元年(1278年)に改訂を行い(「広本」)、さらに2回『立正安国論』を提出し、合わせて生涯に3回の「国家諫暁」(弾圧や迫害を恐れず権力者に対して率直に意見すること)を行った。

一谷入道御書

文永の役の際の元・高麗連合軍による対馬侵攻について、現在伝世されている日蓮の書簡のうち、建治元年五月八日付のいわゆる「一谷入道御書」に、日蓮が接した当時の伝聞が伝えられている 。

(前略)去文永十一年(太歳甲戊)十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、対馬ノ者カタメテ有シ、総馬尉(そうまじょう)等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或八殺シ、或ハ生取(いけどり)ニシ、女ヲハ或ハ取集(とりあつめ)テ、手ヲトヲシテ船ニ結付(むすびつけ)或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是(またかくのごとし)

この「一谷入道御書」は日蓮が佐渡配流中に世話になっていた一谷入道の女房に宛てて文永の役の翌々年に書かれたもので、その後段部分に文永の役における対馬の被害について触れたものである。これによると蒙古軍は上陸後、宗資国(総馬尉)以下の守護勢を撃退し、島内の民衆を殺戮、あるいは生捕りにしたりしたうえ、さらには捕虜としたこれらの住民の「手ヲトヲシテ」つまり手の平に穴を穿ち、紐か縄などによってか不明だがこれを貫き通して船壁に並べ立てた、という話を伝えている。ただし、後段にもあるように、日蓮のこの書簡にのみ現れ、「手ヲトヲシテ」云々が実際に行われたことかどうかは詳らかではない。

その他の書簡における蒙古襲来についての記載

日蓮自身、「一谷入道御書」以降の書簡において何度か文永の役での被害について触れており、その度に掠奪や人々の連行、殺戮など「壱岐対馬」の惨状について述べており、朝廷や幕府が日蓮の教説の通り従わず人々も南無妙法蓮華経の題目を唱えなければ「壱岐対馬」のように京都や鎌倉も蒙古の殺戮や掠奪の犠牲になり国は滅びてしまうとも警告している。

例えば、建治二年閏三月五日に妙密に宛てた「妙密上人御消息」には、「日本国の人人は、法華経は尊とけれとも、日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱えましとことはり給ふとも、今一度も二度も、大蒙古国より押し寄せて、壹岐対馬の様に、男をは打ち死し、女をは押し取り、京鎌倉に打入りて、国主並びに大臣百官等を搦め取、牛馬の前にけたてつよく責めん時は、争か南無妙法蓮華経と唱へさるへき、法華経の第五の巻をもて、日蓮が面を数箇度打ちたりしは、日蓮は何とも思はす、うれしくそ侍りし、不軽品の如く身を責め、勧持品の如く身に当て貴し貴し」と記している。

しかしながら、近年の研究によると、「一谷入道御書」以降の書簡では文永の役における壱岐・対馬などでの被害や惨状について幾度も触れられているものの、「捕虜の手に穴を開けて連行する」という記述は「一谷入道御書」以降の日蓮の書簡において類する言及は見られないため、文永の役での情報が錯綜していた時期に、あまり根拠のない風聞も書簡中に書かれたのではないかという推測がされている。

四箇格言

日蓮は「諌暁八幡抄」などで他の仏教宗派を批判した際、四箇格言(しかかくげん)を述べた。真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊の四つを謂う。ただし、自身はこれを四箇格言とは命名していない。

日蓮門下の諸派

日蓮門下における伝統宗教の系譜である。
教義:勝劣/一致派
教義:一致派
教義:勝劣派
門流名と教義の一覧表

日蓮を扱った作品

伝記

  • 『日蓮聖人註画讃』

一般信徒に向けた日蓮の伝記や書簡の整理は教団の拡大が進展する室町時代頃から本格的に始まる。室町時代、応仁の乱以降に日蓮宗の教勢拡大とともに教団内外の要請に応える形で各種の日蓮の伝記集が成立した。このうち『元祖化導記』と『日蓮聖人註画讃』が後代まで模範となる主要な日蓮伝の双璧となった。日朝の『元祖化導記』は日蓮の書簡を主要典拠として正しい日蓮の歴史像を明示しようという学究性の高い伝記であった。『元祖化導記』と時期を同じくして成立した円明院日澄1441年1510年)『日蓮聖人註画讃』はとりわけ日蓮の各種書簡と伝世された祖師伝説とを合わせて成立した絵巻による伝記であり、全国的な日蓮宗の布教網の拡大に合わせ、当時の日蓮宗徒や巷間に流布していた「超人的で理想的な祖師像」に合致した内容でもあった。

『日蓮聖人註画讃』の第59段「蒙古来」は文永の役について「一谷入道御書」を主な典拠としており、「一谷入道御書」で日蓮が伝えた「手ヲトヲシテ船ニ結付」という文言はここでも現れている。特に『日蓮聖人註画讃』は室町時代から江戸時代にかけての一般的な(超人的な能力や神通力を具有する祖師としての)日蓮像の形成に強い影響を及ぼすことになる。

『日蓮聖人註画讃』は江戸時代に入って幾度も刊本として出版されており、江戸時代における蒙古襲来関係の研究書では、津田元貫(1734-1815)『参考蒙古入寇記』や群書類従の編者でもある塙保己一1746年-1821年)の『螢蠅抄』、橘守部1781年-1849年)『蒙古諸軍記弁疑』などで頻繁に引用されている。本来『日蓮聖人註画讃』は文永・弘安の役についての史料としては(日蓮の没後200年程たって成立したことからも明らかなように)二次的なものに過ぎないのだが、江戸時代における『日蓮聖人註画讃』の扱いは、橘守部が「日蓮画讃の如き実記」と述べているように「実記」として意識され、大抵は無批判に引用される傾向があった。

『日蓮聖人註画讃』の文永・弘安の役についての史料価値についての批判的研究は、明治時代、明治24年(1891年)になって小倉秀貫が『高祖遺文録』などにある日蓮書簡の詳細な分析を通さないうちは史料とはみなせない、と論じるまで待たねばならない。

明治期に入り、小倉と同じ1891年11月に山田安栄は日本内外の蒙古襲来関係の史料を収集した『伏敵編』を著した。『伏敵編』は『善隣国宝記』や『異称日本伝』、『螢蠅抄』、『蒙古諸軍記弁疑』、大橋訥庵『元寇紀略』など江戸時代やそれ以前から続く蒙古襲来史研究の成果を批判的に継承したもので、従来から引用されて来た諸史料をある程度吟味しながら引用やその資料的な批判を行っている。一方で、『伏敵編』の編纂は、当時、福岡警察署長の湯地丈雄の主導で長崎事件1886年)を期に進められていた元寇記念碑建設運動との関係で行われたものであり、日清戦争への緊迫した情勢を反映して、江戸時代からの攘夷運動の流れを組みつつも自衛のための国家主義を標榜するという山田安栄の思想的な表明の書物でもあった。

山田安栄は『日蓮聖人註画讃』の「手ヲトヲシテ船ニ結付」についても論じており、『太平記』の記述「掌ヲ連索シテ舷ニ貫ネタリ」や、『日本書紀』と比較しつつ、「索ヲ以テ手頭ト手頭ヲ連結シタルニ非スシテ。女虜ノ手掌ヲ穿傷シ。索ヲ貫キ舷端ニ結著シタルヲ謂フナリ。」と述べ、捕虜となった人々の手首同士を綱や縄で結び付けているのではなくて、手のひらを穿って傷つけそこに綱を貫き通してそれらの人々を舷端に結わえ付けた、と文言の解釈を行っている。さらに山田は、『日本書紀』の天智天皇の時代(662年)について書かれた高麗の前身の国家である「百済」での事例を引き合いに出し「手掌ヲ穿傷……」(手の平に穴をあけてそこへ縄を通す」の意)やり方を、朝鮮半島において古来より続く伝統的行為としたうえで、この行為を蒙古というより高麗人によるとしている。

映画

小説

(複数冊に分かれている作品の場合、出版年とISBNコードなどは、上巻もしくは第1巻のもの。)


日蓮 - Wikipedia より転載


「人生で大事なこと...
~人生の試練・逆境を乗り越える心得~」
【山川宗玄老師×鈴木秀子先生】
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 

 禅の修行道場の中でも
 一際厳しいことで有名な
 岐阜県の臨済宗正眼寺。
 その住職をつとめるのが
 山川宗玄老師です。
 
 そこで本日は、若き日から、
 自らを心身の限界にまで追い込む
 厳しい修行に打ち込んできた
 山川老師と、弊誌連載でもお馴染みの
 鈴木秀子先生に、 
 
【人生で大事なこと】

 をテーマに語り合っていただいた
 貴重な対談記事の一部を
 紹介させていただきます!!
  
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・ 

(山川)
 苦しい状況に遭遇したら、
 自分はそれだけ大きな人間だと考えて
 黙って受け入れて前を向いて歩いていく。
 これが禅の発想ですね。

(鈴木)
『聖書』にも
「苦しみがあるところには、それを
 乗り越える力が必ず与えられている」
 と書かれています。
 
 面白い話があるんですよ。
 ある人が死んであの世に行って
 海岸の絶壁に立っていたら、
 神様が現れるんです。

 その人は神様にこう言いました。

「神様、あなたはいつも一緒にいて
 苦しみを乗り越える力を与えて
 くださるというけれども、
 そんなことはありませんでした。

 私が苦しくてたまらない時、
 あなたはどこかに行って
 おしまいになりました。
 その証拠に目の前の海岸を
 見てください。

 あなたと私の二人の足跡が続いていて、
 途中からは私一人の足跡になっている
 でしょう。

 その頃、私はたった一人で
 辛い思いをしながら歩いていたんです」
 
 それを神様は黙って聞いていて

「一人の時の足跡をよく見てごらん。
 砂の中に大きく深く足跡が食い込んで
 いるだろう。

 あなたが苦しくて一人では
 歩こうとしないから、
 私があなたの苦しみを担って一歩一歩、
 歩いていたんだよ。

 そしてあなたが苦しみから抜け出た時、
 また二人で並んで歩いたのだよ」

 とおっしゃったというんです。

(山川)
 なるほど。
 私は神様がわざわざ背中に乗って
 くれたのかと思いました(笑)。

(鈴木)
 だから、どんな苦しいことでも
 耐えられる、きっと大宇宙が味方を
 してくれるはずです。

(山川)
 この地上で形ある命となった時、
 それを使い切るまで生きていける
 能力が、本当は誰にでも備えられて
 いる。
 そこに安心したらいいのだと思います。

(鈴木)
 そしてその命ということですけれども、
 私たちは命というと自分の寿命を
 連想します。
 でも、その命はバラバラではない。

 深いところで皆繋がっていることを
 私は確信しているんです。

(山川)
 同感ですね。
 私はそれを滝に譬えてよく話します。
 水がドーッと…

※この後も、お二人に

【生きているのではなく
 生かされている】
【人生に無駄な出来事は一つもない】
【余計なものを取り除くと
 物事の本質が見える】
 
 など、生きていく上で大切な心得を
 語っていただいています。
 
 続きはぜひ、『致知』最新号5月号
 P62をご覧ください。

………………………………………………

「人生で大事なこと」
 
 山川宗玄
(正眼寺住職)
 &
 鈴木秀子
(国際コミュニオン学会名誉会長)
  
『致知』2015年5月号
 特集「人生心得帖」より

【弥勒菩薩半跏思惟像と浅田真央ちゃん】

弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかし(ゆ)いぞう) は、仏像の一形式で、台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み(半跏)、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する(思惟)姿の弥勒菩薩像である日本には大陸より6世紀から7世紀弥勒信仰の流入と共に伝えられ、飛鳥奈良時代の作品が多く残されている。

【聖徳太子の石像 壊される、千葉・鋸南町の寺】

 7日、千葉県・鋸南町の寺で聖徳太子の像が壊されているのが見つかりました。

 7日午後、鋸南町の「鋸山日本寺」で、「石像が登山客に倒された」と通報がありました。警察官が駆けつけたところ、寺の境内で柵に囲まれた高さ127センチの聖徳太子の像が胸のあたりから上下に壊されているのが見つかりました。

 警察によりますと、柵の中にいた2人組の男女が大きな音がした後、現場から走り去っていくのを登山客の男性に目撃されていたということです。

 「250年という歴史は、もう戻ってこない、壊されてしまうと。非常に嘆かわしい」(寺の住職)

 2人組の男女は年齢が20代後半で、サングラスにピンクのジャージ姿だったということで、警察は器物損壊事件として捜査しています。日本寺は石を削って造るものとしては日本一大きな仏像がある寺として知られています。(08日00:23)

最終更新:5月8日(金)12時53分

TBS News i

 

【京都・清水寺でも油?被害 国宝の本堂数カ所】

 京都府や奈良県の社寺などで、油のような液体がまかれる事件が相次ぐ中、世界遺産の清水寺(京都市東山区)が27日、境内で油がまかれたような染みが見つかったとして東山署に届け出た。国宝の本堂西側の床など数カ所で見つかったといい、同署が調べている。
 関係者によると、同寺の職員が同日午前11時すぎ、本堂西側の床とさい銭箱下で染みを確認した。同10時50分ごろ、別の職員がごみを拾いに行ったときは気付かなかったという。拝観受け付けは通常通り、行っている。
 一連の被害は4日に奈良県の長谷寺と岡寺で明らかになり、23日までに11府県35社寺に広がっている。京都では、世界遺産の二条城(京都市中京区)と東寺(教王護国寺、南区)のほか、狸谷山不動院(左京区)、八坂神社(東山区)でも見つかり、府警は文化財保護法違反などの疑いで捜査している。

最終更新:4月27日(月)14時14分

京都新聞

 

 

寺社液体散布、千葉の寺で似た男
東大寺の防犯カメラにも

印刷用画面を開く

 各地の寺社で油のような液体がまかれた事件で、被害に遭った奈良県内の四つの寺に設置された防犯カメラに写った男と似た人物が、千葉県成田市の成田山新勝寺や同県香取市の香取神宮のカメラにも写っていたことが25日、捜査関係者への取材で分かった。

 東大寺(奈良市)の防犯カメラにも写っていたことも25日までに判明。奈良県警などが千葉と奈良の被害の関連性を調べるとともに、男の特定を急ぐ。

 

 捜査関係者によると、似た男は新勝寺と香取神宮で、3月25日の映像で確認されたという。同27日午前には東大寺の防犯カメラに写っていた。(共同通信)

△ 凡夫自無始以來,在三界六道熏習的都是感情,立時斷掉,談何容易!必須聽經研教,慢慢熏習。

△ 學道要少攀緣,斷情不斷慈悲心,增長菩提心,將世間意識斷除,沒有人情的牽累,沒有物質的掛念,才有成就。

△ 煩惱是修道的障礙,對治的方法是念煩惱之種種性,而不要念煩惱之相。如常常想某某冤家對頭給我氣受,愈想愈氣,就是煩惱;如想...與人好,對他有特殊的喜歡,也是煩惱。六根接觸六塵如如不動,果不動心,生死即了。

△ 人生在世,短短幾十年,有何意義?如僅為了衣食利祿,則人生毫無價值可言。爭名奪利必須心毒手辣,造諸眾罪,來生更受苦報,人無智慧必走此路。

△ 貪心斷了即了生死,依金剛經說身命尚可佈施,還貪什麼?一切萬法如夢幻泡影,得無歡喜心,失無惋惜心,無得失之心即了生死,無得失之心即大自在,現在就幹,即與佛菩薩一樣。

△ 學佛不能自暴自棄。我們發菩提心,時時刻刻存心度化眾生,那麼當下就是菩薩,護法龍天都會在四周保護。菩提心增長了,煩惱自然就會減少;煩惱減少,自然得到清涼自在。

△ 吃虧上當心中要平淨,不要起分別,吃一點小虧即念念不忘,斤斤計較,煩惱絕不會減輕,只有日日漸增長,苦海無邊。須知因果通三世,沒有憑空而來的吃虧上當,總有其來龍去脈的道理;自己萬萬不可欠他人債,一切債務無論是金錢債或人情債要盡速了結,因果絲毫不爽。

△ 佛光有三種人見不到:(1) 凡夫見不到。清涼大師特別加以注釋,謂此指愚癡之凡夫見不到。(2) 知見不正的人,即相信邪魔外道的人,與佛無緣故見不到。(3) 佛門內,學佛而無深解者見不到。

△ 一切有為法,如夢幻泡影。吾人現正在夢中,醒覺過來,方知世事如幻。空華佛事,水月道場,連佛法都是假的,何況世間一切有為法。

△ 對世間事淡(放下執著)一分即對佛法靠近一分,看十法界眾生等無差別。勸人學佛可不能勸人斷除世間法,「佛法在世間,不離世間覺」,重在一個「覺」字上,迷了就是世間法,覺了即是佛法。

△ 佛法就是一個「舍」字,能捨得一分,道業即增進一分,捨得多道業高。若貪求無有厭足,必定入三惡道,一入惡道再想出頭就難了。

△ 諸佛正法之總綱是「諸惡莫做,眾善奉行,自淨其意,是諸佛教」。以清淨心斷惡修善,天天做,但心裡一概不染;如愈做愈執著,煩惱愈多,是未自淨其意,與諸佛正教不相應。高級的佛法即在自淨其意,心地清淨即是佛,六根接觸六塵境界而不為六塵所染。

△ 馬祖說,「平常心是道」,平常心就是直心,心無念頭則平,起念即不平,常是永遠保持著,即是道。

△ 因緣的定義是隨緣不變,自然是不變不隨緣,見性是隨緣不變、不變隨緣。

△ 不變隨緣,不變是本性,即雖觸所緣而現萬有,然其本體不變。諸佛如來是不變隨緣。隨緣不變是佛菩薩的境界,大乘人修行的捷徑,隨一切緣,心中如如不動,心不隨著轉,有隨緣動作而本性不變之意。真如者,其體雖為不變,然觸緣則生萬有,故曰隨緣不變。不變不隨緣,此二乘人之境界,不度眾生,但求自度。隨緣隨變,六道凡夫之境界,隨外面境界而內心即隨之起變化。

隨緣不是隨便,也不是隨善緣惡緣,而是讓人們做到外不著相,內不動心,清淨平等,也就是隨淨緣。


普通の人々 を始め、喫煙、3 つの地域の六つの学習があるので感情をオフにカットが簡単にすぐに行うは難しい !教え、研究所で聞かれる必要がありますをゆっくりと燻製。

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すべての有望な方法、幻覚など。我々 は目が覚める、我々 は世界はイリュー ジョンを知っている前に、夢の中では。中国国際航空ファンもダルマ Shui 岳寺は false、有望な方法のすべてを言うまでもありません。

ような未分化 10 の王国の存在である、ポイント近く分けられたダルマには光 (添付ファイル下に置かれる)。仏教を学ぶために促す人々 人々 の世界では、「世界でダルマ、私は寝ていない、世界で」、「タイト」、単語の上を失ったで切断は世界、睡眠は、ダルマを説得しないでください。

ダルマは「家」の文字高いポイント、道路産業振興課、マルチ チャネルを与えるために喜んで。場合は欲望と満足度は悪だと思った彼の 20 代前半で再び困難に、3 つの王国にある必要があります。

マスター ファ-修正は、「悪を行うと従って仏教、ネットからのすべての良い」仏です。良い、毎日は、行うことで悪の壊れた純粋な心がフェルトない染料のような; まったく以上になるし、教えていないすべての fó zhèng に対応するより堅いより多くについての心配ではないセルフ クリーニング。ハートで純粋な意味の自浄作用でシニアのダルマとは仏レルムではなく 6 6 シックス センシズ ステンドほこりに問い合わせてください。

松は言った、「通常の方法です」平凡な心はないアイデアをストレートをも、しばしば保持ではないポイントの道を読んでします。

カルマは定義されて同じによると、自然が変更されることは同じですが、同じ運命によると、容易ではないです。

簡単にそのまま変更はありません自然、エッジとそれに触れることですが、その本質的には変更されません。Fó rú lái 同じ運命であります。不変量によると仏や菩薩、大乗練習ショートカット、中心に妨げられていない、すべての余白の領域は、心が入らない、運命と自然の意味を変更しないでください。True の場合、彼の体はそのままに、しかしすべての端に触れる、それ故によると言ってそのまま。変更は簡単で、この王国の広場の 1 つ、ない衆生が程度以来。変更、劉 DAO fán fū zhī によると、外部との変化と内部再生します。

ない、カジュアルでも良い悪の余白がない純粋な誘惑されるするいると同じことを行う人々 しないようには、純利益。

修行最重要是心,清淨心、平等心、覺心。清淨是一絲毫都不染著。一定要曉得,「天下本無事,庸人自擾之」。庸人是什麼?迷惑、顛倒,自己找煩惱,自生煩惱。沒有煩惱,煩惱在哪裡?你認真去找,最後肯定是覓煩惱而不可得。所以煩惱是假的,它不是真的,真的你會找到它,假的找不到。一時迷惑而造成的,覺悟就沒有了。保持清淨心,保持本來沒有事...情的心,你心裡頭本來沒事,不要去攀緣,不要去攬事。用清淨心念佛,一念相應一念佛,念念相應念念佛,這是大事,這是最重要的事,其他的全都給放下。古人告訴我們,「知事多時煩惱多」,告訴我們別多事,多事你心不清淨,你清淨心失掉了。清淨心是佛心,染污的心是輪迴心。也不必認識很多人,一切人與事用平常心對待。平常心是真心,平是平等,常是永恆不變。守住戒律,守住倫常道德,中國傳統的倫常道德都在佛法戒律之中。要修忍辱,什麼都要忍。大乘教裡面佛告訴我們布施,這三種布施修福、修德,忍辱能夠保持你的福德而不失去。大家都聽過佛法裡面常說「火燒功德林」,火是什麼?煩惱、怨恨、瞋恚,這個念頭一生起來,功德就沒有了。功德是什麼?是戒定慧,就沒有了。

功德很不容易修,一心常住戒定慧中,功德才能夠增長;戒定慧失去,功德非常非常不容易成就,這樁事情不能不知道。忍真難,可是你要知道萬法皆空那就容易了。《般若經》上所說的,「一切法無所有,畢竟空,不可得」,你忍辱就成就了。前面我們才學過的,我空、法空,我是正報,法是依報。只有自性是常是一,十法界依正莊嚴非常非一,假的,不是真的。你要認真就生煩惱,你曉得是假的,隨它去,沒事,你就得自在。隨它去是隨緣,恆順眾生,隨喜功德。這個眾生是一切現象,眾緣...


最も重要な練習は、きれいな、心臓平静、感じる。ピュアは、塗装されていません。確認してください、「世界は私たちの邪魔をするように動作しません」平凡なものは何ですか?混乱、逆に、自分の心配、健康トラブルから。心配しないで、ここでのトラブルですか?最後を見つけるのトラブルだったことができませんでした、真剣に探しています。だから心配は偽、本当ではないでしょう本当に、偽は見つかりませんでした。混乱によって引き起こされる意識はなくなっています。きれいな心を保つため、罰金、登山に行くしないでくださいあなたの心の心は何を維持し、アイロンには行かない。暗誦する純粋なハートと共に読み取り暗唱に対応する、読み取り読む仏、これは最も重要なことである素晴らしいイベント、他人に行かせていた。古代人を教えて、「心配より多くについて知るものは長い間」、告げて起こすなくらい、純粋な心と純粋な心は失われます。純粋な心は仏の心、ステンド グラスの心は生まれ変わり心。多くの人々 や物事への無頓着な態度を持つすべての人々 を知っている必要はありません。一般的な心誠実、等しいとしばしばは時代を超越しました。戒めを守る、家族道徳、道徳的な戒律で中国の伝統的な家族を守る。何にも耐える恥が構築されます。大乗仏教を告げてその慈善団体を教えているこれら 3 つのブッシュ フォーチュン、美徳、忍耐を失うことがなく、メリットを維持します。「ゴング ・ デ ・林火災」と言って、ダルマを聞いた我々 は、すべて火とは何ですか?心配、憤り、怒り、生命の考えなしに値する。メリットは何ですか?リング鐘の音ヒュイですがあるだろうありません。

メリットは簡単ではない、1 つリング鐘の音ヒュイ、メリットの居住者が増加することができることを知るべきであるホイを失ったの生命非常に、非常に困難達成から棄権します。本当にハードが Wan Fa 空のそれは簡単です知っています。『 般若経 』 によると、"すべてを一切、結局のところ、することはできません"あなたの忍耐。私たち以前、習った私の空、空、私は報告されていたメソッドは、レポートによると。だけ自己は常に 1 つは、10 のダルマ王国は堂々 非常に非-、false true。あなたの健康について心配する必要は真剣に、あなたは知っている false、それを手放す、それは OK です、あなたが自宅であります。それを聞かせて恒俊徳に喜びをすべての衆生が簡単で。衆生は、すべての現象は、すべての余白.

報復するよりも

慈悲の心で

赦すこと。

そのほうが

この世界では

より多くのことが

成し遂げられるのだから。

You will achieve more in this world through acts of mercy than you will through acts of retribution.

Nelson Mandela
ネルソン・マンデラ
アパルトヘイト(非白人を対象とした人種隔離政策)撤廃のために活動した南アフリカ共和国の政治家、ノーベル平和賞受賞

許せる心がもてるように。
寛大な心がもてるように。

心がキレイになる!ブッダの言葉

 
(1)
 
善をなすのを
急ぎなさい。
 
善をなすのに
のろのろしていたら、
心は悪を楽しむ
ようになります。
 
 
(2)
 
過去は追ってはならない、
未来は待ってはならない。
 
ただ現在の一瞬だけを、
強く生きねばならない。
 
 
(3)
 
最大の名誉は
決して倒れない
事ではない。
 
倒れるたびに
起き上がる
事である。
 
 
(4)
 
愚かな人は常に
名誉と利益とに苦しむ。
 
上席を得たい
権利を得たい
利益を得たいと
常にこの欲のために苦しむ。
 
 
(5)
 
みずから自分を励ませ
 
 
(6)
 
沈黙しても批判され、
多く語っても批判され、
少し語っても批判される。
この世に批判されない者はない。
 
 
(7)
 
苦悩を乗り越えるための
聖なる道は8つの部分
からできている。
 
正しいものの見方、
 
正しい決意
 
正しい言葉
 
正しい行為
 
正しい生活
 
正しい努力
 
正しい思念
 
正しい瞑想である。
 
 
(8)
 
生まれを問うな、
行為を問え。
 
 
(9)
 
堅い岩が風に
揺るがないように、
賢い人はそしられても
ほめられても心を動かさない。
 
 
(10)
 
今日すべきことは明日に延ばさず
確かにしていくことこそ
よい一日を生きる道である。
 
 
 
- ブッダ -
 
 
 
今回は、ブッダのありがたいお言葉をまとめさせて頂きました。ブッダが天に召されて
から数千年経過しているわけですが、その数々の言葉は今もこうして語られています。


欧米では仏教は宗教としてよりも偉大な哲学として捉えられていまして、過去数十年間
をふりかえっても、大きなブームのようなものはなくても、常に高い人気を誇ってます。


今回久しぶりにブッダの言葉を目にし、あらためてその凄さに驚愕しております。
ちなみに今回のブッダの言葉で心に響いたのは以下の言葉です。


(2)過去は追ってはならない、未来は待ってはならない。
   ただ現在の一瞬だけを、強く生きねばならない。
 
(3)最大の名誉は決して倒れない事ではない。
   倒れるたびに起き上がる事である。
 
(10)今日すべきことは明日に延ばさず、
   確かにしていくことこそ
   よい一日を生きる道である。
 
 
(2)は、あまりにも過去の失敗にこだわりすぎると未来が不安になりますから、やはり
今やるべきことに集中して心をこめて一つ一つ丁寧に取り組むべきだと思いました。
 
 
(3)は、倒れても出来るだけ早く立ち上がれば、その分やり直しがききますよね。
(10)今日やる気ことを先延ばしなければ、その分明日に余裕が生まれます。

No.1 なぜ私は東大を中退して仏教講師になったのか (ブッダの教える幸せへのたった一つの思考法)


今日から贈るメールは

岡本が東大在学中 仏教と出会ってから18年間、学び続け
伝え続けてきたエッセンスをまとめたものです。

題してメール講座

「ブッダの教える 幸せへのたった一つの思考法」

です。今日から約20日間の間、ブッダの智恵をあなたにお届けします。

渾身の1通1通なので、最後まできちんと読んで下さいね。


途中、絶対に手に入らない貴重なプレゼントも用意しました。
本当に貴重な情報なので、見落とさないで下さいね。


【間違った考え方が、人生を不幸にする】

私達の行動は、心や、考え方から生み出されます。

正しい考え方からは正しい行動が生まれ、正しい行動からは「幸せ」という結果が生まれます。
間違った考え方からは間違った行動が生まれ、間違った行動からは「苦しみ」という結果が生まれます。


もし、あなたがこんな、間違った考え方を持っていたら、あなたは幸せにはなれないでしょう。


◯自分は不運な人間だ
◯いつもついていない
◯何をやってもダメなんだ
◯みんな自分のことを馬鹿にしている
◯自分は愛されていない
◯誰も自分のことを分かってくれない、さびしい
◯周りの目が気になっていつも不安だ
◯ありのままの自分を出したいのに、いつも装っている
◯自分の居場所はどこにもない
◯「どうせ、自分なんか」が口癖になっている
◯全部悪いのは自分だと思ってすぐに自分を責めてしまう
◯ついつい人と比べてしまう、周りと比べて劣っているととても気になる
◯何でも人のせいにしてしまう
◯すぐに愚痴っぽくなってしまう
◯ちょっとしたことが気になって腹が立つ
◯占いや迷信に影響されやすい、自分がない
◯感謝が大事だと思っても感謝の気持ちが持てない
◯怒ると自分をおさえられない
◯何をやっても虚しい、生きていることに意味を感じることができない



ちょっと厳しいことを言うようですが
こんな考えからは幸せへの行動はうまれませんし、
自分に自信がもてず、他人の目を気にしながら、不平不満の毎日になってしまいます。

仮に物質的に恵まれたとしても感謝のない、虚しい人生になってしまうのではないでしょうか。

というのも私も実は全くこんな考えで、毎日を不平と恨みで過ごしていたからなんです。

よく読者の方から

「なぜ、東大を4年で中退して、仏教の道に進んだのですか」と聞かれます。

今日は、これまで明かしたことがなかった仏教との出会いを告白しましょう。



【小学生の時は、肥満児といわれ、いじめられていた・・】

私は小学生時代、たいへん太っていて、健康診断の時に、健康手帳に
肥満児と書き込まれました。

運動が苦手で、50M走は12秒台、みんなから馬鹿にされてとても
惨めな毎日でした。

その頃から、私は
なんで、こんな鈍足に産んだんだと母に怒鳴ったり
弟をいじめて、八つ当たりをしていました。

【荒れた中学時代】

中学に入ると素行はそんなに悪くなかったものの
馬鹿にされると、腹が立って自分を押さえられなくなる
ことがありました。

ある日、学年でも一番のワルとして恐れられていたSくんが
私に目をつけて、事あるごとにからんできたのです。

最初はニヤニヤ笑いながら、やり過ごそうとしたのですが
だんだん、エスカレートしてきます。

ある日、もう我慢できなくなった私は、
たまたま、そこにあった鉄パイプでSくんを殴りつけました。

びっくりしたのは周りにいた同級生で、

「岡本、やめろ」とみんなで私を取り押さえたのですが

私だけを取り押さえたので、逆ギレしたSくんに身動きの取れない
私は、思いっきり袋叩きにされ、意識が遠のきました。


「みんなを見返してやりたい、悔しい・・・」

運動では太刀打ち出来ないので

「いい大学に入ってみんなを見返してやりたい」
という一心で、中学時代から猛勉強を始めたのです。

【東京大学に合格しても・・】

みんなが青春を謳歌している高校時代

遊び、部活、恋愛すべて犠牲にして、腰痛になりながらも
悪戦苦闘の猛勉強の末、なんとか東京大学に合格することが
できました。

ところが

驚いたことに、東大に入っても私の劣等意識、自分への自信のなさは
なくならず、苦しみ悩みはなくならなかったのです。

【東大に入学しても劣等意識に悩む】


同じ東大の同級生に対しても、自分よりも成績が優秀な人は
あいつは、親が金持ちで、中学校から有名私立にいっているよな
おれは、自分で勉強したんだとねたんだりひがんだり

スポーツも得意な同級生に対しては、なんでこんなに不公平なんだ
ととても腹立たしく、ねたみやそねみでなんて自分の心は醜いんだ
と一人、悶々と悩んでいました。

極めつけは、同じ東大の友達に彼女ができた時でした。

私は、自分に自信がなく、女の子に相手なんかされないだろうと
思って、女性とまともに話をすることさえできなかったのです。

たまに、優しい子が気遣って話しかけてくれても、

「自分を哀れんでいるのか 馬鹿にして」と思ってしまい、
拒絶する態度をとっていました。優しく接せられることさえ
恐れていました。

そんな私でしたから、彼女なんでこれまで全くできませんでした。

ところが、同級生には彼女ができた。

正直、許せませんでした。とても仲良かったのに
「早く別れろ、留年してしまえ」と友達の不幸ばかりを思ってしまう

自分が情けなく、惨めだったので、次第にその友達から距離を取り
一人静かに図書館で本を読むのが習慣となりました。

【数学の世界に逃避】

ああ、こんなのなら
一生、人と関わらない生き方がしたい
そうだ、自分は数学が好きだから、数学の研究者になろうと
おもって

専攻を数学に定めて、理学部数学科にいったのです。

ところが

毎日、数学のテキストを読むのは楽しかったですが

何か物足りません。なぜなら、どれだけ数学の問題を解いても
ずっと昔から引きずっている自分の心の悩みは解けないからです。

「もっと、頑張って有名な研究者になったら、自分に自信がもてるのかな
 でも、東大に入ったけど変わらなかったぞ
どうしたら、人と比べたり、人の目を気にせずに生きて行けるのかな」

そもそも自分は何のために生きているんだろう?
こんな自分に生きる意味や価値ってあるんだろうか?

数学の問題を解いている最中に

こんな悩みが頭をぐるぐる駆け巡ります。

どんなに難しい問題を解いても

自分の心の悩みは、一つも解けやしないのです。

そして

高校時代から、読んでいた哲学や心理学の本をまた、読みだしました。
ところが、哲学や心理学の本の中には、確かに自分の悩みについていろいろ
書かれていますが、結局どうしたら良いいのか、答えがありませんでした。


【仏教との出会い】

いろいろ悩んでいる最中、
同じ東大の科学哲学を専攻していた先輩

(この先輩もその後、哲学書を出版され、哲学書としては異例の10万部近いベストセラーになってます)

から、仏教について聞く機会があったのです。

「仏教?」

最初は、仏教なんて古臭い宗教なんて関心もなかったですが、

聞いていくと、実は、仏教は宗教というよりも人間の心を徹底的に
分析した哲学であることがわかったのです。

仏教には、私達が「幸せになれるたった一つの思考法」が
教えられていることを知りました。

それは、2600年前の古にブッダが仏の悟りによって
解き明かされた

運命の原因と結果の法則でした。

◯なぜ、私達は苦しむのか 苦しみの原因はなんなのか?
◯幸福、不幸はどんな考えから生み出されるのか?
◯誰にも分かってもらえない寂しさ孤独にどう向き合えばいいのか?
◯運命は何によってきまるのか?
◯こんな自分でも幸せな自分にどうしたら変われるのか?
◯怒りの心をどうすれば、コントロールできるのか?
◯愛される私になるにはどうしたらいいのか?
◯どうしたら自信を持って生きることができるのか?
◯他人の評価から解き放たれ、ありのままの自分にどうしたらなれるのか?
◯生きる意味、目的はなんなのか?

私の悩みを論理的に科学的に解き明かされる仏教の教えに出会い

私は、自分がこれまでずっと学んできた数学のどんな法則よりも
ブッダの解かれる運命の法則に感動しました。

そして、これまでの自分の劣等感
ネガティブ思考が、まるで春の日差しをあびた雪のように溶けて消えていったんです。

私は、自分が自分であることを受け入れることができたのです。


【自分を変えたこの教えを一人でも多くの方に伝えたい】

さて、私は、将来の進路をどこに定めようかと悩んでいました。

もう、数学には関心がなくなっており、仏教の勉強をして、それを多くの人に伝えたいという気持ちは高まるばかり


思い切って、大学4年で東大を中退して
その後、有名な仏教の先生の元に弟子入りして
3年と3ヶ月の勉強期間を経て仏教の講師として
全国を行脚するようになりました。

【私だけでなくあなたも変われます】

今では、あの頃の私とは大変りして

見知らぬ人にも声をかけ、女性の方の悩みを真摯に聞き、何百人の前でも
堂々と話をして、常に新しいことにチャレンジできる自分になりました。


あの のび太くんよりもお粗末だった私をガラリと変えた
ブッダの教えとはどんな教えなのか!?

私だけではありません 
あなたもこの教えを学ぶだけで、必ず変わることができます。

私の人生をガラリと変えた
仏教の原因と結果の法則を このメール講座では
あなたにおとどけしたいと思います。


【編集後記】

今回は、どうして私が、仏教を伝えようと思ったのかを
知っていただきたくて書きました。

書いている内に過去の辛かったことと初めて仏教の教えを学んだ時の
感動が思い出されて思わず涙がでてきました。

今思えば、あの時、仏教に出会わず、それこそ、おかしな宗教にはまっていたら
今頃、どうなっていたかと恐ろしく思うこともあります。

次回から、いよいよ、

「ブッダの教える 幸せへのたった一つの思考法」を解説していきますね。




No.2 ブッダはカウンセラーの元祖 原因と結果の法則(幸せへのたった一つの思考法)



前回の感想が届きました。


◯今日、読ませていただき、自分の生まれて今まで悩んでいたことと、
同じ悩みを抱えておられたと知り、驚きました。
感想は、おかもんさんがすごく近い存在に感じて嬉しかったです。

◯新しく初まったメール講座の一回目をしっかり読む気持ちで読みました。
先生の想いが伝わり、感動で胸に熱くなり、今も何か胸がざわざわ動いています。
私の学びにこのような機会を与えてくださり感謝しております。

◯人は苦しむ為に生きて生きているのではなくて、幸せになる為に生まれてきた、
生きている。それを教えられたものが仏教なのだと、よくわかりました。
途中、自分の幼少期を思い出し、よく生きてきたなぁ~と辛かった過去を思い出しました。

----------------------------

他にも感動の感想をたくさん頂きました。みなさん、ありがとうございます。


さて


私が仏教を学んで、まず、最初に衝撃を受けたのは

「どんな結果にも必ず原因がある」という因果の法則でした。
これまで、苦しいことやつらいことは、全部、環境や親のせいにして、
失敗しても、たまたま、偶然だと失敗の原因を直視しようとしなかった
私にとって、

「今、あなたにおきていることのすべてには必ず原因があるのですよ」

というブッダの言葉は、とても新鮮に感じ、シンプルなのに
ものすごい深さを感じたのです。

今日は、その因果の道理についてお話しましょう。


【仏教の根幹:因果の道理】

今から2600年前、インドの北部に生まれた釈迦は、
35歳で、仏という究極の悟りを開かれ、ブッダ(宇宙の真理をすべて体得した人)
となられました。そして80歳でお亡くなりになるまでの45年間、
教え続けていかれたのが、仏の教え、仏教です。

ブッダの45年間の教えの根っこであり幹は

「因果の道理(いんがのどうり)」です。

これは、平たくいえば、

原因と結果の法則ということです。

【原因と結果の法則とは??】

因果の道理とは、

どんな結果にも必ず、原因があり、原因なしに起きる結果は
絶対ない、これがいつでもどこでも変わらぬ道理(法則)である

ということです。

何かが起きたということは、そこに原因があったということ

「まかぬタネは生えないが、まいたタネは必ず生える」

ということです。

何かが生えてきたということは、そこにタネがあったということであり
タネもないのに、何かが生えるということは絶対にありません。

これは、私達の運命すべてに当てはまることです。
私達の身の上に起きる結果にはすべて原因があってのことなのです。


この原因と結果の法則は、宇宙の真理ですから、仏教だけでなく
多くの自己啓発書の中にも、触れられています。

たとえば、

ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」は自己啓発書の源流とも言われ、
世界各国で翻訳され、日本でも50万部以上発行されています。

この本の中にもブッダについて触れているところがあり、
アレンが仏教に大きく影響を受けたことが伺えます。

また、日本ではミリオンセラーになった

野口嘉則さんの「鏡の法則」もブッダの原因と結果の法則をもと
にストーリが展開されています。

-----------------------------------------------

現実に起きる出来事は、一つの「結果」です。
「結果」には必ず、「原因」があり、その原因は、
あなたの心の中にあるのです。

つまり、あなたの人生の現実は、あなたの心を映しだした
鏡だと思ってもらうといいと思います。

(野口嘉則著 総合法令出版 鏡の法則)

-------------------------------------------------

この本のあとがきには


-------------------------------------------------

この法則は、伝統的な宗教や東洋哲学の中で教えられてきたこと
とも共通しています。とても単純な法則なのですが

この法則を知ると、人生をコントロールする方法が
わかります。

私はコーチングを通して、この法則がすべての人に例外なく
働いていることを確かめてきました。

この法則を使うことで、多くの人が、困難と思われた現状を
打破し、望む状態を実現してこられています。

              (同著)

---------------------------------------------------

とあります。


【原因をあきらかに見ていく】

仏教に、自因自果(じいんじか)という言葉がありますが、

これは、自分に起きた結果の原因(タネ)は自分にある。

その原因を あきらかに見ていきなさい

ということです。

うまくいかない時、失敗した時、

自分に起きた結果の原因は必ず、自分自身にあるのだから

自分のどんな考え方や、言動がその結果を生み出したのか?

それを静かに振り返って見つめなさいと教えられています。




私(岡本)はブッダの教えに出会うまで

自分に起きた不都合な結果の原因をすべて他人のせいにして
いました。

親が悪い、友達がロクでもないやつだ、担任の先生が悪い
自分にある原因に目をそむけていたのです。

だから、いつもねたみやひがみ、怨みの心で苦しんでいたのだと
気が付きました。

しかし、自分に自信のない私にとって

自分自身に原因があるということを受け入れることはまた、苦しいことでした。

「自分に原因がある」=「自分が全部悪い」=「自分はダメなやつ」

と自分を責めてしまうのです。

ブッダの因果の法則を正しく理解すれば、この誤解は解消するのですが

当時の私には、すぐにはわかりませんでした。



実際、私の講座に参加する人にも

「原因が自分にある」と聞くと、「自分が全部悪いのだ、自分がダメなんだ」

と誤解してしまう人があります。

しかし

「全部が悪い」という人はいません。改めなければならないのは

一部分ですから、全部悪いと思って落ち込むのは、原因をあきらかにまっすぐ見ていないからです。

正しく原因を見つめることができると、ここだけ直せばいいのだ

「あとは、全然、問題ない」とわかりますから、前向きに元気になれます。

仏教の因果の道理を正しく理解することができれば

他人のせいにするのでもなく、

自分のせいにするのでもなく、

自分の原因を正しく見ていくことができるようになります。


しばらく、私が仏教を学んでいくとこのことがふっと心に落ちて
目の前のモヤがぱっと晴れました。

「自分の原因を見つめること」と

「自分はダメな人間だと責めること」とは全く違うのだ

このことを区別出来た時、私は、自分自身を振り返ることができるように
なったのです。


このことについて著名な 樺沢先生と対談をしました。
ぜひ、聞いて下さい。


【精神科医 樺沢紫苑先生と対談】

精神科医 樺沢紫苑先生と東京ブリジストン美術館のカフェで対談をしました。

樺沢先生をご存じの方も多いと思います。

精神科医、作家、映画評論家、グルメ評論家
であり、18冊以上の本を執筆、出版されています。

ひょんなことで、自著「幸せのタネ」を読んでくださった
ことがキッカケで、対談のご縁を頂きました。

1時間弱の対談を20分に圧縮してまとめましたので
とても濃い内容です。

前半は岡本が中心、後半は樺沢先生にお話いただいています。

★樺沢紫苑先生との対談内容★

◯仏教はあらゆる悩みのQ&A集なんですか?

◯諦観(あきらめる)・・とはどんな意味ですか?

◯一番のストレスは?変えられないことを変えようとすること

◯なぜ怒りが起きるのか?怒りの原因がわかると責めモードが解除される

◯幸せとは何?脳科学が裏付ける利他の心

◯幸福物質エンドルフィンが最も発生するのはどんな時?

◯クレクレ星人になってはならない

◯常に情報にニュートラルであれ

◯現代人のSNSのつきあい方

◯釈迦はカウンセラーの元祖

以下のURLから聞いて下さい。ダウンロードもできます。

http://xn--4gq896armcqyk.com/shiawasepresent/

感想をお待ちしていますね。

 okamonn@mbr.nifty.com  岡本まで


編集後記

樺沢先生はテレビにも出られてとてもお話が慣れておられましたが
私は、対談経験がほとんどなくとても緊張しました。
そんな私を上手にリードしてくださって感謝です。

20分ですが本5冊分に匹敵する情報ではないかと思います。
ぜひ、聞いて下さい。

次回は 「心が世界を生み出す」についてお話します。


発行:岡本一志
目からウロコの東洋哲学
facebook:https://www.facebook.com/okamonn




No.3 心が変われば世界が変わる(幸せへのたった一つの思考法)


前回の樺沢先生との対談、機種によっては
ダウンロード・再生できなかったという方もありました。
そういう方は以下のリンクをクリックして下さい。

http://bukkyouwakaru.com/taidan/kabasawa1.mp3


前回の感想を頂きました。

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◯腹が立つ原因が自分の欲求が妨げられていることと理解できました。
 自分の中に原因がありました。  

◯以前から家族に「ただひたすら感謝するんだよ!」と言い、
その理由を問われても、明確な返事ができないでいました。
今回の、樺沢先生とのお話の中の「感謝すると、エンドルフィンが出る」で雲が晴れ、満月を見た思いです。他にも多くのありがたいお話、ありがとうございました。

◯目から鱗です。
36才の時やりたくないことをやらざるを得ない羽目になり「ストレスで1日で胃に穴が開き九死に一生」をえました。(当時5年生存率10%といわれたが35年たちました。)
そして「これが自分の与えられた道・そのことで自分も周りも活かされる」と諦観した。そのことを思いながら そうだ・そうだ。と納得です。有難う御座います。

◯今日の教えにあったように、悪いのは一部分だけで、あとはうまくいっているのだ。と、前向きに考えられる思考が欲しいと思いました。ありがとうございました。


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ここで質問です!!


コップに半分の水が入っています。
あなたはそのコップの水を見て、どのように思いますか?


・「半分しかない」
・「半分も残っている」


客観的な事実は、「コップに半分の水が入っている」ということですが、
それを 「半分しか」と見るのと「半分も」と見るのでは、同じ水でも全く違って
見えていることになります。

同じものを見ても、その人の心によって全く違うように見えているのです。


【自分の生み出した世界に一人で生きている】


仏教では私達の世界のことを業界(ごうかい)と言われます。
業(ごう)とは「行い」のことです。古いインドの言葉でカルマと言います。

ですから、

業界とは、「行い」が生み出した世界ということです。

業(行い)といっても、仏教では、心と口と体の3つの方面から見られます。

・体の行いを 身業(しんごう)
・口の行いを 口業(くごう)
・心の行いを 意業(いごう)といいます。


そして

この3つの中でも心の行い(意業)が一番、重たいのだとブッダは説かれます。
なぜなら、心が元となって口や体の行いが現れるからです。

体でやったり、口で言ったり、心で思った
業(行い)が、私達の世界を生み出している。

これが業界ということです。


【同じものを見聞きしても心には全く違うように届いている】

私達は、物事をこれまでの経験を通して見ることしかできません。

たとえば、スキーの経験が豊富な人にとっては急な傾斜の雪山も滑り甲斐があるとワクワクするでしょうし、スキー経験がない人にとっては、傾斜が急な雪山は恐怖以外の何物でもありません。


同じ雪山でも、その人のこれまでやって来たこと(業)の違いによって
全く違って見えているのです。


同じ映画を見ても、感動して涙を流している人と退屈であくびをして涙を流している人

大好きな音楽CDを貸した友達に感想を聞いても、今ひとつな感じで肩透かしを感じることもあります。

見ている映像、届いている音波は同じでも、心にどう写っているのか
心にどう聞こえているのかはその人、その人、全く違うのです。

【人間は分かり合えない孤独な存在】

どんなに仲のよい友だちでも、家族でも夫婦でも、
究極的には分かり合うことはできません。

仲良くなればなるほど、相手は自分のことを分かってくれて
当然であると思ってしまいます。

そして、「分かってくれない」と相手の努力不足、配慮不足を
責めて、相手が悪いのだと腹を立ててしまいます。


ところが、真実からいうと
どんなに、仲良くなっても人間は分かり合えないものなのです。

それは、相手の努力や配慮が足りないからではなく
人間である以上、どうしようもないことです。

ブッダは

-----------------------------------------------
人世間 愛欲の中にありて、
独り生まれ独り死に独り来たりて独り去りゆく
-----------------------------------------------

と言われています。

人はみな、愛してもらいたい分かってもらいたいと願いながら
独りでこの世に生まれ、独りで死んで行かねばならない孤独な存在である

ということです。

【みんな一人ぼっちで苦しんでいる】


私は、もの心ついた時から、なぜか、孤独感を感じることが多く、
親に自分の人生への疑問をぶつけても、

「あんたは変わっているからね」と言われ、
誰も自分のことなんて分かってくれないと落ち込んだり、
自分を理解できないのは周りのレベルが引きすぎるからだと周囲の人の見下し、
自分を過大評価することで、その寂しさをごまかそうとしていました。

ところが仏教の教えを学ぶことで、

分かり合えない孤独に苦しんでいるのは自分だけではない
みんなひとりぼっちで苦しんでいるのだとわかった時、

世界の見え方がガラリと変わったのです。

これまで、自分を馬鹿にしたり、いじめてきた同級生も
みんな、やり場のない孤独に苦しんでいるのではないだろうか

今まで、「自分だけなぜこんなに孤独なんだろうか」と
思って、自分を理解しない家族や同級生、そして自分を取り巻く
世界を憎み呪っていた私でしたが

このヒリヒリ痛むような孤独感は自分だけではなかった
実はすべての人の心の素顔であるとわかった時に、
肩の力が抜けて、とても安心ができたのです。

そして、仏教だけが2600年前から孤独に苦しむ私を
見抜いて分かってくれていた。

自分でも気がつかない自分を分かってくれていた
そんな感動が湧き上がりました。

【さびしさは優しさに変えられる】

私達は自分の苦しみや痛みを通してしか、相手の苦しみを理解することは
できません。

「みんなひとりぼっちで苦しんでいる」このことを仏教の教えから
深く知らされた私は、自分と同じように悩んでいる人に、
なんとか、伝えたいと思ったのです。

その時の私の心の風景は、残雪にやさしい陽の光が降り注ぎ、
寒さの中にぬくもりを感じる早春のように

分かり合えない寂しさの中に、思いやりという陽光が照らす
寂しさと優しさが混在するそんな不思議な景色になったのです。


【わかりあえないと分かり合おう】

よくコニュニケーションについての講座や本でも
一番大事なこととして上げられるのは、

「人間は分かり合えない」ということを受け入れる
ということです。

このことを認めて受け入れるには勇気が必要です。

皆、自分のありのままを受け入れてほしいという
願望、理想を持っていますから、そんな人は誰も居ないという
現実を直視するのは苦しいことかもしれません。

しかし、

人は分かり合えないことを受け入れた時、
初めて、お互いを理解しようという努力が生まれるのです。

「これぐらい分かってくれて当然だ」と思うところに
「どうして分かってくれないのだ」という不平や不満が生まれます。

逆に

「分かり合えない」とわかった時に
歩み寄ろうという気持ちになるのです。

真実の自分を見つめることは辛いこともありますが、
そこから出ないと本当の幸せに進むことはできないのです。

【心が変われば世界が変わる】

最初のコップの水の例のように
科学的、物質的、客観的事実は一つでも

それをどのように見るかは、一人ひとりの心によって変わります。

ブッダの教える幸せへの思考法を学び、身に付け、実践すれば


さびしさも優しさに変わり、
苦しみも幸せに変わります。



【編集後記】

みんなひとりぼっちでくるしんでいる
さびしさはやさしさに変えられる

これは自著「幸せのタネ2」のテーマであり
サインを求められた時に、この言葉を書かせて頂いています。

仏教を学んで大きく心が変わった中の一つです。


★感想をお待ちしていますね。

 okamonn@mbr.nifty.com  岡本まで



【次回の予告!!プレゼントあり】

今回は、業界についてお話しました。

この業については、一般的には
自業自得(じごうじとく)がよく知られていますね。
これは、自分の行いが自分の運命を生み出すということです。

次回は

どんな心がけが幸せを生み出すのか
どんな行いが幸せを生み出すのかを具体的に教えられた
ブッダの教えをお話しましょう。

岡本がそれについて東京飯田橋で講座をした動画をプレゼントします。

笑い満載で
これを見て頂くと、見た瞬間から、幸せへのステップを踏み出すことが
できます。絶対に保証しますので、次回を楽しみにして下さい。





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発行:岡本一志
目からウロコの東洋哲学
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No.4 幸せのタネまきとは何か?オンライン受講をしてください(幸せへのたった一つの思考法)


前回の感想を頂きました。

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◯まだ3日目のメールなのに、なんだか内容の深さにとても
嬉しい気持ちでいっぱいです。
心が元気に、そして考え方が明るくなっていくようです。
正しく、私の心の栄養剤のようなメール。
これからも、楽しみにしています。

◯お陰様で、少しはましなものの考えができそうです。
私ももっと仏教を勉強したい。

◯一人で生まれて一人で死んでいく、よくよく考えれば、
これは、人間のみならず生き物共通の当たり前の摂理ですね、
言われて初めて気づく人が多いと思います。

◯傷みを恵みに転化できるって素晴らしいです。
仏教には人間の本当の姿が説かれていますが、
それをわかりやすく伝えてくださる方がおられなければ、
本当の幸せにはなれません。
このメール講座での岡本先生との出会いに感謝します。
本当にありがとうございます。

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今日は、岡本が9月に飯田橋で開催した
セミナーをオンラインで受講していただきます。

【オンラインセミナー無料受講】

http://xn--4gq896armcqyk.com/shiawasepresent/no2.html

(テキスト資料もダウンロードできてしまいます!)


このセミナーは

建築設計の会社の社長とコンサル業をされている
会計士の方が、毎月、招待してくださり東京、飯田橋で
開催されているものです。

経営者の方だけではなく
大手出版社の編集長の方や
テレビなどにも出演している著名な方
弁護士、会計士、医師の方、
大学で教鞭を取られている方なども参加られ
仏教に対する関心の高さを毎回、実感しています。

実際に

稲盛和夫さんも、仏教を深く学ばれて
それを経営に活かそうとされていますし、

故スチーブ・ジョブスさんも
仏教の死生観に深く傾倒していたと言われます。


今回は、ブッダの教える

幸せを生み出すタネマキ・・布施(ふせ)

ということについてお話したものです。


【小テストに合格するとプレゼントがもらえます】

30分の中に以下のことをお話しています。


1,布施とは坊さんに渡すお礼のことではない
 「与える」ということ、聞いて驚く言葉の語源

2,「与える」ことが、なぜ「幸せのタネ」なのか?

3,自分さえ良ければいい(我利我利)では、幸せになれない理由

4,でも親切ってどんな相手にすればいいの?
 親切をすべき3通りの相手を3つの田んぼにブッダは例えられています。
 3つの田んぼとは?

5,感謝が大事だと分かっていても感謝できないのはなぜか?
 人間は恩知らずの生き物、驚異のアンケート結果

6,親切をするとき、3つのことを忘れると更に幸せが
  返ってくる。親切(布施)の心がけ

7,何も持っていなくても今日からできる幸せのタネまき
  利他の心さえあれば幸せのタネマキができる。

  【小テスト】

★動画の最後に文字が表れます。その文字を教えて下さい。
 正解者にはもれなくプレゼントを差し上げます。

  okamonn@mbr.nifty.com  岡本


2時間の内容を30分に】

もともとは2時間のセミナーですが一番言いたいことがこの30分に
収まっていますので、この30分の動画を見ていただくだけで
2時間のセミナーに参加したのと同じ学びが得られます。

今回も、「大変わかりやすい」と参加者の方から感想を頂きました。
深い仏教の内容を中学生でも分かるようにお話しています。

できることなら、
きちんと時間を取って受講していただきたいですが、
どうしても時間が取れないという方は通勤途中や家事を
しながら、休む前でもいいですので聞いて下さい。

さらに


1,動画だ重たいという人のために、音声のみのファイルも
用意しました。

2,講座で配布した資料もダウンロードできるようにしています。

再生テストも兼ねて事前に受講していただいた方からの
感想です。

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岡本先生のセミナーに参加してるみたいで嬉しかったです。

私も六度万行すべては難しいので、まずは布施の心から、
三田の中の家族や支えてくださってる周りの人から
感謝の気持ちを忘れずに与えられる人になっていきたいです。

いつもありがとうの気持ちをもって接していきたいと思います。
貴重なビデオを見させて頂き、本当にありがとうございました。

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明日のメール講座はなしにしますので
今日と明日の2日間で、ぜひオンライン受講をしてください。

【オンライン受講は下から】

http://xn--4gq896armcqyk.com/shiawasepresent/no2.html

【小テスト】

★動画の最後に文字が表れます。その文字を教えて下さい。
 正解者にはもれなくプレゼントを差し上げます。



No.5 ありのままの私を映すブッダの鏡(幸せへのたった一つの思考法)


前回のオンライン無料講座を受講された方から
沢山のメールを頂きました。

この2日間で60名以上の方から喜びの感想を頂いています。

中には、アマゾン在住の方、アメリカ在住の方からも、
海外で、こんなにわかりやすい仏教講座を受講できるとは!!

とメールが届きました。

ご期待に答えて
本日も、オンライン講座を準備しました。
仏教を理解する上でも極めて重要な内容なので
ぜひ、受講して下さい。


★今回から高画質モードでの受講もできるようにしました。
ネット環境が安定している方は、そちらで見てみてください。
画面の HD をクリックするとONになります。
(最初からHDモードになっている場合もあります)


【ありのままの私を知るオンライン講座】

https://player.vimeo.com/video/109096828/

【小テスト&プレゼント】

受講最後に出てくる文章を読んで岡本にメールを
下さい。

今回、あまりに過激な内容を含んでいたためカットした
部分を正解者には受講できるようにいたします。

okamonn@mbr.nifty.com

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【人は仮面をかぶって生きている】

英語で人間を person といいますが、その語源はラテン語の「ペルソナ」からきて
います。ペルソナとは仮面という意味ですから、人間とは仮面をかぶっている
生き物であるということでしょう。

高校の英語の授業でこのことを初めて知った時、私は大変な衝撃を受けました。
というのも、当時の私は、親や学校の先生、同級生、先輩に対して、
それぞれどのように自分の顔を使い分ければいいか、とても悩んでいたからです。


私たちはいろいろな自分を、いろんな人の前で演じています。


◯親の前ではよい子でいたい。
◯友達には一目置かれたい、面白い人だと思われたい。
◯先生には好印象で覚えられたい。
◯彼氏、彼女の関心をずっと保ち続けたい。
◯上司・同僚の前では有能だと思われたい。無能だと思われたくない。
◯部下や後輩からは足元を見られたくない、尊敬されたい。
◯近所の人や子供の前ではよい父親、よい母親でいたい。・・・


もちろん、「よく思われたい」という心は努力向上の原動力にもなるので
大事であることは言うまでもありません。


しかし、他人の目によく映ることに気を使いすぎて
自分を押し殺し、自分でも自分の本当の気持ちが分からなくなって自分を見失ってしまうこともあるのです。


私も、周りが自分をどう思っているかばかりに囚われて
「自分が何をしたいのか」が分からず、苦しんでいた時期がかなりありました。

ところが、仏教を学ぶ過程で

「他人の評価=自分」 という方程式が崩れ、

「他人の評価」の縛りから開放された時、

ものすごく楽になったことを今でも覚えています。

「初めて、息ができた\(◎o◎)/!」こんな感覚でした。


【他人の評価は都合次第でコロコロかわる】


他人からよく思われると自分の価値があがる
他人から悪く思われると自分の価値が下がるように思って
人の評価に一喜一憂していました。


あなたも同じことで悩んでいるかもしれません。


しかし、他人の目は、「正しいあなたの姿」を見て
正しく評価しているのでしょうか?


◯禅僧 一休は

今日ほめて明日悪く言う人の口
なくも笑うもウソの世の中

 と歌いました。

都合がいい時はほめていても
都合が悪くなると手の平を返したように
けなしたりする

これが、人間の評価の実態だということです。


◯また、ブッダ(お釈迦様)は

「皆にてそしる人もなく、
皆にてほむる人もなし」と言われ、

全員から嫌われそしられる人もいないが
全員から好かれ、ほめられる人もいない

と言われています。

十人集まれば、立場や利害が十通りちがいますから、
どんなに良いことをしても、必ず、不都合な人が
出てくるのです。

だから、皆から好かれたり嫌われないようにする
のは、そもそも不可能なことです。

できないことをやろうとして疲れてしまうのは
これは、くたびれ損になってしまいます。

このことが本当によくわかると
他人の評価に振り回されることがバカバカしい
ことだとわかり、他人の評価に縛られなくなるのです。



頑張ればできることに一生懸命努力することが、大切なことです。

ところが、

どれだけ頑張ってもできないことに一生懸命になるのは、
疲れるだけで、愚かなことです。

なれるものに向かって努力するのは、素晴らしいことですが
なれないものになろうとするのは、傷つくだけで、疲れることです。

みんなから好かれよう、嫌われまいとするのは
できないこと、なれないことをしよう、なろうとすることです。

それは、

いたずらに自分で自分を責めて傷つけることです。

このことがわかると、
周りではなく自分自身を見つめることができるようになります。
自分を傷つけることをやめることができます。


詳しくは、

オンライン無料講座で学んで下さい↓


https://player.vimeo.com/video/109096828/




【でも、自分で自分を正しく見ることはできるの?】

人間は、どこまで言っても自分中心にしか物事を見ることは
できません。

そして、自分のことは、いろんな理由をつけてよいようにしか思えないのです。

これを仏教では 

 「慢(まん)」

と言います。「うぬぼれ」のことです。

この「うぬぼれ」の心で

私達は自分を正しく評価することができないのです。

【仏教は最高の心理学】

この慢の心を仏教は7つに分けて教えられています。
自分をよく見たいという心の動きを7つに分析して
教えられています。これを七慢(しちまん)といいます。

岡本が初めて、仏教を学んだ時、

「自分をよく見たいという心」

を7つに分けて分析されていることに、驚き、鳥肌がたちました。

そして、仏教が人間の心の仕組みを
ブッダの智恵から徹底的に解明した教えであることを知ったのです。


実際に多くの心理学者たちが、ブッダをたたえ、仏教を教科書に
人間の心を学んでいます。

一例を上げると

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深層心理を研究し、ユング心理学を打ち立てた心理学者ユングも
釈迦(ブッダ)を

「全世界にとって精神的な先駆者」

と言っています。

(引用:生きる意味109 長南瑞生著)
------------------------------------------------------

この七慢については、
オンライン無料講座で詳しく話をしています。
誰にでも当てはまる内容なので聞いて下さい。

      ↓

https://player.vimeo.com/video/109096828/



【仏教はありのままの私を写す鏡】

仏教は別名、法鏡(ほうきょう)といわれます。

法とは真実 ということですから
真実の私を映し出す鏡が仏教です。

仏教を学んでいくと、何が知らされるのか

鏡に近づけば、近づくほど、自分の姿が
見えてくるように、

仏教を学べば学ぶほど、知らされてくるのは
あなたのありのままの姿です。

ありのままの姿とは、あなたの心の姿です。


今回はたった30分間の中に、

「ありのままの私とは何か」をお話しています。

★他人の評価に振り回されないブッダの教え
★自分探しの旅の意味とは?
★ブッダは偉大な心理学者
★常に誰かと自分を比べてしまう心の仕組み
★喧嘩した時、失うものを考えれば、仲直りできる
★心の姿を映す鏡を手に入れよう
★ありのままの私を知った時、自分自身を受け入れることができる。

明日も講座はなしにしますので、
この2日間でぜひ、受講してください。

     ↓

https://player.vimeo.com/video/109096828/


最初にも言いましたが


【小テスト&プレゼント】

受講最後に出てくる文章を読んで岡本にメールを
下さい。

今回、あまりに過激な内容を含んでいたためカットした
部分を正解者には受講できるように致します。

okamonn@mbr.nifty.com


【編集後記】

この講座ももう5回目になってしまいました。
文章だけでは、伝えきれないところを動画を使うことで
本当に多くのメッセージを伝えることができると実感しています。

実は、このオンライン講座は知る人ぞ知る 
VIMEO(ビメオ)というサービスを使っています。
これは世界中のクリエーターが自分の作品をアップするのに
使っているサービスで、動画配信サービスでは世界最高峰のもの
です。

有料で決して安価なサービスではないのですが、
安定して動画を再生できるのと
HDモード(高画質モード)でも再生できるので、
思い切って使ってみることにしました。

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発行:岡本一志
目からウロコの東洋哲学
facebook:https://www.facebook.com/okamonn
Email: okamonn@mbr.nifty.com
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