Apex product 【 仏教の教え!! 】 ①

【お寺から日本を元気にしましょう!!】

今日も、地球上全ての、生命に合掌

 

お釈迦さまは、お生まれになって、すぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し

「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたと言われております。

このお言葉に表されるように、「この世に生きるものには皆それぞれの価値があり、尊いものである」という意味を象徴するものです。「人は誰もが、かけがえのない命を生きている」感謝して生きましょう。

 

-  青空と向日葵の会 Apex product 代表 柳 -

★ 般若心経 新訳


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

【 般若心経 全文と訳 】

般若心経は古くから困ったとき日本人のお守りとして使われてきました。
あの耳なし芳一も亡霊に連れて行かれるところを、和尚さんが芳一の全身に
このお経を書いて守ってもらったのでした。(耳にだけ書くのを忘れてしまった)

ちびまる子も困ったとき般若心経を唱えていましたね。

般若心経 (三蔵法師玄奘訳)

かんじざいぼさつ
観自在菩薩             (観音菩薩が、)
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時     (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空           (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本
             質的なものではないと見極めて、)
どいっさいくやく
度一切苦厄             (すべての苦しみを取り除かれたのである。)
しゃりし
舎利子                 (そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子
             よ、)
しきふいくう
色不異空               (形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色               (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在
             するものである。)
しきそくぜくう
色即是空               (したがって、形あるものはそのままで実体なきもの
             であり、)
くうそくぜしき
空即是色               (実体がないことがそのまま形あるものとなっている
             のだ。)
じゅそうぎょうしき
受想行識               (残りの、心の四つの働きの場合も、)
やくぶにょぜ
亦復如是               (まったく同じことなのである。)
しゃりし
舎利子                 (舎利子よ、)
ぜしょほうくうそう
是諸法空想             (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、
             という性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅               (もともと、生じたということもなく、滅したという
             こともなく、)
ふくふじょう
不垢不浄               (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減               (増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色           (したがって、実体がないということの中には、形あ
             るものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識             (感覚も念想も意志も知識もないし、)
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意         (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない
             し、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法         (形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞ
             れの器官に対する対象もないし、)
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界     (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
             分野もないのである。)
むむみょう
無無明                 (さらに、悟りに対する無知もないし、)
やくむむみょうじん
亦無無明尽             (無知がなくなることもない、)
ないしむろうし
乃至無老死             (ということからはじまって、ついには老と死もなく)
やくむろうしじん
亦無老死尽             (老と死がなくなることもないことになる。)
むくしゅうめつどう
無苦集滅道             (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そし
             てその方法もない。)
むちやくむとく
無知亦無得             (知ることもなければ、得ることもない。)
いむしょとくこ
以無所得故             (かくて、得ることもないのだから、)
ぼだいさった
菩提薩垂               (悟りを求めている者は、)
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多         (知恵の完成に住する。)
こしんむけいげ
故心無圭礙             (かくて心には何のさまたげもなく、)
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖       (さまたげがないから恐れがなく、)
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想       (あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)
くきょうねはん
究境涅槃               (永遠にしずかな境地に安住しているのである。)
さんぜしょぶつ
三世諸仏               (過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものた
            ち”は)
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故       (知恵を完成することによっているので、)
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提   (この上なき悟りを得るのである。)
こち
故知                   (したがって次のように知るがよい。)
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多           (知恵の完成こそが)
ぜだいじんしゅ
是大神呪               (偉大な真言であり、)
ぜだいみょうしゅ
是大明呪               (悟りのための真言であり、)
ぜむじょうしゅ
是無上呪               (この上なき真言であり、)
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪             (比較するものがない真言なのである。)
のうじょいっさいく
能除一切苦             (これこそが、あらゆる苦しみを除き、)
しんじつふこ
真実不虚               (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪     (そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ
即説呪曰               (すなわち次のような真言である。)
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝         (往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝             (完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提                   (悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶                 (めでたし。)
はんにゃしんぎょう
般若心経               (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける
             経典。)

悪口。

悪口は他人を中傷しているのではなく、

自分自身の悪徳を口にしているだけである。

他人の悪口を言って得意そうになっているが、

本当は自分自身の不徳をさらけ出している。

徳ある人間は自分が目立つ為の言動や、

他人の悪口などはしないものである。

人間であるが故に、心の中で悪口を言いたくなる時もあるだろう。

その時に人間における徳の高さが分かる。

徳は我欲の防波堤。

高ければ高いほど、我欲は防げる。

我欲を持つのが人間、それを抑えるのも人間。

すべては自分自身の心から創られる。

悪口を言いたくなる時もあるだろうが、

自分自身を抑える徳を修めよう。

悪口を言った人間は自分が次の悪口として言われる。

最期に大事なのは

三つのことです。

どれだけ

愛することができたか。

どれだけ

やさしく生きることができたか。

どれだけ

いさぎよく手放すことができたか。

In the end only three things matter:
How much you Loved,
How gently you lived,
and how gracefully you let go of the
things not meant for you.

Buddha
仏教の教え

愛することは学び。
執着を手放すことも学び。
毎日が学び。
ゆっくり丁寧に、
生きていけたらいいな。

學佛的人,佛教給我們,恒順眾生,隨喜功德,一切恒順大自然,不能違背自然的法則。人哪有沒有死的道理,災難來了,那正是我們往生時間到了。再大的災難掉在面前不驚不怖,沒有絲毫恐懼,念佛求生淨土,佛就來接引。真誠懇切到極處,我們起心動念佛全知道。《妄盡還源觀》上告訴我們三種周遍,第一個是資訊,周遍法界,念頭才動就周遍法界。第二...個出生無盡,這是感應。我們念頭立刻,有緣的眾生,有緣的佛菩薩,我們天天念阿彌陀佛,跟阿彌陀佛有緣,他就來接引。怕什麼?你們怕災難,我歡迎災難。你們說我說的不靈,那大概是我這些年祈禱有了效果,果然把災難化解了,把災難延遲了。好事情!

修行,用功在哪裡用?在六根、在六塵境界裡頭用功。淨宗同仁怎麼個修法?看到所有一切眾生都是阿彌陀佛,你不要認為這是好,那個是壞,錯了,平等;好人、壞人統統是阿彌陀佛,恭喜你,你成佛了,你是阿彌陀佛。佛眼看眾生都是佛,眾生看諸佛都是眾生,所以境界不是一定的,隨著你念頭變,你用什麼心,外面境界全變了。所以,災難不可怕,災難可以化解,我心裡頭一片全是阿彌陀佛,阿彌陀佛極樂世界沒聽說有災難。我是個真正修彌陀法門的人,我住在這個地方,這個地方就不會有災難。周邊地方有災難,這個地方不會有災難,為什麼?境隨心轉,就這麼個道理。哪個地方有真正修行人,這個地方就是福地,福人居福地,福地福人居。


仏教徒と私たちに仏教、恒徳恒俊自然に喜びをすべての衆生を避ける、自然の法則に反することはできません。男は死んでいなかった、真実、災害が来た行く時間であるが不足しています。大きい災害のない驚くべき、仏純粋な土地の生存を唱え、恐れることがなく、恐怖を導いた。心から心から、極端にいき、全体的なアイデアを暗唱します。裏切られたすべてのソースの表示は私達に告げる 3 つ以上すべて最初ダルマの王国、アイデアだけ万能法界を取り巻く情報。2 番目に生まれたが誘導されます。我々 はすぐに考え、衆生に対する親和性、仏や菩薩、アフィニティと毎日、念仏阿弥陀の運命、彼に達する。何を恐れてですか?あなたは私を歓迎台風災害を恐れては、災害です。あなたが言ったそれはおそらく私の祈りのこれらの年の間にあった災害、遅れの災害を十分に確認して、結果はその後、動作しないでしょう。よい事!

仕事の練習、どこですか?六、六つの王国のハード感覚します。NET の同僚を実践する方法ですか?すべての衆生は、仏、これはである悪い、悪い、良いと等しいかどうかはないと思う; 良い、悪い、すべては仏、お祝いの言葉、仏になるし、あなたは仏を参照してください。人間は、仏、すべての人間は、仏の衆生は不明と思ったので、外使用する見て状態が変更されます。したがって、災害はひどい災害の解決される、私の心は仏、阿弥陀の楽園聞いていない災害。MI Tuo メソッドは実在の人物を午前、この場所に住んで、この場所は災害ではないです。周辺のローカル災害この場所災害ではないが、なぜですか?国境までの無料送迎点に過ぎません。本物の開業医がこれは約束の地、f 生息地、祝福祝福祝福された生息地です。

看脚下 (きゃっかをみよ)
         
靴をそろえる、
そんなことが大事なこと。
一歩を踏み出すのは自分自身、
他の人のことを、気にしていては進めない。
自分の足でゆっくり歩き出せば良い。
靴を揃えるのは、次なる行動のためでもある。

心が荒れると

冷静さを失い

他人を、

非難したり、

中傷したり、

意見したり、

人と自分を比べて優越したり、

卑下したり

きつい言葉で

もしくはイヤミの隠った慇懃無礼な表現で

攻撃しがちなものです。

そのような言葉で

心に傷を受ける人が多くいます。

その多くが攻撃欲を満足させる我欲であり、

拳の変わりに言葉を使っている

暴力に過ぎないことが多いものです。

だから私たちは、

言葉に慎重でなければなりません。

心が荒れぬように瞑想で心を調え、

いつもやさしさと思いやりの

溢れた言葉でお話しましょう。

最上の善いことばを語れ。

自分を苦しめず、

また他人を害しないことばのみを語れ。

これこそ実に善く説かれた

ことばなのである。

【受け入れる心~感謝の心~】
 

お釈迦様は、

この世の苦しみ・悲しみの根元は、

「思いどおりにならないこと」

と悟りました。

自分の思いどおりに

ならないことに対して、

それに逆らって

なんとかしようとするからこそ、

人は悩み・苦しむのです。

人の苦しみや悲しみは、

外から与えられるもの

ではありません。

苦しい・悲しいと思う心、

つまり、人の内(心)から

苦しみや悲しみが

発生しているのです。

だから、お釈迦様は、

こうおっしゃっています。

「すべて、受け入れなさい」と。

それは、頑張る生き方ではなく、

楽に生きる生き方です。

人に頼って、

人に甘えて、

あるいは人に頼られて、

時には人から甘えられて。

自分の思いどおりに

世の中を変えようとしないで、

それを受け入れて、

こころを楽にして生きてゆくこと。

そして、その最高の形は、

「ありがとう」と

感謝することだったのです。

水を飲めることに 「ありがとう」

息ができることに 「ありがとう」

食事できることに 「ありがとう」

仕事があることに 「ありがとう」

家族がいることに 「ありがとう」

友達がいることに 「ありがとう」

話ができることに 「ありがとう」

歩けることに   「ありがとう」

病気でないことに 「ありがとう」

生きていることに 「ありがとう」

 4月8日はお釈迦さまのご生誕を祝う「仏生会(ぶっしょうえ)」の日です。他にも「降誕会(ごうたんえ)」、「灌仏会(かんぶつえ)」、「仏誕会(ぶったんえ)」などとも呼ばれますが、現在一般には「花まつり」の名で親しく呼ばれるようになっている春の行事です。
 お釈迦さまは、今から約2500年前の4月8日、インドの北方ルンビニでご生誕されました。故事によるとお釈迦さまご誕生の際、天から九頭龍(くずりゅう)が舞い降りてきて甘露(かんろ)を灌(そそ)いだといわれています。これにちなんで、日本ではお釈迦さまの誕生仏に香水を灌ぐ儀式が行われてきましたが、江戸時代からは香水に代わって甘茶(霊水である甘露になぞらえている)を灌ぐようになりました。また、近年ではお釈迦さまがルンビニの花園で誕生したというお話から、誕生仏を花御堂(はなみどう)に安置して祝うようになりました。
 この日は10世紀後半に成立した『三宝絵詞(さんぼうえことば)』によると、仏さまをはじめ万物が生まれる日と説かれており、稲の発芽を願う農民にとっては縁起も良く、種まきの時期としても伝承されてきました。また親孝行(ことに母親に感謝)をする日としても教えられてきたものです。
 右手で天を、左手で地を指すその誕生仏のお姿は「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」というお言葉に表されるように、「この世に生きるものには皆それぞれの価値があり、尊いものである」という意味を象徴するものです。
 毎年浅草寺では本堂に「仏誕図」を掛けての法要が行われ、本堂前の参道では浅草寺幼稚園園児らの行列が白象をひいて誕生仏に参拝を行っています。
 また、参道では他に参拝のご信徒に甘茶の無料接待などが行われ、賑やかにお釈迦さまの誕生を祝う一日となります。

釈尊降誕会(花まつり) 4月8日

4月8日は、お釈迦さまのお誕生をお祝いする「花まつり」の日です。

お釈迦さまは、今からおよそ2500年前、現在のインド国境に近いネパールの地、ルンビニーの花園でお生まれになりました。お釈迦さまの誕生日のお祝いを「花まつり」というのはこのためです。

シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、「ゴータマ・シッダールタ」と名づけられました。一般的に「お釈迦さま」や「釈尊」と呼ばれますが、これは「シャカ族の尊い方」という意味を表す尊称です。

伝説では、お生まれになってすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言されたといわれています。この言葉は「人は誰もが、かけがえのない命を生きている」という、仏教のもつ人間尊重の精神を端的にあらわしています。またこの時に、お釈迦さまの誕生を祝った竜王が甘露の雨を降らせたとも伝えられています。

「花まつり」は、曹洞宗寺院だけでなく、多くの仏教寺院や仏教系の幼稚園、学校などで、広く行われています。ルンビニー園の誕生の様子を表した「花御堂(はなみどう)」を飾り、その中央には天地を指差した誕生のお姿を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ、華やかにお祝いされます。

「人は誰もが、かけがえのない命を生きている」

思いを巡らせれば、私達は皆、お釈迦さまと同じように、誰にもかわることの出来ない、かけがえのない「いのち」を生きている事に気づくことでしょう。人類が誕生して以来、数え切れないほどの人びとが生き、また現在、数十億の人びとが共に存在しているなかで、誰一人として「わたし」と同じように生き、悩み、考え、行動する人はいないのです。

4月8日は、お釈迦さまの誕生をお祝いすると同時に、それぞれの「かけがえのない命の尊さ」に眼を向け、正しく生きることをお誓いする日にしたいものです。

成道会(じょうどうえ) 12月8日

12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた事をお祝いする「成道会」の日です。

お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ育つ中で、何不自由のない恵まれた

生活を送っていました。しかしある時「人は生まれてきた以上、必ず年老いてゆくし、

また病気にもかかる。そして何より死というものは誰にでも必ず訪れる」という

自然の摂理に気づかれます。この逃れようのない苦の現実をいかに受け止め、

解決することが出来るのか。お釈迦さまはその答えを求めて29歳の時に、

王子の地位も、約束された将来も、恵まれた財産も、そして

家族すらもすてて出家の道へと

入られたのでした。その後2人の修行者のもとで禅定を学び、

また6年にもわたる苦行を

続けられるのですが、この生活ではどうしても、本当の意味でのこころの安らぎを

得ることが出来ませんでした。

お釈迦さまは心と体の関係を「琴」にたとえて考えました。

「琴の弦は、緩んでいては良い音色を奏でることは出来ない。これは欲望に自らを

まかせた生活である。ここに本当の安らぎはない。しかし、

弦は張り過ぎると切れてしまう。

それは自らの命を失うような苦行の生活だ。ここにも、本当の安らぎは存在しない。」

欲望に任せた自堕落な生活でも、命を失いかねない苦行でもない

「ちょうどいい張り具合」

にこそ、本当の安らぎがあるのだと感じたお釈迦さまは、苦行を離れ、身体を癒し、

菩提樹の木のもとで坐禅に入りました。そして一週間の後、

ついにお悟りを開かれたのでした。

曹洞宗ではこのお釈迦さまのお悟りを讃え、また実践するために、

12月1日から8日までの期間「摂心会」という集中的な坐禅修行が

各地の修行道場などで行われます。

【ハンスト】瀬戸内寂聴が、澤地久枝が、子どもたちを守るために命をかける~経産省前テント広場

90歳の瀬戸内寂聴さんが、81歳の澤地久枝さんが、雨の中、命を削って原発反対を訴えた。2日、経産省前のテント広場で展開されているハンガーストライキに2人が参加。未来の子どもたちを守ろうと声をあげた。普段、メディアに報道されることの少ないテント広場は、〝大物〟登場に報道陣でにぎわった。ともに、未来を担う子どもたちを守ろうと、主治医の反対を振り切って参加した。5日には、国内の原発がすべて、停止する。これを機に原発のない日本にしようと、二人の女性は静かに、しかし力強く訴えた。


【こんなに酷い日本を残しては死ねない】

霞ヶ関の一角。経産省前に設けられたテントに、作家・僧侶の瀬戸内寂聴さん(90)はいた。一昨年に足を圧迫骨折した影響で、車いすに座っていた。

朝から激しい雨になるとの予報だったが、午前10時を過ぎても雨粒は落ちて来ない。

「私もあきらめていました。だから、朝起きて『えいっ』と念じたんです。雨を止める力はあるんですよ」

主治医に話せば反対されるのは分かっているから、内緒で京都から駆け付けた。法話などのスケジュールはぎっしり。この日は唯一、予定が入っていなかった。そこまでしてハンストに加わったのには、自分が動くことによってメディアに取り上げられ、若者たちに脱原発の意識を高めてもらいたいという思いがある。

「90歳のばあさんがこうしてテントに座ったら、マスコミは放っておかないでしょ。すると若者が報道を見る。若い人たちに、もっと原発の恐ろしさを知って欲しいんです。子どもとか孫の世代のことを考えると、こんなに酷い日本を残しては死ねません。今ほど酷い日本は無いと思います」

5日には、国内の全ての原発が停止するが、一方で大飯原発(福井県)の再稼働も着々と進められている。

寂聴さんは「再稼働しないと本当に思っていますか?」と集まった報道陣に逆取材。「今の政府のやり方を見ていたら、再稼働するんじゃないですかね。もっと『嫌だ』と言っていかなきゃなりません」

震災後、飯舘村の人々と語らう機会があった。その時の村民の顔つきや目つきが、いまだに脳裏から離れないという。

「このおしゃべりの私ですら、声をかけることができなかった。あの目、顔は怖かった。あまりに不幸で…。それくらい、彼らは酷い目に遭わされているんですよ」

福島の子どもたちを思うと、勢い、話は大手メディアの報道姿勢にまで及んだ。

多国籍軍によるイラク進攻の際、実際に現地を訪れて報道との違いを自身の目で確認した経験から「今回の原発事故でも、報道はまず疑ってかかっています。マスメディアはどうして本当のことを報道できないのか。まさに大本営発表を垂れ流した戦時下と同じではないか」。命をかけて福島を報じなさい、とも語った。

「一日くらい断食しても私は死にません、大丈夫」と笑顔を見せた寂聴さん。

「日本人は我慢することを美徳だと思っているが、言いたいことをもっと言うべきです。闘わなければいけません。私は、余生を原発にかけています」

【解決策の無いことが起きてしまった】

ノンフィクション作家・澤地久枝さん(81)は、これまでも度々、テント広場を訪れている。ハンストは前日の1日夕方から参加した。

「デモだけではなく行動したかった」

5日の全停止を機に、原発から完全に抜け出すと約束してほしい─。満州から日本に引き揚げてきた経験のある澤地さんにとって、原発事故で飼える故郷を失った人々の気持ちは痛いほど良く分かる。

「私には帰る日本があったけれど、原発でやられた人々には帰る希望がない。〝難民〟の気持ちは良く分かります。こんなこと、日本の歴史始まって以来のことです」

福島だけではない。東京だって、決して汚染されていないわけではないというのが持論だ。

「東京もやられています。海も汚された。魚を食べられない日がやがて来る。解決策の無いことが起きてしまったんです。起きてはならないことが起きてしまったんです。福島の人々は耐えるだけでなく、怒りの気持ちを持つことも大切です」と訴えた。

「今日はNYにいてそちらに行かれませんが、気持ちは皆さんと一緒です」。澤地さんは終始、坂本龍一さんからのメッセージを手にハンストに臨んだ。

「原発再稼働なんてまずできないんじゃないですか。国際的な監視の中で強行すれば、日本はどん底の国になってしまいます。それでも強行するのなら、女も男も一緒になって『何て馬鹿な事をするんだ』と声をあげるべきです」

昨年、膝を骨折し、脳梗塞も患った。主治医には当然、参加を反対された。それでも参加せずにはいられなかった。まさに命をかけた闘いなのだ。

【続々と寄せられる〝健康被害〟】

「未来を孕む女たちのとつきとうかのテント村行動」の椎名千恵子さん(65)=福島市=は、断食を始めて二日目。「フラフラしている」と冗談交じりに話したが、「自分自身を命を意識する状況に追い込むことで、命を断つことで闘いたいんです」

瀬戸内さんら著名人が参加したことには「世間へのアピール度が全然違う。

ああいう方に来ていただくことで、世間に認知されます。私たちの励みにもなりますね」と喜んだ。

しかし一方で、無名の自分たちがいくら頑張ってもなかなか取材してもらえないジレンマもある。マイクを握ると福島の子どもたちへの思いが募り、涙が止まらなくなった。

「先日、商工会議所主催のキッズパレードがありました。沿道では2μSVも珍しくなく、高い場所では10μSVもあった。どうして、子どもたちを復興のシンボルとして駆り立てるのか。3.11を早く忘れさせたい人々が福島ではのさばっている。私たちは山下(俊一・福島県立医大副学長)に命を預けたつもりはありません」

医学的な立証は難しいが、椎名さんのもとには様々な〝健康被害〟の報告が届いている。鼻血、肩甲骨の痛み、目のくま…。

しかし、福島の医師の中には、甲状腺検査をあっさりと断る者もいるという。

「病院の診察室で放射能の話題を切り出したら、医師の背後で看護師が両手でバツを作るんです。先生が診てくれなくなる、と。これは本当の話です。これが福島の実情なんです。もっと記者の方々には肌で感じて欲しい。ジャーナリストの本分を全うして、福島を伝えて欲しい」

ジャーナリスト・鎌田慧さんをして「90歳のハンストは歴史的なこと」と言わしめたこの日のハンスト。その陰で、多くの無名な人々の闘いが続けられていることも、忘れてはいけない

【奈良の14寺社の液体は4種類、模倣犯の可能性も 奈良県警が分析】

奈良県や京都府、兵庫県などで寺社に油のような液体が相次いでまかれた事件で、奈良県警は15日、県内で被害が判明した19寺社のうち、14寺社で検出した液体は4種類に分類されたとする分析結果を発表した。

 これまでに長谷寺(桜井市)や金峯山寺(吉野町)など7寺社は同種の液体がまかれた可能性があることが分かっていたが、朝護孫子寺(平群町)も同種の可能性が高いことも判明した。

 このほか、春日大社や唐招提寺など6寺社から採取した液体は3種類に分類できた。ただ、油かどうかも含め、詳しい成分の特定には至っていないという。

 県警は模倣犯による犯行の可能性があるとみて、計65人の専従捜査班を14日に立ち上げ、文化財保護法違反などの容疑で捜査している。

最終更新:4月15日(水)21時6分

産経新聞

【奈良の薬師寺内でも…油のような液体 器物損壊容疑】

新たに奈良市の神社で発覚。被害は7府県、30カ所となりました。

 13日午前10時すぎ、奈良市の薬師寺が管理する薬師寺孫太郎稲荷神社で、巡回中の警察官が社殿上がり口の階段に油のような液体がついているのを発見しました。薬師寺によりますと、神社は通常、午後5時から翌朝の午前8時半まで入り口の門を閉めていて、13日午前に被害が確認されるまで異常はなかったということです。警察は、奈良県内で相次ぐ事件と同一犯である可能性も視野に、器物損壊容疑で捜査しています。

最終更新:4月13日(月)20時53分

テレ朝 news

【自由すぎる(笑)お寺に貼ってある名言張り紙が、良いこと言っている風だけど思わず色々突っ込みたくなる】

病気や死への恐れ、人間関係から起こる悩みなど、人の一生にはさまざまな苦しみがつきまとうものです。ときには、自分の思い通りにならないことに対して憤り、その苦しみに振り回されてしまうこともあるでしょう。でも、できることなら苦しみに振り回されず、安らかに生きたいものです。

お釈迦さまの教えには、「人々を苦しめている根本的な原因は何か」、「苦しみから解放されるにはどうすればよいのか」という一貫したテーマがあります。

全ての人が避けることのできない様々な悩みに対し、お釈迦さまは「生きることは苦に満ちている。それは、あらがいようのない真理である。だから、生きることが苦しいのは当たり前ともいえるのだ」と説かれています。これだけを聞くと、なんだか救いのない話のようですね。ですが、お釈迦さまが伝えたかったのはむしろ、その解決方法。苦しみから解放され、安らかに生きるための方法を、仏教の教えとして私たちに残してくださったのです。

仏教が目指す境地は「成仏」、つまり文字どおり〝仏に成る〟ことです。"仏"とは世の中の真理に目覚め(=さとり)心は何にも乱されず、その智慧を活かして人々の苦しみや悩みを解決しようとする人を指しています。仏教や成仏というと、お葬式や死後の世界などを連想される方もいるかと思います。しかし、お釈迦さまが繰り返し説いていた教えは、私たちがいのちを授かっているこの"現世"で、いかに悩みや苦しみから開放され、イキイキと生きるかということに尽きます。つまり、"今"をイキイキと生きるための智慧、それが仏教なのです。 

まず、前述のとおり仏教の出発点は、「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」と知ることから始まります。なぜ苦しみが生まれるのでしょうか。仏教ではこの原因を、「諸行無常(すべてはうつり変わるもの )」で、「諸法無我(すべては繋がりの中で変化している)」という真理にあると考えます。これらを正しく理解したうえで、世の中を捉えることができれば、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になる――。つまり、苦しみから解放される、とお釈迦さまは説かれています。これが、目指すべき「涅槃寂静(仏になるために仏教が目指す"さとり")」です。
少し難しく感じられるかもしれませんが、それぞれをご自身に当てはめて考えていくと、とても納得しやすいお話になるはずです。それでは、これらの4つの言葉についてご説明していきましょう。

一切皆苦―人生は思い通りにならない

まず、お釈迦さまは、私たちの世界は自分の思い通りにならないことばかりである、という真理を説いています。仏教の「苦」とは、単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」という意味です。この「苦」には、「四苦八苦」と呼ばれる八つの苦しみが挙げられます。

いかがでしょう。誰もが実感することばかりではありませんか? これらの苦しみを理解するためには、お釈迦さまが掲げた3つの真理を知る必要があります。

諸行無常―すべてはうつり変わるもの

世の中のあらゆるものは一定ではなく、絶えず変化し続けているという真理です。
世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。それにも関らず、私たちはお金や物、地位や名誉、人間関係や自分の肉体に至るまで、様々なことを「変わらない」と思い込み、このままであってほしいと願ったりもします。それが、「執着」へとつながるのです。このような苦しみにとらわれないためには、ものごとは必ず変化するのだということ、全てが無常の存在であることを理解することが大切です。

諸法無我―すべては繋がりの中で変化している

全てのものごとは影響を及ぼし合う因果関係によって成り立っていて、他と関係なしに独立して存在するものなどない、という真理です。自分のいのちも、自分の財産も、全て自分のもののように思いますが、実はそうではありません。世の中のあらゆるものは、全てがお互いに影響を与え合って存在しています。自然環境と同じように、絶妙なバランスのうえに成り立っているのです。こう考えると、自分という存在すら主体的な自己として存在するものではなく、互いの関係のなかで"生かされている"存在であると気がつきます。

涅槃寂静―仏になるために仏教が目指す"さとり"

これは、仏教の目指す苦のない"さとり"の境地を示しています。
仏教に限らず、あらゆる宗教は「どうしたらみんなが幸せになれるのか」を追求します。しかし、世の中は自分の思い通りにならないことばかり。そんなとき、人は自分以外のものに原因を求め、不満になり、怒りを抱くものです。仏教では、こうした怒りは全て、自分の心が生み出していると考えます。その原因となっているのが、疑い、誤ったものの見方、プライドや誇り、欲望などの「煩悩」。こうした煩悩を消し去り、安らかな心をもって生きることこそ「涅槃寂静」、つまり"さとり"の境地なのです。そこに到達するためには、先に挙げた"諸行無常""諸法無我"をきちんと理解することが大切です。あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定した状態になれば、結果として幸せに生きることができるのです。

では、思い通りにならない人生をイキイキと生きるためには、どうすればいいのでしょうか? その答えが、後述する「四諦八正道」という教えに示されています。これは、お釈迦さまが苦しみのメカニズムを説き明かし、煩悩をコントロールして生きる方法を具体的に示してくださったものです。

四聖諦という教えでは、「なぜ苦しみが生まれるのか」や、「どうすれば苦しみを消し去ることができるのか」が説明されています。

つまり、お釈迦さまは「生きるということは思い通りにならないものだから、執着を捨てなさい。執着を捨てれば涅槃に達することができるから、そのために修行をしなさい」と説かれているのです。

その修行として、「八正道」と呼ばれる8つの正しい道が挙げられています。

これらの8つの正しい行動を行うことが、苦しみから開放されるための修行なのです。
また、偏りがない正しさを「中道」といいます。仏教ではこの思想をとても大事にしており、一方に偏ってもう一方を疎かにすることなく、決して両極端のものに執着することなく、自分自身の安らかな心で迷いなく正しく生きることの大切さを伝えています。八正道は、苦しい修行でも楽な修行でもない、この「中道」の実践的な修行の道でもあるのです。

これまで繰り返し説明されているように、世の中のあらゆる出来事や物質は常に変化し、お互いに影響を与え合う相互関係にあります。ものごとには、必ずそれが起こった原因があります。原因に何かしらの関係が縁となって加わり、結果が生じ、報いがあるのです。一切の現象はこういった因縁の相互関係の上に成立しているので、絶対的なものや不変なものはあり得ません。このように、仏教の根本には、あらゆるものは関わり合って存在しているのだという、「縁起」という教えがあります。

もちろん自分自身も同じように「無我」であり「無常」です。そして、何一つ思い通りになるものはなく、望んだとしても完全に手に入れられるものなどありません。それにも関わらず、人間はありとあらゆるものごとへ不変を望み、そこへ執着してしまいます。

仏教では、このジレンマによって苦しみや悩みが生じると説いています。煩悩は因と縁があるから生まれるものであり、それらの原因を取り払えば、煩悩もなくなります。こう考えると、苦しみに満ちたこの世界は、全て人の心が生み出しているものといえますね。

安らかに生きるためにまず知るべきことは、「世の中には思い通りにならないことがたくさんある。自分にとって都合のいいことばかりは起こらない」という現実です。そこを出発点にして、自分や世の中を見つめて、苦しみや悩みを取り去る方法を探しましょう。

そこで大切なのは、ものごとにこだわらないこと、偏った見方をしないこと。さらに、この世の全てはお互いに関係しあい、つながっているのだということを理解すること。

世の中のあらゆるものが無常であると知っているから、一期一会の出会いを大切にし、自分をめぐる仕事や人間関係の一つひとつのことも丁寧に謙虚に愛情を込めて行うことができます。全てが縁起によって成り立つものだと知っているから、自分以外のものへ慈悲の心をもって接し、一瞬一瞬を尊く生きることができます。生かされている"いのち"で毎日を大切に生き、自分本位でなく周りへの思いやりを持って行動することは、苦しみの原因である執着をコントロールすることにもなります。

これが"今"をイキイキと生きるお釈迦さまの智慧です。お釈迦さまは、全ての人々を慈しみ、苦しみから逃れて幸せになれるようにと願い、このような教えを今に残されたのです。

「海外では殺されても文句が言えない」日本で宗教戦争が起きない理由とは?

海外では、宗教や宗派の違いによる戦争が現在も起きています。

しかし、日本では宗教で戦争が起きることはありません。その理由が日本人の寛容な心にあると説き、世界にそれを伝えたいと願っている人がいました。それは現役の僧侶、松山大耕さんです。そこで今回、彼がTED×Kyotoで行った日本の宗教観に関するスピーチを紹介したいと思います。

お寺に生まれキリスト教の学校へ通った少年時代

松山さんの実家は仏教のお寺です。お寺の子どもとして生まれましたが、通った中学・高校はカトリックの学校でした。お寺に生まれたのに、キリスト教の学校に通うということは確かに珍しいことでしたが、松山さんの親族や友人は理解してくれていたそうです。

しかし、松山さんが大学生の時に、海外との宗教観の違いを思い知らされる出来事がありました。

「アイルランドでは殺されても文句言えないわよ?」

大学生の時アイルランドへ行った松山さんは、田舎のB&Bを訪れました。女将さんに、自分の生い立ち(お寺に生まれたのに、キリスト教の学校へ通ったこと)を話すと、「なぜあなたの国では、そんなことが出来るの?アイルランドでそんなことをしたら、殺されても文句言えないわよ?」と言われたそうです。

アイルランドは、カトリックを熱心に信仰している人が多い国です。また、アイルランドに限らず海外から見ると、日本のようにクリスマスを祝い、除夜の鐘を撞き、初詣へ行くという複数の宗教を信仰する行動は、ありえないことなのです。

しかし、日本の特定の宗教のみを信仰しない、寛容な宗教観は食にも通じていると松山さんは仰っています。

「メイン」が存在しない和食

例えば伝統的な懐石料理を注文しますと、先付、椀物から最後のご飯に至るまで「メイン」という考え方はありません。私は、この食と同じように日本人の宗教観も、ある特定の宗教だけを特別視するのではなくて、全ての宗教に共通する倫理観もしくは哲学、こういったものを日本人は大事にしていると思います。

ですから、日本人の宗教観というのはBelieve in somethingではなくて、Respect for somethingもしくはRespect for others、こういうスタイルが日本人の宗教観です。


一つのものだけを信じるのではなく、異なる教えに対しても敬意を払い、尊重する。確かにそうかもしれません。また、松山さん自身は仏教の教えを説く僧侶ですが、神社の神様に対してお経を上げることもあると明かしており、反対にお寺の中に神社があるケースも紹介しています。

次に、日本とインドの仏教における違いについても言及していました。

日本とインドの仏教の違いはカレーに似ている

例外はありますけれども、日本のお坊さんは妻帯を許されていますし、修業中はお肉、お魚を謹んで精進料理をいただきますが、修業が終わってしまえば特別厳しい戒律はありません。


もしこの仏教発生の地であるインドの方が日本の仏教をご覧になったら、これは仏教じゃないんじゃないかとおっしゃるかもしれません。インド、東南アジアを中心として信仰されている上座部仏教では、戒律の順守、それから経典の学習、瞑想の修業。こういったことを目的とされています。

しかしここ日本の仏教は、先祖供養、普段の生活の中での礼節を敬う、こういったことを重視しています。


インドの仏教で重視していることと、日本の仏教で重視していることは確かに違います。しかし、根底にある教えや哲学は同じだと仰っています。

私は、日本とインドの仏教の違いというのは、実はカレーに似ているんじゃないかなと思ってます。

インドではこのように、非常にスパイシーで辛いカレーをみなさん召し上がります。カレーもインドが発祥の地なんですけども、インドの方が日本の私たちが食べ慣れている甘くてまろやかなカレー、好きな方たくさんいらっしゃると思いますが、あのカレーを召し上がったら、これはカレーじゃないじゃないかと、こうおっしゃるかもしれません。

確かにこの、調理法、具材は違うかもしれませんが、このルーにお肉やお魚、そして野菜を入れて煮込んでご飯もしくはパンと一緒にいただく。このスタイルはインドでも日本でも共通しています。


カレーも仏教と同じように、見た目や味付け、具は違えど食べる方法(根底)は同じだと仰っています。本質に目を向ければ違うと思っているものも、実は同じなのかもしれませんね。

しかし、根底は同じであっても宗教が違うという理由で、海外では戦争が起きているのも現実です。これについて、松山さんは次のように述べています。

教義よりも大切なのは互いを尊重し、仲良くすること

確かに全ての宗教において、その教義に忠実である、守ること、それは非常に大事なことです。しかし世の中にはもっと大切なことがあります。

それは信じる宗教が違っていても、お互いを尊重し、そして仲良くするということです。日本では色々な宗教を信じている人がいますが、宗教が違うからといって、争いやもめごとといったことはほとんど起こりません。


しかしテレビでニュースを見ますと、世界を見渡しますと、ひとつの宗教を信じるあまり他の宗教の方と争ったり罵り合ったり、そういう場面が放映されます。しかし私はそれは本末転倒だと思います。

宗教の本質は盲目的にひとつのものを信じることではありません。世界にはたくさんの人がいて、それぞれ皆さん感謝の気持ちを持って、安心感を得て、そして自分の人生を全うする。その助けを提供するのがこの宗教の役割です。


自分の考えと違う人を攻撃し続けていては、安心感のある楽しい生活は送れません。お互いを尊重するということは宗教だけではなく、人間関係にも通ずるものなのではないでしょうか。

違う宗教を尊重する日本の宗教観は、世界の宗教家にも支持されているそうです。スピーチの最後に、松山さんが語った言葉を見てみましょう。

日本の宗教観を世界へ伝えたい

私この2年ほどで、前のローマ法王にご招待いただいてバチカンに行ったり、この4月にはここ京都ではダライラマ猊下にご招待いただいてシンポジウムに参加させていただきましたが、世界の宗教家が実はこの日本の宗教観に非常に期待されています。

ですから私は世界でも冠たる宗教都市ここ京都から、日本人のもつ素晴らしい寛容性のある宗教観、これをぜひ世界に伝えたいと思います。そうすれば世界はもっと素晴らしくて素敵な場所になると私は強く信じております。

松山さんのスピーチはこちらから。

海外では、現在も宗教による争いが続いています。

「お互いを尊重する心」が教義を守ることよりも大切だ、と説いてくれた松山さんのスピーチは、とても感慨深いものではないでしょうか。

タイ仏教の寺院で火事 1人ケガ 八王子市

9日昼頃、東京・八王子市にあるタイ仏教の寺院で火事があった。

 東京消防庁などによると、9日午前11時45分頃、八王子市宮下町にあるタイ仏教のプッタランシー寺院で火が出ていると通報があった。消防車31台で消火にあたり、寺と近くの建物の計4棟、500平方メートルが焼けたが、午後1時15分頃、ほぼ消し止められた。この火事で50代の男性1人がケガをしたという。

最終更新:4月9日(木)13時49分

日テレNEWS24

【日本の宗教】

概要

浅草寺(東京、浅草
シンクレティズムの例。 仏塔稲荷が合体している。

政府と宗教

日本国憲法第二〇条には

一 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
三 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

との条文があり、日本では信教の自由が認められ、国教は定められていない。政府と宗教に関する問題は「宗教#日本の主な宗教問題」の項を参照のこと。

国民と宗教

日本における宗教の信者数は、文部科学省が宗教法人に対して行った宗教統計調査によると、神道系が約1億700万人、仏教系が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人、合計2億900万人となり、これは日本の総人口の2倍弱にあたる。神道系と仏教系だけで2億人にせまる[1]。しかし個々の国民へのアンケート調査等では、「何らかの信仰・信心を持っている、あるいは信じている」人は2割から3割という結果が出ることが多い[2]

こうした数値になる要因として、以下が挙げられている。

  • 統計調査は宗教法人を回答者として申告制で行うため、各宗教団体が必然的に自団体の信者数を多めに申告する傾向にある。
  • キリスト教やイスラム教などでは定期的に礼拝に参加していても、洗礼シャハーダなどの入会儀式を受けるまでは信徒として扱われない。また多くのキリスト教団体では、音信不通となったものは数年で除名されるのが一般である。しかし神道や日本の仏教では、地域住民をすべて氏子とみなす例、他教の信者となったり無宗教を表明する者でも生家が所属する寺院の檀家にカウントされている例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札等の呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例がある[2]
  • 現在の日本社会では一般的に、どの宗教・宗派を信仰しているかはさほど重視されず、また個々人も自らの信仰を殊更に意識することが少ない。そのため、上記のような杜撰ともいえる調査方法にも抗議の声が上がることは少なく、また実生活で不都合が起こることも少ない。加えて宗教一般に対する否定的な見方もあり、他人に信仰を尋ねること自体がタブー視される風潮もある。

個々の宗教

神仏習合

前述の通り、日本では神道仏教の信徒が大多数を占めている。ただし、日本では長く神仏習合シンクレティズムの一種)が行われたため、明治初期に神仏分離がなされた後も神道と仏教の間の区別には曖昧な面が残っている。また、廃仏毀釈を逃れるため、もとは寺であったものが神社になった例も多い。これらの理由により、神棚を祀り仏壇も置いている家庭、仏教寺院の檀家であると同時に神社の氏子でもある家庭は少なくない。これが、神道を信仰する者と仏教に帰依している者を合わせると2億人を超えるといわれる所以である。

考え方を変えると、神道と仏教という2つの宗教が日本に存在したと捉えるのではなく、神道が仏教を飲み込んで渾然一体となった土着の信仰があった(あるいは今もある)と捉える方が自然であるともいえる。歴史的に見ても現在においても、誕生祝い・七五三・成人式や祈願事などのハレの行事は神道が、葬儀・供養や死生観にまつわる事などのケガレは仏教が担うように機能を分担しており、両者を合わせて一つの宗教観を構成しているともいえる。

出雲大社(神道、島根県出雲市)

神道

神道(神社神道)は「神は言挙げをせぬ(ものをはっきり言わない)」という思想に見られるように、明確な教義が存在せず(教派神道系のセクト宗教(新宗教)には明確な教義が存在する)、厳密な入信規定もない。氏子入りがこれに近いが、特定の神社の氏子でない日本人が神棚の設置、神社への寄付、祭事への参加などを行うこともあり、これをもって信者と見る向きが多い。

法隆寺(奈良県生駒郡)
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仏教

日本の仏教は殆どが大乗仏教である。鎌倉時代に成立した宗派(鎌倉仏教)が今日のものの礎となっており、日本の歴史に深く影響を与え、現在に至るまで信者数も多く、日本の仏教徒の大部分を占める。

歴史を遡れば、仏教は6世紀に日本に伝来したとされている。奈良時代には「南都六宗」と呼ばれた三論宗成実宗法相宗倶舎宗律宗華厳宗などが広まった。平安時代には遣唐使とともに(中国)に渡り仏教を学ぶ僧が多くいた。代表的な存在として、最澄は帰国後に法華経密教を中心とした天台宗を開き、空海は太陽を神格化して生み出された大日如来を宇宙の中心と説く密教を学び、帰国後に真言宗を開いた。仏典には、釈迦が教えを説いてから千年間は正しく教えが伝わり実践されるが(正法)、その後千年は教えが形骸化し(像法)、像法の後は末法すなわち仏法を正しく聞くことが出来ず、正しく理解するものがいなくなるという、すなわち暗黒時代が到来するとの思想が記されている(末法思想)。日本では平安時代、(いくつか見方はあるものの)1051年などに末法に入ったと見なし、すでに末法に入った、という痛切な意識は人々の中にいくつかの動きを生んだ。ひとつの動きは、この世に絶望し来世の幸福を願い阿弥陀如来にすがる信仰(浄土思想)で、これは貴族や貧しく力のない一般庶民の間にも広がり、この信仰に基づいた寺院が全国規模で建立された。

すでに末法に入ったとされていた鎌倉時代、実際に世は戦乱や疫病で乱れ、人々は絶望の淵にいた。そうした人々の間では「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続けることで阿弥陀如来に救済され、極楽浄土に往生することが出来るとする法然浄土宗や、男尊女卑や女人不浄が当然と考えられていた時代に男女平等や女人往生を説き、罪深い自分たちだからこそ女性も男性もありのままの生き方のまま浄土往生できるとする悪人正機を説いた親鸞浄土真宗が全国に広がっていった。こうした後に日蓮は、末法に入ったからこそ「南無妙法蓮華経」と日々題目を唱えることで菩薩に至ることができ、安寧を得ることができると説き、日蓮宗を開いた。これら方向性の異なる2つの思潮は、それぞれ現代社会にまでつづく大きな潮流をかたちづくり、今もなお大きな影響力を持っている。またこの時代に中国から禅宗が伝わり、臨済宗曹洞宗という2つの流れが生まれた。日本の仏教は、全体的に見れば戒律は殆どなく、他宗派との表立った論争も少ない。本来は出家することで正式な仏教徒となるが、多くの日本人の場合は自身の葬儀の場において戒名を得ることにより仏門に入る《浄土真宗では宗派の特性上戒名は使われていない》。

キリスト教

ニコライ堂日本正教会、東京都千代田区)

史料によって、確実に日本にキリスト教が伝わったことがわかるのは、イエズス会フランシスコ・ザビエルによる布教である。戦国時代のさなか、1549年のことであり、当初はほぼザビエルたちイエズス会の宣教師のみで布教が開始された、とされている。ザビエルたちは初め鹿児島に入り、そこから布教を開始した。その後、フランシスコ会なども来日し、布教を行った。これらはカトリックがほとんどで、当時はまだ新興の教えであったプロテスタントはほとんど入ってきていなかったと思われる。

当初、勢力拡大に明け暮れていた各地の戦国大名たちは、最新の知識や技術を持った彼らヨーロッパ人たちを基本的に歓迎しており、キリスト教も比較的スムーズに広まっていった。大名の中には、新しい思想であるキリスト教に惹かれて入信した者もおり、彼らはキリシタン大名と呼ばれた。しかし、サン=フェリペ号事件などいくつかの事件をきっかけに、権力者から忌避されるようになり、やがて天下統一を果たした豊臣秀吉によって禁止されることとなった。

その後、江戸時代が訪れるとキリスト教は一時的に解禁されたが、すぐに禁止された上に、また、江戸幕府鎖国政策が敷いたため、宣教師ばかりか一般の外国人も入国できなくなり、日本国内のキリスト教は衰退した。当時の日本人キリスト教徒は、棄教するか隠れキリシタンとなった。この隠れキリシタンたちは、密かに信仰を伝えていくこととなった。江戸幕府はヨーロッパ諸国の中で、プロテスタント国家のオランダとだけ、オランダ商館を通じて貿易を継続した。オランダは幕府のキリスト教禁教政策を尊重したため、幕末まで日本にキリスト教が広がることはなかった。

明治政府も当初はキリスト教禁教政策を引き継いだが、1873年、いくつかの制限がつきながらも布教が公に認められることとなった。1889年に発布された大日本帝国憲法において信教の自由が明文化されたが、政府は「神道は宗教ではなく(神道非宗教説)国家の祭祀であり臣民に義務がある」として宮城遥拝を国民に強制し、キリスト教団体もこれを受け入れざるを得なかった。第二次世界大戦後、日本ではほぼ完全な形での信仰の自由が保証された。

明治時代以来、キリスト教は日本の文化に様々な影響を与えている。しかしキリスト教の信者そのものは、カトリック・プロテスタント・正教会の全てを合わせても、日本人全体の1%前後と言われている。文化庁の宗教年鑑では、信者数の割合で約1%となっている[3]。また、アメリカ合衆国CIAの調査によると、日本のキリスト教徒の割合は2%ほどと推定されている[4]。いずれにしてもこの割合は、近隣のアジア各国と比較しても際立った低さである(これに匹敵するタイラオスネパールなどの国もある)。日本のキリスト教団体の多くは、ヨーロッパアメリカはもちろん、韓国ベトナムと比べても小規模である。特に地方のプロテスタント教会では信徒が10名に満たない団体も多く存在する。

儒教

神道、仏教に加えて、宗教として意識されることは少ないものの、葬儀死生観を中心に儒教も大きな影響を残している。祖霊信仰などの観念は現在では仏教に組み込まれているが、本来は仏教哲学と矛盾するものであり、古来の民間信仰と儒教に由来する。位牌、法事など、先祖供養に関わる重要な習慣がおもにその形式において儒教起源である。思想、道徳、政治的規範としての儒学は支配階級を中心に学ばれ、明治時代以降は一般庶民にも直接、間接に影響を与えた。

新宗教

明治時代および第二次世界大戦後には、日本国内で様々な新宗教・新新宗教が登場した。新宗教は現在においても新たに作られており、その状況は「カルトのラッシュアワー」と呼ばれているが、あまりに数多くの宗教が発生したために、どの宗教も大量の信者を獲得しているとはいいがたい。また、そうした新宗教の中には、海外での活動の奇抜さにより、一部の国からカルト宗教のレッテルを貼られ危険視されている宗教団体もあり、日本国内でもこうして生み出された新宗教団体や信者が関与していると思われる犯罪やトラブルがあとをたたない。

民間信仰

民間信仰的要素は歴史的経緯もあり、複雑な様相を成している。これらは主にアニミズムを基盤としており、社殿以前の磐座山岳信仰などに顕著であるが、神仏習合の影響も受け、形を変えて受け継がれているものも多い(道祖神地蔵菩薩えびす信仰など)。密教などの影響を受け、仏教や神道の枠に収まりがたい発展を遂げた宗教には、修験道陰陽道山岳信仰などがあり、真言陀羅尼や功徳を積んだ法力への期待から御霊会など怨霊の鎮魂を担っていた。現代でも地鎮祭などにはこの考えが残っている。

その他の宗教

上記以外の信徒はまれであるが、日本国内に外国人主体の宗教施設を持つ教団は複数確認され、それらの宗教の信徒との結婚などで改宗した人々も存在する。世界的に有力な外来宗教では、イスラム教信者が約12万人から18万人、バハーイー教信者が約1万2000人、ヒンドゥー教信者が約5000人、ユダヤ教信者が約2000人、シク教信者が約2000人と言われている。

日本人のイスラム教徒人口はさまざまな数字が出されているが、いずれも正確な数字ではない。日本には、国内のイスラム教徒の動向を把握している、統一された組織や団体が存在しないためである。5万人とする説もあれば、20万人近い数字を挙げる者もいる。いずれの数字もかなり多めに見積もられた数字だとも考えられ、「実際に日本国内でイスラムを実践している日本人信徒の数は数百人から、多くても1000人は超えないのではないか」とも言われている。日本国内で催されるイスラム教関係の行事、祭典の日本人信者の出席者、日本各地の礼拝所の日本人の礼拝参加者の数から推測してもそれに近い。

日本は韓国と並んで、アジアでは最もイスラム教が普及していない国のひとつであり、現地人(日本人)が主体になって運営されているイスラム教組織や宗教施設はほとんど存在しない。タイ南部・フィリピン南部・ベトナム南部のようなイスラム教を信仰する少数民族が住む地域もなく、中国の回族インドのムスリムのような現地の文化や言語、民族に同化したイスラム教徒の集団も存在しない。

日本国内に存在するイスラム教組織や宗教施設の信者の大半は、パキスタン人バングラデシュ人トルコ人インドネシア人スリランカ人イラン人などの在日外国人とその日本人配偶者である。大半がスンニー派であるが、その中でもハナフィー学派シャーフィイー学派が日本には多い。パキスタン、バングラデシュ、トルコなどの出身者にはハナフィー学派の信者が多く、インドネシア人、スリランカ・ムーア人などにシャーフィー学派の信者が多い。ハナフィー派は比較的自由な解釈を行う学派であり、シャーフィーはそれよりもクルアーンなどイスラム法に解釈に重きを置く。両者は対立することはなく、互いに尊重しあい一緒に礼拝しているが、礼拝の方法や戒律に小さな違いが見られる。宗派や学派の違いとは別に、トルコ出身者は日本国内においてもトルコ共和国内で採用された暦を採用する者が多く、他国出身のイスラム教徒と行事の日程などがずれることがある。イラン人にはシーア派の信者が多く、スンニー派とは別に礼拝所や宗教団体を運営しているケースが多いが、スンニー派の宗教施設を利用したり、行事に参加するシーア派の信者も少なくない。

日本で比較的、熱心に布教活動をしているイスラム教系グループにアフマディーヤ教団がある。主にパキスタン出身者により、街頭で布教活動などがなされている。ただし、アフマディーヤ教団は正統派のイスラム教徒からはイスラム教とはみなされないことが多い。

2013年から、日本ではビザ緩和などによって、東南アジア諸国からの観光客が急増している。ムスリムの多いマレーシアインドネシアも例外ではなく、彼らに対応するために、ハラルなどムスリムの習慣に対する勉強会が各地で開かれるようになっている。イスラム式の礼拝堂の設置も増えてきている。

日本人の宗教観

もともと日本においては、平安時代から明治維新以前は浄土真宗を除き神仏習合が基本で、神道と仏教が分けられない場合が一般的だった。寺院内に鳥居があったり、「八幡大菩薩」と神社の神を菩薩の呼び方で呼ぶ事例などに名残を見ることができる(ただし、どの時代にも熱心な仏教信者がいた)。

江戸時代に戸籍管理を目的として、仏教宗派のいずれかの寺院か、神社への帰属が義務付けられた(寺請制度)ことによって様々な習慣が生まれたが、今日では希薄となっている。また、七五三や結婚式が神社で行われるようになったのは明治以後のことで、宗門改めに起因するわけではない。

二宮尊徳(1787年 - 1856年)の話をまとめた『二宮翁夜話』という書物には、宗教多元主義を示すような譬え話も書かれている。

世の中に本当の真理はただ一つしかないが、その真理に近づく入り口はいくつもある。仏教、神道、あるいは仏教でも天台宗、浄土宗、浄土真宗、禅宗などいろいろあるが、これらは何れも一つの真理へ到達するための道に付いている沢山の入口の名前に過ぎない。例えば富士山に登るのに、吉田から、須走りから、須山から、それぞれ登れるが、最終的に頂上に至れば同じ所である。これを、違う目的に到達できる別々の道がある、と考えるのは誤りなのだ。入り口が幾つかあっても、最終的に到達する場所は同じ一つの場所なのだ。ところが世の中では、これらを別々な道であると言い真理が幾つもあるかのように解釈されがちなのだが、もともと仏教思想は紀元前に一人のブッダ釈尊によってとかれたもので、そうして顕された沢山の教義のなかから根本経典を選び出し、それぞれの宗派に分かれて守り伝えていっているに過ぎないのだ。

小説家の芥川龍之介(1892年 - 1927年)は、日本にいくら宗教を根付かせようとしても無理なのは、日本が古来から「八百万の神」を崇める、神道などに見られる独特の宗教観を持つからで、釈迦イエス・キリストも日本にくれば神々の一人という扱いになる、といった主旨のことを短編小説「神神の微笑」の中で登場人物に語らせている。また同時に、日本人が海外の思想に変化を加えて自分のものにする様子を「造りかへる力」とも表現している。

小説家の井沢元彦は、日本には無意識の強烈な「怨霊」信仰と、怨霊を発生させない「」への信仰があり、神道はその上に成立し、仏教も結局は怨霊を鎮魂するための道具として活用されたと解説している。来日した外国人や、熱心な宗教信者となった日本人は、多くの日本人が無意識のうちに「和」を至上のものとする思想を持つことを見い出すことができるという。また井沢は日本人の持つ「言霊」への特異な信仰を見出している。

現代

読売新聞」が2005年8月6日、7日に行った「宗教」に関する世論調査では、「宗教を信じていない」という選択肢を選んだ人が75%に上り、「信じている」を選んだ人は23%と、1979年の調査の34%と比べて11%減った。「神や仏にすがりたいと思ったことがあるか?」に関しては、54%の人が「ある」と答え、44%の人が「ない」と答えた(「宗教を信じていない」を選択した人でも47%が「ある」と答えた)。「幸せな生活を送るうえで宗教を大切に思うか?」に関しては、35%の人が「大切に思う」を選び、60%の人が「思わない」を選んだ。

現代の日本人の大多数は、実際にはいわゆる宗教儀礼に参加してはいるものの、特定の宗教組織に対する帰属意識は薄く、自分のことを「無宗教」と考える者も多い。この場合の「無宗教」は、神や仏の存在を否定する無神論とは異なり、何かしらそれなりに信じているが、特定の宗教組織や教義に全人格的に帰属してはいないということである。

地域性

明治維新および太平洋戦争前後の国粋主義により、日本の宗教には全国的な均一化がみられるが、地方によっての宗教風土の差もある。長崎県では、隠れキリシタンの子孫が多くいた歴史的経緯もあり、カトリック教徒が人口の4%超と突出して多い。また廃仏毀釈運動の激しかった長野県岐阜県、一向宗の土壌が根強い愛知県福井県などにもそれぞれの特色がみられる。

沖縄県ではその歴史的経緯もあり、シャーマニズムの要素が強く残る琉球神道などが見られる。

現代日本における宗教団体

日本において宗教団体は、宗教法人として法人格を得ることができる。宗教法人の認証は、宗教法人法に基づいて行われており、主たる事務所の所在地を管轄する都道府県知事が行う。ただし、他の都道府県内に境内建物を備える場合や他の都道府県内にある宗教法人を包括する宗教法人の場合などは、文部科学大臣が認証を行う。認証の後、事務所の所在地において設立の登記をすることにより成立する。ただし、民間信仰や新宗教などの宗教団体には法人格を得ていない場合も多い。

2006年の時点で、日本には、神道系88,788団体、仏教系85,994団体、キリスト教系9,330団体、諸教39,858団体が存在している

【日本の宗教家一覧】

日本の宗教家一覧(にっぽんのしゅうきょうかいちらん)は、特に日本における新宗教(新興宗教)を中心に、著名な宗教家の一覧を作成する。


あ行

か行

さ行

た行

な行

は行

ま行

や行

わ行

【日本の仏教】

概説

日本は統計的にみて約8470万人が仏教徒であり、全世界で3億数千万人程度が仏教徒とされていることを考慮しても、やはり一大仏教国である。約7万5000の寺院、30万体以上あるといわれる仏像は、他の仏教国と比べても桁違いに多い。世界最古の木造寺院法隆寺があり、最古の仏典古文書も日本にある。

現在の日本の仏教の概略について解説すると、文化庁が編纂している「宗教年鑑」などの統計によると、現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる鎌倉仏教に属している。浄土宗系(浄土真宗)の宗派と日蓮宗系の宗派が特に大きな割合を占めており、大乗仏教が特に多いと言える。


系譜・宗派

日本各宗派の系統

日本の仏教には数多くの様々な宗派が存在する。「十八宗」と呼ばれる三論宗法相宗華厳宗律宗倶舎宗成実宗天台宗真言宗融通念仏宗浄土宗臨済宗曹洞宗浄土真宗日蓮宗時宗普化宗黄檗宗修験宗の一八の宗派がある。1940年の宗教団体法公布以前にはいわゆる13宗56派が公認されていた。13宗とは華厳宗法相宗律宗真言宗天台宗日蓮宗浄土宗浄土真宗融通念仏宗時宗曹洞宗臨済宗黄檗宗である。同法公布後、これら13宗56派は28宗派に再編され、第二次大戦後はさらに分派独立したものが多いが、伝統仏教の13宗の系譜はいずれも現代に引き継がれている。ここではいわゆる伝統仏教13宗の宗祖と本山を記載する。

13宗以外の宗、13宗もしくは他の宗から分離・独立した宗、56派もしくはそれ以外の派、比較的近年に成立した仏教系の新宗教もしくは新興宗教については、それぞれの項を参照。

歴史

飛鳥時代

日本書紀』によると、仏教が伝来したのは飛鳥時代552年欽明天皇13年)に百済聖王(聖明王)により釈迦仏の金銅像と経論他が献上された時だとされている。しかし、現在では『上宮聖徳法王帝説』(聖徳太子の伝記)の「志癸島天皇御世 戊午年十月十二日」や『元興寺伽藍縁起』(元興寺の成り立ち・変遷を記述したもの)の「天國案春岐廣庭天皇七年歳戊午十二月」を根拠に538年戊午年、宣化天皇3年)に仏教が伝えられたと考える人が多いようである。歴史の教科書にはこちらの年号が載っている(詳細は仏教公伝を参照)。

仏教が伝来した際に、次のような騒ぎが起こったと『日本書紀』に書かれている。欽明天皇が、仏教を信仰の可否について群臣に問うた時、物部尾輿中臣鎌子ら(神道勢力)は仏教に反対した。一方、蘇我稲目は、西の国々はみんな仏教を信じている。日本もどうして信じないでおれようか(「西蕃諸國一皆禮之,豐秋日本豈獨背也」)として、仏教に帰依したいと言ったので、天皇は稲目に仏像と経論他を下げ与えた。稲目は私邸をとして仏像を拝んだ。その後、疫病が流行ると、尾輿らは、外国から来た神(仏)を拝んだので、国津神の怒りを買ったのだ(「昔日不須臣計 致斯病死 今不遠而復 必當有慶 宜早投棄 懃求後福」)として、寺を焼き仏像を難波の掘江に捨てた。その後、仏教の可否を巡る争いは物部尾輿・蘇我稲目の子供達(物部守屋蘇我馬子)の代にまで持ち越され、用明天皇の後継者を巡る争いで物部守屋が滅亡されるまで続いた。この戦いでは厩戸皇子(後に聖徳太子と呼ばれる)が馬子側に参戦していた。厩戸皇子は四天王に願をかけて戦に勝てるように祈り、その通りになった事から摂津国四天王寺大阪市天王寺区)を建立した。馬子も諸天王・大神王たちに願をかけ、戦勝の暁には、諸天王・大神王のために寺塔を建てて三宝を広めることを誓った。このため、馬子は法興寺(別名飛鳥寺、奈良に移ってからは元興寺)を建立した。厩戸皇子は『法華経』・『維摩経』・『勝鬘経』の三つの経の解説書(『三経義疏』)を書き、『十七条憲法』の第二条に、「篤(あつく)く三宝を敬へ 三寶とは佛(ほとけ) 法(のり)僧(ほうし)なり」(「篤敬三寶 三寶者 佛 法 僧也」)と書くなど、仏教の導入に積極的な役割を果たした。この後、仏教は国家鎮護の道具となり、天皇家自ら寺を建てるようになった。

天武天皇大官大寺(後の大安寺)を建て、持統天皇薬師寺を建てた。このような動きは聖武天皇の時に頂点に達した。

奈良時代

中国や日本では仏教の発展に伴い律令法の中に僧尼の統制(仏教そのものの統制ではない)を定めた法令(僧尼令)が導入された。だが、中国では、仏教の出家が「家」の秩序を破壊するなど、儒教論理に合わないとされ迫害されたのに対し、日本では「鎮護国家」の発想の下、「僧尼令」や僧綱度牒制度が導入されて官僚組織の一員とまで化したのは興味深いことだと言える(僧正・僧都などは律令制で定められた僧官)。もっともこうした統制について国家が建立した官寺とそれ以外の貴族や民衆によって建てられた民間寺院(私寺)とでは温度差があったともされ、後者に対する統制がどこまで行われていたかについては意見が分かれている。

こうした「南都六宗」と呼ばれた、三論宗成実宗法相宗倶舎宗律宗華厳宗などが大勢を極めた。また、聖武天皇は位を孝謙天皇に譲り、出家した。聖武は妻の光明皇后の影響から信仰に厚く、国分寺、国分尼寺の建造を命じ、大和の国分寺である東大寺大仏を建造した。出家した聖武上皇は「三宝の奴」とまで称した。仏教が定着するにつれて、実は日本の神々も仏が化身として現れた「権現」であるという考えである本地垂迹説が起こり、様々の神の本地(仏)が定められ、神像が僧侶の形で制作されることがあった。しかし、仏法が盛んになってくると、今度は戒律などを無視する僧などが増えたりしたため、聖武天皇の時代に鑑真が招かれた。鑑真は東大寺に戒壇を設け、僧侶に戒を授けた。聖武天皇も鑑真から戒を授かった。鑑真は唐招提寺を建立し、そこに住んだ。

平安時代

その後これら寺院群は政治に口を出すようになった。桓武天皇は、彼らの影響力を弱めるために平安京に遷都し、空海及び最澄遣唐使とともに中国に送り出し、密教を学ばせた。新しい仏教をもって、奈良の旧仏教に対抗させようとしたのである。最澄(天台宗)、空海(真言宗)には、それぞれ比叡山高野山を与えてを開かせ、密教を広めさせた。平安時代中期は釈迦入滅の二千年後にあたる。正法の千年・像法の千年の後、仏教が滅びる暗黒時代、すなわち末法の世が始まったと考えられた。末法の世にはどんなに努力しても誰も悟りを得ることができない。国が衰え人々の心も荒み、現世での幸福も期待できない。このような人々の状況から、ひたすら来世の幸せを願う浄土信仰が流行した。貴族も阿弥陀仏にすがり、極楽浄土に迎えられることを願って来迎図などを盛んに描かせ、その究極として宇治の地に平等院を建立した。その鳳凰堂の姿形は、正に極楽の阿弥陀仏の宮殿(くうでん)を模したものである。だが、平安時代末期に入ると社会不安が増大し、広大な所領の持ち主であり裕福であった大寺院は盗賊などに狙われる危険性が高くなった。そこでこうした外部からの侵入者から防衛するために僧侶や信徒が武装したのが僧兵である。だが、次第に僧兵そのものが勢力拡大のための武装集団と化し、対立宗派・寺院への攻撃や朝廷への強訴などの武力行使を行う集団として社会の不安要素の1つになっていった。また、寺院内に石垣や堀を巡らせる等の一種の城塞化を進める寺院も現れた。

鎌倉時代

鎌倉時代に入ると、前時代末期からの動乱で仏教にも変革が起きた。それまでの仏教の主流が「鎮護国家」を標榜した国家や貴族のための儀式や研究に置かれていたものが、次第に民衆の救済のためのものとなっていったのである。主として叡山で学んだ僧侶によって仏教の民衆化が図られ、新しい宗派が作られていった。これらの宗派では、それまでの宗派と違い、難しい理論や厳しい修行ではなく、在家の信者が生活の合間に実践できるような易しい教え(易行)が説かれている。これらの中には、「南無妙法蓮華経」と唱えることで救われるとする日蓮宗、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続ける(称名念仏)事で救われるとする浄土宗、浄土宗からさらに踏み込んで「善人なをもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや(『善人→「自力作善」の者=阿弥陀仏を頼りとせず、自分の力で善根功徳を積んでさとりを開こうとする者』でさえ往生できるのだから、悪人→我々のような煩悩を具足のように身にまとった者が往生できるのはいうまでもないことだ)」という悪人正機の教えを説いた浄土真宗(一向宗)、踊りながら念仏を唱える融通念仏時宗があった。このように鎌倉時代には乱立ともいえるほど新しい宗派が誕生した。これらの宗派は、定着するまで例外なく既存の宗派に弾劾されたが、同時に旧宗派の革新も引き起こした。弾劾の中でも日蓮宗の日蓮は過激なことで知られ、他宗を非難し御題目を唱えなければ国が滅ぶと言い、幕府に強く弾圧された。しかし、民衆に浸透し一般化すると、この弾圧も次第に沈静化していった。

鎌倉時代は、武士が貴族から権力を奪い、力を着々とつけていた時代でもあった。この時代には臨済宗曹洞宗という二つの禅宗が、相次いで中国からもたらされた。力をつけつつあった武士に好まれた事から、鎌倉などに多くの禅寺が建てられ、大いに栄えた。この代表的なものを「鎌倉五山」という。また、虎関師錬が仏教史書である『元亨釈書』を著した。

更に従来の仏教の間でも現状を批判する動きが高まってきた。特に律宗やそこから派生した真言律宗などでは社会事業などに乗り出しながら民衆の救済に加わるだけではなく、自ら国家の指定した戒壇を拒否して独自の授戒儀式を開始するなど、新しい宗派よりも革新的な動きすら見せた。

南北朝・室町時代

1333年に鎌倉幕府が滅亡し、南北朝時代から室町時代には政治的中心地は京都に移る。鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇により建武の新政が開始されると、五山は鎌倉から京都本位に改められ、京都五山が成立する。足利尊氏が京都に武家政権を成立させると、以前から武士に人気のあった禅宗五山が定められ、臨済宗は幕府に保護される。室町時代の初期には南禅寺などの禅宗と旧仏教勢力の延暦寺などの天台宗は対立し、初期の幕府において政治問題にもなる。また、尊氏の天龍寺船の派遣に協力した夢窓疎石や弟子の春屋妙葩は政治的にも影響力を持ち、彼らの弟子僧が3代将軍の足利義満時代に中国の朝と日明貿易(勘合貿易)を開始する際には外交顧問にもなる。このような武家と仏教界の接近は貴族文化及び武士文化に影響を及ぼし、義満の時代の鹿苑寺(金閣寺)など北山文化足利義政時代の慈照寺(銀閣寺)など東山文化に融合の跡を見ることができる。室町時代の文化には仏教に影響された水墨画書院造茶の湯生け花枯山水の庭園など、後世に残る多くの作品が生まれた。また、寺院の中には安定した収入を確保するために、所領からの収入や祠堂銭(供養料)などを元手に金融業に進出するところもあった。また、当時城砦化が進んでいた寺院に資産を預ける人々もおりその資産も元手となった。しかし、高利での貸付に耐え切れなくなった人々が徳政一揆を引き起こし、寺院がその攻撃の対象となることもあった。

曹洞宗は地方や庶民の間で影響力を持った。京都の都市商工業者の間では日蓮宗が普及した。ちなみに、この時代の布教者としては浄土真宗蓮如日蓮宗日親などが有名である。

戦国時代

応仁の乱後になると、治安の悪化とともに宗教勢力も武力を強めた。法華宗による山科本願寺焼き討ち、天台宗による天文法華の乱など、過激派宗教団体による宗教戦争も起こった。中でも加賀国一揆等の一向一揆は守護大名の冨樫氏を滅ぼし、約80年に渡って国を支配した(主に徴税権と裁判権)。石山本願寺などは、さながら大名家のような強固な組織となり、彼らの勢力は守護大名および戦国大名が国を統治する上で何らかの対応策をとることが必須となるほど大きく、大名の多くは妥協の道をとった。

しかし尾張の戦国大名・織田信長は、「天下布武」という方針の下、実力対抗してくる宗教勢力を徹底的に討伐した。延暦寺焼き討ち長島一向一揆石山合戦などが有名である。また、信長は、日蓮宗の僧と浄土宗の僧との宗論を主催した(安土宗論)。結果、浄土宗が勝利したため、信長は法華宗に他宗派を非難しないよう約束させた。これも宗教勢力を抑えるための策だったとされる。

安土桃山時代

信長が本能寺の変で死ぬと、彼の家臣の豊臣秀吉が実質的な後継者の座についた。秀吉は概ね信長の路線を引き継ぎ、自身に敵対した根来寺高野山を屈服させた。さらに有力寺社を大坂城の城下町へ引っ越しさせたり、僧兵の影響力が大きかった大和に弟・豊臣秀長を派遣したり、刀狩惣無事令によって寺院の武装解除を大きく進めるなど、寺社への統制を強めた。寺院の統制と武装解除は続く江戸幕府でも大きな問題として引き継がれていく。

江戸時代

豊臣秀吉の死後に権勢を掌握した徳川家康は、寺院諸法度を制定し、寺社奉行を置き、仏教を取り締まった。さらに人々を必ずいずれかの寺院に登録させるようにし(寺請制度)、布教活動を実質的に封じた。当時最大の仏教勢力であった浄土真宗の本願寺に対しては、お家争いにつけ込んで東西に分裂させ、結果的に勢力を弱体化させることもした。

また、1665年に江戸幕府は寛文印知諸宗寺院法度の制定を行い、仏教寺院に寺領を安堵する一方で更なる統制を行い、幕府が日蓮の教義を信じない事を理由に従う事を拒絶した日蓮宗の一派の不施不受派はキリスト教と同様に厳しい弾圧を受けた[3]

1654年に来日した明の隠元隆琦黄檗宗を布教している。

明治時代

江戸時代後半より本居宣長を祖とする国学の延長により明治維新が成し遂げられ、国学的な明治政権が旧長州藩出身者により形成された。そのため、大政奉還により、天皇に政権が返上されると、新政府の神道重視の政策の結果、全国で廃仏毀釈が行われ、寺院数が減少した。1871年(明治4年)に明治政府太政官達を出し虚無僧が在籍する普化宗を廃止した。また、不受不施派キリスト教の布教が解禁された。各宗派は仏教の近代化を推し進め、宗門大学の設立等の教育活動、社会福祉活動に進出した。

大正時代

昭和前期

近代の政府は、神仏判然令以降、太政官布達や断片的な法令、行政上の通達によって宗教を管理してきたが、統一的な法典としては1939年(昭和14年)の宗教団体法が最初であった。国家神道体制が確立する過程で神社は宗教ではないということで公法上の営造物法人として扱われたが、仏教、教派神道、キリスト教の宗教団体は民法の公益法人を適用されないままであった。宗教に関する法律の必要性は政界においても認識されており、1899年(明治32年)には第一次宗教法案が貴族院に提案されたが、否決された。1927年(昭和2年)、1929年(昭和4年)にも宗教法案が議会で提案されるが、審理未了に終わった。宗教団体法の制定によって、一般の宗教団体は初めて法人となり、キリスト教も初めて法的地位を得たが、監督・統制色が強い法律であった。

昭和中後期

出典・脚注第二次世界大戦後、1945年(昭和20年)12月28日に宗教法人令が制定・施行され、宗教団体への規制が撤廃された。1951年に宗教法人令が撤廃され、認証制を導入した宗教法人法が制定された。高度経済成長と時を同じくして、法華経系新宗教創価学会立正佼成会などが大きく勢力を伸ばした。80~90年代にかけては、原始仏教系新宗教のオウム真理教オウム真理教事件と呼ばれる一連の事件を起こし、これをきっかけにして1995年(平成7年)には宗教法人法が一部改正された。

  1.  総務省 (2013). 第六十三回 日本統計年鑑 平成26年. 東京: 日本統計協会. http://www.stat.go.jp/data/nenkan/index2.htm. 
  2.  文化庁「宗教年鑑」
  3.  高埜利彦『近世の朝廷と宗教』吉川弘文館、2014年、P394-397

外部リンク

Wikipediaより 転載

【蚊を殺してほっとしたらアウト…仏教の地獄行き条件が超シビアだった】

■死後の世界…冥土の旅の始まり


私たちは、一つの生を終え、また次の生を受けるまで冥土を旅します。この四十九日旅の間が現世(現有)と来世(来有)のはざまであることから、中陰(中有)と呼ばれている


死者はこの冥途の旅の間、きわめて微細な体をしており、そして香を食物としております。そこから「食香」と呼ばれ、死者の為に線香を絶やしてはならないと言われる根拠になっておるのです


死者ははじめ,真っ暗な道を八百里,六日間一人で歩きつづけます


800里=3141.84km。一日に450kmは歩かなければなりません

そして七日目、来世の行き先を裁く最初の裁判官・秦広王の法廷(第一法廷)に立たされることになる。以下、都合七日間ごとに七回の裁きうけるわけである


■そしてあの有名な三途の川へ

「三途の川」は死んだ人が必ず通らなければならない川として言われています


7日目に渡るとされています


三途の川には流れの速度が異なる三つの瀬があり、生前の業(ごう)によって「善人は橋」「軽罪の者は浅瀬」「重罪の者は流れの速い深み」を渡る

三途の川を渡ると鬼婆と鬼爺に服をはぎ取られ、服は衣領樹の枝に掛けられる。これにより生前の罪の重さをはかり、結果は後の裁判に使われる



・親より先に亡くなった子供は「賽の河原」へ


三途の川のほとりには賽の河原(さいのかわら)がありまして、川を渡れない死者がいます。幼くして亡くなり冥途にやってきた子供達です

賽の河原は、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。親の供養のために積み石(ケアン)による塔を完成させると供養になると言うが、完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまう


報われることのない努力を課せられる場所とされている


民間信仰による俗信ですが、苦行を続けていればやがて地蔵菩薩が現れて子供達を救うとされています


■計7回の裁判で輪廻先の世界が決定する

49日の間、7日ごとに計7回の裁判を受けます。この裁判によって次に行く世界が決定


5回目の裁判はあの有名なエンマ大王の裁判になります

最後の四十九日目、ここで遂に泰山王による最終決定が下される。まず、死者に六つの鳥居を指し示す。そのそれぞれの鳥居の先には、六つの世界か広がっている。六つの世界すなわち「六道輪廻」の世界である


どの鳥居に進むかを死者自身が 決めるのである。ただ、自分で選んだつもりでも前世の業により結果は決まっている。これも因果応報である


■輪廻する世界「六道」とは?


六道(ろくどう、りくどう)とは、仏教において迷いあるものが輪廻するという、6種類の迷いある世界のこと


輪廻転生では、天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界をぐるぐると生まれ変わりながら生きていくとされています


この輪廻から解脱し、仏になることではじめて、極楽浄土へ行くことができます

■仏教における地獄行きの条件が厳しすぎる…


六道の最下層。閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界


それは我々の生活するこの世界から、30万キロメートルも地下にあると言われている


地獄行きの条件は当時の倫理観や仏教の教えに沿っているため、現在の倫理観や社会風俗などに合わない


故に厳しい…


難易度は現代人にとってエクストリームモード


八階建の高層マンションになっていて、広さは、ワンフロアの1辺が、1万由旬・ゆじゅん・(10万キロ)の 立方体の面積がある


八大地獄は、層を降りるごとに苦しみは10倍、刑期は8倍になる



むやみに生き物の命を断つと落ちる地獄。動物を殺して食べるのもダメ


ケラ・アリ・蚊(カ)・蝱(アブ)の小虫を殺した者も、懺悔しなければ必ずこの地獄に堕ちると説かれている


この等活地獄の中の衆人は互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺しあう


涼しい風が吹いてくると、再び生き返って、前と同じように苦しみを受ける



ちなみに殺し合いに参加しなくても獄卒に襲われるという、バトルロワイヤル地獄なのだ


獄卒=地獄で死者を責めるという悪鬼


人間界の時間に換算すると1兆6653億1250万年にわたって苦しみを受けることになる


嘘だろ…


殺生のうえに偸盗(ちゅうとう)といって盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちると説かれている


この地獄の鬼たちは、罪人を捕まえて、焼けた鉄の地面に寝かせ、焼けた鉄の鞭で、体中を打つ。また、焼けた鉄の斧で、体中についた鞭のあとにそって切り刻む



もちろん例の風が吹いて何度でも生き返ります。刑期は13兆3225億年


この地獄には、前に述べた罪状のほかに邪淫(みだらな行い)をした人が入る。浮気をしたり人前でエッチなことばかり言っているドスケベは、この衆合地獄行きである


牛の頭や馬の頭を持った鬼どもが、手に責め道具をたくさんもって罪人を山の間に追い込む。すると両側から山がせまってきて罪人を押しつぶしてしまう。また、大きな鉄の山が空中より降ってきて、罪人を砂の塊のように打ち砕く


刑期は106兆5800億年

衆合地獄までの罪状に加えて、酒を飲んだり売したり、酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたり、などということも条件


熱湯の煮えたぎる大釜や,大火の燃え盛る鉄室で苦しめられ,あまりの苦しさに泣き叫ぶことから名づけられている


刑期は852兆6400億年


生き物を殺し、他人の者を盗み、よこしまなる性行為、酒を飲み、そして嘘をついた者がこの地獄へ堕ちます



叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚(な)く


刑期は6821兆1200億年


上記の5つの罪に加え、「邪見」(釈迦の教えに背く、危険な思想)を持つ者



この地獄の鬼は、罪人を捕まえて熱い鉄のうえに寝かせ、上に向かせたり、舌に伏させたりして、頭の先から足の先まで、大きな熱鉄の棒で打ったり突いたりして肉団子のようにする。仮に、この地獄のほんのわずかの火を人間世界のもってくるとすると、一瞬にすべてを焼き尽くすほどである


この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられるほど。刑期は5京4568兆9600億年


ここまで来ると現世でも相当レベルの高いスーパー犯罪者しか入ることはなさそうなので、一般人はどんなに悪くてもきっとレベル6まででおさまるだろう


更なる極熱で焼かれて焦げる。その炎は最大で高さ500由旬、横幅200由旬あるという。罪人の苦しみの声は地獄から3000由旬離れた場所でも聞こえる



1由旬=約11.3kmから14.5km前後。刑期は43京6551兆6800億年。転生するには宇宙が誕生し消滅するまでの時間の半分がかかるという


地獄の中で、いちばん恐ろしい地獄が、八番目の「無間(むげん)地獄」です。お経の中で、「阿鼻(あび)地獄」と書かれています

閻魔大王に阿鼻地獄行きの判決をもらうと、鬼が阿鼻地獄への穴へ放り込む。地獄に堕ちるまでなんと2000年もかかる


剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間(寸分・刹那)なく受ける。これまでの7つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという


刑期は682京1120兆年。転生はほぼ不可能


罪状:殺生


罪状:殺生+盗み


罪状:殺生+盗み+邪淫


罪状:殺生+盗み+邪淫+飲酒


罪状:殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語(うそ


罪状:殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語(うそ)+邪見(仏教の教えとは相容れない考えを説き、また実践する


罪状:殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語(うそ)+邪見+犯持戒人(尼僧・童女などへの強姦


罪状:殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語(うそ)+邪見+犯持戒人(尼僧・童女などへの強姦)+父母・阿羅漢(聖者)殺害



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