Apex product【 ②プロレス同好会 】 サークル活動!!

【プロレス団体 WWE】

 

エンターテイメントの王者WWE!WWEは世界中の視聴者を虜にするエンターテイメントを提供し続けています。個性的なスーパースターやディーバ達が、海外ドラマさながらの劇的なストーリーを作り上げ、地球上何百万人ものファンを熱狂させています。

様々なキャラクター(ヒーローや悪玉)のスーパースターやディーバたちが登場人物となり、抗争・対立を繰り広げます。その中で愛情、友情、憎悪といった感情が複雑に絡み合いながら、ストーリーが展開されます。そして抗争はド迫力のアクションと奇想天外な演出で行われる試合を通して発展。『ロウ』『スマックダウン』を中心に勃発するこれらのストーリーは、年間12回のPPV大会で決着すると同時に、そこから新たなストーリーが始まります。

アメリカ発の世界最大のスポーツ・エンターテイメントWWE!その壮大なストーリーをこの夏、ぜひ日本で体感してください!

WWEでは『ロウ』『スマックダウン』という2大看板ブランド(番組)を中心に、スーパースターとディーバによるドラマが繰り広げられます。『ロウ』、『スマックダウン』、そして両ブランドのスーパースターたちが集う『スーパースターズ』、新人発掘を目的とした『NXT』など、WWEの番組にはそれぞれ独自の特色があります。
日本では国内最大のスポーツ専門TV局J SPORTSで各番組が放送され、それぞれのブランドの面白さを凝縮した毎週のハイライト番組「This Week in the WWE」が各地で放送されています。 

スタン・ハンセンさんがWWE殿堂入り「偉大なグループの一員になれ光栄」

米国のプロレス団体WWEが、プロレス界において大きな活躍をした人物の功績を称える「WWE殿堂(WWE Hall of Fame)」を発表し、日本でも長年にわたって活躍したスタン・ハンセンさんが、殿堂入りすることが決まった。

 過去にはアンドレ・ザ・ジャイアントさん、ザ・ファンクス(ドリー・ファンク・ジュニアさん、テリー・ファンクさん)、アブドーラ・ザ・ブッチャーさんといった日本で活躍した外国人レスラー、そしてアントニオ猪木さん、昨年は藤波辰爾さんが、日本人として殿堂入りを果たしている。

 今回、大きな栄誉をうけたハンセンさんに喜びの声を聞いた。

――今回、WWE殿堂入りが決まりましたが、最初に聞いた時はどう思いましたか?

 率直に驚きました。自分が選ばれると思っていなかったので、このような栄誉にとてもハッピーでした。

――2010年10月にアントニオ猪木さんが殿堂入りを果たした時、インダクターを務められました。その時に近くで殿堂入りする選手を見て、どんなことを感じていましたか?

 アントニオ猪木さんが私をプレゼンターに選んでくれてうれしかったです。とてもいい経験でした。あの時に初めて私はWWEに関わり、その組織の規模に非常に感銘を受けました。また、私が現役の頃とくらべて、レスリングのプロモーションをする上での規模がここまで変わったのかと驚かされました。

――日本で活躍されていた時にライバルだった猪木さん、アブドーラ・ザ・ブッチャーさん、ハルク・ホーガンさん、そしてプロレス界に誘ってくれたテリー・ファンクさんらも先に殿堂入りを果たされていたが、やはりこのWWE殿堂に思い入れはあった?

 殿堂入りに関しては、その機会が来る時は来るし、来ない時は来ないといった心境でした。テリー・ファンクさんが選ばれたのは知っていましたし、彼が私のキャリアをスタートしてくれました。彼も含め、殿堂には多くの偉大なパフォーマーやスーパースターたちが入っています。その偉大なグループの一員になれると考えるだけで光栄です。

――自分自身としては、どんな点を評価されて殿堂入りを果たすことができたと思いますか?

 それは私を選んでくれた人たちにしか答えられないことです。これまでのキャリアで、ブルーノ・サンマルチノさんやボブ・バックランドさんなど、多くの王者と試合をしてきました。古くはWWWF時代などから多くの偉大な選手たちと戦ってきました。それがあってのことなのかもしれません。

――過去を振り返り、一番思い出に残っている試合は何ですか?

 日本では数千試合しているのではないでしょうか? 私はキャリアの大半を日本で過ごしました。その中でもアントニオ猪木さん、天龍(源一郎さん)、ジャンボ鶴田さんとの試合は思い出深いです。また若い世代では小橋(建太さん)ともいい試合をしました。日本での約20年の中で、どの試合もすべていい思い出です。

 米国ではMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)でのブルーノとの2試合、シェイスタジアムでの試合は思い出に残る試合です。もちろんボブ・バックランドさんともいい試合をしました。彼は恐らくプロレスラーになった選手の中で最高のアスリートだったのではないでしょうか。

――最近の選手で期待している選手はいますか?

 たくさんいすぎて、1人に絞るのが難しいです。アンダーテイカーはデビュー当時から見ていました。彼には直接、将来が楽しみだと声をかけたこともあります。まだアンダーテイカーとなる随分前でしたが。当時から才能があると思いましたし、彼がここまでのキャリアを築いていることをうれしく思います。ショーン・マイケルズも最初に対戦した時から可能性を感じました。

 日本でも新日本を中心に多くの有望な選手がいます。これからも日本からは多くの有望な選手が出てくるのではないでしょうか。

――今回、WWE殿堂入りを果たし、今後、プロレス界にどんな役割を果たしていきたいでしょうか?

 今でもファンのみなさんと会える機会を非常にエンジョイしています。今後可能性があるなら、WWEの良いニュースを世界に広める役割も務めていきたいですね。今回の殿堂入りに対して、何か恩返しができればいいですね。

最終更新:3月21日(月)22時2分

スポーツナビ

インターコンチ王者・中邑が新日プロ退団!WWE入り

 新日本プロレスのIWGPインターコンチネンタル王者・中邑真輔(35)が1月末をもって同団体を退団することが、6日までに本紙の取材で明らかになった。すでに新日プロ側も了承し、退団後は世界最大のプロレス団体・WWE(米国)に挑戦すると見られる。2002年のデビューから新日プロのトップ戦線を走り続けたプロレス界のカリスマが、新たな挑戦をスタートさせる。

 中邑は4日の東京ドーム大会でAJスタイルズ(37)を退けてV2に成功。試合後「世界。世界ですね。自分のさらなる高みのステージを目指して生きていきたい」と、早くも次なる戦い=海外進出に向けて目を輝かせていた。

☆なかむら・しんすけ=1980年2月24日生まれ。京都府出身。青山学院大学ではレスリング部で活躍。卒業後の2002年に新日本プロレスに入団。同年8月に日本武道館の安田忠夫戦でデビューし、大みそかには総合格闘技にも初挑戦。03年12月には史上最年少記録となる23歳9か月でIWGPヘビー級王座を獲得。同王座は3度戴冠した。「キング・オブ・ストロングスタイル」の異名を取り、棚橋弘至とともに新日プロのエースとして活躍。現在はIWGPインターコンチネンタル王座の絶対王者として君臨している。必殺技はボマイェ。188センチ、104キロ。

最終更新:1月8日(金)5時32分

東スポWeb

【藤波辰爾がWWE殿堂式典 英語スピーチで大声援に感謝】

【カリフォルニア州サンノゼ28日(日本時間29日)発】当地のSAPセンターでWWE殿堂「ホール・オブ・フェーム」記念式典が行われ、日本人として“燃える闘魂”アントニオ猪木(72)に続く史上2人目の殿堂入りを果たした“炎の飛龍”藤波辰爾(61=ドラディション)が登壇した。

 インダクターの“ネイチャーボーイ”リック・フレアー(66)は、いわずと知れた米国を代表するレジェンドレスラー。それでも藤波に対し惜しみない敬意を払った。

 1991年3月の東京ドーム大会で藤波に敗れ、NWA世界ヘビー級王座を失ったフレアーは「IWGPとNWAの両王座に就いた、日本で最高のレスラー」と最大級の賛辞を込めて藤波を紹介し、ステージに呼び込んだ。

 タキシード姿の藤波は「ここに立つことができて大変光栄です。本当にありがとう」と切り出すと、レスラーとしての覚悟を熱く語った。「私はデビューして43年、61歳になりましたが、まだまだ現役で試合もしています。それは私にとって『使命』だからです。WWEの殿堂に入ることができましたが、挑戦と冒険を続けていきたいと思っています」などと英語でスピーチした。

 会場には藤波とIWGPヘビー級王座を争ったビッグバン・ベイダー(59)も駆けつけ祝福。ステージで人気俳優アーノルド・シュワルツェネッガー氏(67)ら今年の殿堂入りメンバーと並んだ藤波は、感激の面持ちで大声援に応えた。

 藤波は29日(同30日)に開催されるWWE年間最大の祭典「レッスルマニア31」(同州サンタクララ)でも、ファンの前に姿を見せる予定だ。

最終更新:3月29日(日)23時17分

東スポWeb

【WWEの面白さは浅草演芸場の寄席と同じ】

一昔前、仲間内の飲み会などの席で自分はプロレスおたくだと告白すると白い目で見られることがあった。プロレスはガチンコ勝負でなく、すべて八百長だ。だからプロレスを楽しむこと自体がまちがっている。これがアンチプロレス派の主張だった。
ところが90年代半ばぐらいから様子が変わってきた。ショービジネス路線のプロレスとガチンコ勝負を標榜する総合格闘技に興業団体が二極分化してきたのだ。
そしてショービジネス路線の代表が米国WWE(当時はWWF)だった。つまり、WWEでは観客全員がこれはガチンコ勝負ではないことを納得した上で、入場料を払って観ているのだ。

長い間、WWEは無料試合しか見ていなかったが、ここ数年、PPVで有料試合をしばしば観るようになった。
レッスルマニアを見たとき、(こんな言い方をするのもおこがましいが)WWEのビンス・マクマホン会長という人は“本物のプロレスのなんたるか”がわかっている人だと感じた。同時に、これは浅草演芸場の寄席に似たエンターティメントだと感じた。
プロレスと落語のどこに共通点があるのか。不審に思うかもしれないが、これがレッスルマニアの私の率直な感想である。

浅草演芸場の寄席では、真面目な古典落語しかやりませんと宣伝したら、少数の通の客しか寄席に足を運ばない。ところが古典落語の以外に漫才や手品、紙切りなどの“色物”もやりますと宣伝したら、“色物”目当てに客が入る。
しかしながら、寄席を最初から最後までじっくり楽しむと、一番すばらしかったのはやはり真打の古典落語だと納得して客は帰っていくのである。
古典落語はただ笑えるだけでなく、独特の格調の高さがあり、江戸時代から連綿と続いている理由がここにある。

一方、WWEのプロレスもこれに似ている。因縁の対決といった話題作りやギミックやディーバといった“色物”が多いのもWWEの特徴だが、マクマホンが本当に観客に見せたいのは“色物”ではなく“本物のプロレス”なのである。
では“本物のプロレス”とは何か。ガチンコ勝負でないのに“本物”はあり得るのか。
プロレスではスープレックスで相手を投げる選手も投げられる選手も訓練を積んだプロでなければ怪我をしてしまう。その訓練の成果が“本物のプロレス”なのだ。
レッスルマニアをすべて観終わった後の感想は、ギミックも面白いが一番エキサイトしたのはプロレスそのものだったというのが、多くの観客の意見だろう。

ところでここまでプロレスはすべて八百長というように述べたが、実は部分的にガチンコ勝負も紛れ込んでいるようなのだ。たとえば試合の勝者が最初から決まっている場合でも、途中経過でなんらかのガチンコ勝負をやっている場合もある。
相撲やボクシングは、「これはガチです」と観客に約束しているので、八百長やイカサマの判定勝ちが露呈すると、騒ぎになる。
一方、プロレスは、「これはヤオです」と説明済の上で試合を見せ、その中にひそかにガチが混じっていたりする。そしてどれがガチでどれがヤオなのかは最後まで観客にはわからない。「秘すれば花」ということなのだろう。
私が長年プロレスおたくであり続けているのは、こういうところに魅力を感じているからなのだと思う。

WWE: WWE, Inc.World Wrestling Entertainment)は、アメリカ合衆国プロレス団体及び興行会社

2002年以前はWWF: World Wrestling Federation)またはWWWF: World Wide Wrestling Federation)という名称であったが、まったく同じ略称の World Wide Fund For Nature世界自然保護基金)に名称の改変を求める訴訟を起こされ敗訴、WWEに改めた(ちなみに近年販売されているオフィシャルなDVD等においては、過去の映像の中で「WWF」の語が発せられた場合、全て「WWE」と訳出されている。マークやロゴの場合はぼかしなどで修正していた)。2012年に世界自然保護基金との交渉により、映像や音声の修正無しでの過去の映像の使用が可能となった。

1999年より株式を公開(当初はNASDAQ、現在はニューヨーク証券取引所)しているが、株式の約8割をオーナーであるマクマホン・ファミリーと関係者で保持しているために会社の経営権は不動となっている。なお、取引所内で使われる証券コードWWE である。

歴史

WWWF設立以前

ビンス・マクマホン(ビンセント・ケネディ・マクマホン)の祖父、ロドリック・ジェス・マクマホン1925年からニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)を拠点としてプロレスボクシングの興行を行っていたプロモーターだった。第二次世界大戦前後の一時期はMSGがプロレスの興行を行っていなかったためにワシントンD.C.を中心に活動。1954年の彼の死後は息子でビンス・マクマホンの父、ビンス・マクマホン・シニア(ビンセント・ジェームス・マクマホン)が興行会社のキャピトル・レスリング・コーポレーション(Capitol Wrestling Corporation)を引継ぎ、1956年からMSGに再進出。激戦区ニューヨークで唯一MSGのプロレス興行権を獲得した。アントニオ・ロッカバディ・ロジャースをメインイベンターとして興行を行い、格闘技・プロレスの殿堂と呼ばれるMSGの伝統を引き継いだ。1948年に発足したNWANational Wrestling Alliance)にも加盟、大物プロモーターとして大きな発言権を得た。

WWWF設立、WWF改称

1963年、ビンス・シニアは同年1月に起きた自派のバディ・ロジャースからサム・マソニック派のルー・テーズへのNWA王座の移動を認めず、3月に試験的に新団体WWWA(World Wide Wrestling Association)を、5月にはNWAを脱退してWWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立する。同時にロジャースを初代WWWF王者に認定、5月14日にロジャースを破って王者となったイタリア系のブルーノ・サンマルチノを新団体の絶対的な主人公とした。1970年代前半にはプエルトリコ系のペドロ・モラレス、中頃には再びサンマルチノからスーパースター・ビリー・グラハムへ、1970年代終盤から1980年代前半にかけてはボブ・バックランドへと王座ベルトと主人公の座が移っていった。当時のアメリカプロレス界は北部のAWAAmerican Wrestling Association)、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だったアンドレ・ザ・ジャイアントが各地にゲスト出場し、親善大使的な役割を務めた。1979年にNWAに再び加盟したことを機会に、WWF(World Wrestling Federation)に改称。1982年、大学を卒業後リングアナウンサーやプロモーターをしていたビンス・マクマホンと妻リンダが、不仲であった父親からWWFの親会社キャピタル・レスリング・コーポレーションを譲渡ではなく株式の買収という形で手に入れ、新会社タイタン・スポーツを設立した。

1984年以降、WrestleMania時代

ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一を計画、当時AWAに在籍していたハルク・ホーガンを筆頭に、1983年からロディ・パイパーポール・オーンドーフなど各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていたセントルイスで興行を行った。以降も次々と他団体へのM&Aや同様のケーブルテレビ番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて「1984」と呼ばれた。

1985年には歌手のシンディ・ローパーやホーガンと共に、ロッキー3にも出演したアクションスターミスター・TMTVのプロレス特番に出演させ注目を集めると、同年3月19日ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンWrestleManiaを開催。ローパーの他にも元ニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンや元ボクシング世界王者のモハメド・アリ、ショー・ピアニストリベラーチェらを招き、ホーガンやミスター・Tをメインで戦わせたこのイベントは約2万人の観客を集め、プロレスイベントとしては異例の400万ドルの興行収益をあげた。全米がホーガンを中心としたプロレス・ブームに沸き、この現象はマスコミから「レスリング・ルネッサンス」と称された。さらに2年後のWrestleMania IIIではメインにホーガンvsアンドレ戦を組んでデトロイトのシルバードームに9万3173人の観衆を集め、全米マット界での一人勝ち状態を誇示してみせた。

ホーガンがプロレスの現場から離れがちになった1988年から1992年頃はランディ・サベージアルティメット・ウォリアーシッド・ジャスティスジ・アンダーテイカーらが団体の主役の座を担った。また旧NWAから誕生したWCW (World Championship Wrestling) の絶対王者リック・フレアーの電撃移籍といった事件もあった。

この頃、会社全体でのステロイド剤流通への関与、それに伴うレスラーたちのステロイド剤使用疑惑が発覚、FBIによる捜査が行われるまでの事件に発展した。裁判は数年続き、被告としてビンスが出廷する事態となったが最終的には証拠不十分により無罪判決に落ち着いた。だがこの事件の影響は大きく、団体に溢れていたスーパーヘビー級の「筋肉マン」タイプの選手たちは一気にフェードアウトしていく。代わって主役の座を手にしたのは技巧派で体型もナチュラルな"ヒットマン" ブレット・ハートだった。

1993年には「MONDAY NIGHT RAW」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。ディーゼルレイザー・ラモンショーン・マイケルズらが台頭し、ブレットなどと共にニュー・ジェネレーションと呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍し、WCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。

Monday Night Wars、アティテュード時代

1995年9月4日エリック・ビショフが副社長に就任したWCW(オーナーはテッド・ターナー)が「MONDAY NIGHT RAW」の裏番組として「MONDAY NITRO」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、「月曜夜の視聴率戦争Monday night wars)」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。

一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きやnWoというユニットの大ヒット、無敵のスーパースタービル・ゴールドバーグの大ブレイクなどでWCWがリードし、1996年6月10日から1998年4月13日まで実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回った。それに対しWWFは1997年以降、D-Xに代表される悪ふざけやお色気の要素を取り入れたアティテュード(Attitude、態度・感性という意味だが元々不愉快な、ケンカ腰の態度といった意味合いを持つ)路線に切り替え、団体オーナーのビンス・マクマホンとストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争で人気を逆転させた(1998年4月13日に二人の初めての直接対決が組まれていた)。

なお1998年後半、格闘技色を前面に押し出した「Brawl For All」なる企画も展開していたことがある(優勝はバート・ガン)。無論、この企画は大失敗に終わり、「WWEの負の歴史」とも一部では呼ばれている(ブラッドショーが決勝戦まで進出していたり、控え室にいたスーパースター達には好評だったらしい)。

プロレス史に残る抗争と呼ばれるオースチンvsマクマホン抗争に加え、WWFはジ・アンダーテイカーショーン・マイケルズのライバルとしても活躍したマンカインドがその「自虐的」とも評されるハードコア・スタイルでカルト的な人気を集める。マイケルズは1998年に一時引退するものの、マンカインドとの連戦を通して若手のザ・ロックトリプルHが次代の主役の座を掴み一気にスターダムに駆け上った。二人はすぐにオースチンと肩を並べるまでになり、WWFのストーリーはこの三人を中心として動いていく。そこに元オリンピック金メダリストから転身したカート・アングル、WCWから移籍したビッグ・ショークリス・ジェリコクリス・ベノワらが絡むようになる。1999年夏からはSmack Downの放送も開始、WWFの優位が徐々に確立されていった。

1999年頃からWCWはストーリーラインの迷走から視聴率が急低下し、もともと組織の統制が取れていなかったこともあり内部崩壊。奥の手としてWWFの脚本を書いていた放送作家ビンス・ルッソーを引き抜くが、それは状況をさらに混沌とさせた。一時期失脚していたビショフが復権するも状況を好転させることはできなかった。2001年1月、第三団体だったECWが経営難から活動停止・破産し、WWFはECWの全ての権利を買い上げ債権を回収。同年3月23日、莫大な赤字を計上して経営破綻したWCWをも買収した。これによって「Monday night war」も終結し、米マット界は事実上WWFの独占状態となった。

Monday night warsが繰り広げられた1990年代後半は全米で空前のプロレスブームが起きた。しかしこの抗争の間には「モントリオール事件」やオーエン・ハートの事故死など、いくつもの後味の悪い事件も起こっている。

「WCWオーナー」とされたシェイン・マクマホンを中心に、WWFに合流した旧WCW、ECWの選手たちによってWCW・ECW連合軍(アライアンス)が結成されるも、この抗争はWCWの中核選手不在により振るわずフェードアウトしていく。

11月18日ダッドリー・ボーイズによりWWFタッグ王座とWCWタッグ王座が統一(初の同時王者はジ・アンダーテイカー&ケイン)、12月9日にはクリス・ジェリコによってWWF王座とWCW王座が統一され、WWF統一王座が誕生した。

WWE時代

WCW、ECWといった競争相手買収後は、競争相手不在によりWWE自体の観客動員や視聴率で苦戦したり、一回り小さいアリーナを使うことが増えた時期もあった。2002年には長年にわたるWWF(世界自然保護基金)との名称を巡る裁判に敗れ、5月6日団体名をWWEへと改称[4][5](公式発表では「よりエンターテイメントを追求するための改称」とされる[5])。ささやかな抵抗として「Get the "F" out(Fなんかいらない)」キャンペーンを展開した[5]。大文字の「F」が意味するのは言わずもがなである。同時に親会社タイタン・スポーツの名称もWWEに統一した。

2001年末には団体の共同オーナー(シェインステファニーから団体の株式50%を購入した、という設定)としてリック・フレアーが、2002年WrestleMania X8前にはnWoのメンバーとしてハルク・ホーガンがWWEに復帰、ストーリー上重要な登場人物となる。元WCW、ECWのレスラーを多く雇用し、ストーリーが賄いきれなくなったことから3月25日に開催されたRAWでビンスGMのSmack Down、リック・フレアーGMのRAWの間でドラフトを開催。両オーナーがスーパースターを一人ずつ(場合によっては1組)ずつ指名していき、それぞれの番組の専属スーパースターとさせることとなった。これ以降、RAWとSmack Downは別ブランドとしてストーリーを進行させていくことになった。

時を同じくして、団体の象徴であったオースチンが怪我により事実上の引退、ザ・ロックも映画俳優に転向を計画しリング上から離れがちになり、RAWではトリプルHを中心とした王座戦線を展開。2003年3月には、かつてのライバルWCWの最大のスターだったゴールドバーグをついに獲得したが、90年代後半のようなプロレスブームの再燃にはならなかった。ゴールドバーグは世界ヘビー級王座を獲得するも2004年の3月には引退。

その中でランディ・オートンバティスタエッジ等の有望な世代が成長し新たなメインイベンターとなる。Smack Downではレスリング出身のブロック・レスナーが史上最年少でWWE王座を獲得する等大いに期待されたが、NFL挑戦のために退団。その後はWWE王座に縁の無かったエディ・ゲレロJBLがWWE王座を獲得。ジ・アンダーテイカーカート・アングルビッグ・ショーレイ・ミステリオ等のベテランも活躍し、王座戦線を盛り上げた。D-ジェネレーションXの復活もまた往年のファンを楽しませ、新しいファンの獲得に一役買った。そんな中、抜群のレスリングセンスとカリスマ性があるランディ・オートンに、女性や子供に人気のあるジョン・シナが徐々にメインイベンターへと上り詰めた。クリス・ジェリコケインらはその安定した実力をもってして脇を固めるなどし、便利屋のポジションから大いにこの時期を支えた。後に最高位の王座前線に参戦している。

2004年という年はオートン、シナ、エッジ、バティスタ等新世代の時代が始まりの年となった。この4人以外にもカリート、Mr.ケネディ、MVP等の若手がとデビューしている。それと時を同じくして、選手の出入りのペースが早まるようにもなった。

現在

アティテュード時代の雄であるオースチンらは特別な回にしか登場しないが、オートン、シナ、エッジ、バティスタ等の新世代が主力となり、90年代から出場しているトリプルH、アンダーテイカー、ショーン・マイケルズ等のベテランの力を借りながら世代交代を着実に進めている。その裏で、ブッカー・Tカート・アングル等トップレスラーの大量離脱やレスラーのドラッグ使用等の課題も多く存在している。また、2005年エディ・ゲレロ2007年クリス・ベノワの死去はWWEに大きなショックを与えた。タフイナフディーヴァサーチといった育成番組出身のミシェル・マクールザ・ミズジョン・モリソンが新たな番組の中心スターとして活躍し、FCW出身者やCMパンクエヴァン・ボーンダニエル・ブライアンなどのインディー団体出身者を活用、アルベルト・デル・リオのような格闘技出身者も登場している。シェイマス(アイルランド)、ドリュー・マッキンタイア(スコットランド)、ウェイド・バレット(イングランド)、メイソン・ライアン(ウェールズ)など英国圏出身のスーパースターの台頭も著しい。また、コーディ・ローデステッド・デビアス・ジュニアマイケル・マクギリカティハスキー・ハリスウーソズナタリヤタミーナなど80年代〜90年代のWWFを支えたレスラーの血を引く若手スーパースターが数多く在籍している。

2006年にはWWE Filmsを設立し、第1回作品「シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ」を公開。映画製作に乗り出した。

2009年4月からはブランド共通で選手が登場するWWE Superstarsが、2010年2月からは新人育成番組NXTの放送を開始している。

2011年4月より、社名を「World Wrestling Entertainment」から「WWE, Inc.」に変更し、それまで「World Wrestling Entertainment」で扱われていたブランド名も全て「WWE」に統一されることになった。各種テレビ番組の開発推進と共に、タレント開発部門(部門統括にはトリプルHが就任)を発足させている。

2011年8月29日、RAWとSmackDownの番組としてのブランドは残しつつ、ストーリーの共通化とスーパースターの両番組への出演の柔軟化(以降ほぼ無制限に両番組に出演できるようになった)が発表され、実質的にRAWとSmackDownの再統合がなされた。各スーパースターは、その後しばらくの間はいずれかのブランドに所属していたが、現在では所属ブランドという概念も無くなり、全て共通してWWE所属という扱いになっている。 タイトルも全てWWE管理に統一された。それまで、各ブランド独自に主催していたハウス・ショーにもブランドに関係なく全てのスーパースターが出演する様になった。

2014年、インターネットを介して視聴可能な有料の24時間ストリーミングビデオサービス(WWE Network)を2014年2月24日から開始すると発表した。 PPVを含む全試合のライブ中継、WWEが放映権を持つ過去の映像(WCWやECWも含む)、テレビ放映時にはカットされるような試合前後のレスラー達の動き、独自番組などをオンデマンド配信する。 まずは北米でサービスを開始し、英語圏の国を中心にサービスを広げていく予定(現在のところ日本は予定に入っていない)。

ECW復活の余波

2006年、Monday Night War時代にハードコア路線でWWF、WCWと興行戦争を行っていたECWがWWE傘下で復活することが決定。2004年に発売されたDVDの売り上げが好調だったのを受けて2005年に開催されたECW One Night Stand以降、ECW人気が再燃したこともあり、6月13日からはレギュラー放送も開始された。Monday Night War時代にECWを率いていたポール・ヘイマンが番組の指揮を執り、ロブ・ヴァン・ダム(RVD)、サブゥーサンドマン等1990年代の旧ECWの人気選手が参戦したこともあり大きく注目された。しかし、番組復活直後からかつてEC"Fuckin'"Wと評された頃の過激なECWとはまるで違った団体となってしまったことが露呈。旧ECWの名タッグであったダッドリー・ボーイズライノレイヴェンがTNA移籍のため参戦不可となり、人材不足からてこ入れとして旧ECWとは関係の無かったボビー・ラシュリー、ビッグ・ショー、テストCMパンク等をメインイベンターとして起用せざるを得なくなる。こういった旧ECWとは関係のないレスラーの起用が旧ECWファンの違和感を誘発させた。エクストリームルールの試合もたまにしか行なわれず、NXTに切り替わる間際の2009年頃にはWWEに初登場する新人のためのデビューの場として、ほとんど若手育成のための番組となってしまい、ある程度芽が出てくるとRAWやSmack Downへ移籍することが多かった(CMパンク、コフィ・キングストンエヴァン・ボーンなど)

アメリカにおける他の団体との関係

現在米マット界で独占状態になっているWWEに対抗しうる団体はTNATotal Nonstop Action)、ROHRing Of Honor)等。中でもTNAは元WWEのジェフ・ジャレットが立ち上げた団体で、元WWE選手や元WCWのスターが多く所属している。現在「TNA iMPACT!」の放送を2007年秋より、2時間放送に拡大して放送している。ROHも2009年3月より全米放送を開始した。

団体同士の直接の交流は存在しないが、他の団体に移籍した選手が移籍といった形で移動するのは珍しくない。ジェフ・ハーディーやクリスチャンのように退団、移籍を繰り返す選手やダニエル・ブライアン、CMパンクといったROHの元世界王者もWWEに登場している。しかしながら、TNAが対WWE色を強くしてからはTNAと契約した選手に対しては対応を厳しくしている。逆にTNAと契約しなければWWEは出戻りに対して寛容である。

ROHに関してはTNAのような敵対関係はなく、CMパンクやブライアンのROH時代の映像や写真の提供、WWEによる取材の受け入れるなど友好的な関係を築いている模様。

特徴

スタイル

プロレス団体としてのスタイルは、完全にドラマ仕立てのショープロレスで、試合における技の美しさや流れよりも、ストーリーの流れの方が注目されることが多い。しかし試合そのものはプロレスの基本に忠実な正統な展開を好み、あまり大技を使わずに試合を構成できる実力派の選手も多い。一方では凶器有りのデスマッチを得意とする者もおり、単にストーリーだけの団体ではない。

WWEが株式上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ(アングル)の存在を公式に認めた。

アングルには下品、流血、色気、暴力、犯罪等ありとあらゆる悪徳が採用されており、当然そのような描写を嫌う人も多く、攻撃されることもあるが、それも肥やしにしてしまう強さがある。しかしながら、2000年以降圧力団体のクレームから過激な暴力描写を抑制せざるをえない状況にある。例えば、鉄柱、実況席を使った攻防、イス攻撃や試合外での襲撃シーンその他過激なシーンに自主規制を加えるようになっている。

近年は特に過激路線からの方向転換が顕著で、テレビ番組のレーティングをPG(映画のレイティングシステム参照)に引き下げるなどファミリー路線への転換を狙っているようである。この影響で現在ブラ&パンティマッチなどを放送することはできなくなっている。これによりストーリーも以前のような過激なものではなくなった。

ちなみに過去にファミリー路線への変換を狙ったときは途中でWCWに追い抜かれ、結果としてストーンコールドなどを中心とするアティテュード路線に変更した。

WWEにおいて特徴的なのは、時々経営者一族(マクマホン一家)がシナリオに絡むことであり、彼等が登場することで、スーパースター達のみの興行より盛り上がることである。ビンスはレスラーではないが60歳を超えたにもかかわらず鍛え上げた身体でスーパースター達と抗争を繰り返し、息子のシェインは10m以上の高さからのダイビングを得意としている。娘のステファニーに至っては自身の豊胸手術までもが番組のネタとされてしまったことがある。妻のリンダCEOの地位にありながら、設定上夫の浮気に傷つき精神障害に陥ったふりをしたり、ケインからツームストーン・パイルドライバーを受けたりしている。

WWEで用いられる名称もまた特徴的で、プロレスリングという言葉は一切使われず、「スポーツ・エンターテイメント」という用語が使われる(シナリオの流れは「ソープオペラ(昼ドラマ)」のような、と表現されることが多い)。同様にレスラー達の呼称は男子レスラーが「スーパースター」、女子レスラーが「ディーヴァ」(マネージャーからレスリングまで幅広い活動を行う)に統一されており、プロレスラーという単語は使われない。また、レスリングビジネスに関しても「この業界」(This business)と表現し、レスリングとは別のものであることをアピールしている。観客・ファン・視聴者などを示すものとして「WWEユニバース」という名称が用いられている他、ハルカマニア(ハルク・ホーガン)、ジェリカホリック(クリス・ジェリコ)、エッジヘッド(エッジ)、ピープス(クリスチャン)など特定のスーパースターのファンを指す呼称が存在する。

主役級のスーパースターは善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)がはっきりと色分けされており、悪玉は観客、地域について罵詈雑言を浴びせ、観客はそれに対してブーイングで応えることを楽しんでいるが、アングルにより、ある日突然役割が入れ替わることも珍しくない。しかし最近ではWWE側がベビーフェイスと設定しプッシュの割に至らない所があるスーパースターにブーイングを浴びせることもある(ジョン・シナなど)。

登場するスーパースターはレスリングの元金メダリストや義足のスーパースター、また近年デビューするスーパースターは有名レスラーの息子、孫等の二世、三世のスーパースターが増加傾向にある。など、多彩である。しかし生存競争は激しく、怪我による長期休場や他団体による引き抜き、また人気がなくなると二軍落ちや解雇となり出場そのものができなくなる等、長期間連続で出演できるスーパースターは少ない。

一部のレスラーの暴走を許したことで運営に大きな支障をきたしたWCWの教訓を生かし、たとえトップレスラーであろうともバックステージでの態度に問題があれば厳しい措置をとっている(ランディ・オートンレイ・ミステリオなど)。

日本人レスラーとしては、WWF時代にブル中野が女子王座を獲得するなどトップレスラーとして活躍。所属までは至らなかったがJBエンジェルスも女子タッグ王座を1988年の第1回ロイヤルランブルの大舞台で獲得した。2000年以降、所属していたレスラーではTAKAみちのくが1998年に初代ライトヘビー級王座を獲得。TAJIRIはシングルとタッグで6度の王座獲得(2005年12月12日に自主退団)。その他にも、2004年から2005年にかけて夫婦で活躍したケンゾー・スズキや13年間に渡って職人レスラーとして活躍したFUNAKI(2010年退団・現エージェント)。2012年にはトライアウトに合格し下部団体FCWからのスタートとなったジローサカモトも在籍していたが、2014年現在は、2008年にトライアウトを経て下部団体FCWからスタートしたヨシ・タツが、唯一在籍していたが、2014年6月に契約が終了(実質的な解雇)。翌7月にて日本・大阪 舞洲アリーナ興行にてヒデオ・イタミと公開契約を行い、現在は日本人レスラーの所属は1となっている。

近年はアメリカやヨーロッパだけに留まらず、アジア諸国(日本・韓国上海フィリピンシンガポールカタール等)や中南米での興行も多く組まれている。ヨーロッパや北米でのWWE人気は高く、特にイタリアメキシコではその人気が急速に高まっている。2012年の2月には初のドバイ公演、4月にも初のロシア公演を開催し、海外進出には積極的になってきている。

海外においては90年代前半はイギリスでの人気が高く、サマースラム92年大会では約8万人の大観衆を集めた。03~05年には日本人レスラーがクルーザー級を主力に複数名所属し、フジテレビで地上波放送されていたこともありライト層のファンを多く獲得、2005年2月にはアジア初のTV収録公演をさいたまスーパーアリーナで開催している。近年は視聴率やPPV市場において北米が減少傾向にあるのに対して、海外でのPPV販売数は上昇しており、特にメキシコではWWEの番組は高視聴率を獲得しつつ、PPV市場においても急成長している。この様なメキシコや中南米の国々の人気もあって、2010年頃からヒスパニック系レスラーの獲得に注力し始め、2011年にはアルベルト・デル・リオがメキシコ人レスラーとして初の世界王者となった。同年にはメキシコの国民的英雄ともいわれるミスティコがシン・カラのリングネームでWWEデビューをしている。10月にはメキシコで初のTV収録公演を行った。これらの国以外ではプエルトリコやイタリア、フランスでもTV収録を行ったことがある。

また、WWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演にハリウッド映画界に進出したり、CDを発売したりなど、かつてのようにレスリング以外での活動もよく見受けられる。

政治に関する活動など

スーパースターズによる2009年のイラク慰問(左手前からビンス・マクマホン、R・トゥルース、レイ・ミステリオ)
2003年のイラク慰問興行

WWEのスーパースター達の社会的地位は高く、大統領選の応援演説にレスラーが駆り出されたりする。また、WWE自体が社会貢献のために軍の慰問や投票率アップキャンペーン等に積極的に協力している。

政治思想的には共和党支持を掲げており極右色が強く、アメリカのイラク攻撃に賛同し、アメリカ軍の駐屯地へ赴き慰問興行も行っている。アメリカに敵対する国に対する当てつけとして、その国に倣ったギミックの選手がヒールとして登場することも多い。湾岸戦争の際はサージェント・スローターフセインの友人というギミックで登場し、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックのラ・レジスタンスが登場し、数年後には同時多発テロ以降差別に苦しむアラブ系アメリカ人のモハメド・ハッサンが登場した。 ただしこの手のギミックはアメリカではファンの憎悪を集めるが、反米感情の強い国ではある種、正論とも取れるため人気を獲得し難い。 一方リンダ・マクマホンがイラク戦争に当初から個人的に反対していたり、反米ユニットが番組内のディベートで事実上勝利してしまう(結局はうやむやになるが)など経営陣は決して一枚岩ではないことが伺え、どちらかといえばビジネスのため政治思想をはっきりさせる、というのが実情のようである。

なお、近年は長年支持してきた共和党政権がもたらしたイラク戦争の失敗、民主党政権への交代、金融危機の影響からイラク戦争開戦当初から前面に押し出してきたかつての反米ギミックの選手を公然と嘲り、アメリカを讃えるといった極端な保守色を薄めつつあり、慰問興行も減少傾向にある。

WWEへのデビュー

新規に番組に出演する方法としてはレスリングやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、またはタフイナフ(2001年 - 2004年)やディーヴァサーチという番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われるトライアウトで優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、そのほとんどはDevelopment Deal(育成契約)であり、すぐにRAW、またはSmack Downに登場するのは稀である。ほとんどの場合FCW(Florida Championship Wrestling)というWWEのDevelopment Systemを担っているインディー団体でトレーニングや試合を行ってからRAW、SmackDown!でのダーク・マッチ(テレビ放送されない試合)に出場し、認められたらRAW、Smack Down、または2010年2月開始のNXTでデビューする(NXT以前は一部の有望選手を除いて、放送を終了したECWでデビューするケースが多かった)。もっともDevelopment Dealにサインしたからと言って、WWEへの登場が保証されている訳ではなく、途中で解雇されることもあり得る。また育成期間もあらかじめ決まっている訳ではない。

このような育成機関ともいえる団体としては、2005年8月から2007年4月まではDSW、2000年から2008年2月まではOVWがあったが、契約を解消したと同時にFCWを新しく設立している。OVW出身のスーパースターは多く、バティスタ、ジョン・シナ、ユージン等が挙げられる。また、これらの団体ではケガをしたスーパースターのリハビリやギミック(キャラ設定)がうまくはまらなかったスーパースターのギミックの練り直し等にも使われることがある。

なおFCWにはそれぞれWWEのDevelopment Systemとは関係のない独自に契約を結んでいるレスラーもいる。彼らはNon-WWE-Talentとも呼ばれている。

またUPW(Ultimate Pro Wrestling)というインディー団体もDevelopment Systemの一翼を担っている。この団体は前出の3団体とは異なり、Development Dealにサインしたレスラーを引き受けて育成するのではなく、WWEのオフィシャルタレントスカウトが所属レスラーからスカウトをするという方式がとられている。またペイパービューイベントなどでの重要な脇役の供給源でもある。 、 UPW出身のスーパースターは、シルベスター・ターカイマーティー・ルバルカーダが挙げられる。

客層

WWEは現在家族揃って見ることができるファミリー路線を採用しているため、会場には家族連れや女性の観客も多い。こういったファン達(ライト層)と、プロレスに関する知識をある程度有する青年以上の層(ヘビー層)が主な客層となっているが、後者が観客の多数を占めていたアティテュード路線の時代と比べて異なるファン層が同じ会場にいるため、以前では見られない現象が起こっている。 ライト層がストーリーライン上ベビーフェイスと位置づけられるレスラーを応援するのに対し、ヘビー層はそれだけではなくレスラーに試合やパフォーマンスの出来を高く求める。このため両者が声援を送るレスラーにずれが生じ、ベビーフェイスでありながらブーイング、ヒールでありながら声援を送られるという通常では考えられない現象が見られるようになった。(ジョン・シナCMパンクを参照)

スケジュール

WWEのスケジュールは、基本的には毎週月曜日に「RAW」の生放送と「WWE Superstars」の収録。火曜日に「Smack Down」ならびに「WWE Main Event」の収録を行う(海外ツアーなどが直後に開催される場合はRAWも収録になる)。「NXT」については不定期で収録される。収録されたSmack Downは毎週金曜日、NXTは毎週水曜日、WWE Superstarsは毎週木曜日に放送される。この他に週に何回かのテレビ収録のない興行(ハウス・ショー)を開催し、月に一度PPV(ペイ・パー・ビュー)形式で特番興行を行う。

PPV興行は2002年までは年12回行われていたが、2ブランド制への移行により2003年からRAW、SmackDown!単独開催の場合と両ブランド共催の二形態になり、2005年からは14本、2006年はECWも含めて16本に増えた。しかし、その多さゆえシナリオがきちんと成り立っていなかったり、またレスラーの疲労も激しいため2007年から計15本、3ブランド共催の形になり、2008年からは計14本、2010年からは13本となっている。そのPPVの中で歴史ある4つのPPV(Royal RumbleWrestle ManiaSummer SlamSurvivor Series)をBig Four(ビッグ・フォー)と呼び、その中でも最大のイベントがWrestle Maniaであり、2014年に30回目を数える大興行である。PPVはWWEにとって大きな収入源となっており、通常その様子の動画は一般放送では流されない。

ハウス・ショーはテレビショー同様、ブランド別に開催している。そのため、他のテレビショーとスケジュールを合わせる必要はなく、例えばRAW収録日にSmack Downが別の都市でハウス・ショーを開催することも一般的である。PPV興行前日、前々日もハウス・ショーを開催することも多く、また海外公演のハウス・ショー(基本的に海外公演はハウス・ショーで行なわれる)も毎月のように開催しているため、WWEのスケジュールの過密さを物語っている。ハウス・ショーではテレビショーで見られるような華やかな演出はなく、淡々と進行する。ファンとの交流イベントやテレビショーでは見られないようなパフォーマンスを見せてくれることもある。また、ダーク・マッチ同様、新人レスラーやギミックのテストの場となっている。ハウス・ショーは週2回(PPV除く)土曜日は必ずハウス・ショーに割り当てられ、それ以外はオフか試合以外の活動を行う。大きな休みを取れるのは、年末年始の一週間のみでその週は一年の総集編が組まれている。

宿泊施設、食事、会場移動は自己に任せ、移動手段も集団でバス移動ではなく、会場入り時間を教え、厳守してもらう以外は全て自由で個人個人好きな移動手段で会場に入る。これはアメリカンプロレスでは一般的な移動手段であり、その中で経費削減のためアングル上対立しているスーパースター同士が一緒の車で移動したりプライベートでは行動を一緒にしていることも起きる。またディーヴァは試合前に練習を行うため、会場入りが早く設定されている。

チャンピオンシップは「RAW」と「Smack Down」の各番組毎に「ヘビー級シングル王座」と「それに準ずるシングル王座」、「タッグ王座」と「女子王座」があったが、現在は「タッグ王座」と「女子王座」は統一された。挑戦者が勝ち王座移動が起こると前王者には「リマッチ」の権利が与えられ一ヶ月以内に王者に挑戦する事ができる。

先に述べたPPVはそれぞれの番組の主催、それに共催という形態をとっていたが2007年からはPPVは全て3ブランドの共催に変更された(Backlashより)。WWEが拡大していく過程でECW、WCWといった他団体を併合してきたため、所属スーパースターが多くなり過ぎたこともあり、現在ではスーパースターは「RAW」か「Smack Down」かどちらかの所属となっており、トレード、またはドラフトが行われることもある。

2008年のRoyal Rumble より映像のHD化が行われた。テレビ放送も翌日から移行。

マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、特番以外の通常興行やハウス・ショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のスーパースター同士のシングルマッチが平然と行われる(ただしハウス・ショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PPV等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)。WWEでは同じカードでも「誰と試合を行うか」よりも「何処で試合を行うか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。王座戦が何度も行われるので王座の価値は防衛回数ではなく、防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている。(戴冠回数に関してはリック・フレアーの「16-time World Champion」やブッカーTの「5-times Champion」が好例と言える。)このような考え方はビッグマッチまでカードを温存する日本のプロレスとは大きく異なる。

他方広大なアメリカ全土を回り、年間200試合以上という過密スケジュールをこなしながらパフォーマンス維持のトレーニングをせねばならず、特にトップレスラーはそれらに加え映画出演や地元メディアのインタビューに時間を割かねばならないなど過酷な勤務形態も問題になっている。この過酷さに退団する者や、肉体の痛みをごまかすため鎮痛剤を服用した影響とみられる死亡事故が起こっていた。

日本との関係

NWA内での同じ反主流派ということもあり、1975年頃から新日本プロレスと協力関係を持ち、団体同士の提携を結び、当時のトップレスラー達の派遣や王座の認定等、積極的に関わっていた。権限のない名誉職ではあったが、新間寿が当時のWWFの会長になったこともある。だが、ビンス・マクマホン・ジュニアが実権を握り、全米マット制圧を掲げだした頃から、所属レスラーを自団体の興行へ優先させるために、トップレスラーの派遣を渋るようになり、さらに、提携継続の条件として高額な提携金を要求し、支払ったにもかかわらず、相変わらずトップレスラーの派遣を渋るなど、徐々に新日本プロレスとは疎遠となり、最終的に1985年10月末に提携は解消された。

全日本プロレスに関しては、ジャイアント馬場が全米で武者修行していた頃からマクマホン親子とは旧知の仲ということもあり、新日本プロレスがWWFと提携を結ぶ以前は、馬場がWWFの興行に出場したり、海外武者修行中だったジャンボ鶴田が単発ではあるがWWFの興行に出場したりと団体同士の提携は無かったが、交流は行われていた。その後、新日本プロレスが正式にWWFと団体同士の提携を結んでからは、団体同士の交流も行われなくなったが、ブルーノ・サンマルチノと馬場が親友同士という事もあり、サンマルチノは馬場との友情関係を理由に新日本への参戦を拒否し、全日本プロレスに出場し続け、PWFとのダブルタイトルマッチとして全日本プロレスのリングでWWWFの防衛戦を実現させている。また、サンマルチノ以外にもゴリラ・モンスーンドン・デヌーチなどのサンマルチノと親交の深かった当時のWWF所属レスラーたちが全日本プロレスに出場している等、個人的な交流は存在している。

一方、女子では分裂後の日本女子プロレスと提携した後、全日本女子プロレスに参戦していたファビュラス・ムーラのWWF入りを機に、全女との間で選手派遣で関係を持っていた。そのラインでWWFに参戦したジャンピング・ボム・エンジェルス立野記代山崎五紀)やブル中野の活躍もあり、その後も全日本女子プロレスの選手が定期的にWWFに参戦するプランもあったが、1995年に当時の同団体の女子王者であったアランドラ・ブレイズ(デブラ・ミセリー)が、王者のままWCWへ移籍し、番組内にてWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てるパフォーマンスを行ったため、女子レスラーの出場が一時期見直された事により立ち消えになってしまい、団体としての交流は途絶えている。

新日本プロレスとの提携解消後、特定の団体とは提携を結ばなかったが、1990年には新日本プロレスおよび全日本プロレスの3団体合同で東京ドーム興行「日米レスリングサミット」を開催。その後(1990年から1992年の間)、SWSと提携を結び、幾度かの合同興行を開催したり、王座の認定や所属レスラーの派遣などを行っていた。

この頃、単独での日本進出を目論んでいたこともあり、日本のプロレスマスコミには好意的で、アメリカのマスコミでも入ることができなかったリングサイドでの取材(ただし2007年になり番組が全てHDTVで製作されるようになると、リングサイドでの取材は突如禁止となった)や、マクマホン本人が日本向けにテレビインタビューに出演する等、積極的に協力している。

1994年には「マニアツアー」として横浜・大阪・名古屋・札幌で単独興行を行ったが、当時のWWFとは関係ない日本人レスラーの出場や、バックステージの趣向を凝らさなかったこと、本場の様な豪華なセットを組まなかったこと、それにプロレスの興行を扱ったことのない興行会社がプロモートを行ったことなどがあり、直輸入を期待していたファンからの支持が得られず、興行成績も振るわず、2002年に再上陸するまで自社の手による興行は行われなかった。

日本国内でのテレビ放送はJ SPORTSが担当している。また、PPV特番はスカチャン(旧パーフェクト・チョイス)で放送されるが、いずれも約10日遅れでの放映となる。字幕翻訳は株式会社ルミエールが担当しているが、意訳・誤訳が多い。

1992年4月から1993年5月までWOWOWがPPV大会のみを1か月遅れの120分枠で「レッスルマニア8」、「サマースラム92」、「サバイバーシリーズ92」、「ロイヤルランブル93」4大会を放送した。(実況:土居壮 解説:斎藤文彦。日本版ビデオシリーズのコンビが担当) また、1992年8月8日「ハルク・ホーガンスペシャル」、1992年8月15日「ヒストリー・オブ・WWF」2週にわたって特別番組が放送された。

地上波では1992年9月から1994年1月まで「WWFスーパープロレス」日本オリジナル番組が独立UHF局で放送された。ストーリーのダイジェストと試合を中心に60分枠で放送。なお、試合の映像は本国から1年遅れであった。斎藤文彦と土居壮のコンビが吹き替えでもなく、全くリアルタイムで見ているかのような実況と解説を行っていたのが特徴。2001年10月から2002年12月までテレビ東京が深夜枠で放送。当初は「ライブワイヤー」を放送していたが、本国での同番組の終了以降は「アフターバーン」を放送した。マイクアピールを除く、試合の実況解説などを字幕ではなく日本語吹き替えで対応したことが大きな特徴といえる。なお、英語圏以外の国でのWWEの番組は吹き替えが一般的である。

テレビ東京での放送終了後、2003年4月から2005年3月まではフジテレビが関東ローカルの地上波で放送した(J SPORTS協力の元、新たに字幕スーパーや日本語ナレーションを追加。)。現在でもWWEが映像の編集を外部の会社に許可したのはフジテレビだけである。 2004年3月までは、実況に佐野瑞樹。解説にDDT高木三四郎。 2004年4月以降は、三村ロンドと「Mrビーフジャーキー」ことブラザートムが担当。 多くのライト層の新規ファンを獲得したが、フジテレビが放送を中止した後、ライト層のファンを失ってしまい、2005年2006年のWWE日本公演(後述)の観客動員数は大幅に減少、結果として2007年の日本公演は見送られたが、2008年1月、日本でのマーケット強化を目的に、日本法人WWE Japanを設立。同社より2008年2月に再び日本公演が開催されることが発表された。

PPVやレスラーを特集したDVDはユークスが発売していたが、2005年夏をもって生産を終了。代わってJ SPORTSからDVDが販売されるようになった(アメリカ本国では2009年からPPVのBlu-ray Discもリリースされているが、日本でのリリースされる予定は無い。)。

2005年に開催されたWrestleMania 21では元横綱のが特別出演し、スモー・マッチを行った。

現在はWWEを解雇されたレスラーがジョニー・エースの斡旋等で日本のマットに上がることが多くなり、ジャマールチャック・パルンボのように復帰が認められるケースもある。

J SPORTSでの放送以降、他のスポーツを視聴することが目的でJ SPORTSを視聴した視聴者がWWEのファンになることが多く、一般的なプロレスファンとは異なるファン層を獲得している。特に団体外の要素を団体内に持ちこむことが嫌われる傾向にあり、来日公演では、

などのエピソードがある。

細かい動きにも賛辞を送る日本人ファンに対するレスラーの評価は高いといわれている。来日回数が豊富なリック・フレアーも「アメリカのファンはショーとして見るが、日本のファンはスポーツとして見る」と語るほどアメリカとは別の要素が求められることを強調している。

なお、放送内ではアメリカの別の団体名を挙げることはまずないが、日本で活躍してWWEにやってきたレスラーの紹介では実際に日本の団体名を挙げて紹介することがある(全日本プロレス、DRAGON GATEなど)。

日本人所属選手

過去の日本人所属選手

<ドウェイン・ジョンソン>主演映画「ヘラクレス」DVD発売「直前に3回手術で2週間撮影延期も」

 ギリシャ神話に登場する“最強のヒーロー”を、プロレスラーとしても活躍する俳優ドウェイン・ジョンソンさんが演じたアクション娯楽映画「ヘラクレス」のブルーレイディスク(BD)とDVDがこのほどリリースされた。英国のグラフィックノベルを原案に、「ラッシュアワー」シリーズ(1998年、2001年、07年)や「X-MEN:ファイナル ディシジョン」(06年)などの作品で知られるブレット・ラトナー監督がメガホンをとった。血湧き肉躍るアクションシーンが随所に盛り込まれている今作について主演のジョンソンさんに聞いた。

【写真特集】撮影中の様子とドウェイン・ジョンソンの雄姿

 --「ヘラクレス」という役のどこに魅力を感じましたか。

 神と人間のハーフである、ヘラクレスの人間側にとても興味が湧きました。今作に一番引かれた理由もそこです。しかも、子供の頃からヘラクレスに興味を持っていたので。

 --今作に参加するにあたって、一番重要なポイントはなんですか。

 ヘラクレスのファンのために、どうすれば今までの映画と差別化でき、最高の一本として認めてもらえるかです。これは私がこの作品で伝えたい、かなえたいことです。そして、今作はそれを実現してくれました。

 --今作のために体作りをされましたか。

 一日7食から8食、食べていました。今回の役を演じるのに必要なカロリーでした。そして、毎日数時間のトレーニングは、かなり大変でした。

 --その素晴らしい体形を維持するために、食事制限やトレーニングのスケジュールに飽きたことはないですか。

 今回の準備はチャレンジングなものでした。95日間にわたる撮影期間を維持できる体を準備しなくてはならなかったのです。すべてのアスリートは分かってくれると思いますが、これがどれくらい大変なことで、過酷なことなのか。95日間同じ体形を維持し続けるのは、本当にきつかったです。「ヘラクレス」撮影終了時にはどうにもならない状態で、とても疲れ果てました。

--撮影中にけがしたことはありますか。

 役のための体作りの間を除いて、撮影の6週間前に骨盤の近くにある二つの腱を痛めてしまった。それはとんでもない痛みでしたし、結果的に3回のヘルニア手術を受ける、という状況になってしまいました。すべて撮影が始まる6週間前の出来事でした。

 --そのとき、どうしましたか。

 ブレット・ラトナー監督に電話して、事情を話しました。撮影開始を2週間延期して開始しました、そのため撮影の最後は疲れ果てていました。

 <プロフィル>

 1972年生まれ、米国出身。大学時代にフットボール部で活躍。卒業後は父や祖父と同じプロレス「WWE」の道に進む。在籍7年の間に8度のWWE世界ヘビー級王者につき、自身で「ザ・ロック」というキャラクターを作り出しその愛称で親しまれる。2000年、大人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演し、同番組の年間最高視聴率を記録。その後、映画界に活動の場を移し、「ハムナプトラ2/黄金のピラミッド」(01年)で映画デビュー。同作のスピンオフ作品「スコーピオン・キング」(02年)、ヒットシリーズ第6弾「ワイルド・スピード EURO MISSION」(13年)に出演するなどハリウッドのアクションスターとしてのポジションも確立した。

 *……「ヘラクレス」怪力ロング・バージョン ブルーレイ+DVDセット(2枚組み)は4700円(税抜き)怪力ロング・バージョン 3D&2Dブルーレイセット(2枚組み)は5700円(税抜き)。レンタル同時開始。

【プロレス業界ニュース!!】

1969年と1981年にTVアニメ化され大人気となった、梶原一騎・辻なおきによる大人気プロレスコミック『タイガーマスク』。そして2016年、タイガーマスクのその後を描いた『タイガーマスクW』(ダブル)の製作が決定しました!
47年前のセル時代のアニメを現在のデジタル時代に合わせて刷新し、壮大なスケールのストーリーを新たな世代に伝えようと生まれたこの企画。初代タイガーマスク・伊達直人が残したタイガーマスクの遺産は新たなプロレスラーへと受け継がれ、復活した組織・虎の穴との新たな戦いが始まります!

現代のタイガーマスクは2人いる――!?
主人公は「東ナオト」「藤井タクマ」、2人の若きプロレスラー。
彼らは小さなプロレス団体「ジパングプロレス」の練習生だったが、「ジパングプロレス」は悪質プロレス団体「GWM(グローバルレスリングモノポリー)」に潰されてしまった。報復のためナオトは富士の裾野で訓練を受け「新タイガーマスク」となり、一方タクマは「GWM」を裏で操る組織「虎の穴」にあえて入り「タイガー・ザ・ダーク」となる。
「光のタイガー」「闇のタイガー」2人を待ち受ける戦いと友情の行方は――!?

 

■東ナオト(あずまなおと)/タイガーマスク
CV:八代拓21歳の青年。小さなプロレス団体ジパングプロレスの若手選手だったが、大手黒船団体GWM(グローバルレスリングモノポリー)に道場が潰されてしまう。GWMの裏に存在する「虎の穴」を倒すべく、かつて「虎の穴」に勝ったことのあるタイガーマスクになる決意をし、訓練を始める。
■藤井タクマ(ふじいたくま)/タイガー・ザ・ダーク
CV:梅原裕一郎東ナオトの友人で、同じくジパングプロレスに所属していた選手。ジパングプロレスがGWMに潰された時、父親が大怪我を負わされ、復讐を決意。自ら「虎の穴」に入り、内部から潰そうとする。「虎の穴」での過酷な訓練を受け、ついに「タイガー・ザ・ダーク」となる。21歳。
★さらに!実在のプロレスラーも多数登場!!新日本プロレスの全面協力が実現し、オカダ・カズチカ選手を始め、実在のプロレスラーがアニメに多数登場します!今後のストーリーにどう関わってくるのか、乞うご期待!

《KAIENTAI DOJOインフォメーション》7.31CLUB-K SUPER inTKPガーデンシティ千葉大会直前ダイジェスト

覆面女子レスラー・Rayが「悪性脳腫瘍」告白 手術不可能「なぜ私が…」

超戦闘プロレスFMWの覆面女子レスラー、Ray(年齢非公表)が17日、都内で緊急会見を開き、悪性の脳腫瘍が判明したと発表した。

【写真】ボディービル大会で見事な肉体美を披露するRay

 Rayは昨年12月22日のFMW後楽園大会で脳振とうを起こし、その後の検査で左視床部分に腫瘍が発見された。1月21日に生検手術を受け、今月上旬に結果がわかったという。

 Rayの説明によれば、脳腫瘍の悪性度は「グレード3」(4段階)。手術については「がん細胞が神経にかかっているので、手術はできない」(Ray)という。今後の治療法などはまだ決まっておらず「詳細は2月26日の後楽園ホール大会で、欠場のあいさつとともに発表します」と話した。

 検査結果を聞いた際の心境を「脳振とうで受診したのに、あれやあれやといううちに…。10万人に1人という病気に、なぜ私がならなければというのがあった」と正直に告白。それでも気丈に笑顔を絶やさず「長期欠場になると思うけれど、必ず完治させてリングに上がります。早く打ち勝ってリングに戻りたいと思う」と誓った。

最終更新:2月18日(木)10時4分

東スポWeb

LiLiCo プロレス初陣は黒星もレスラー継続宣言「必ず奪い取る」

映画コメンテーターでタレントのLiLiCo(44)が23日、東京・両国国技館で行われたDDTプロレスリング「両国ピーターパン2015~DDTより愛をこめて~」に登場し、プロレスデビューを果たした。時間差入場タッグバトルロイヤルで、イケメン若手レスラーの宮武俊(24)とタッグを組み、アジャ・コング(44)組らと対戦したが、宮武がアジャにフォールされ、LiLiCo組は敗戦した。

【写真】プロレスデビューを果たしたLiLiCo(左)とイケメン若手レスラーの宮武俊

 LiLiCoは入場曲「ファイナル・カウント・ダウン」に乗り、前日考えたというメークでド派手に登場。夢だったというドロップキックをアジャに見舞う場面もあり、本気度を見せつけた。

 LiLiCoは、宮武をフォールしたアジャを奇襲。これにはアジャも「せっかく、ようこそ、プロレスへって称えてやったのに!」と怒った。

 黒星を喫し「そのベルト絶対取り返すからな!」とリベンジに燃えたLiLiCoに、アジャも「いつでもやってやる!次はこんなもんじゃねえからな!」と応戦。LiLiCoは「すべて本気です。アジャから必ず奪い取ります」と今後のプロレスラー継続を宣言した。

最終更新:8月23日(日)17時38分

スポニチアネックス

“破壊王”橋本真也さんの命日に多数の追悼ツィート

“破壊王”橋本真也さん(享年40)の命日を11日に迎え、戦友やライバル、ファンなどから多数の追悼ツィートが寄せられている。

【写真】ポケモン愛を語った元柔道代表監督の篠原信一氏ら

 新日本プロレスの小島聡は「橋本さんの生きれなかった悔しさを、元付き人として少しでも背負わせて頂ければ幸いです」と語り、『橋本真也復活祭』(13日・後楽園ホール)で、橋本さんの長男でプロレスラーの“破壊王子”橋本大地と対戦する永田裕志は「この試合、橋本さんはどう思っているのか?バスの中で、ふと考えた」。

 全日本プロレスの四天王として、同時代に活躍した小橋建太氏は「橋本さんは雑誌の取材で『誰と戦ってみたい?』という質問によく『小橋』と答えてくれていたみたいです」との思い出をつづった。

 お笑い芸人のビビる大木も「撮影でゼロワン道場に行った時、橋本さんはバーベル30秒やって、エアロバイク30秒漕いで、『あー、飽きた!!!』って言ってたな~。愛すべきレスラー」と、思い出のエピソードを明かした。

 本紙・スポーツ報知の加藤弘士デスクは「『こんなところまで来るなんて、お前かなりバカだな!』。20年前、平壌のメーデースタジアムで橋本真也さんと撮った写真は、宝物です。きょう命日。心にいつも、破壊王を」との秘話を語っていた。

 橋本さんは、1984年に新日本プロレスに入門。「闘魂三銃士」として、武藤敬司、蝶野正洋とともに売り出された。新日の象徴「IWGPヘビー級王座」を20度防衛するなど、「破壊王」として君臨。90年代後半にはプロ格闘家デビューを果たした、元柔道五輪代表の小川直也と抗争を繰り広げた。

 2000年に新日本プロレスを退団。01年に新プロレス団体「ZERO―ONE」を旗揚げ、ファイティング・オペラ「ハッスル」などのリングで活躍した。04年、フリーに転向。05年7月11日、脳幹出血で倒れ帰らぬ人となった。

最終更新:7月11日(土)23時8分

スポーツ報知

<昭和の写真>全朝日報道写真展より

「白い手」 船山 克(出版)

昭和32年10月7日東京後楽園、ルー・テーズとのプロレス世界選手権大会。力道山のしめ技でルー・テーズの手先はまったく血の気がひいて真白になった瞬間。熱戦の末引き分けとなる(アサヒカメラ昭和33年4月号)

悪性リンパ腫の元レスラー垣原賢人さん支援へ プロレス界で募金活動開始

悪性リンパ腫で闘病中の元プロレスラー垣原賢人さん(42)について12日、かつてUWFインターで垣原の後輩だったプロレスラーの高山善廣(48)らが支援の募金運動を発足させた。

【写真】悪性リンパ腫と戦う元レスラー垣原賢人さん…頸髄損傷のため現役を引退

 垣原さんは昨年12月30日、フェイスブックで悪性リンパ腫の告知を受けたことを明かし、「まさか自分がなるなんて…頭の中が真っ白です」と衝撃を受けたことを伝えていた。

 高山は垣原さんより年長ながら、選手歴から先輩として立て、12日に更新したブログタイトルも「UWFインター時代のセンパイ・垣原サンの応援よろしくお願いします!!」とした。

 そして現在の垣原さんについて「現役時代100キロ近かった体重も70キロにまで落ちてしまいました」と、衰弱ぶりを伝えた。

 その上で、この病気と闘うためには抗がん剤投与や食事療法が必要で「当然、生活の糧を得るための仕事をすることも出来ません」と、垣原さんの窮境を説明。「最終的には『骨髄移植』というリスクの高い莫大な費用のかかる究極の選択が必要になる可能性もあります」と、垣原さん個人では負い切れない治療費発生の可能性を示唆、「そんな病魔と闘っている垣原選手を応援したいと考えています。具体的な方法は治療費等の寄附になります」と募金先の口座を記した。

 今月28、29日に新宿中央公園で開催される「TOKYO outside festival」の会場にも募金箱を設置、29日には高山ら垣原さんゆかりの選手たちが募金を呼び掛けるという。

 寄付金は垣原さんの夫人に贈られ、もし利用されなかった場合は骨髄バンク等の機関に寄付される。

 垣原さんはUWFを皮切りにキングダム、全日本、ノアと舞台を移して活躍。必殺技の「カッキーカッター」はプロレスファンに広く知られている。

最終更新:3月12日(木)14時24分

デイリースポーツ

2015年3月14日

みちのくプロレス矢巾大会

東北jrヘビー級選手権試合

○バラモンシュウ(チャンピオン)vsかめっしー(挑戦者)

かめっしー負けました。

マスクも破られ素顔(中身は野橋)をさらけ出す結果になってしまいました。

かめっしーは本日でお終いです。

急遽コスチュームをリメイクしみちのくプロレス伝統の股旅スタイルに変身し、名前も『のはしたろう』になりました。

みちのくプロレス正規軍を引っ張って行く存在になってもらいたいと思います。

新崎人生 拝

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